【ボリビア】魅力満載!ウユニ塩湖と首都ラ・パス8日間の旅

列車の墓場

2022年5月、ペルー在住の筆者は10数年ぶりに隣国ボリビアを訪問しました。

在ボリビア日本国大使館の情報によると、2022年6月1日現在、ボリビアにおけるCOVID-19感染者数は計90万8,862人。1月に新規感染者数が急増しましたが今は落ち着きをみせており、5月の一週あたり平均新規感染者数はおよそ50~150人で推移しています。

「ウユニ塩湖に行きたいけれど、ボリビアの今の様子ってどんな感じだろう・・・」と思っている皆さんへ、これから数回に分けてウユニや首都ラ・パスでおすすめの観光スポットなど、ボリビアの魅力をお伝えしていきたいと思います。

目次

ボリビア入国規制について

ボリビアの入国規制は2022年4月27日に緩和され、ワクチン2回接種完了証明を提示できる人は、搭乗72時間前のPCR検査が不要になりました。また、以前は必須だった申告書(ボリビア国内における滞在場所を明示する書類)や、コロナ治療費をカバーする旅行傷害保険証の提示も不要になったことから、ボリビアは今のところ外国人旅行者が入国しやすい国のひとつといえるでしょう。

ただし、入国の条件に関しては随時内容が変化する可能性がありますので、必ず在ボリビア日本大使館などのウェブサイトで最新情報を確認してください。

ラ・パスのエル・アルト空港からウユニへの移動について

首都ラ・パスにあるエル・アルト空港からウユニへはBoliviana de Aviación(ボリビアーナ航空)が週3~4便就航、アマソナス航空のラ・パス⇔ウユニ航路は現在運休になっています。外国人旅行者に人気の長距離バスTodo Turismo(トド・トゥリスモ)も利用でき、ラ・パス発、ウユニ発共に21:00の出発、所要時間は約10時間です。

エル・アルトの標高は4,062m、ウユニも3,700m近くあるので無理は禁物。予算だけでなく、体調にも留意しつつ移動プランを組んでくださいね。

ウユニでお世話になった旅行代理店「インティライミ・エクスペディシオネス」

今回ウユニでは2日間のプライベートツアーをお願いしました。いくつもある旅行会社の中から私が選んだのは、「Intiraymi Expediciones(インティライミ・エクスペディシオネス)」という会社。2代目社長のソライダさんとはウユニ訪問前からWhatsappでやり取りしました。

Intiraymi Expediciones

インティライミ・エクスペディシオネス代表のSoraida Apala Ticonaさん。丁寧な対応と素早いレスポンスで、事前のやり取りもスムーズに進み、助かりました。ソライダさんは英語も堪能なので、興味のある方はぜひ問い合わせてみて下さいね。

>>インティライミ・エクスペディシオネス 公式サイトはこちら

ウユニ塩湖プライベートツアー 1日目

1日目の朝はウユニ市内のホテルで朝8時にピックアップ。当初は10時半出発の予定でしたが、この日は塩のホテルを予約していたこともあり、少しでも早くホテルにチェックインできるよう出発時間を繰り上げてもらいました。こういう変更が気軽にできるのも、プライベートツアーならではですね。

列車の墓場

まずはウユニの中心から3kmほど南西にある「Cementerio de Trenes(列車の墓場)」へ。蒸気機関車や貨物の残骸が放置された、まさに列車の巨大墓地です。

ボリビア初となる鉄道の敷設工事が開始されたのは1872年。当時はまだボリビア領だった太平洋の港湾都市アントファガスタを起点とするこの一大事業は、アントファガスタがチリ領となったのちも断続的に実施され、1889年7月に当時エル・カンチョンと呼ばれていたこの地まで到達しました。エル・カンチョンは時のボリビア大統領アニセト・アルセ・ルイスによって"Uyuni(ウユニ)"と改名され、鉄道の町として新たな命を与えられたのでした。

人々の期待を乗せた最初の列車がウユニ駅に到着したのは、1890年11月20日。その後もレールは伸び続け、ボリビア国内で産出される硝石、銀、銅、錫といった鉱物や塩、農産物などの輸送に使われました。しかし、1929年~1939年の世界恐慌や鉱山危機、鉄道運営の問題などから多くの車両がその役目を終え、ウユニ郊外の鉄道分岐点に"一時保管"という名目で廃棄されました。

それから半世紀余りが過ぎ、およそ100両の蒸気機関車や貨車がアンデス高地に降り注ぐ強い日差しの下でゆっくりと朽ち、錆びた鉄の塊へと姿を変えつつあります。

列車の墓場

午前10時を過ぎると観光客でいっぱいになりますが、早い時間だったので独り占め。キンと張りつめた空気がこの町の栄枯盛衰を静かに物語っています。

コルチャニ

再びウユニの町を通って北上し、塩湖の入り口に位置する「Colchani(コルチャニ)」村へと向かいました。人口500人あまりの小さな村で、住人は郊外のキヌア栽培に従事するほか、ウユニ塩湖から採取した塩の製塩と観光客への土産物販売などで生計を立てています。ここでコルチャニ村の有名人、Juanito(フアニート)おじさんの製塩工房に立ち寄りました。

フアニートおじさん

工房内には塩を乾かす台座や塩にヨードを添加する機械などがあり、おじさんがその使い方などを説明してくれました。ただコロナで観光客がほとんど来なくなったためか、工房内に活気はなく、フアニートおじさんもなんだかだるそうな様子。そのくせ説明が終わった途端、「塩、買っとくれ」「チップ、おくれ」と矢継ぎ早に言ってくるではないですか。あまりの直球攻撃に思わず笑ってしまいましたが、それだけ収入が減って生活が厳しいんでょうね。

コロナ以前はたくさんの日本人観光客が来てくれたらしく、「フアニートはまだ生きとるって日本の観光客に伝えといてくれ!」とのことでした。もしコルチャニ村を訪れたら、ぜひおじさんから塩を買ってあげてくださいね。

塩

おじさんが自ら袋詰めした塩は一番小さいパックでBs.2(約37円)、塩でできたリャマはBs.8~20(約150~370円)でした。

世界最大の塩の大地、ウユニ塩湖に突入!

オホス・デ・アグア

ここからやっと塩湖の中へと入っていきます。ウユニ塩湖の面積はおよそ1万1,000平方km、高低差がほとんどない世界で最も平らな場所です。

まずは「Ojos de Agua(オホス・デ・アグア)」または「Ojos del Salar(オホス・デル・サラール)」と呼ばれるこの場所へ。ウユニ塩湖の地下を流れる塩水が湧き出す泉で、底からふつふつと泡が沸き上がってきます。塩水を舐めてみると飽和状態に近いと思われるほど濃く、苦みというよりもえぐみがありました。この下に世界最大の埋蔵量を誇るリチウムが眠っているんですね。

Monumento al Dakar(ダカール・ラリーのモニュメント)

ダカール・ラリー

アフリカのテロが活発化したことで、その舞台を一旦南米に移したダカール・ラリー。2014年に初めて参加を果たしたボリビアは、2018年まで5年連続で世界一過酷なモーターレースの舞台に加わりました。そこで一躍有名になったのがウユニ塩湖です。

実はダカール・ラリーが開催されるまで、ウユニ塩湖の存在はボリビア国内でもまったくといっていいほど知られていませんでした。世界的に人気の観光地であるにもかかわらず、ボリビア人が知らなかったとはまさに灯台下暗し。この白銀の世界のテレビ中継をきっかけに、国内観光客が増え始めたのだとガイドのヘンリーさんが教えてくれました。

「そのおかげで、世界からの旅行者がコロナで途絶えた時も、私たち旅行関係者はなんとか生き延びられたんですよ」とのこと、ダカール・ラリーがウユニの人々にもたらした恩恵は計り知れません。

Hotel Playa Blanca(ホテル・プラヤ・ブランカ)

ホテル・プラヤ・ブランカ

次はウユニ塩湖の中にあるホテル・プラヤ・ブランカへ。当初はホテルとして建てられましたが、そこから排出されるゴミや汚水などが環境破壊につながるため閉鎖され、現在は塩の博物館兼トイレ休憩の場所として使われています。

しかしながら2泊3日のツアーなど、調整の上宿泊客を受け入れる場合もある模様。塩湖のど真ん中という立地は何物にも代えがたく、ここから眺める夜景や朝焼けは本当に素晴らしいのだそうです。体力自慢の方はぜひ旅行会社に問い合わせてみて下さい。

国旗ポイント

ホテル・プラヤ・ブランカのすぐそばにある、ウユニ名物の国旗ポイント。一日も早く世界中の観光客がこの旗の下に集う日がきますように!

Isla Incahuasi(インカワシ島)

インカワシ島

次に向かったのは、ウユニ塩湖のほぼ中央に位置する約24.62haの火成岩の島インカワシ。地表のわずかな砂地に根付く多数のサボテンが印象的なこの島は、アンデスウサギとも呼ばれるvizcacha(ビスカチャ)の生息地になっています。

ヘンリーさんによると、ここのサボテンは1年でたった1cmしか成長しないのだとか。それなら、1mのサボテンの年齢はなんと100歳!なかには3mを超える巨大サボテンもたくさんあり、悠久の時の流れを感じずにはいられません。

オルロの鉱山

トレッキングルートの途中には、オルロの鉱山で今も行われている伝統儀式を紹介する小部屋がありました。

鉱山労働者たちが採掘中に事故に遭わぬよう、地下世界をつかさどるアンデスの神El Tio(エル・ティオ/tioは"おじさん"の意味)」に酒や供物、生贄を捧げる儀式。労働者に見立てた人形(帽子とポンチョをまとっています)の前に、目隠しをされたリャマの人形があるのが分かりますか?暴れないよう目隠ししたリャマの内臓を取り出し、その血で杯を満たしてエル・ティオに捧げます。なぜここでオルロの伝統儀式を紹介しているのかは不明ですが、思わぬところでボリビアの文化に触れることができました。

インカワシ島

インカワシ島の標高は3,742m。その頂上からはキラキラと輝く広大な塩湖と、はるか遠くにそびえるVolcán Tunupa(トゥヌパ火山)を望むことができます。

ウユニ塩湖

トレッキングを終えて車に戻ると、ヘンリーさんがランチの準備をしてくれていました。

ミラネサ

メニューはミラネサという平たいチキンカツとご飯、キヌア、茹で野菜のほか、サラダやバナナもありました。ヘンリーさんの奥さんが作ってくれたそうで、ほのぼのとした家庭の味を楽しむことができました。

家庭の味に欠かせないのが、ボリビアのトウガラシソースLlajua(ヤフア)です。ロコトというアンデスの激辛トウガラシにトマト、ニンニク、キルキーニャというハーブを加えてすりおろしたもので、ボリビアの人々にとっては欠かせない調味料。「美味しい!」を連発していたら、「明日はもっとたくさん持ってくるね」と笑顔で答えてくれました。

乾季に現れる摩訶不思議な六角模様

ウユニ塩湖

お腹が膨れたところで、さらに塩湖の奥へと進みます。塩湖の表面には、塩でできた大小の亀甲模様が延々と広がっていました。この模様は乾季になればなるほどはっきりと浮き出てくるそう。自然が生み出す天然のアートは、いくら眺めていても飽きることがありません。

ウユニ塩湖

規則的な亀甲模様の中に、時々丸い形をした"何かの跡"が目に付きます。ヘンリーさんによると、これは雨季の終わり、塩湖表面の水が蒸発する際に発生した泡が少しずつ一か所に集まり、それが大きくなり過ぎた時にパンッと破裂することでできる跡なんだそう。

なぜ泡が発生するのかは良く分からないようですが、確かに大きな泡が弾けないとこんな跡は残りませんよね。ウユニ塩湖といえば雨季の水鏡と乾季の亀甲模様ばかり注目されがちですが、私たちが見落としている自然の神秘はまだたくさんあるのかもしれませんね。

乾季でも水鏡を楽しめます!

ウユニ塩湖

車は乾燥した大地から、まだ水が残っているエリアへと進みます。ウユニ塩湖の雨季は12月~3月、残りは乾季とされていますが、東京都の5倍という広さだけあって、たとえ乾季でも塩湖全体が完全に干上がるわけではなく、程度の差こそあれ年間を通じて水鏡を楽しむことができるんです。

それにしても、はるか遠くにそびえる山の方角やタイヤ痕を頼りに走行するって、ベテランドライバーはすごいですね。

ウユニ塩湖

水のあるエリアに到着!長靴を借りて、水の感触を楽しみながら散策します。この日はわずに風が吹いており、湖面には小さなさざ波が立っていました。そのため水面に映る影も完全な水鏡にはなりませんが、360度誰もいない世界を独り占めにできる感動はひとしお!

ウユニ塩湖

キラキラと輝く塩の波は、まるでどこまでも広がる遠浅の海のよう。遠くには柔らかな稜線を描く山々やフラミンゴの姿も見えました。このまま歩いていったらすぐたどり着けそうですが、それこそ何十キロも離れているはず。遠近感を失うこの不思議な感覚もウユニ塩湖ならではです。

ウユニ塩湖

クリスタルのようにキラキラと輝く塩の結晶をみつけ、持ち帰ることに。この旅での一番のお土産になりました。

どこまでも広がる絶景と写真撮影を満喫したところで、今日のツアーはおしまい。まだ午後3時過ぎでしたが、この日はホテルライフを楽しむためにツアーを早めに切り上げてもらいました。

次回は塩のホテルとして有名な「Palacio de Sal(パラシオ・デ・サル)をご紹介します!

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原田慶子

ペルー・リマ在住ライター。ペルーの観光情報からエコやグルメの話題などを幅広く執筆。ペルーに関する情報誌等の取材協力。

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