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ローマで真実の口と一緒に訪ねたい、パラティーノの丘とチルコ・マッシモ
※編集部註:2020年11月、加筆修正をいたしました。掲載写真は初出時(2015年3月)のものです。
古代ローマの趣を感じるなら、コロッセオや凱旋門と共に、ローマの七丘で最も古い丘「パラティーノの丘」と、かつて競技場であった壮大な広場「チルコ・マッシモ」も訪ねてはいかがでしょうか?
この近くには有名な「真実の口」もあり、かつての古代ローマが絶大な力を誇っていたことを物語ります。
目次
<1. コロッセオと凱旋門を見たら、パラティーノの丘にもぜひ>
<3. パラティーノの丘とチルコ・マッシモを見たら、次は真実の口へ>
<1. コロッセオと凱旋門を見たら、パラティーノの丘にもぜひ>
<緑に囲まれた、古代ローマの遺跡。>
古代ローマ時代における都市(ポリス)の基礎を築いた、ローマ建国の神話に含まれる「ローマの七丘(しちきゅう)」。このうちの一つに数えられる「パラティーノの丘(Palatino)」は、七丘の中で最も歴史が古いとされています。
<英雄や階級の高い人々が集まる場所でした。>
ローマ建国の神話によると、かつて英雄ロムルスとレムスがこの丘に住み、紀元前753年4月21日、この地でロムルスが弟レムスを殺し、ローマを建国したという伝説があります。ちなみにこの双子は、狼に育てられたという伝説も。
狼に育てられたロムルスとレムスの伝説は、ローマの近くにある街シエナでも語り継がれており、シエナはこの「狼と双子」をシンボルとしています。
また、この丘には貴族階級の人々の邸宅や、歴代の皇帝が宮殿を建てたといういわれから、この地の名前であるパラティーノ(パラティヌス)はイタリア語や英語の「宮殿(伊:Palazzo、英:Palace)」の語源となったそうです。
シエナに伝わるロムルスとレムスの伝説については、ぜひ関連記事をご覧ください。
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<今でいうと、高級住宅街のような形で住居が集まったようです。>
現在は遺跡が残るばかりですが、かつてはここに貴族が暮らし、水道橋が水を引き街として機能していたのだそう。このすぐそばには、ローマ帝国の権力がいかに強かったかを彷彿とさせる、「チルコ・マッシモ」が広がります。
2. かつては競技場だった「チルコ・マッシモ」
パラティーノの丘の手前に広がるのが、古代ローマ時代に最大の戦車競技場として利用されていた「チルコ・マッシモ」です。パラティーノの丘とアヴェンティーノの丘に挟まれる形で、全長約621メートル、幅約118メートルの広大な土地が広がります。
<現在は、緑豊かでのどかな雰囲気。>
<まるで河川敷のような雰囲気です。>
チルコ・マッシモはパラティーノの丘同様遺跡ではあるものの、現在でも人々が集まる場所として機能しています。
紀元前4世紀の誕生から549年に開催された最後の競技大会まで、チルコ・マッシモは古代ローマの人々にとって娯楽の場となっていました。 古代ローマ時代は人の血が流れる場所でもありましたが、2006年のサッカーワールドカップでイタリアが優勝した際には祝勝パレードの開催地となるなど、観光スポットとしてだけでなく現在も歴史あるコンサート・イベント会場として親しまれています。
3. パラティーノの丘とチルコ・マッシモを見たら、次は真実の口へ
<真実の口。たくさんの伝説を持っています。>
続いて見学するのは真実の口。日本でも非常に有名な彫刻ですが、実物はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁に飾られています。
この顔は海神トリトーネ(トリトン)を模したもので、現在の研究では、なんと「マンホールの蓋」だったのではないか、という説があるそうです。当時の下水システム「クロアカ・マキシマ」の施設に彫刻がほどこされたものがあり、そのうちの一つだったそう。
日本でも各地でレプリカやパロディ版のオブジェが設置されていますが、ローマ観光のときはぜひ、こちらの本物も訪ねてみては。
<高さ、幅共に1.75mと、人間とあまり変わらない大きさです。>
写真撮影:Italyii(イタリィ)編集部
基本情報
名前:パラティーノの丘、チルコ・マッシモ、真実の口(Monte Palatino / Circo Massimo / Bocca della Verità) 住所(パラティーノの丘):Via di S. Gregorio 30, 00186 Roma Googleマップ:
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