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COVID-19 ロックダウン/善意と助け合いの国、ニュージーランドで(2020年4月4日現在)
2020年3月26日、ニュージーランド全土において、国家非常事態宣言が発令され、国中はロックダウン(封鎖)、私たちは必要最低限の外出以外は禁止されました。国会も同じように閉じられ、今は警察と軍が通常以上の大きな権限を与えられて、国中を監視しています。おそらく私たち世界中の大多数が、近年「国家非常事態」というものを経験したことがありません。
どれほど不安だろうか、どれほど不便だろうか、と思われるでしょう。が、逆に今、ニュージーランドの殆どの人たちはこの厳しい状況下、強い連帯感と共に、政府、特にジャシンダ・アーダーン首相に対する厚い信頼を一層置くようになっています。こうした状況は私にとって感動的でさえあり、今この国に居て良かったと心から思う毎日です。辛い状況であるにもかかわらず、何故そうなるのか、それをこの状態に至るまでの経緯と、26日以降の様子を追いながら、皆さんにお伝えいたします。
目次
- 2月、誰も非常事態宣言が出るなど想像できず
- 初の感染者
- 航空機に乗ることが怖くなる
- 増していく緊張感
- が、初めての経済支援策発表が不安を拭う
- やって来た国境閉鎖
- 最後の週末マーケット
- アーダーン首相の演説
- そして、ロックダウン(全国封鎖)
- 3月25日、首相が国家非常事態宣言
- 国中ロックダウン初日:3月26日(木)
- 二日目:3月27日(金)
- 三日目:3月28日(土)
- 四日目:3月29日(日)
- 3月30日:皆、散歩しかすることがなく
- 3月31日:国家非常事態がさらに一週間延長
- 4月2日:連日、パトカーと救急車の音
- まとめ
- 新型コロナウイルスに関するその他の記事
2月、誰も非常事態宣言が出るなど想像できず
2月に入ったばかりの頃、ニュージーランドは中国からの旅行者を制限する暫定的な措置しかとっていませんでした。私たち自身も、日々のニュースを見ていて、大丈夫かな、感染が広がらないと良いけれどね、と出会う人たちと話題に上ることはあっても、生活は普段と変わりなく過ごしていました。
2月1日にはオークランドでジャパンデー という毎年の日本人会による日本文化紹介のイベントが例年のように行われ、私も手伝いに参加していました。日本の人たちは清潔好きな上にこうしたことに反応が早い傾向があるので、内部では手袋をしたりマスクをしたりしていましたが、一般のニュージーランド人たちは私の眺める限り、何も特に気にしている様子は感じられませんでした。まだ1人もニュージーランドで感染者が出ていなかったからです。この頃、まさか翌月にロックダウンになるとは想像もできませんでした。
初の感染者
とうとうニュージーランドでも2月28日に初の感染者が出ます。それでも街に緊張感はほとんどありませんでした。3月1日にはやはりジャパンデー が今度は南島のクライストチャーチであり、私は誘われて行きましたが、マスクをしている人は一人しか見かけませんでした。「中国からの旅行者がいないから、すいているね〜」などと気軽なおしゃべりで、ずらっと並んだ出店でお餅を食べたり、お蕎麦を食べたりして日本食を楽しみました。それでも私自身は心の隅で「本当にこんな様子でいいのだろうか、知らないうちに感染者が混じったりしないのだろうか」と不安に思い始めていました。3月5日にはオークランドでイランから帰国の3人目の感染者。
中国からの旅行者を禁止していることは、観光客への経済的依存度が高いニュージーランドには相当な打撃で、この頃から首相は、この影響による経済の落ち込みにも政府として対応する予定であるというコメントを出すようになりました。
航空機に乗ることが怖くなる
3月7日、まだ入国制限は一部の国に限られたままです。私は出張でクライストチャーチからオークランドへ行かねばなりませんでした。感染者は少しずつ増え続け、それが殆どオークランドだったことや、感染経路が全て海外からの入国者によるものだったので、私は飛行機に乗ることが怖かったのですが、待っていてくれる人たちのことを思うと明確な理由なく中止にはできませんでした。
でも、マスクだけは絶対にしよう、と準備して飛行場へ向かいます。が、誰1人マスクをしていません。ヨーロッパでマスクをしていただけで暴行を受けたというニュースを耳にしていたので、マスクをつけることもまた怖いような気もして、ポケットの中のマスクを握ったまま、結局装着できませんでした。機内に乗り込んで席に着くと、満席。隣や前後の人との距離は密着していると言っていいほど近い状態で、流石にそっとマスクを着けましたが、飛行機を降りたらやはり誰もしていないので外してしまいました。怖いと恐れながら、何もせずに普通に暮らすことがだんだん苦痛になり始めていました。3月14日から、感染地域からの入国者は自己隔離を二週間行うように指示が出されていましたが、正直なところ、それを誰が厳密に守るのだろうか、と疑わざるを得なかったからでもあります。
3月半ば近くになっても、政府はまだ移動や旅行の規制をしていませんでした。でも私は日々少しずつ増えていく感染者数を眺め、そのうちいつか、この地にも他国のようなパンデミックがやってくるかもしれないから、できることを今から準備しておかねばと考え始めました。普段の買い物に少しずつ、長期保存できるレトルトの食品や缶詰、穀類等を加えていきました。また、自分の体の免疫を上げるために、ニュージーランドで有名な高品質のハーブを少しまとめて注文しておきました。それに、こんな時にどこか具合が悪くなって病院へ行けば、かえって感染の危険性が上がると思いましたから、とにかく普段にも増して、健康維持に神経を払い始めました。
世間では少しずつ、COVID-19対策として、もっと厳しい制限を行うべきだという意見が出始めてきた頃。3月16日、ニュージーランド航空は国際便減便に伴い、大幅な人材カットの予定を発表しました。そのうち、日本への航空便もなくなるかもしれないと思いましたが、それはやはりこの後現実となりました。
増していく緊張感
3月15日には、仕事で、住んでいるところから40〜50分のところへ取材に行きました。田舎ののんびりした、おそらく感染者など出ていない街です。久しぶりに解放感を味わい、カフェでゆっくりと昼ごはんを食べてから帰宅しようと思い、ふらりと目にとまった店に入りました。店では3人の子供を連れた女性が隣のテーブルで食事をしていました。私は出された水をひとくち口に含んで、むせて思わず咳き込みました。そうしたら隣の女性が急に驚いた顔で私を見ました。もちろん、袖で口を塞いでいたのですが、今この状況で他人の前で喉の調子を悪くすることさえ、とても気をつけないといけないと実感した出来事でした。ニュージーランドは移民の国ですから、基本的には、差別意識を持つ人は蔑視されています。誰かが特定の民族に言及して社会的な意見を言うと、それはレイシスト(人種差別主義者)だと言う反論がすぐに出るほどです。けれども、残念ながらこのCOVID-19の騒ぎの中、アジア人は国に帰れと言われた等という報道もごく僅かですがあり、私の中では少しずつ緊張感が増えてきていました。
が、初めての経済支援策発表が不安を拭う
国内経済はさらに冷えてきて、予想はしていましたが、政府は金利を0.25%下げることを発表、さらに17日には大変素晴らしいことに、COVID-19によって影響を受けたビジネスに対し、支援策(COVID-19 サポートパッケージ)をいくつも打ち出しました。
収入が前年比30%以上落ち込んだ企業は従業員への給与の支払い分相当の補助を12週間分受けることができ、また税金の支払い猶予や、企業のみならず、普段から生活に困っている人たちには生活支援のための補助等、総額GDPの4%にあたるものでした。しかもビザの種類に関係なく、今ニュージーランドで働いているすべての人が対象です。ここに国民であるとかないとかの区別はありません。
この発表の内容と規模には、マスコミはすぐに歓迎した意見を出しました。さらに、この補助金への申請は、発表の当日からオンラインで行うことができ、早速申請した人が、75,000ニュージーランドドル(=約520万円)がもう翌日に口座に振り込まれた、とFacebookで言っていました。この措置には誰もが一気に安堵しました。病気の蔓延に対する不安のみならず、入国制限で影響を受けている人たち、特に事業主は経営の心配でいたたまれなかったはずです。私自身の仕事への影響は微々たるものですし、誰を雇用しているわけでもありませんが、多くの人の胸の内を想像して、この素晴らしい支援策が、とても嬉しかったのを覚えています。その後、このサポートパッケージはさらに追加され、自宅のローンを抱えている人は必要であれば半年間ローン返済を猶予されること、家を貸している大家は家賃を一年はあげてはいけないこと等、私たちの不安を軽減する政策が次々に打ち出されていきます。
この政府の動きに合わせて、この日から数日間、次から次へと様々な企業や団体から、政府発表を知らせる情報や、企業独自の支援策などがメールで届き始め、一日中仕事にならないほどでした。銀行や賃貸物件を管理している不動産会社なども、この時期苦しんでいる事業主に対して、それぞれの支援を申し出てきました。全部読む必要はないのでしょうが、もし何か重要なことを見落としたら、と思うと読まないわけにもいかず、メールを開き続けて一日が終わっていきました。
特に個人的に嬉しかったのは、数日前にすでに発表されていたものですが、ニュージーランド航空が予約済みの航空券をキャンセルしても、その支払済料金は1年間のうちは、他の新たな予約に使うことができる(クレジットとして置いておける)という、特別な措置でした。これで私は安心して数ヶ月先までの出張予定をキャンセルすることができました。もう、怖がりながら飛行機に乗って移動しなくていいのです!
やって来た国境閉鎖
3月19日、ついに国境が閉鎖されました。ニュージーランド国民と居住権を持っている人以外、もう誰も入国できなくなりました。日本への航空便も一部を除いて殆ど無くなりました。早く国境を閉鎖するべきだという意見が高まってきた頃でした。日本から友人が四月に遊びにくる予定でしたので、すぐにメールを送り、来ることはできないと告げました。
損害を被っている人たちには申し訳ないのですが、この時私は、これで少し感染の広がりも収まってくれるのではと期待しました。この日、国内の感染確認者数は累計28人。この人数のうちなら、と思いました。でも同時に、何かあってももう日本へは帰れない、という「自由な帰国が制限」されてしまった、なんとも言えない心細さが湧き上がってきたのを覚えています。自ら望んでやってきた地とはいえ、改めて日本から9,300キロ強も離れた、とてつもなく遠い距離を実感しました。かつての戦争で異国に取り残された人たちの心持ちが、わずかに想像できたような一瞬でした。
少し前から政府は海外諸国に取り残されるニュージーランド人がいないよう、至急帰って来いと言い続けていました。国境は閉鎖されましたが、国外に残る国民を迎えに行くために、政府はニュージーランド航空を倒産させないよう守り続け、そして次々にチャーター便を飛ばして行きました。一部からはいまだに国民とは言え、海外から入国を許すことや、また、税金から莫大な金額を一航空会社へ注ぎ込むことに対しての批判的な意見が出ていましたが、首相は「私達には国民を守り、迎えに行く義務がある」と譲りませんでした。
ニュージーランドという国の政府の、国民に対する愛情と強い義務感に、私はこの時深く感じ入ります。私たちはしっかりと守られているのです。首相が「全力であなたたちを守ります」という言葉通りに。これほどの安心感があるでしょうか。
最後の週末マーケット
二日後の3月21日土曜日、私は毎週行っている週末の地元農家の人たちがオーガニックの野菜や果物、手作りのお菓子などを売るマーケット(野外)に、いつものようにとにかく出かけてみました。多くのイベントが中止になっているので、開いているかどうかと思いましたが、マーケット自体は開かれていました。ただ、全く普段と様子が異なっていました。各店はいつもは隣同士くっついて並んでいるのですが、それぞれ距離を開けて広い公園にまばらに出店しています。入り口には張り紙があり、2mの距離を互いに取り合うように、と書かれてあり、具合の悪い人は家に戻ってほしいとありました。出ている店も、数は減っていました。いつもなら、バンドの演奏があちこちであり、カフェも出ていて、ここで必要な買い物の後、ランチを食べ、お茶を飲みながら音楽を楽しんで帰る、というのが週末の私の決まりでした。でも、この日はテーブルも椅子も全て片付けられ、どこにも座ることはできません。もちろん、バンドも出ておらず、ひっそりとしたマーケットでした。それでも、私は来週もまだ買い物ができると思って必要以上は買いませんでした。後でわかるのですが、これっきりここのマーケットは閉じられ、あの時あの店のサラミや、あのいつものオリーブの実の塩漬けも一緒に買っておけば良かったと、後悔することになりました。
アーダーン首相の演説
この土曜日、ちょうど誰しもが昼休憩を取る時間、首相から国民に向けて発表がありました。この発表は事前にニュースで予告され、多くの人がテレビの前で待っていたと思います。そしてこの首相の演説が、実に素晴らしいものだったのです。
「今日はニュージーランドの皆さん全てに、COVID-19に立ち向かうために、出来る限り明確にお話したいと思います。」
会見は8分強で非常にクリアな英語で話され、移民の多い国で英語に不慣れな住民も多いことに対する配慮がまず感じられました。そこから彼女はこれまでの経緯、ニュージーランドの4段階の警報システム、それぞれの段階でどう行動するべきか、どのようなことが制限されるかを一つずつ詳しく説明し、現在はレベル2であることを述べました。すでにいろいろな行事が取りやめになり始めていましたが、学校はまだ(学内に感染者が発生しない限り)閉鎖にはなっておらず、その点について心配な意見が出始めていたのですが、それに対しても首相は「我々は継続的に学校と生徒たちが安全でいられるよう、監視し続けます。そして私自身も母親として、これが重要な検討事項であることを皆さんにご理解いただけるでしょう。」と述べていました。
ご存知のように、彼女は39歳、一昨年出産し、そのため首相としての業務から、世界で初めて産休を取ったことで話題になりました。子供を抱えている立場を国民と共有する話の仕方は誰しも、特に女性の共感を招いたに違いありません。
しかし私をはじめ、おそらく多くの人の心に響いたのは、彼女の最後の言葉でしょう。
「私たちの国は創造的で実践的で、そして地域社会に対する意識の高い国です。私たちはこれまで人生でこのような状況を経験したことはなかったかもしれません。しかし、私たちはどんなふうに結集していけばいいか、どのようにお互いに助け合っていけば良いかを知っています。そして今こそ、そのことが最も大切なこととなるでしょう。皆さん全てがそうしてくださることにお礼を申し上げます。どうぞ強くありましょう。親切でありましょう。そしてCOVID-19に立ち向かうために団結しましょう。」
読者の皆さんはご記憶にあるでしょうか。一年前、クライストチャーチのモスクで人種差別主義者による無差別の銃乱射事件があり、多くの人命が失われました。その時にも、アーダーン首相はその対応の迅速さと共に素晴らしい呼びかけを国民に行い、世界中から絶賛され、彼女の言葉はしばらくあちこちで繰り返し使われました。
そして今回もまた、首相の演説の最後のフレーズ、「強くありましょう。親切でありましょう。そしてCOVID-19に立ち向かうために団結しましょう。(Be strong, be kind, and united against COVID-19)」は、スローガンとなって様々な場所で使われるようになっていきます。
そして、ロックダウン(全国封鎖)
さて、それからまた二日後の23日は、私の自宅で茶道教室の開催日でした。相当迷いましたが、まだレベル2であることや、集まる人数はわずか3人だけの予定だったことなどから、悩んだ末に予定通り稽古をしました。医療関係者がこぞってレベル4にすぐにあげるように嘆願書を出しているのを知っていたので、そう遠くないうちに4になっていくだろうとは思いましたが、それでもあともうしばらくはレベル2が続くだろうと思っていたからです。
ところが、事態は全く私の安易な予想を裏切りました。
教室を予定通り開いて、警戒レベルが3に上がったら自動的に稽古は休むことにしますね、とお話して楽しく生徒さんを見送り、部屋に戻って携帯を見ると、なんともう既にレベル3が発令されていたのです。レベル2が発表されてからまだ二日しか経っていないのに、です。
先ほど帰ったばかりの生徒さんからも、「レベル3になっています。あと48時間以内に、レベル4(ロックダウン)になるそうです。」とショートメールも入っていました。
あと二日のうちにロックダウン? どうしたら良いのだろう、とうろたえました。何か今、しなくてはいけないことは?
でも、私は以前から少しずつ保存できる食品をすでにある程度買っていますし、それに、何より、首相が何度も繰り返して「食料も日用品もすべて十分にあり、心配はいりません。人の動きは止まりますが、物資の流通は変わりません。」と言い続けています。考えれば何も特に急いで準備するようなことはありません。なんとなくソワソワとそれでも落ち着かない気持ちで、結局日本の親戚などに状況を説明する連絡をしただけでした。ニュージーランドは食料自給率が約300%(カロリーベース)と言われており、首相の説明がなくても、私自身は食べ物に対する心配は全く抱かなかったでしょう。
ただ、町の中心部の大きなスーパーには駆け込みで買い物に出掛けた人たちがやはりいて、スーパーは入場制限をしているところが出たようです。
21日に引き続いてこの23日にも首相の発表があり、この日の新しい感染者36人のうち2名の感染者は海外からの入国者ではなかった、つまり地域内感染が広がっているということだと説明され、それ故に本日からレベル3に移行、とのことでした。この決断は簡単ではなかった、と前置きし、イタリアの感染者数の移行を例にあげて、レベル4(ロックダウン)は日常生活に大いなる影響をもたらしてしまうが、今ここで英断しなければ5日ごとに感染者数は倍数になっていき、何十万という国民が命を落とす結果をシミュレーションが示している、故に今、最悪の事態を避けるチャンスを取る、皆で共にウィルスの連鎖を断ち切りましょう、と呼びかけました。
レベル4のロックダウンでも、生活に必要な最低限の店(スーパーマーケットや病院、薬局、公共交通等)は通常通り開けることができますが、それ以外の店は閉じなければなりません。それぞれの企業も業務を継続するならば従業員は自宅で仕事をすることになり、学校はオンラインで授業となります。私は聞いていて、だんだんと怖くなって来ました。一体どんなふうに生活が変わるのだろうか、と。
レベル4に移行するまでの48時間以内に、国中の人々が急いで帰宅しなければなりません。遠くの学校の寮に入っている学生も、出張に出ている人たちも、至急誰しもが時間内に帰宅を命じられました。それ故、ニュージーランド航空は緊急でない航空券のキャンセルを予約済の人たちに依頼して、空いた席を帰宅者に提供していました。何もかもがものすごい勢いで走り出します。幸い、私はどこにも動かずに済みましたが、家族がバラバラになっているところでは、大変な緊張感だっただろうと思います。でも、首相の最後の言葉はまた私たちを温かい気持ちにしてくれました。
「今日家に帰ったら、隣の人の様子を見てあげてください。地域で連絡網を作りましょう。どうやって互いに連絡を取るか考えておきましょう。私たちは皆一緒にこれを乗り越えていくのです。共に団結してやっていく以外ありません。ですからどうぞ、強く、人に親切でいてください。」
3月25日、首相が国家非常事態宣言
こうして3月21日のレベル2宣言から、あっという間に状況はどんどん変わって行きました。その速さについていくのは大変でした。しかし同時に、このスピード感をもった政府の動きはなんと素晴らしいのだろうとも思いました。しかも国中がその発表後に、これもまた、すぐさまみんなが動き出すのです。私も知人や友人と連絡をあちこち取り合って、しても良いこと、してはいけないこと、を確認し合いました。とにかく、家にいればいいのよ、それだけよね、大丈夫、それなら簡単なことよ、と互いに安心させるように話していました。自宅で仕事をしている私と違い、仕事仲間や友人たちはこの日のうちにパソコンやプリンター、データ類など仕事に必要なものを勤め先から自宅に一式持ち帰り、明日から家で仕事だよ、と言っていました。
午後、台所で片付け物をしていると、私の住まいの大家さんが訪ねてきました。なんだろう、と思ってドアを開けると、「どうしているかと思って、様子を見にきたんだよ。」と嬉しい言葉。
この国の人達は本当に親切なのです。持ち家が欲しいと思っていましたが、独り住まいで心細い私は、大家さんが居てくれるのも悪くないと思えました。
そしてこの日、ついに、国家非常事態が宣言されたのです。この間、警察(及び必要に応じて軍)が通常とは異なる大きな権限を与えられます。国民が不要に外出したり集合したりしないというルールを守っているかどうか監視し、指示に従わなければ、最悪の場合、逮捕されて勾留です。道路を閉鎖することも、店や家屋に自由に立ち入ることも、必要とあれば行われます。邪魔になる車などを撤去してしまう権限も、すなわち、人命を守るために必要とあれば通常ならば制限されていた行為も殆どできるようになります。
アーダーン首相は会見で、これはあなたのためではない、外出して人と接することは、身近な誰かを殺すことになるのだ、と非常に単刀直入なそして強い表現で、事態が如何に深刻で真剣に受け止められねばならない状況かを伝えました。不安で個別の判断に迷うであろう私たちに、彼女は「もしも、どうして良いかわからない場合は、『自分が感染者である』かのように振る舞ってほしい」と伝えました。人に移してはいけない、という気持ちがあれば自ずとどう動くかわかるというものです。私達に与えられた行動指針は非常にシンプルで明確でした。
国中ロックダウン初日:3月26日(木)
人生初めての封鎖措置の日常に入りました。朝、いつもの時間に目が覚めて、周りが静まり返っているのに気づきました。隣で建設工事が少し前から始まっていて朝早くから賑やかだったのですが、もちろん今日は何の音もしません。ただ、このロックダウン中も、近所を散歩したり買い物や通院など、必要最小限の行動は許されています。
まず、郵便局は空いていると聞いたので、一番近所の郵便局まで郵便を出しに歩いて行ってみました。途中、スーパーマーケットの横を通るのですが、そこの駐車場にはいつもよりやや少ないものの、今日もある程度の車が停まっています。スーパーの前を通り抜けて行ってみよう、と思い、建物に入ってみました。スーパーでの買い物でも、ルールは細かく決まっていて、まずたった一人で買い物にいかねばなりません。誰かと連れ立って来てはいけないのです。また外に出る時は片時も、他人との距離を2m以下に縮めてはいけません。入り口を入ると、人影はやはりまばら。スーパーの前には人(警察?)が立っていて、人々がルールを守っていることを常にじっと監視していました。買い物をするのでもないのにここを通って、責められるような気がして、そそくさと出て、郵便局へ行くと、なんと、閉まっていました。開いていると聞いたから安心していたのですが、それならば急いで出しに来ればよかったと悔やみました。日本に送らねばならない書類があったのです。必要最低限の店や公共サービスは通常通り、といっても、サービスも間引いているようです。やはり一つ一つ、出かける前に念を入れて調べていかねばならないのだと悟りました。とにかく、家にそのまま帰りました。行きも帰りも、通りではほとんど人を見かけませんでしたが、この辺は静かな住宅地なので、あまり大きな変化は感じられませんでした。男の人が一人、庭木の手入れをしていました。四週間も家にいるのですから、良い機会と前向きに捉えてやっておられるのだろうと思いました。
友人たちから「どうしている?」とテキストが次々に入ってきていました。
二日目:3月27日(金)
犬を一昨年に失ってから、散歩に縁遠くなっていた私でしたが、天気予報を見ると明日からしばらく雨のよう。ですから、今日は久しぶりに近所の公園まで以前のように散歩に出てみようと思いました。不謹慎ですが、外の様子をもう少し見てみたかったのです。
ここはクライストチャーチを代表する最も大きな公園、ハグレーパークです。誰もいません。こんな気持ちの良い初秋の公園のこの時間に、普段なら多くの人がジョギングをしたり散歩をしたりしていました。皆、散歩も最小限に控えて、家にいるのでしょう。私はいつも犬と歩いていたコースを一人でどんどん歩いて行きました。池からたくさんの水鳥が上がって体を休めていました。人が通らないので、動物たちはリラックスしているようでした。公園に沿う大通りに、バスだけが一つ、走って行きます。よく見ると誰も乗っていません。絶えず車が行き交っていた通りががらんとして、普通ではないことを無言で物語っていました。寂しいような、少し怖いような。散歩をして清々しいはずなのに気分は落ち着かないままでした。家に戻り、許されているとはいえ、あまり頻繁に外へ出るのはやめようと思いました。今は、非常事態なのです。
今日の新しい感染者数は85、累計は451に跳ね上がっていました。たった460万人の人口しかないニュージーランドです。この数字は決して少ない数字ではありませんでした。
三日目:3月28日(土)
アーダーン首相が自身のFacebookページで25日夕方から連日のようにライブで国民からの質問に答えているというニュース。早速見てみました。モスグリーンのシャツを着てリラックスした表情の首相がビデオに写っています。コメント欄には彼女を絶賛する言葉がずらり。「こんなことしてくれる首相って世界のどこに居る?!」と大喜びのコメント。国民の不安や緊張感を和らげるための時間を惜しまない努力に、彼女の真摯な姿勢が伝わってきました。
ニュージーランドの人たちは、とにかくなんでも明るく笑える話で盛り上げます。ニュージーランド航空の機内安全説明のビデオをご覧になったことがあるでしょうか。毎回、次はどのような面白いビデオだろうかと期待するほど愉快に仕上げられています。そして今、街を監視し続けている警察でさえ、日頃から面白おかしく守るべきルールを説明するビデオを流したりしています。先日の警察のFacebookでは、こんな投稿が出ていました。
ニュージーランド警察 / あなたの今週の星占い
- 牡羊座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 牡牛座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 双子座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 蟹座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 獅子座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 乙女座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 天秤座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 蠍座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 射手座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 山羊座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 水瓶座 家の中で過ごすことになるでしょう。
- 魚座 家の中で過ごすことになるでしょう。
「起きる。家に居る。命を救う。ベッドに入って寝る。繰り返す。」 #StayHomeNZ
翌日の新聞のニュースでは、COVID-19の騒ぎがおさまった後、世界での勝者はアーダーン首相だろうという意見が載せられていました。あちこちの国のトップがこの混乱に際し、いかに見苦しい対応を国民に対して行なっているかを引き合いに出し、彼女の対応は群を抜いていると褒めちぎっていました。それらの真偽はともかくとして、どれほどアーダーン首相が国民から愛されているか、ということが如実に感じられる記事でした。危機に瀕した時ほど、その国の政府の真価が見えてくるというものです。これまでのところ、彼女は非常によく動いてくれていると思います。
もちろん、批判もきちんと出ていますが、全く批判的意見の出ない国というものは、逆に恐ろしいはずです。ご存知でしょうか。ニュージーランドは報道の透明性で世界のトップクラスに常にランキングされています。また、政治がクリーンであること(汚職が無いこと)においても、同様です。ランキングは毎年上下していますが、数年前、ニュージーランドはこの点において、世界ナンバーワンの地位を獲得しました。だからこそ、無駄のない迅速な、しかも実のある政策が打ち出されるのでしょう。そしてまた、国民もそういう政府を信頼しているということなのです。
四日目:3月29日(日)
だんだん、今日が何曜日かわからなくなってきました。携帯を見て、曜日を確認します。今日も昨日も一日雨が降っています。二日とも、一歩も家を出ずに過ごしました。仕事も暇になってしまいましたから、本を読んだりビデオを見たりで運動不足は否めません。隣に引っ越してきたばかりの女性は、毎日一回、雨でも出かけている様子でした。
あの人たちはどうしているだろう?とふと思い、遠方に住んでいる幾人かに連絡を入れて無事を確認し合いました。幸い、私の友人たちは誰も感染していませんでした。そのうちの一人、80歳を超えて一人暮らしをされておられる方のところに、以前はよく訪問をしていました。ロックダウンから数日が過ぎて、買い物などはどうしているかしらと思い、電話を入れてみると、友人に全て頼んでいるとのこと。政府からは、70歳以上の人は特に外出しないように、買い物も人に頼むように、と指示をされており、その場合は特定の一人とだけならば日常の用を頼む人として接しても構わないということになっていました。その方はうまく近所の知人の中から一人お願いできる方を見つけたようで、一歩も家から外に出ていないと言われていて、私も安心できました。それから他愛ない話を少しして、また電話しますと言って切りました。
この日、とうとうニュージーランドで初めてのCOVID-19による死亡者が出ました。今日も新しい感染者が出て、累計感染者数は514になりました。ロックダウンの前に、感染者の数が減っていく前に、今後一週間ほどの間は増え続けるだろう、と首相が予告していました。その通りになっているだけなのだ、と思いながら、政府の方針を信じています。
3月30日:皆、散歩しかすることがなく
今日も私の街は1日雨です。でも、ニュースを見ると、ウェリントンの海沿いの、風光明媚で有名な散歩道は人が溢れかえってしまって、警察が驚いて忠告したという記事が出ていました。外出禁止で近所の散歩ならば許されているのですが、どの人も、他にどこにも行かれないので皆が散歩に出て、結局通りが人で過密状態になり、2mそれぞれ間隔を開けるというルールがもはや守りにくくなってしまっている状態でした。私は日本にいる時から自宅を仕事場にして働いていましたから、基本的に家にいることはそれほど大きな苦痛でもありません。また、状況を理解できない、辛抱することが難しい小さい子供がいるわけでもなく、介護すべき高齢者を抱えているわけでもないので、自分の面倒さえみていればよく、他の人たちに比べれば大変に恵まれた環境です。それでも自由に外出ができないということのストレスはあり、散歩に出てしまう人たちで逆に街が溢れかえるというのは、さもありなんと思いました。ましてや、普段から苦しい生活をしている人たち、あるいは人だけでなく保護された動物たちも大変です。いろいろな保護団体から寄付を求めるメールが入ってきています。
この日の新しい感染者数は76人。累計589人。
3月31日:国家非常事態がさらに一週間延長
嬉しいことに、今日は晴天です。こんな時、天気が良く太陽の日差しが部屋を明るくするだけで、気分も軽くなります。家の中に一人でいて、ただ雨の庭を眺めるだけでしたが、あとで散歩に出ようかと思いながら、空模様の確認に携帯を見ました。すると、国家非常事態が一週間延長されるという、また新しいニュースが入っていました。別のニュースでは四週間のロックダウンもさらに延長される可能性が出てきたような記事が載っていました。科学者たちの検討とシナリオから、もしかしたら来年まで感染者数のコントロールを引き伸ばすかもしれない(つまり、ロックダウンでないにしろ、相当長く規制が続く)、という記事もありました。すべてはその間の医療の崩壊を防ぎながら、ワクチンの開発時間を稼ぐためと述べられていましたが、重い気持ちにならざるを得ません。
それでも友人たちは皆工夫して、頑張って過ごしています。ここで華道教室を開いている方の一人は、オンラインでレッスンを明日から再開することにしたと、嬉しそうな連絡が入りました。
それに一方で、やはり政府の動きには感動する速さがあります。ある日の首相のFacebookページからの質問の中に、賃金補助として雇用主に支払われる金額を従業員は全部もらえることができるのか、というものがあり、それに対して首相は通常受け取っている金額の80%、あるいは最低でも政府から補助された金額は全額従業員に支給されるべきであろうと答えました。そしてもうその翌日には関係機関からその内容を明確に説明するメールが送られてきました。
また昨日の新聞記事には、症状が出ているにもかかわらず、検査要件を満たしていない(即ち、海外渡航歴がなく、感染者に接触した履歴もない)ので検査できないと最初は言われた、結果陽性だった人の、検査見直しを要望する意見が書かれてありました。ところがこれにすぐ対応してか、本日の午後の首相の会見で、この検査基準から渡航歴や感染者への接触歴を外し、症状が出ているだけで検査を行うように変更することが発表されました。
この速さは素晴らしいと誰もが認めるでしょう。首相の権限が特に強い、というのではありません。それが証拠に緊急レベルについて最初に発表された時、首相は(通常は記者発表のための部屋から立って、のところ)自分の執務室のデスクに座ってテレビに向かって話をしたのですが、これに対して、「他国の大統領や権限の大きい首相とは異なり、ニュージーランドの首相は『単に』与党の一員の一人に過ぎないのに、あの演説の仕方はどういうことか」という批判が出たくらいです。この速さの意味するところは、忖度(そんたく)の必要も贈賄もない政治なら、意思決定に余計な時間も労力も不要だということなのだろうと思います。国の各政府機関で働く人たちも、政治とは全く切り離されています。日本のように政治家が圧力をかけようものならば、かえって大変な反発を招きます。それは「フェア」ではない、という意識からもありますし、政治決定されているルールにひたすら忠実に仕事をするのみ、という信念もあります。彼らは今、素晴らしい働きを見せてくれています(普段は何事にも大変時間がかかるのですが...<笑>)。
4月2日:連日、パトカーと救急車の音
相変わらず出かけず、ただ家の中と庭で過ごしています。最近は買い物に出ようか、と思っては、いやまだ大丈夫だ、と、踏みとどまることの繰り返しです。必要以外は出歩かないというルールを守っていることもありますが、それ以上に、スーパーマーケットでの待ち時間の長さを皆が嘆いているのを知っているからです。最初の頃は、スーパーの入店制限をしているところとしていないところとバラバラでしたが、最近はどこもするようになり、それに加えて順番待ちの列の人たちがきっちり2m以上開けて並ぶので大変な長蛇の列となり、どこかでは2時間近く待ってようやく買い物ができたという話も聞きました。ロックダウンも2週目に突入し、初めは徹底されていなかった事柄が色々と整えられると同時に、全てに時間がかかるようになったようです。このストレスで店員に八つ当たりして暴言を吐く人もいるようでした。
<2m開けてスーパーに並ぶ人たち。一人でたら一人入る>
私自身は以前から買い物に行っていた農家直販のマーケットに出店していた農家から直接オーガニックの野菜を配達してくれるという情報を見つけて早速オンラインで注文し、今日初めての一箱が届いたところです。新鮮な野菜さえあれば、あとは缶詰などでなんとかなる、と嬉しくなります。
それにしても、数日前から毎日のように救急車やパトカーがサイレンを鳴らして走り回っています。事故なのか犯罪なのか、ルール違反を見つけた人の通報なのか、それとも感染者が出たからなのか...連日不穏な雰囲気です。これまでこんなにサイレンの音を聞くことはありませんでした。
耳にするたびに、特に暗くなってからは怖くならざるを得ません。でも、何が起きているのか、見に出ていくのも怖く、確かめようもないのです。
今日の新しい感染者数は89人、累計797。検査数を増やしていることもあるでしょうが、まだ登り続けている数字に、やはり四週間でロックダウンは終わらないのではと思えてきました。
まとめ
4月4日(土)です。新感染者数82、累計数950となりました。でも、死者数は今日の時点で、1人だけです。それに、今日は初めて、僅かですが明るさを感じるニュースがありました。新感染者数がここ数日ほぼ横這いとなり、ロックダウンの効果が出始めているようだ、とのこと。まだ少し先にならないとわかりませんが、このまま状況が好転するのを期待する日となりました。
誰もがみな、家に引きこもり、突然に日常生活が変わり、仲間や友人とも会えずに将来への不安も募ります。でも、悪い事ばかりではないと私は個人的には思っています。
まず第一に、普段よりさらに一層、友人知人を気遣うことの大切さを再認識できました。問題が起きた時ほど、親切でいることが重要だと学びました。それに、色々な形の働き方もできるということもわかってきました。さらに身近なところでは、外食ができないので料理をよくするようになって、子供も一緒に料理を勉強し始めたという嬉しい話も聞きました。今あるものでどうやってやり過ごすか、の工夫もでてきたという人もいました。そして何より、このニュージーランドが如何に善意と助け合いの気持ちで溢れている国かを、政治家たちの言動や国民の助け合いの動きで思い知りました。
政治的な側面については、これまで首相のことばかり書いてきましたが、野党も素晴らしい協力を見せてくれています。この、国の危機的な状況下、普段は選挙を念頭に与党の施策を批判し、意見している彼らですが、レベル2になる少し前からすでに、しばらくはその態度は保留し、国会が与野党一丸となってCOVID-19と戦うことに専念すると発言していました。国民が首相のリードを疑うようでは、対策に効果が出ないという懸命な判断でしょう。善意と助け合いの精神は、国民の間だけでなく、政治の中にも一貫して表れており、特に救済措置に対しては国民、住民、であるか無しかの区別なく、全ての人が対象であること、労働ビザや観光ビザなど一時滞在の人たちを違法な国内滞在という苦境に陥れさせないために、ロックダウン直後に、ビザの半年自動延長などを実行しています。誰一人、残さず守る、というこの博愛的な人道主義のあるニュージーランドを強く再認識できたことは、ここに居るすべての人々にとって大きな収穫であったと思います。
それにニュージーランドは大変な子供思い。外に出にくくて楽しみのない子供たちのために、家々の窓にその家のテディベアをそれぞれ飾り、散歩の時にそれを探すゲームを地域の子どものために行っています。いつでもどんな時でも、楽しくやっていこうというのがこの国の人たちのやり方のようです。このことは私たち大人の気分まで楽しくさせてくれました。
もちろん、事実は厳しい状況で、実際にはニュージーランドはおそらく医療崩壊のギリギリのところなのではないかと個人的には想像しています。現在診療所や病院には症状が出ても行くことは禁止されており、すべて専用の電話窓口へ相談してからその指示に従います。もともとそれほど医療施設が日本に比べれば量、質とも整備されていない上に、人手も足りず、現在、すでに退職した医師や看護師も相当数戻ってきて共に病院で働いてくれている状態なのです。
また、先日は新たに、今度は日本郵便が国際郵便引き受けを停止してしまいました。ニュージーランド国内のことには気をつけていたのですが、日本側からの郵便が止まるとは想像しておらず、これには大変落ち込みました。今まで当たり前に思っていた物や人の流れが止まり、激しい孤立感は否めません。国境は閉鎖され、帰国の手段も全くないとはいえませんが、特別の場合を除きできません。
でも、おそらく一番厳しいのは、このロックダウン中ではなく、その後の生活かもしれません。いくら助成金が出るとはいえ、永遠ではありません。閉鎖せざるを得ない企業や店はこれから目についてくるでしょう。私自身も、今後どうなっていくのかわかりません。今は予想のつかない影響がこれから新たに出てくるのかもしれないと覚悟しています。ただ今は、柔軟に辛抱強くなり、そしてまた、自ら新しい道を探していくことになるのでしょう。
世界中が、一刻も早くこのウィルスの危険から遠ざかりますように。ただ、それを祈ります。
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久米能加
- 本業は建築家。世界各国を旅して落ち着いたのが、ニュージーランド。現在、当地にて建築設計事務所運営。建築に関する記事を現地雑誌へ連載中のライターでもあり、秋田犬をこよなく愛す、Dog people でもある。