

〜14本の塔が語る富豪たちの執念と、時が止まった世界遺産の謎〜
目次
- 夏真っ盛りのトスカーナ。城門をくぐれば、そこは中世のテーマパーク
- 富と権力の象徴!「サフラン」がもたらしたバブルと、塔の乱立
- 高さ制限が生んだ奇策?「双子の塔」と、町当局の苦肉の策
- 歴史の表舞台からの消失。それがもたらした「奇跡の世界遺産」
- 【旅のコラム】ピノキオの物語とトスカーナの美味しい真実
- おちゃめなイタリア人に遭遇!広場で見かけた微笑ましい光景
- いつもの余談
夏真っ盛りのトスカーナ。城門をくぐれば、そこは中世のテーマパーク
![]()
<歴史を感じる重厚な石造りの城門>
イタリアには一風変わった個性的な街が点在していますが、その中でもピカイチに奇妙で、同時に息をのむほど美しいのが、トスカーナの丘陵地帯に佇む世界遺産の町「サン・ジミニャーノ」です。
私がここを訪れたのは、夏真っ盛りの季節。青い空に映える古びたレンガの街並みは、一歩足を踏み入れた瞬間に中世へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えさせてくれます。
この街は、ローマと北ヨーロッパを結ぶ巡礼路「フランチェジーナ街道」の重要な宿場町として、10世紀から12世紀にかけて爆発的な発展を遂げました。多くの巡礼者や商人が行き交い、街には莫大な富がもたらされたのです。
富と権力の象徴!「サフラン」がもたらしたバブルと、塔の乱立
![]()
<なだらかな丘の上にニョキニョキとそびえ立つ石塔>
サン・ジミニャーノがこれほどまでに潤った最大の理由は、意外な名産品にありました。それが、スパイスや染色・薬用として当時「金(きん)と同等の価値」で取引されていた「サフラン」です。
このサフラン貿易で莫大な富を築いた貴族や大富豪たちは、その財力と権力を誇示するため、競うようにして自宅の上に高い「石造りの塔」を建て始めました。
最盛期の13世紀には、なんと狭い旧市街の中に72本もの塔がひしめき合っていたというから驚きです。現代で言えば、ニューヨークの超高層ビル群が中世の技術で出現したようなもので、まさに「中世のマンハッタン」そのものの景観でした。
高さ制限が生んだ奇策?「双子の塔」と、町当局の苦肉の策
![]()
<チステルナ広場(井戸の広場)の全景>
![]()
<青空を切り裂くように、アーチ型の城門の向こうにそびえ立つ一際高いスクエアな石塔>
富豪たちの「誰よりも高い塔を建てたい!」という見栄の張り合いは、やがてエスカレートしすぎ、街の治安や日照を脅かすレベルに達してしまいました。
そこで14世紀初頭、危機感を覚えた町当局は、市庁舎の横に高さ54mの「グロッサの塔」を建設。「これ以降、公共の塔(グロッサの塔)より高い塔を建ててはならない」という、世界初(?)の高さ制限令を発令したのです。
![]()
<同じ形で綺麗に並んで立つ2本の「双子の塔」>
しかし、人間の執念とは恐ろしいものです。この法律に対して、当時の有力貴族サリヴベーニ家(またはアルディンゲッリ家)は奇妙な裏技を思いつきます。「1本の高さがダメなら、同じ高さの塔を2本並べて建てれば、2つ合わせて街で一番の存在感(実質一番高い)になるはずだ!」と、なんと「双子の塔」を出現させたのです。
これには町当局も苦笑いだったに違いありません。法律の隙間を突くようなエピソードですが、こうした富豪たちのプライドのぶつかり合いによって、さらにユニークな塔の街並みが形成されていきました。
歴史の表舞台からの消失。それがもたらした「奇跡の世界遺産」
しかし、この栄華も長くは続きませんでした。1348年、ヨーロッパ全土を襲ったペスト(黒死病)の大流行により、街は壊滅的な打撃を受けます。さらに致命的だったのは、時代の変化とともに、ローマとフィレンツェを結ぶ主要な交通ルートがこの街を外れるルートへ変更されてしまったことです。
富の源泉を失ったサン・ジミニャーノは急速に衰退し、文字通り「歴史から忘れ去られた街」となりました。
しかし、これこそが歴史の面白い逆説です。
開発の手が入らず、貧しかったがゆえに中世の建物や14本の塔を取り壊すことなく、そのままの姿で21世紀まで凍結されることになったのです。その結果、現在は旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定され、世界中から年間何百万人もの観光客を惹きつける「富の恩恵」に再び浴しています。
【旅のコラム】ピノキオの物語とトスカーナの美味しい真実
サン・ジミニャーノを歩いていると、お土産屋さんの軒先にたくさんの木製「ピノキオ」の人形が並んでいるのを目にします。
よく「ここがピノキオの作者の故郷では?」と言われることがありますが、正確には『ピノキオの冒険』の作者カルロ・コッローディ(本名カルロ・ロレンツィーニ)はフィレンツェの生まれです。彼のペンネーム「コッローディ」は、彼が幼少期を過ごした母親の故郷であるトスカーナ州の「コッローディ村(ルッカ近郊)」から取られています。
ではなぜこの街にもピノキオが溢れているのかというと、ピノキオの物語そのものが「トスカーナ地方の気風や風土」をベースに誕生したためです。トスカーナのどこか頑固で、ユーモアがあり、職人気質な空気感は、このサン・ジミニャーノの街並みにも完璧に溶け込んでいます。
<ブドウの木>
ちなみに、サン・ジミニャーノを訪れたら、名産の白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ」を一人旅のディナーで味わうのを忘れてはなりません。イタリアで最初に最高格付け(DOCG)に認定された歴史ある白ワインで、そのキリッとした辛口の味わいは、夏の旅の疲れを最高に癒やしてくれます。
おちゃめなイタリア人に遭遇!広場で見かけた微笑ましい光景
最後に、この街で出会った思わず笑顔になってしまう、大好きなスナップ写真をご紹介します。
![]()
<石畳の広場で、両手を上に大きく広げて、一列に並んでポーズをとる若者>
夏の陽気に誘われてか、チステルナ広場の一角で、何やら女の子たちが一列に並んでポーズを決めていました。カメラを構えていると......
![]()
なんと次の瞬間、一斉に綺麗な逆立ち(ハンドスタンド)を披露してくれたのです!
![]()
![]()
さらに別の場所では、観光に疲れたのか、ジェラートのコーンをなぜか鼻にくっつけて「ピノキオ(象の鼻?)」に変身しているお茶目な観光客の姿も。
こうした観光客たちの陽気で自由なエネルギーを受け止めてくれるのも、この懐の深い中世の街ならではの魅力。歴史の重厚さと、ちょっと「変で、ぴか一に面白い」エピソードが詰まったサン・ジミニャーノ。シニアの一人旅だからこそ、歴史のロマンに浸りながら、路地裏をゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか。
いつもの余談
![]()
実は今回、私が現地で撮影してきた美しい「西洋紫陽花(アジサイ)」の写真があるのですが、これを見ていると、ふと日本の歴史が誇る「あの国際派ファミリー」のことを思い出してしまうのです。
その主役とは、江戸時代に長崎・出島にやってきたドイツ人医師、シーボルト。
「日本の医学をガチで進化させた凄い人」として教科書に載っていますが、プライベートでは日本人妻の「お滝さん」を熱烈に愛した超ロマンチストでした。2人の間に生まれた娘の「おいね(楠本イネ)」さんは、父親のDNAをゴリゴリに引き継ぎ、のちに「日本初の西洋医学の女性医師」となった偉大な人物です。
そんなシーボルト先生、日本に滞在中、医療だけでなく日本の植物にも大ハマり。帰国する際、ちゃっかり日本原産のガクアジサイをヨーロッパに持ち帰りました。
この日本生まれのアジサイが、ヨーロッパの植物学者たちの手によってオシャレに品種改良され、今や世界中で大人気となったのが、まさに写真にある「西洋紫陽花」なのです。
ここまではよくある植物の歴史。しかし、ここからがシーボルトの真骨頂(ノロケ話)です。
彼は持ち帰ったアジサイに、なんと学名をつけました。その名も......
「Hydrangea otaksa(ハイドランジア・オタクサ)」。
オタクサ。おたくさ......そう、愛してやまない妻「お滝(おたき)さん」の名前を、どさくさに紛れて(?)世界共通の学名にしてしまったのです!
「僕のアジサイ、僕のお滝さん」というわけです。なんという熱烈な愛の告白でしょうか。世界中の植物学者が、今でも知らないうちにシーボルトの奥さんの名前を呼んでいると思うと、なんだかニヤリとしてしまいますよね。
トスカーナの乾いた空気の中でも、どこか日本の面影を感じさせる西洋紫陽花。
みなさんもこの花を見かけたら、青い目の医師が遠い異国で日本の妻を想った、ちょっぴり情熱的で甘い歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?
関連記事

「イタリア」に興味わいてきた?あなたにおすすめの『イタリア』旅行はこちら
※外部サイトに遷移しますRelated postこの記事に関連する記事
Rankingイタリア記事ランキング
-

ドルチェビータ
- 2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。






























