突如目の前に現れる奇跡の絶景!イタリアの凝灰岩に佇む空中都市「ピティリアーノ」の魅力と旅の注意点

宮殿と連続アーチの水道橋が美しく広がる全景写真

ローマから車を走らせること約2時間。トスカーナ州の南端に、まるでファンタジーの世界から飛び出してきたかのような不思議な町が存在します。その名は『ピティリアーノ(Pitigliano)』

今回は、ドライブの途中で突如目の前に広がるこの「空中都市」の歴史や見どころ、そして個人旅行で絶対に気をつけるべき「ランチの罠」についてご紹介します。

目次

はじめに:ボルセーナ湖畔を抜けた先に待つ、一瞬の奇跡

旅の始まりはローマから。高速道路A1を北上し、ウンブリア州の古都オルビエトで高速を降ります。そこから、ヨーロッパでもっとも透明度が高いといわれる美しいボルセーナ湖の湖畔をのんびりとドライブ。
さらに西へ車を進めること1時間。なだらかな丘陵地帯を走っていると、その瞬間は突如として訪れます。

青空と凝灰岩の崖にそびえるピティリアーノの美しい全景
青空と凝灰岩の崖にそびえるピティリアーノの美しい全景

目の前にパッと広がったのは、切り立った凝灰岩(ぎょうかいがん)の絶壁の上に、へばりつくようにして建つ美しい町。一瞬にして目を奪われるその光景は、まさに「天然の要塞」そのものです。

なぜこんな場所に?「空中都市」にしなければならなかった理由

ピティリアーノがこのような崖の上の「空中都市」になったのには、この地域の自然環境と、古代の人々の深い知恵が関係しています。

この地域を形作っているのは、大昔の火山活動によって堆積した「凝灰岩(ツファ)」という火山灰の岩です。この岩には2つの大きな特徴がありました。

  • 天然の防壁になること:周囲を深い渓谷と断崖絶壁に囲まれているため、敵が攻め込みにくく、最小限の城壁で完璧な防御体制を作ることができました
  • 削りやすいこと:凝灰岩は比較的柔らかく、人間の手で掘り進めるのが容易でした

そのため、人々はあえてこの険しい崖の上を選んで街を築き、さらに足元の岩盤をくり抜いて地下道やワインセラー、倉庫を作って生活スペースを広げていきました。

崖のギリギリに建つ宮殿と水道橋を真横から見たダイナミックな写真
<崖のギリギリに建つ宮殿と水道橋を真横から見たダイナミックな写真>

家々が崖と一体化しているように見えるのは、まさにこの岩を削って家を建てたからなのです。

2000年を超える、ピティリアーノの波乱万丈な歴史

この街の歴史は驚くほど古く、2000年以上前(紀元前)のエトルリア時代まで遡ります。その後、街の支配者は時代の波とともに激しく移り変わっていきました。

  1. 古代ローマ帝国の支配下へ
  2. 10世紀:ロンゴバルド人による支配
  3. 14世紀:ローマの有力貴族オルシーニ家が支配(この時代に街は大きく発展します)
  4. 17世紀初頭:フィレンツェの有名な大富豪メディチ家の支配下へ

【「写真3:歴史を物語る、オルシーニ宮殿と水道橋の美しいズーム写真」を挿入】
激動の歴史を経て、様々な文化が織り交ざったことで、現在のピティリアーノ独特の美しい街並みが完成しました。

知るともっと面白い!ピティリアーノにまつわる2つの逸話

この街を歩く前に知っておくと、旅がより深まる面白いエピソードをご紹介します。

1. 泥棒から始まった街!?「名前の由来」にまつわる伝説

古代ローマ時代、ペティリオとセリアーノという2人の高貴な若者が、なんとローマの最高神・ジュピターの「黄金の冠」を盗み出しました。追っ手から逃れるため、彼らがたどり着いたのがこの凝灰岩の地でした。彼らはここに小さな村を築き、2人の名前を合わせて「ピティリアーノ」と名付けたという伝説が残っています。

2. もう一つの顔「小さなエルサレム」

ピティリアーノには「小さなエルサレム」という有名な別名があります。

16世紀、ローマ教皇の迫害から逃れてきた多くのユダヤ人たちを、当時の領主オルシーニ家が温かく受け入れました。彼らはこの街の凝灰岩を掘って礼拝堂や独自の生活空間を作り、キリスト教徒と見事に共生したのです。今でも旧市街にはその名残が色濃く残っています。

街の見どころ:時を止めた中世の街並みと美しい水道橋

一歩、旧市街へ足を踏み入れると、そこは完全に中世の世界。車が入ってこられない細い路地が迷路のように入り組んでいます。

水道橋のアーチを真下から見上げる大迫力の写真
水道橋のアーチを真下から見上げる大迫力の写真

特に目を引くのが、15世紀(メディチ家統治時代に完成)に建設された「巨大な水道橋」です。街の入口に堂々とそびえ立ち、隣り合うオルシーニ家の宮殿とともに、美しい連続アーチが迎えてくれます。

渓谷の古い橋と、鮮やかに咲き誇る黄色のミモザの写真
渓谷の古い橋と、鮮やかに咲き誇る黄色のミモザの写真

訪れたのは3月。イタリアでは3月に入ると一気に日差しが強くなり、植物たちが一斉に芽吹き始めます。

この辺りは山間部ということもあり、ちょうどミモザが満開を迎えており、谷底に架かる古い橋を背景に、可愛らしい黄色の小さな花が街を美しく彩っていました。日本なら花粉症対策のマスク姿が目立つ季節ですが、こちらではそんな心配も少なく、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むことができます。

さらに街の中心へ進むと、広場で楽し気な「お祭りの準備」に出会いました。

広場で組み立てられている火祭りの巨大な藁人形の写真
<広場で組み立てられている火祭りの巨大な藁人形>

これは毎年3月19日に行われる伝統の火祭り「トルチャータ・ディ・サン・ジュゼッペ」で使われる、高さ5mを超える巨大な藁人形(冬の化身)です。夜にこれを燃やして春の訪れを祝うのだそう。こうした伝統の足音が聞こえる時期に訪問できたのも、個人旅行の嬉しいサプライズです。

旧市街の中心部へと進むと、さらに歴史を感じる美しい噴水が旅人を迎えてくれます。

レプブリカ広場にある美しい彫刻の噴水の写真
<レプブリカ広場にある美しい彫刻の噴水>

この日は日曜日。中世の香りが色濃く残る静かな街ですが、休日とあって多くの観光客で賑わっていました。素晴らしい景色を眺めながら、街歩きはまだまだ続きます。

【重要】個人旅行者は要注意!ピティリアーノでの「ランチの罠」

ここで、これから個人旅行でピティリアーノを訪れる方に、実体験から得たとても重要なアドバイスがあります。

イタリアの美しい街を歩いていると、ついつい写真撮影に夢中になってしまいますよね。私も中世の面影を色濃く残すオルシーニ宮殿の壮大な姿に魅了され、時間を忘れてシャッターを切り続けていました。

日曜日の賑わいを見せるオルシーニ宮殿前の広場の写真
<日曜日の賑わいを見せるオルシーニ宮殿前の広場の写真>

気づけば時計は13時半を回っていました。「そろそろお腹が空いたな」とレストランを探し始めたのですが、ここからが大変でした。なんと、開いているお店には人が殺到しており、4軒続けて「満員です」と断られてしまったのです!

結局、ランチにありつけたのは14時を過ぎてから。やっとの思いで1軒のレストランに入ることができました。イタリア、特に地方の観光地では、日曜日は閉まっているお店が多く、開いている人気店には地元の家族連れや観光客の予約が殺到します。

ピティリアーノでのレストラン選びの極意

  • リミットは12時40分!:美味しいと評判のレストランは、13時を過ぎると予約で完全に埋まってしまいます。遅くとも12時台の空いている時間に入店しましょう
  • 飛び込みで入れるお店には注意:13時過ぎにすぐ入れるレストランは、味や観光客向けの価格設定(割高)などに問題があるケースが多いため、あまりおすすめできません

せっかくの美しい街ですから、食事の時間をあらかじめ逆算して、賢く観光スケジュールを組んでみてくださいね。

おわりに

日常を忘れさせてくれる圧倒的なロケーションと、幾多の歴史を乗り越えてきた強さを持つ街、ピティリアーノ。
オルビエトやボルセーナ湖からのアクセスも抜群ですので、トスカーナやラツィオ州をドライブする際は、ぜひこの「空中都市」へ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

いつもの余談:私たちが誤解している「マフィア」の真実と、パレルモの意外な素顔

今回の旅の舞台であるピティリアーノは「天然の要塞」でしたが、イタリアの歴史において、こうした「身を守るための防衛」がまったく異なる形で発展した、もう一つの有名な存在があります。

それが「マフィア(Mafia)」です。

「マフィア」と聞くと、多くの人が、映画『ゴッドファーザー』のような血生臭い犯罪組織を連想するでしょう。日本の有名な作家も、シチリア島の中心都市パレルモの治安の悪さを本に書いていたりします。しかし、実際にイタリアを旅してきた私の肌感覚から言わせてもらうと、パレルモはローマやナポリに比べたら、はるかに安全で落ち着いた街です。

そもそも、シチリアにおけるマフィアの実態は、私たちがハリウッド映画で植え付けられたイメージとは大きく異なります。

始まりは「外国の侵略者」から家族を守る抵抗組織だった

シチリア島は、古くからその地政学的な重要性ゆえに、ノルマンディ地方からやってきたノルマン人をはじめ、アラブ、フランス、スペインなど、常に異国の勢力に占領され、支配され続けてきた苦難の歴史を持っています。

時の権力者(外国人)たちの警察や裁判所は、地元の弱き人々をちっとも守ってはくれませんでした。そこで、「自分たちの家族や土地は、自分たちで守るしかない」と立ち上がった、民間の自警・抵抗組織がマフィアの起源なのです。

実際、19世紀までシチリアで「マフィオーソ(マフィアの男)」という言葉は、犯罪者ではなく、「権力に屈しない、勇敢で誇り高き男」という褒め言葉として使われていました。
それがなぜ凶悪な犯罪組織になってしまったのか。それは、多くのシチリア人が新天地を求めてアメリカへ渡った大移民時代にあります。アメリカという異郷の地で、差別や貧困に直面した移民たちが生き残るために独自のネットワークを武装・犯罪組織化させ、それが逆輸入される形で現在のイメージが出来上がってしまったのです。本国のマフィアの根底にある「地域密着の自警意識」とは、本質が少し違っていると言えます。

マフィアにまつわる、ちょっと面白いエピソード

そんな彼らの「独特な身内意識」を物語る、クスッと笑える実話があります。

冷戦期、あるアメリカの捜査官が、シチリアの歴史あるマフィアのボスを捕まえようと必死に内偵を進めていました。マフィアといえば、さぞや大豪邸で贅沢三昧の暮らしをしているのだろうと思いきや、やっとの思いで突き止めたボスの潜伏先は、電気も通っていない田舎のボロボロの小屋。しかもボスは、自分で山羊の乳を搾り、自家製のチーズを作って質素に暮らしていたそうです。

彼らにとって重要だったのは、大金で贅沢をすることではなく、「誰にも支配されず、自分の縄張りをコントロールしている」という、シチリア人としての奇妙なプライドと権力そのものだったのです。

「郷土愛」と「防衛本能」が、歴史の荒波の中で歪んで生まれたマフィア。パレルモの街を歩くときは、映画の恐怖に怯えるのではなく、彼らが命がけで守ろうとしたシチリアの美しい街並みと、誇り高き歴史に目を向けてみると、旅がさらに奥深くなりますよ。

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2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。

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