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美しき古都シエナの「光と影」|イタリア一人旅

〜フィレンツェへの執念が育んだ、世界最古の銀行と最高峰ワインの物語〜
目次
- 太陽の高速道路を北上し、中世の記憶が眠るトスカーナの古都へ
- 世界一美しい「カンポ広場」で、中世の風に吹かれる贅沢
- 神話の時代からルネサンスへ:フィレンツェの影と戦った「誇り高き歩み」
- フィレンツェを超えようとした執念の証「シエナ大聖堂」
- 怨念か、それとも誇りか。ワインに秘められたシエナの魂
- 余談
太陽の高速道路を北上し、中世の記憶が眠るトスカーナの古都へ
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<丘の上に佇むシエナの街並みと大聖堂・マンジャの塔の遠景>
ローマから「太陽の高速道路(A1)」を北上し、E78号線へと乗り換えて約240キロ。車を走らせること約3時間、なだらかな丘陵地帯の向こうに、赤茶色のレンガ造りの街並みが姿を現します。そこが、中世の姿をそのままに留めるトスカーナの古都・シエナです。
多くの旅人がこの美しい街の旅行記を綴っていますが、今回はシニアの一人旅だからこそじっくりと味わいたい、シエナの「光と影」、 shadow and light、そしてライバル・フィレンツェとの愛憎に満ちた歴史の角度から、この街を紐解いてみましょう。
世界一美しい「カンポ広場」で、中世の風に吹かれる贅沢
イタリアには「世界一美しい」と称される広場が数多く存在します。ヴェネツィアのサン・マルコ広場、フィレンツェのシニョリア広場、ローマのナヴォーナ広場......。そしてここ、シエナの「カンポ広場」もその筆頭です。
高い時計塔(マンジャの塔)がそびえる市庁舎を貝殻の結合部分に見立て、そこから扇状に緩やかな傾斜が広がっています。
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<塔の上から見下ろす扇形のカンポ広場>
上空や高台から見れば、ちょうど市庁舎から扇を広げたような形をしているのがよく分かります。この絶妙な傾斜が実に心地よく、一人旅の途中にふと腰を下ろして、行き交う人々や中世のパノラマを見渡すのにこれ以上の特等席はありません。
神話の時代からルネサンスへ:フィレンツェの影と戦った「誇り高き歩み」
この広場や絢爛豪華な大聖堂を見上げるたび、私は「これほどの富はいったいどこから生まれたのだろう」と、その歴史の足跡をたどりたくなります。
ローマ建国神話の末裔という誇り
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<大聖堂の床に描かれた「雌狼と双子」の円形モザイク>
シエナの起源は、古代ローマの建国神話にまで遡ります。ローマを興したロムルスの弟「レムス」の息子であるセニウスとアスキウスが、叔父の迫害を逃れてこの地に逃げ込み、街を築いたという伝説です。そのため、シエナの街を歩くと、ローマと同じ「雌狼の乳を飲む双子の像」がいたるところに佇んでいます
大聖堂の床にも、この歴史的なルーツを物語る素晴らしいモザイクが残されており、旅人の目を楽しませてくれます。
ヨーロッパを潤した金融業の隆盛
中世、シエナはローマとボローニャ、さらにはロンバルディア地方を結ぶ街道が交差する「交通の要所」として都市国家へ発展しました。その経済を爆発的に潤したのが「金融業」です。
街には、1472年創立の世界最古の現役銀行「モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(Monte dei Paschi di Siena)」の本店が今も威厳を放っています。
余談ですが、かつて私もこの銀行に口座を持っていました。しかし、デビットカード(イタリア語で「Bancomat」)に不具合が出た際、銀行がエラーをなかなか修正してくれませんでした。当時はここが世界最古の銀行だとは知らず、憤慨して口座を解約してしまったのは、今となっては旅の苦くも面白い思い出です。15世紀に既に銀行があったということは、あらゆる産業発展の可能性があったということでもあります。
宿敵フィレンツェとの激闘と、ペストの悲劇
しかし、現在の主要ルート(ローマ〜フィレンツェ線)から外れていることからもわかるように、シエナの歴史は「お隣の強大なライバル・フィレンツェ」との対立の歴史でもありました。
経済、軍事、芸術のすべてで火花を散らした両国。シエナにとって最大の栄光は、1260年の「モンタペルティの戦い」です。わずか2万のシエナ軍が、7万のフィレンツェ軍を破るという奇跡的な大勝利を収めたのです。その後約200年間、シエナはフィレンツェに邪魔されることなく、独自の「シエナ派芸術」などの黄金期を謳歌しました。
しかし、運命の暗転は唐突に訪れます。1348年、ヨーロッパ全土を襲った黒死病(ペスト)の流行により、シエナは人口の3分の2を失う大打撃を受け、急速に衰退へと向かっていきます。そしてルネサンス期の1555年、ついにメディチ家率いるフィレンツェに併合され、独立国家としての歴史に終止符が打たれました。
フィレンツェを超えようとした執念の証「シエナ大聖堂」
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<白と黒の大理石が美しいシエナ大聖堂の外観と、右端の未完の壁>
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<大聖堂の壁にあるライオンの彫刻>
シエナ人のフィレンツェに対する強烈な対抗意識が、最も色濃く刻まれているのが「シエナ大聖堂(ドゥオーモ)」です。
ロマネスコ様式とゴシック様式が融合した外観は、白と黒(あるいは緑黒色)の大理石が美しい縞模様を描き、息をのむ美しさです。この白と黒は、シエナの伝説の創設者セニウスらが乗ってきた白馬と黒馬に由来する、街のシンボルカラーでもあります。
堂内に広がる芸術の宇宙
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<白黒の縞模様の柱が並ぶ大聖堂の内部空間>
一歩足を踏み入れれば、そこは圧倒されるような芸術の宇宙が広がっています。
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<大理石の床に美しく描かれた絵画のような象嵌細工>
堂内を支える柱もすべて白と黒の縞模様で統一され、独特の厳かな雰囲気を醸し出しています。床一面には56枚の美しい大理石の象嵌(ぞうがん)細工が施され、聖書の物語が細密に描かれています。
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<ライオンの彫刻が支える、ニコラ・ピサーノ作の美しい説教壇>
さらに、堂内にはルネサンス彫刻の先駆者であるニコラ・ピサーノが手掛けた、傑作と名高い「説教壇」も鎮座しており、その細やかな彫刻表現には思わず時間を忘れて見入ってしまいます。
永遠に途絶えた「未完の巨大計画」
しかし、この大聖堂の本当の「物語」は、建物の横(写真5の右側)に不自然に放置された「巨大な未完成の壁」にあります。
14世紀前半、繁栄の絶頂にいたシエナは、フィレンツェの大聖堂をはるかに凌駕する、キリスト教圏最大級の大聖堂へと拡張する大計画を進めていました。現在の身廊(中央通路)を、なんと「袖(側面のパーツ)」にしてしまうほどの壮大な増築でした。
しかし、前述の1348年のペスト流行と財政難により、工事は永遠に中断されます。シエナの人々は、この壁を壊さずに今も残しています。それは「いつか子孫が、フィレンツェの規模をしのぐ大聖堂を築いてくれるはずだ」という、時を超えた執念と祈りの象徴なのです。
怨念か、それとも誇りか。ワインに秘められたシエナの魂
現在、フィレンツェとシエナを結ぶ高速道路には事故が多いと言われていますが、地元ではまことしやかに「これはフィレンツェに対するシエナ人の怨念のせいだ」と囁かれています。確かにカーブが多く見通しが悪い箇所が多いため、事故は多そうですが、この道を走るときはどうぞご注意ください。
そして、その「執念」が生み出した極上の名産品がワインです。
トスカーナを代表する赤ワイン「キアンティ」は、フィレンツェのメディチ家の肝煎りで生産されてきました。それに対し、1555年にフィレンツェに攻め込まれたシエナの兵たちが、最後まで立てこもって激しく抵抗した砦の街があります。それが、南に位置する「モンタルチーノ」です。
彼らは、メディチ家のキアンティに屈しない、それをはるかに凌駕する最高峰の高級ワインを造り上げました。それこそが、世界中のワイン通を唸らせる「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(Brunello di Montalcino)」です。
このワインの深みのある味わいの裏には、フィレンツェには絶対に負けないという、誇り高きシエナ人の魂が今も静かに息づいているのです。
余談
いつもの余談です。皆さんは、歴史に残る世界最古の不倫旅行は誰のものだと思いますか。
紀元前47年に行われたガイウス・ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世の「ナイル川クルーズ」は、歴史の記録(文献)に明確に残っているものとして、世界最古かつ最大級に有名な「不倫(婚外恋愛)旅行」と言えます。
当時、カエサルにはローマに正妻(カルプルニア)がおり、クレオパトラも形上は弟と結婚していたため、公認の不倫関係でした。この旅行が「最古の有名人の不倫旅行」と呼ばれるのには、単なる愛の逃避行にとどまらない、凄まじい歴史的スケールと理由があります。
1. 2人が乗った船
豪華すぎる「動く宮殿」での旅、2人が乗った船は、全長約90m、幅約14m、高さ約20mという、当時の技術の枠を集めた超巨大な「豪華客船( Thalamegos )」でした。船内の設備: 船上には大理石の柱が並ぶ神殿、豪華な宴会場、寝室、さらには本物の庭園や並木道まで作られていました。
護衛艦隊も付き、2人のプライベートな時間を守るため、周囲を400隻ものローマ軍艦がガッチリと護衛しながらナイル川を遡上しました。
2. 旅行の目的
旅行の目的は「お披露目」と「権力誇示」この旅行は単なる観光ではなく、高度な政治的パフォーマンス( propaganda )でもありました。
- カエサルの目的: エジプトの圧倒的な富と、神として君臨するクレオパトラの美しさを五感で堪能すると同時に、ローマの軍事力をエジプト全土に見せつけました
- クレオパトラの目的: 「ローマの最高権力者カエサルは、私の後ろ盾である」という事実をナイル川沿岸の国民や政敵にアピールし、自身の王位を確固たるものにしました
3. 不倫の結末
歴史を動かした不倫の結末約2ヶ月間に及んだこの贅沢なクルーズの直後、クレオパトラはカエサルの子を身ごもり、のちに「カエサリオン(小さなカエサル)」と呼ばれる男の子を出産します。このエジプトでの長すぎる「不倫休暇」とクレオパトラへの溺愛ぶりは、ローマの元老院(政治家たち)の強い警戒感と怒りを買い、最終的に紀元前44年のカエサル暗殺事件の遠因の1つとなりました。
いつの世も、ハニートラップにはご注意を!
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ドルチェビータ
- 2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。



























