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「西洋の驚異」モン・サン=ミシェル3度目の再訪|フランス一人旅

<TOP画像:闇夜に浮かぶ、息をのむほど荘厳なモン・サン=ミシェルのナイトパノラマ>
〜1300年の祈りと戦争、そしてタコ足建築の謎を紐解く〜
目次
- 変化を続ける奇跡の島へ。新設されたシャトルバスで中世の聖地へ
- なぜ「遺書を置いて行け」と言われたのか? 猛烈な潮汐と大天使の導き
- なぜ日本人にここまで愛されるのか?
- フランスの盾となった歴史:英国との「百年戦争」の舞台
- 解明! 岩山の上に重ねられた「タコ足旅館建築」の正体
- 一人旅で出会う、夜の静寂(しじま)に浮かぶ幻想の城
- いつもの余談:イタリア人に「自白」させる方法
変化を続ける奇跡の島へ。新設されたシャトルバスで中世の聖地へ
2013年夏の7月、私は通算3度目となる「モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)」への旅に立ちました。
かつて初めてここを訪れた大昔は、城門のすぐ側まで車で乗り付けることができ、目の前が駐車場になっていました。しかし2013年には、美しい湾の環境と景観を守るための大規模な自然派プロジェクトが完了し、車の乗り入れは完全に禁止されています。
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<新市街地から観光客を乗せて往復する、無料のシャトルバス>
現在は、本土側の新市街地に車を止め、そこから無料で運行されている専用のシャトルバス(または馬車)に揺られて島を目指すスタイルに変わりました。少し不便になったようにも思えますが、バスの窓から少しずつ巨大な孤島が近づいてくる高揚感は、昔の車移動では味わえなかった一人旅ならではの贅沢なプロローグです。
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<雄大に佇むモン・サン=ミシェルの全景>
バスを降りて歩を進めると、吸い込まれるような青い水平線のなかに、あの神々しいシルエットが姿を現します。
なぜ「遺書を置いて行け」と言われたのか? 猛烈な潮汐と大天使の導き
1979年に「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたこの地は、カトリックの聖地であると同時に「西洋の驚異(La Merveille)」と讃えられてきました。実は、同じく海に浮かぶ世界遺産・厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市の関係にあり、日仏の歴史ある海の聖地同士、非常に深い絆で結ばれています。
この島が1300年もの間、人々の信仰を集めてきたのには、ある決定的な「地形の神秘」がありました。
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<城壁の入り口へと近づいていくアングルからのモン・サン=ミシェル>
ここノルマンディー地方南部のサン・マロ湾は、ヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい場所として知られています。その差は最大で15メートル以上。
最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28〜36時間後といわれており、引き潮によってなんと沖合18キロメートルまで引いた潮が、「馬が駆け足で走るほどの猛烈な速度」で一気に押し寄せてきます。
中世、道が整備されていなかった時代には、数万人もの巡礼者がこの干潟を歩いて島を目指しました。しかし、突如として牙をむく底なし沼のような流砂や、一瞬で周囲を包み込む深い霧、そして容赦なく押し寄せる奔流に飲まれ、多くの巡礼者が命を落としました。そのため当時は、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という恐ろしい言い伝えがあったほどです。自然の猛威に命を懸けてでも行かなければならない場所――それが、この聖地の重みだったのです。
なぜ日本人にここまで愛されるのか?
それにしても、なぜ私たち日本人はこれほどまでにモン・サン=ミシェルに強く惹かれるのでしょうか。
そこには、いくつかの日本人の美意識との共鳴があります。
1つ目は、「自然のなかに神仏を見る」という精神性の共通点です。日本人が古来、厳島神社や天橋立のように、海や山そのものを神域として崇めてきた感覚が、この海に孤立する岩山の大修道院の姿に自然と重なり、理屈抜きで魂を揺さぶられるのです。
2つ目は、日本のアニメーションやファンタジーの世界観です。『天空の城ラピュタ』や『ルパン三世 カリオストロの城』といった、私たちが幼い頃から親しんできた「孤高の城」のイメージのモデル、あるいは具現化された姿として、圧倒的なノスタルジーを感じることも大きな要因と言われています。
フランスの盾となった歴史:英国との「百年戦争」の舞台
巡礼の地として始まったモン・サン=ミシェルですが、その難攻不落の地形ゆえに、14世紀から15世紀にかけて起きた英仏「百年戦争」の際には、フランス軍の極めて重要な「軍事要塞」へと変貌を遂げました。
当時、ノルマンディー地方のほとんどの地域がイギリス軍に占領されるなか、このモン・サン=ミシェルだけは、幾度もの激しい包囲攻撃を受けながらも、激しい潮の満ち引きと強固な城壁に守られ、一度も敵の手へ落ちることはありませんでした。この時にイギリス軍が残していった大砲の筒が、今も島の入り口付近に展示されています。
イギリスに屈しなかった「不屈の象徴」となったからこそ、ここはフランス人にとって特別な聖地として、今もなお愛され続けているのです。
解明! 岩山の上に重ねられた「タコ足旅館建築」の正体
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<大修道院を見上げる。中世の民家の屋根、奥の頂上には金色に輝く大天使ミカエルの尖塔が佇む>
大聖堂の内部や上部へ登っていくと、この建物の信じられないような建築構造に度肝を抜かれます。
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主要な建物はゴシック様式でまとめられていますが、実は内部を細かく紐解くと、さまざまな時代の中世建築様式がパッチワークのように複雑に組み合わさっています。
- 最深部・教会基礎:カロリング期の様式
- 中央・身廊部分:力強いロマネスク(ノルマン)様式(11〜12世紀)
- 最上部・内陣部分:百年戦争で破壊された後、15〜16世紀に再建された、炎が燃え上がるような装飾の「フランボワイアン・ゴシック様式」
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<幾重にも重なる壁の積層感が美しい>
要するに、一本の尖った岩山の地形をそのまま活かし、崩さないように基礎を補強しながら、深層部から上層部へと、時代ごとの最高技術を何層にもわたって「継ぎ足し」で建造し続けた結果、まるで日本の古い温泉街にある「タコ足旅館」のような、世界に類を見ない奇跡の多層構造建築になったのです。
一人旅で出会う、夜の静寂(しじま)に浮かぶ幻想の城
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<マジックアワー。青暗い夜空のなかに、温かい光でライトアップされたモン・サン=ミシェルの遠景>
昼間のモン・サン=ミシェルは、世界中からの観光客で原宿の竹下通りのような賑わいを見せますが、夕暮れ時を迎えると、日帰り観光客が一斉に去り、島には本来の聖地としての「静寂」が戻ってきます。
シニアの一人旅であれば、ぜひ島内、もしくは対岸のホテルに一泊し、夜の散策を楽しんでみてください。
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<夜の闇に浮かび上がる、黄金色にライトアップされた大修道院のクローズアップ>
夜風に吹かれながら、暗闇の湾に浮かび上がる黄金の城を見上げていると、かつてこの場所で祈りを捧げた中世の巡礼者たちの足音が聞こえてくるような、言葉にできない感動に包まれます。3度の再訪を経てなお、この「西洋の驚異」は、訪れるたびに新しい美しさで旅人を迎えてくれるのです。
いつもの余談:イタリア人に「自白」させる方法
旅の裏コラム:手錠をかけると無罪放免?
ここで、ちょっと面白い究極のジョークをご紹介しましょう。
万が一、何か罪を犯したイタリア人から警察が「自白」を引き出そうとしたら、捜査官が真っ先にやるべきことは何でしょうか?
正解は「手錠を外してあげること」です。
屈強なイタリア人の容疑者であっても、後ろ手や前で手錠をかけられ、手の自由を奪われている間は、彼らにとって「言語機能が麻痺している状態」と同じです。どれだけ厳しく問い詰められても、「手が使えないから、喋りたくても自白の内容を表現できない」という、何ともイタリア人らしいジレンマに陥ってしまうのです。
警察側が「分かった、もう手錠を外してやるから正直に話せ」と自由にした途端、待ってましたと言わんばかりに手が激しく動き出し、すべての罪状をペラペラとドラマチックに白状し始める......。
まさに「手が命」を体現する、なんとも愛らしくも可笑しいイタリア人の国民性を表したエピソードです。
言語学者の研究によると、イタリア人が日常的に使う明確な意味を持ったジェスチャーは、なんと250種類以上にのぼると言われています。
顎の下を指先でなぞる(「気にするな、どうでもいい」)、親指と人差し指を擦り合わせる(「お金」)、すべての指先をすぼめて上下に振る(「一体何が言いたいんだ?」)など、これらはすべて彼らにとっての「単語」です。
一人旅だからこそ、旅の記念にこれらのジェスチャーをいくつか覚えて、現地のバル(Caffè Bar)で使ってみてはいかがでしょうか。言葉の壁を越えて、現地のイタリア人たちが「おっ、こいつ分かってるな!」と言わんばかりに、満面の笑みとさらに激しい両手の動きで、あなたを大歓迎の渦に巻き込んでくれるはずです。
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ドルチェビータ
- 2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。



























