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アイルランドの美しい独立峰ネフィン山トレッキングと、麓のタイタニック・メモリアルパークを紹介!
アイルランド、メイヨー県のコン湖西側に美しい独立峰ネフィン山はそびえ立っています。 806mとそれほど高くない山ですが、その独立峰の美しさはメイヨー県のあらゆる地域で目視でき、クロ―パトリックと並ぶメイヨー県を代表する山です。麓のLahardane村はおそらく世界で一番多くタイタニック号の被害者を出した村として知られており、ネフィン山を背に静かに佇んでいます。この記事では、ネフィン山とタイタニック・メモリアルパークをご紹介します。
目次
- ネフィン山とタイタニック・メモリアルパークは地元の人のイチオシスポット
- 「天国」や「聖域」という意味のネフィン山
- ネフィン山に登る前に寄っておきたいLahardane村のコンビニ
- ネフィン山トレッキング
- タイタニック・メモリアルパーク
- アクセス
- まとめ
ネフィン山とタイタニック・メモリアルパークは地元の人のイチオシスポット
去年までは、事前に調べて行ってみたいと思った場所を訪れて記事で紹介していたのですが、今年あるふとしたことがきっかけで、地元の物知りな人におすすめスポットを聞いてみることにしたんです。
今回紹介するネフィン山とタイタニック・メモリアルパークも実は、地元の個人商店の店主のイチオシです。また、いつもお世話になっている車の整備会社の人もネフィン山からの景色は凄くきれいだから一度行った方がいいとのことだったので、訪れることにしました。
「天国」や「聖域」という意味のネフィン山
観光で外から訪れる人は、有名なウェストポートのクロ―パトリックやコネマラなどを選ぶ人が多いのではないかと思います。しかし、地元の人が選ぶおすすめスポットは違います。これは日本でも感じたことです。地元の人が選ぶ場所は、その地域の人々が精神のよりどころとしてとても大切にしている場所だったり、歴史がたくさんつまっている場所だったりするんです。この違いは興味深いです。
実際に、ケルト信仰においてネフィンの元となっている言葉Nemthennは、「聖域」を意味するそうです。今では消えてしまったケルト信仰ですが、脈々と地元の人々の精神に根付く何かが、この山に人々を惹きつけるのかも知れません。
ネフィン山に登る前に寄っておきたいLahardane村のコンビニ
自宅からフォックスフォード経由でコン湖周辺のくねくねと曲がったピンカーブの山道を抜けると、やっとLahardane村のアイコン的存在の教会が見えてきました。
コン湖周辺には、たまにカーブの向こう側から歩いてくる観光客が現れたりするので、ちょっとしたドライブテクニックが必要で小刻みにブレーキをかける必要があります。
そんな山道を地元の人達は慣れているせいか、凄いスピードで登っていきます。そしてどこに行くのかと思い後をついて行ってみると、辿り着いた先がこの教会でした。この日は特別な日だったらしく、教会は多くの人達で賑わっていました。
この日は村にとって特別な日曜日だったせいもあって、全てのお店が閉まっていました。しかし、こちらの郵便局に併設されているコンビニだけは唯一は空いていました。
ありがたいことに店内にはちょっとした休憩スペースがあって、そこでお店で買ったサンドイッチを食べたり、奥にあるパウダールームでお手洗いを済ませたりすることができます。パウダールームは、とてもきれいに清掃されていて、おしゃれな造花が飾られていました。ネフィン山にはトイレが全くないので、登る前にこちらに立ち寄ることをおすすめします。
ネフィン山トレッキング
Lahardane村のメインロードを数百メートル行くと、左に曲がる小さな小道があります。車がギリギリすれ違うことができるかできないかぐらいの道をそろそろと数分進むと、いかにもトレッキングしてそうな恰好の女性ふたりとすれ違いました。
急いで車を停めて、ネフィン山のことについて尋ねると、中級者ならひとりでも余裕で登れるとのことでした。ただ、頂上でいくつか降り口があって、まちがって反対側に降りないようにとのことでした。こちら側は大きなクレーターがあるので、間違えようがないと思ったのですが、実際にこの女性は、頂上で天候が急に悪くなって下が見えなくなってしまい、反対側に降りてしまったそうです。
その結果、長時間行ったり来たりして道に迷ってしまったので、十分気を付けるようにとのことでした。経験者からのアドバイスは貴重ですね。
ネフィン山の看板があるフリー駐車場に辿り着くと、車が2台だけ停まっていました。そのうち1台の所有者がちょうど山から降りてきたところで、この女性からもいろいろと山の情報を聞くことができました。
少し歩くと、羊たちに出会いました。ここにはかつてスコットランドから輸入したと言われている顔の黒い羊がいます。しばらく羊たちに話しかけていましたが、反応が薄かったので羊たちに別れをつげて少し歩くと、2組目の登山グループに遭遇しました。彼らはみな軽装で、途中泥のぬかるみが歩きづらかったが余裕で頂上まで登れた、と言っていました。余裕だったという言うわりには皆こわばった顔つきだったので、本当は大変だったのかも知れないと思いました。
駐車場には2台しか停まっていなかったので、2組目が下山したということは、こちらの登山口から登っているのは私だけということになります。ひょっとしたら徒歩で訪れていた地元の人もいたかもしれませんが、その時はそれは頭にはありませんでした。観光客や登山者が多ければ1人でも大丈夫だと思っていたのですが、1人きりだと思うと急に心さみしくなりました。
最初の分岐点に到着したところで休憩しました。この分岐点を右に行くように言われたので、右の森を抜けるコースを進みました。
分岐点から見える景色はなかなかいい景色です。ここからは、農村の先にあるコン湖も望めます。車の整備会社の人が、この山から見下ろすコン湖の眺めが美しいと言っていたのを思い出しました。
森を進むと、たくさんの針葉樹が岩山にたくましく生息していることに気づきます。以前アメリカ西部のヨセミテ国立公園を訪れた際にも、途中で多くの岩山を見かけましたが、岩の上には草ひとつ生えていませんでした。
ネフィン山の針葉樹林は、どういった経緯なのかは分かりませんが、岩にできた小さなひび割れの中に木の根が食い込み、その上をふかふかの腐葉土が覆っています。あまり土はない山肌なので、最低限の腐葉土で木が自生しているようにも見えました。
しかし、このようにもとから針葉樹林の森というのは、広葉樹林が主のアイルランドの古代森には珍しく、ほとんどのケースが誰かが人工的に造った森です。おそらくこの森も岩肌の斜面に誰かが少ない土を運んできて木を植えた可能性が高いと思いました。もし、それが本当なら気が通くなるような作業です。
暗い森を進むにつれ、だんだん心細さが増して行きました。それと同時に動物の糞や足跡も増えて行き、急に野生の動物に襲われたらどうしようという不安につつまれました。自分の足の大きさと比較しても結構大きな足跡が数種類ありました。
かろうじてインターネットがつながったのでスマートフォンで調べてみると、この山麓にはかつて熊を放牧した外国人がいて、その熊の子孫がいまだに棲みついているという記事を見つけました。
結局怖くなって、森を抜ける前に下山してしまいました。あとから夫にこれらの足跡の写真を見せたところ、ヤギと大型犬の足跡だと大笑いされてしまいました。野生のヤギもしくは近所の農家から逃げ出したヤギかもしれないとのことでしたが、ヤギは予想外でした。
ちなみに、熊については誰に言っても大笑いされますが、あの記事はいったい何だったのでしょう。あまりネットニュースに踊らされない方がいいということなのかもしれません。
タイタニック・メモリアルパーク
ネフィン山を下山して、麓のLahardane村に戻ってくると、メインロードの目立つところにタイタニックの犠牲者や遺族を弔うタイタニック・メモリアルパークがあります。入口から見た感じは普通の公園なのですが、中に一度を足を踏み入れると何か普通ではない不思議な感じがする公園です。
私は旅をするときにはなるべくその場所について下調べをしないようにしています。場所にもよりますが、その方がより直観的にその場所が伝えたがっているメッセージや違和感などを感じ取ることができるからです。
まず、目に入ってくるのが、タイタニック号に乗ったであろう村人の姿を生きいきと描写した銅像です。日本には、犠牲者をこのように動きのある姿で表現する銅像は滅多にないので、これには驚きました。その先にある黄金のタイタニック号の船首に向って1本の小道が続いており、船首に向って人々が歩いていく様子が簡単に想像できるような構図になっています。
私は、この人々の銅像とタイタニック号の船首をつなぐ導線に何か特別に訴えるものを感じて、迂回せずにはいられませんでした。この構図はまるで、その間の空間に簡単に足を踏み入れてはいけないような、尊いものを感じさせます。
タイタニック号の船首を模したモニュメントには、ちゃんとTaitanicの文字が刻まれています。タイタニック号は、この時代を生きた人々にとってとても豪華で夢のような船だったことでしょう。モニュメントからもワクワク感が伝わってきます。
タイタニック号沈没の惨事が彫刻と文章で伝えられています。ここまでは、多くの人達がすでに知っている情報かと思います。
およそ14名もの人達が、この村からタイタニック号に乗り沈没事故に遭遇してしまいました。おそらくこの数は、1つの村から被害者をだした数としては世界で一番多かったと言われています。なぜ、こんなにも多くの人達が1つの村からアメリカに渡ろうとしたのか、そんな違和感の理由はあとになって分かりました。
14名のうち生き残ったのは、たったの3名だけでした。亡くなった方たちの年齢を見ると、ほとんどが20代から40代の若者でした。助かったのは全員女性で、3人とも若く子どももいました。子どもや女性を優先的にライフボートに乗せたというシーンが映画の中で印象的でしたが、本当だったのかもしれません。
事故が起きた1912年当時のアイルランドの民家にあったキッチンや石づくりの家の門などが同じ敷地内に設置されており、最初はただ当時の雰囲気を出すために造られたものだと思っていました。
しかし、ただ雰囲気を出すためのものとしては、造りが大がかりで変な感じがしました。家に帰ってきて何度も撮影した写真を見ているうちに、これら全てのものは、タイタニック号の被害者の魂がいつここに帰ってきても寂しい思いをしないように造られたのではないだろうか、そんな気がしてきたんです。
私の考えすぎかもしれないと思っていましたが、写真を整理するうちに1枚のテキストの写真が見つかりました。このテキストは、タイタニック・メモリアルパークの敷地内に設置されていた石づくりのキッチンの脇に展示されていたものです。
テキストを読んでみると、大飢餓によりそれ以降数十年に渡って多くの人がより良い生活を求めてアメリカやイギリスに移住せざるを得なかったこと、そしてタイタニック号に乗ったこの村の14名もそのような理由で大切な両親や家族を置いてアメリカに渡った人達であったかもしれないようなことが書かれてありました。
亡くなった方たちのほとんどが若者であったことから、アイルランドに残されたであろう遺族の悲しみが伝わってきます。
これらキッチンや門構えのモニュメントは、すべて当時実際に使われていたものを別の場所から移動させたもので、その意図はやはり、彼らがいつ戻ってきてもウェルカムできるようにという理由であったこともテキストに書かれてありました。
アクセス
Nephin car park
- 住所:Unnamed Road, Co. Mayo
Addergoole Titanic Society (メモリアルパーク)
- 住所:Lahardane Garda Station, Lahardane, Ballina, Co. Mayo
- 電話:09651045
まとめ
敷地内にはタイムカプセルもあり、2037年に開ける予定であることが刻まれてあります。結局、このタイムカプセルにどのような意味がこめられてあるのかは分からずじまいでした。ただ、タイムカプセルにはタイムトラベル的な要素も含まれているので、おそらくは過去におきたタイタニック号に関連することなのでしょう。
タイタニック・メモリアルパークは、いたるところに謎がちりばめられており、いろいろと考えさせられる一方で、背後にはネフィン山が静かに横たわっていて、とてもピースフルな気分になれる公園でした。ぜひ、ネフィン山とあわせて訪れることをおすすめします。
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Maroon
- アイルランド在住のトラベル・ライター兼YouTuber。アイルランドから「アイルランドの田舎暮らし」の面白さを発信しています。現地では、ネイリストやネイル講師としても活動しています。