木漏れ日に包まれた世界遺産の街「コロニア・デル・サクラメント」

ウルグアイのモンテビデオから西へ約179km、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからラ・プラタ川を挟みほぼ対岸に位置するColonia del Sacramento(コロニア・デル・サクラメント)。ウルグアイに現存する街としては2番目に古い歴史あふれる港湾都市であり、その旧市街エリアは「コロニア・デル・サクラメントの歴史的町並み」としてウルグアイ初の世界文化遺産に登録されました。

今回は、ポルトガルとスペイン両国の古い建築様式が残る緑豊かな美しい街、コロニア・デル・サクラメント(以下:コロニア)をご紹介しましょう。

目次

コロニアへのアクセス

バスターミナル

首都モンテビデオとコロニアの間は、長距離バスが走っています。モンテビデオではTerminal Tres Cruces(トレス・クルセス・バスターミナル)から、コロニアではTerminal de Omnibus Colonia del Sacramento(コロニア・デル・サクラメント・バスターミナル)からそれぞれ出発。所要時間は2時間45分~3時間、日中は毎時1本程度の割合でCOT(コット)とTuril(トゥリル)の2社が交互に運行しており、当日でもまず乗り損ねることはないでしょう。

トレス・クルセス・バスターミナル

コロニア・デル・サクラメント・バスターミナル

また、コロニアへはアルゼンチンのブエノスアイレスからフェリーで移動することも可能。こちらについてはまた後日ご紹介します。

スペイン植民地の鼻先に建設されたポルトガルの街

砲台

コロニア・デル・サクラメント(以下:コロニア)は1680年、ポルトガルが支配するブラジルのリオデジャネイロ総督ドン・マヌエル・ロボによって築かれた戦略拠点で、Colônia do Sacramento(コロニア・ド・サクラメント)とポルトガル語で呼ばれていました。

ポルトガルは当時、ブエノスアイレス(当時はペルー副王領)を拠点とするスペインを相手にラ・プラタ地方の覇権をめぐり何年も争いを繰り広げたため、コロニアは両国間で領土関連条約が締結されるたびに、スペイン領とポルトガル領を行き来していたという特異な歴史があります。

コロニア・デル・サクラメント

そのため、世界遺産に登録された16haのエリアには両国の建築スタイルが混在することになりました。コロニア旧市街を歩いていると、スペインがラテンアメリカ諸国の植民地に強いた格子状の都市設計ではなく、河畔の地形に調和したより柔軟で自然な街造りであることに気づくでしょう。港から続く石畳には緑豊かな街路樹が柔らかい影を落とし、この街をさらに魅力的なものにしています。

世界遺産の街コロニアを散策

La Puerta de la Ciudadela de Colonia del Sacramento

1745年に建設されたLa Puerta de la Ciudadela de Colonia del Sacramento(コロニア・デル・サクラメント城壁門)は、コロニアでも特に重要な歴史的モニュメントのひとつ。当時のコロニアは、スペイン軍やイギリスの海賊による襲撃から街を守るための城壁で囲まれていました。1970年に古い城壁や大砲、堀にかかる跳ね橋などが再建され、当時の面影を今に伝えています。

記念碑

城壁門のすぐそばには、1995年12月6日のユネスコ世界文化遺産登録を記念する碑がありました。

Calle de Solís

300年以上前のポルトガル時代に建てられた家々が並ぶCalle de Solís(ソリスの通り)。この角地に建つ家の1階の石造りの部分はポルトガル時代、レンガを使った2階はスペイン時代のものだとか。隣の国なのに建築技法がこれほど違うなんて、とても興味深いですね。

レストラン

こちらはウルグアイ独立以降に建てられたであろう現代的な家屋を利用したレストラン。路上の錆びついたクラシックカーがいい味を出しています。

灯台

おや、この通りの左手には真っ白な灯台が!高さ制限の厳しいコロニアにあって、この構えは目を引きますね。ちょっと立ち寄ってみましょう。

166年の歴史を誇るコロニア・デル・サクラメント灯台

Faro de Colonia del Sacramento

Faro de Colonia del Sacramento(コロニア・デル・サクラメント灯台)は、そのすぐ北側にあったConvento San Francisco(サン・フランシスコ修道院)の古い塔のひとつを利用して1857年1月に建設されました(サン・フランシスコ修道院はすでに廃墟となっています)。

ウルグアイ海軍総司令部の紋章

ラ・プラタ川を航行する船舶の安全を守る大切な灯台の入り口には、ウルグアイ海軍総司令部の紋章が掲げられています。灯台の高さは26m、9秒ごとに2回放たれる閃光の視認距離は7.8海里(約14.45km)。上部へと続く階段が急なため、入場は12歳以上に限られています。

受付

灯台への入場料は$35(=USD0.92)、入れ替え制になっているため順番が来るまで外でしばらく待ちましょう。1階受付の左手には、1938年以前にこの灯台で使われていたパラフィン製ロープランタン、右手奥には1938年から1997年にかけて使用されていたアセチレンガスランタンがありました。

螺旋階段

先客が全員降りてきたところで、この狭い螺旋階段を登っていきます。

頂上

灯台の頂上に着きました。現在使用されているランタンは、再生可能エネルギー先進国のウルグアイらしく太陽光発電を利用しています。

絶景

見てください、この素晴らしい景色!岬の先端にウルグアイ国旗が掲げられ、ラ・プラタ川の沖合にはサン・ガブリエル島が見えています。

ジャングルのような景色

内陸側に目を向けると、Plaza Mayor(マヨール広場)が見えました。青々と茂る街路樹が広場や建物を覆い隠す風景は、ちょっとしたジャングルのようですね。

廃墟になったサン・フランシスコ修道院

灯台の足元には、廃墟になったサン・フランシスコ修道院があります。サン・フランシスコ修道院は1690年に建設されたものの後の大火で全焼し、石やアドベ(日干し煉瓦)といったより耐火性の高い素材で再建されました。今も残る厚さ約1mの石壁を見ると、相当堅牢な造りであったことがうかがわれます。それでもポルトガルとスペイン両国の長年にわたる抗争には抗えず、ついに瓦礫と化してしまいました。

再び旧市街を散策

マヨール広場

先ほど灯台から見えたマヨール広場へ来てみました。コロニア建設当時から存在する由緒ある広場で、周辺にはコロニアル時代の建物を利用したホテルやレストランのほか、コロニアの歴史を伝える博物館もあります。

ポルトガル総督邸跡

Plaza de Armas Manuel Lobo(マヌエル・ロボ・アルマス広場)に残るCasa del Gobernador(ポルトガル総督邸)跡。現在は屋敷の基礎部分しか残っていませんが、その広さから総督の権力の大きさが伝わってきます。広場にはFuente Portuguesa(ポルトガルの噴水)と呼ばれる18世紀の噴水のほか、スペイン語、英語、ポルトガル語で書かれた総督邸跡の解説版もありました。

サンティスモ・サクラメント大聖堂

Basílica del Santísimo Sacramento(サンティスモ・サクラメント大聖堂)。サンティスモ・サクラメントとは、カトリックにおける聖餐(せいさん=イエス・キリストの最後の晩餐、および後にその再現として執り行われてきた典礼的会食)のこと。ポルトガルがコロニアを建設した1680年と同年の建築であり、幾度もの破壊と再建を経験してきたコロニア史の生き証人です。

エル・カルメン堡塁

ポルトガルにより1745年に建てられたBastión del Carmen(エル・カルメン堡塁)は、コロニアの城壁を守る砦の一部で、その一角には1880年頃の古い煙突が残っています。現在は劇場や展示室などがある文化センターになっています。

ヨットハーバーからの眺め

エル・カルメン堡塁のすぐ西にあるヨットハーバーからの眺め。ゆったりとした時間が流れていますね。

夕方のコロニア

夕刻になると日中の強い日差しも和らぎ、コロニアで最もリラックスできる時間がやってきます。レストランのテラス席にも明かりが灯り始め、ウルグアイ産ビールやワインでテーブルを囲む旅行者の姿も増えてきました。コロニアの夜はゆったりと、穏やかに更けていきます。

本日のコロニア散策はこれにて終了。次回はコロニアで人気のレストランをご紹介します!

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原田慶子

ペルー・リマ在住ライター。ペルーの観光情報からエコやグルメの話題などを幅広く執筆。ペルーに関する情報誌等の取材協力。

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