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モンテビデオの絶景ポイント!幽霊伝説もあるサルボ宮殿
新市街と旧市街を隔てる独立広場の一角に建つ「Palacio Salvo(サルボ宮殿)」は、古い建物が多く残るモンテビデオの中でもひときわ異彩を放つ存在。ゴシック様式や新古典主義の要素を折衷的に取り入れたこのアールデコ様式の建物は、1996年にウルグアイの歴史的建造物に指定されました。
<モンテビデオのランドマーク「サルボ宮殿」>
『南米のスイス』と謳われた20世紀前半のウルグアイ。サルボ宮殿は、当時南米唯一の福祉国家として発展したウルグアイの繁栄を象徴する建物です。後の内戦や軍事政権時代にはその輝きを失い、外壁がはがれ落ちるなどの問題も発生しましたが、2017年に行われた"グラン・サルボ"と呼ばれる大改修によって、在りし日の姿を再び取り戻しました。
そんなサルボ宮殿のてっぺんから旧市街を一望するツアーがあると聞いて参加してきました。今回は観光客だけでなく、地元市民にも好評のサルボ宮殿ツアーをご紹介しましょう。
目次
サルボ宮殿について
サルボ宮殿を建てたのは、1860年にモンテビデオにやってきたイタリア移民ロセンソ・サルボの3人の息子たち、アンヘルとホセ、そしてロレンソです(ラテンアメリカでは父と息子が同じ名前というのは一般的)。不動産やテキスタイル事業で大成功を収めたサルボ家の3兄弟は、一族を受け入れ富みと繁栄をもたらしてくれたモンテビデオに、街のシンボルとなるような大型ホテルを造りたいと考えました。
同じ頃、同胞の移民であるルイス・バローロが、アルゼンチンのブエノス・アイレスで「バローロ宮殿」と呼ばれる高さ100mのビルを手掛けます。サルボ3兄弟はバローロ宮殿を設計したマリオ・パランティに建築を依頼し、バローロ宮殿を倣って完成した建物に「サルボ宮殿」と命名したのでした。
<建物のメインホールにあるサルボ宮殿の模型>
1928年10月に完成したサルボ宮殿の高さは105m。1936年にカバナフビル(ブエノス・アイレス)が完成するまでは南米一高い建物であり、また鉄筋コンクリート構造としては世界で最も高い建築物でした。
豪奢なホテル兼オフィスビルとしてオープンしたサルボ宮殿の塔端部分には灯台も設置され、モンテビデオ港を照らす灯りとして利用されました。第二次世界大戦時、港に現れたドイツ装甲艦グラーフ・シュペーをいち早く発見できたのも、この灯台のおかげだったといわれています。
しかし時代は変わり、ホテルはほどなく廃業。現在は1階が商業施設、2階以上は住宅とオフィスが入居しています。
また灯台もテレビの送信用アンテナに置き換えられ、そのアンテナも安全基準の問題から2012年末に撤去されてしまいました。その後、サルボ宮殿のアイコンだった灯台は2017年に再び蘇り、今ではLEDの灯りが輝いています。
まずは旧市街を見下ろす展望台へ!
ツアーの受付は、サルボ宮殿1階のメインホールの奥にあります。ツアー代金$400(USD10)を払うと、ツアー参加者を示す赤いリストバンドが手渡されます。
建物の年代を感じさせるエレベーター。一般市民が入居するアパート兼オフィスビルになっているので、写真を撮る時は住民への配慮も忘れずに。
すぐエレベーターに乗るのかと思ったら、建物の外へ出てしまったガイドさん。後ろをついていくと、1階のアーケードの一番奥にある通路へと案内してくれました。
建物を東西方向(独立広場側と建物の東側のアンデス通り)に貫くこの通路も、前述の"グラン・サルボ"によって建設当時の姿が再建された箇所のひとつ。ゴシック様式の天井や、天井と柱の境にあたる柱頭に施されたブロンズ彫刻は重厚で威厳に満ちており、当時はさぞかし贅をつくしたホテルであったろうと思われます。
ガイド嬢といっしょに受付のあったメインホールに戻り、エレベーターで最上階にある展望台へと向かいました。エレベーターは25階まで、27階にある展望台へは階段を上ります。一部天井が低いので頭上にご注意くださいね。
この風景をご覧ください!独立広場と旧市街、そしてその向こうに広がる海のようなラ・プラタ川まで見渡すことができます。
内部も見どころがたくさん!
展望台で絶景を堪能した後は、エレベーターで11階の屋上へ。とても熱心なガイドさんで、エレベーター内でも積極的に説明してくれました。
外から眺めるサルボ宮殿は重厚でちょっと物々しい感じがしますが、むき出しになった屋上の配管や排気口、パラボラアンテナ、塔の外壁にぶら下がるエアコンの室外機を見ていると、ここは一般の市民が暮らすアパートなんだと親近感が湧いてきます。
しかし、築100年近い建物だけあって現在の暮らしにはそぐわない部分も少なくないのでしょうか、モンテビデオの不動産情報サイトにはここの売り物件がたくさん出ていました。
1階から2階にかけて続く大階段には、モンテビデオ一の大きさを誇る40平方メートルのステンドグラスがありました。これは、1928年のサルボ宮殿完成に合わせて開催された第1回国内産業見本市を記念して作られたもの。長年のメンテナンス不足からガラスが割れたり退色したりしていましたが、それを30あまりのパーツに分解して1枚1枚丁寧に復元、2年の歳月を経て当時の輝きを取り戻しました。
こちらのロビーはアートギャラリーとして利用されるほか、ちょっとした市民講演会なんかも行われているそう。さらにロビーの床の大半を占めるグレーの部分にもご注目。小さく砕いた白とグレーの花崗岩を、1粒ずつ手で埋め込みながら作られたのだそうです。なんとも気の遠くなるような作業、人々に時間と心の余裕のあった時代ならではのアートですね。
タンゴ博物館も合わせて見学
ツアーの最後は、サルボ宮殿1階にある「Museo de Tango La Cumparsita(ラ・クンパルシータ・タンゴ博物館)」へ。ラ・クンパルシータはウルグアイの"第二の国家"として国民に愛されるタンゴの名曲です。
『サルボ宮殿ツアーなのに、どうしてタンゴ博物館へ?』と思った方にご説明しましょう。
サルボ宮殿が建設される以前、この地には「La Giralda(ラ・ヒラルダ)」と呼ばれるカフェテリアがありました。カフェテリアといっても現代のそれとは違い、そこはモンテビデオの紳士たちが集う社交場であり、文化・芸術の拠点でもありました。
1917年、ウルグアイ人作曲家ヘラルド・マトス・ロドリゲスにより「ラ・クンパルシータ」が初めて発表された場所が、ラ・ヒラルダでした。そしてそのラ・ヒラルダを取り壊して建てられたのが、このサルボ宮殿なのです。
また、大改修を行った2017年は、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの生誕からちょうと120年目でした。このような経緯で建物の一角にラ・クンパルシータ・タンゴ博物館が設置され、ツアー参加者に開放されているというわけです。
入り口には、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの人形と、「Gran Café y Confitería(大カフェテリア&菓子店)」と呼ばれたラ・ヒラルダの在りし日の風景を今に伝える写真が掲げられています。
ラ・ヒラルダ内部を再現した部屋。壁には当時の有名人・著名人の写真や似顔絵、印刷物、レコードなどが所せましと飾られていました。
古い蓄音機やカメラ、小道具も展示されており、見ていて飽きません。
ラ・クンパルシータのオリジナル楽譜の写し。マイナーな旋律を力強く奏でるバンドネオンの音色が聞こえてきそうです。
サルボ宮殿の幽霊伝説
古い建物には心霊話が付きものですが、ここサルボ宮殿も例外ではありません。多数の目撃情報があるにもかかわらず、サルボ宮殿の幽霊はいずれも背が高く、黒ずくめながら上品な身なりで、傘を手にしているという共通点があるのだそう。しかも紳士的で、入居者をびっくりさせることはあっても決して危害は加えず、危ない時には助けてくれるというのですから驚きです。
サルボ宮殿の幽霊の正体、それはサルボ3兄弟の一人、ホセ・サルボだといわれています。
1933年4月29日、実業家のホセ・サルボは車にひかれ、1週間後に亡くなりました。車を運転していたアルティガス・グィチョンは、故意ではなかったとして無罪に。しかしグィチョンは数年後、「あの事故はリカルド・ボナペルチに依頼された計画殺人だった」と自供し、世間に衝撃を与えました。というのも、ホセの義理の息子リカルド・ボナペルチはホセの財産目当てにその娘と結婚したと噂されていたからです。禁固24年の有罪判決を受けたリカルド・ボナペルチは、やがて寂しい最期を遂げたそうです。
あなたもこの宮殿で、廊下の隅にそっと立つ背の高い紳士の姿を目にするかもしれませんね。
Palacio Salvo(サルボ宮殿)ツアー
- 住所:Pl. Independencia 848, Montevideo
- ツアー開始日時:月~金10:00~16:00、土10:00~13:00 ※日曜休み
- 所要時間:約45分
- 料金:400ペソ(USD10)※英語・スペイン語ガイド付
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原田慶子
- ペルー・リマ在住ライター。ペルーの観光情報からエコやグルメの話題などを幅広く執筆。ペルーに関する情報誌等の取材協力。