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ポーランド【負の世界遺産】ホロコーストが行われた、アウシュヴッツのビルケナウ強制収容所を訪れる
第二次世界大戦中に起きたユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)。歴史としては知っていたけれど、実際にどんなものであったかは映画『シンドラーのリスト』でわかったと言う方もいるでしょう。ナチスは欧州各地に「強制収容所」を作りましたが、戦争が進むとさらに殺害を目的とした「絶滅収容所」を現在の中欧に6か所設置しました。
その中でももっとも有名なのが、ポーランド南部にあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所です。2、3km離れて建つこの2つの収容所は、ともに現在は博物館になっており、ユネスコの世界遺産に登録されています。名前はアウシュヴィッツの方が有名ですが、規模的にはビルケナウの方がずっと大きく、より多くの人々が犠牲になりました。
私は前回「たびこふれ」でアウシュヴィッツ博物館を取り上げたので、今回はもうひとつの収容所ビルケナウの方を紹介してみますね。
>ポーランドの「負の世界遺産」ホロコーストが行われたアウシュヴィッツ強制収容所を訪れ平和とは何かを考えてみようはこちら
目次
- ビルケナウ博物館を見学するには?
- アウシュヴィッツより大きいビルケナウ収容所
- 大戦末期に収容所で起きた反乱
- 終戦を前に急ピッチで行われた虐殺
- 復元された収容所施設で当時の様子を知る
- ガス室跡で悲劇の重みを感じる
- 「負の遺産」から学ぶこと
- ビルケナウ博物館へのアクセスとチケットの買い方は?
ビルケナウ博物館を見学するには?
<ビルケナウに現在残る建物は再建されたもの>
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館があるのは、ポーランド第2の都市クラクフから西へ約54kmの地方都市オシフェンチウム(ドイツ語名「アウシュヴィッツ」)です。クラクフからのバスは1時間半ほどでアウシュヴィッツ博物館の前に止まります。チケットは両博物館共通で、基本的にはガイドツアーで回ります。観光シーズンは非常に混み合うので、チケットは事前にネット購入しておきましょう。
日本語ツアーもありますが、こちらは完全事前予約制で、かなり人気なので早めの予約を。私は公式サイトから予約ができる英語ツアーに参加しました。見学はアウシュヴィッツ→ビルケナウの順でまわります。アウシュヴィッツ博物館の見学はおよそ2時間。立ちっぱなしなので少し疲れるかもしれません。見学が終わると、ツアー参加者たちは無料シャトルバスに乗り、2kmほど離れたビルケナウ博物館へ移動します。
アウシュヴィッツより大きいビルケナウ収容所
<証拠隠滅のため多くの建物が破壊された>
アウシュヴィッツ強制収容所のオープンは1940年5月。しかしすぐに手狭になり、翌1941年10月に隣のブジェジンカ村にビルケナウ収容所が建設されました。最大で2万人を収容したアウシュヴィッツに比べ、このビルケナウ収容所は東京ドーム約37個分という広大な敷地があり、最大9万人を収容しました。各地から効率よくユダヤ人を輸送するため鉄道が敷かれ、戦争末期には収容者を乗せた貨車が直接ビルケナウ収容所に乗り入れました。この2つの収容所に収容されたユダヤ人の数はおよそ110〜150万人。しかしそのうち助かった者は5万人程度。残りはすべて殺害されしまったのです。
大戦末期に収容所で起きた反乱
<森に逃げ込んだ者もそのほとんどが助からなかったという>
ビルケナウには6つのガス室が作られ、効率よく人々を"処理"するためにおぞましい研究が重ねられました。殺害は仕事として、システマチックに実行されていたのです。収容所を管理していた親衛隊は、膨大な死体の処理をユダヤ人たちから選んだ「ゾンダーコマンド」と呼ばれる特殊部隊に行わせていました。しかしゾンダーコマンドもまた、秘密保持のために数ヶ月単位でガス室に送られていたのです(最終的には13期まであったと言います)。
1944年10月、ソ連軍が迫る中、自分たちが"処理"されるいう情報を聞いたゾンダーコマンドたちがビルケナウ収容所で反乱を起こします。この日のことはアカデミー外国語映画賞を受賞した映画『サウルの息子』でも描かれています。反乱は失敗し、その結果400人以上のゾンダーコマンドが射殺されました。しかしビルケナウ収容所のゾンダーコマンドたちが密かに入手していた筆記用具やカメラを地中に埋めていたので、収容所の様子が後世に伝えられました。ナチスは収容所を閉鎖する際にすべての証拠を焼却していたので、これが貴重な資料になったのです。
終戦を前に急ピッチで行われた虐殺
<引込み線の最終地点。ここでユダヤ人たちは貨車から降ろされた>
見学者を乗せたシャトルバスは、アウシュヴィッツ博物館から10分ほどでビルケナウ博物館の前に着きました。ナチスは証拠隠滅のためこの収容所の大半を破壊しましたが、その後、博物館として建物が復元されます。監視塔のある正門のある建物から敷地内に入ると、貨車の引込み線が奥まで続いていました。ビルケナウ収容所の象徴とも言えるこの引込み線が完成した1944年5月には、ドイツは東部戦線では退却を始めており、翌6月には連合軍がノルマンディーに上陸して西部戦線が開かれます。8月にはワルシャワ蜂起が起き、ソ連軍が迫っていたこともあり、ナチスはユダヤ人の絶滅を急ピッチで進めます。貨車から降ろされたユダヤ人たちは収容されることなくそのままガス室へ、あるいは森に掘らせた穴に直接落とされて銃殺されたのです。
復元された収容所施設で当時の様子を知る
<冬は暖をとるため、ベッドを壊して燃やした者もいるという>
線路を横目で見ながら、ガイドの引率で敷地内に復元された建物の中のひとつに入りました。粗末な三段ベッドが並んでいます。この辺りの冬の気温はマイナス10度になり、人々がここで寒さに震えていたかと思うと気が重くなります。収容施設を出た後、ガイドツアーは解散になりました。後は各自、ビルケナウの敷地内を見学して、またシャトルバスでアウシュヴィッツまで戻ることなります。私は線路の奥の方まで行ってみることにしました。
ガス室跡で悲劇の重みを感じる
<この瓦礫の下で何万人もの人々が殺された>
森に近いところに、壊れたガス室の跡がありました。スロープで地下に降りたユダヤ人たちが、二度と生きて戻ることができなかった場所です。アウシュヴィッツではガス室と焼却炉は復元されていましたが、ここでは壊れたままでした。ホロコースト学者が1996年にホロコースト否定論者から訴えられた裁判を描いた映画『否定と肯定』では、弁護士がその学者とともにこのガス室の跡に立つ印象的なシーンがあります。現代でも「ホロコーストはなかった」と主張するものがいるのです。しかしここに立つと現実の重みの前に、否定論者の浅はかさを思い知ります。
「負の遺産」から学ぶこと
<単なる用水池のように見えるが...>
線路は森の前で途切れていました。ここが移送されてきたユダヤ人たちの最終地点となったのです。近くに池があり、その前には慰霊碑が立っていました。これは自然の池ではなく、殺されたユダヤ人たちが埋められていた跡です。戦後、掘り起こされて遺体は収容されましたが、穴に水がたまり、今は池になっているのです。森と収容所との境界は、高圧電流が流れていた鉄条網でした。それを越えたら助かることができたのでしょうか。しかし監視塔のドイツ兵は容赦なく銃弾を浴びせたでしょう。
森を前にし、振り返って収容所入り口の方を見ました。大殺戮が行われたにもかかわらず、静かに佇んでいる建物からはおどろおどろしさは感じられません。それはここが、人間性が喪失されていた場所だからでしょうか。「過去の出来ごと」と思いたいですが、今の世でも今後同じことが起きないとも限りません。そんな警告を伝えるためにも、「負の遺産」を保存する事が必要なのです。人間は失敗から学ぶ事ができるはずなのですから。未来のためにも、アウシュヴィッツ博物館と合わせて訪れることをおすすめします。
ビルケナウ博物館へのアクセスとチケットの買い方は?
<クラクフ市内から日帰りで訪れることができる>
アウシュヴィッツ・ビルケナウへの基点となる都市は、ポーランド第2の都市クラクフです。クラクフへは首都ワルシャワのほか、ヨーロッパの諸都市から航空便が出ています。クラクフ市内にはアウシュヴィッツ・ビルケナウを訪問する日帰りツアー(英語あり)を催行している旅行会社が数多くあります。言葉が不安なら、日本語ガイド付きのツアーを催行している会社もあるので利用してみるといいでしょう。
個人で行く場合は、クラクフ鉄道駅に隣接したバスターミナルから、1時間に1〜2便程度オシフェンチウム(アウシュヴィッツ)行きのバスが出ています。所要約1時間半。オンシーズンには満席のこともあるので、時間よりも早めに行くことをお勧めします。ビルケナウ博物館へは、アウシュヴィッツ博物館の駐車場から無料のシャトルバスで向かいます。ツアーではアウシュヴィッツ博物館見学後に向かうことになります。帰りはまたシャトルバスでアウシュヴィッツまで戻り、クラクフ行きのバスに乗り換えます。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
- 施設名:Auschwitz-Birkenau Memorial and Museum
- 公式HP:http://auschwitz.org/en/
- 電話:+420 326 551 049
- 開館時間:12月7:30~14:00、1・11月7:30~15:00、2月7:30~16:00、3・10月7:30~17:00、4・5・9月7:30~18:00、6〜8月7:30~19:00。
ただし1〜3・11月10:00~13:00、4〜10月10:00~16:00、12月10:00~12:00はガイドツアーでのみ入場可なので注意。ガイドツアーの催行時間はウエブサイトを参照のこと。
英語ツアーの場合、冬期は1日数回だが、4〜10月は15〜60分おきにある。予約が望ましい。身元確認のため、要パスポート持参。 - 定休日:1月1日、12月25日、聖日曜日
- 入場料:無料だが、ガイドツアーは有料。各ツアー定員があるので、あらかじめウエブ予約が望ましい。アウシュヴィッツとビルケナウの両方を回る3時間半の英語ツアーの場合、1人60ズウォティ。
日本語公認ガイドによるツアーは予約のみで、料金は当日の参加人数による。申込は日本人ガイド中谷さんまでメールで問い合わせnakatani@wp.pl
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前原利行
- 東京出身で、現在は神奈川在住。今までに訪問した国はアジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど90か国以上。現在は海外旅行や映画、音楽、アートに関する、ライター及び編集者として活動中です。一番多く訪れているのはインドで、仕事も含めて20回以上。プライベートではロックミュージックや映画、そして世界史好きなので、欧米旅行も多く、映画のロケ地や音楽フェス、ロックの聖地、世界史の場所など、テーマを持った旅をしています。