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滋賀県の長浜城跡とは? 太閤・豊臣秀吉が建てた初の城の魅力に迫る
琵琶湖のほとり東岸、長浜市に位置する長浜城跡。長浜城は豊臣秀吉によって建てられた城ですが、現在はその存在はありません。戦国時代、数々の戦で舞台となったこの場所は、長浜城歴史博物館に姿を変えて、現代の人々にその歴史を語り継ぐ役割を担っています。長浜城はどのようにして建てられたのか、どんな歴史を見守ってきたのか、現代に至るまでの経緯をご紹介します。
目次
- 1. 長浜城の歴史
- 1.1 憧れの織田信長に裏切られた小谷城の城主、浅井長政
- 1.2 織田信長と浅井長政が同盟を結ぶ
- 1.3 恐れていた信長と長政の対立
- 1.4 秀吉の長浜城が完成
- 2. 長浜城歴史博物館で歴史を探ろう!
- (1階)グッズ、チケットを購入できる
- (2階)湖北、長浜のあゆみを紹介
- (3階)秀吉と長浜の歴史を紹介
- (5階)戦国パノラマ展望台
- 3. 長浜城の築城時に身を捧げた「おかねさん」の「おかね堀」跡地
- 4. 長浜城跡周辺の見どころ! 竹生島・竹生島神社・宝厳寺
- 5. 長浜城のまとめ
- 6. 長浜城歴史博物館の基本情報
1. 長浜城の歴史
長浜城の歴史について説明していきます。
1.1 憧れの織田信長に裏切られた小谷城の城主、浅井長政
浅井長政(あさい ながまさ)という戦国大名は、長浜城ができるまでの時代に活躍した人物です。天文14年(1545年)に現在の滋賀県近江八幡市で生まれた長政は、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国の南部を支配していた、六角氏(ろっかくし)という守護大名の支配下にありました。しかし長政が16才の頃、臣従関係だった六角氏と対立。初陣の長政が見事勝利し、六角氏を下しました。
1.2 織田信長と浅井長政が同盟を結ぶ
その噂を聞きつけた織田信長は、浅井長政と「同盟を組もう」と話を持ちかけました。信長に憧れていた長政にとっては良い話でしたが、長政が以前から友好関係にあった越前国の戦国大名、朝倉義景(あさくら よしかげ)と信長は不仲でした。そこで長政は、「朝倉氏に戦を仕掛けない」という条件を出し、織田信長と同盟関係を結ぶことにしました。信長は自らの妹である「お市」を人質として、長政の妻にしました。その二人の間に生まれたのが、後に豊臣秀吉の側室となる「茶々(淀殿)」だったのです。
1.3 恐れていた信長と長政の対立
しかし、信長は長政との約束を破り、朝倉氏へ戦を仕掛けてしまいました。この動きに長政も反発。やがて信長と長政も対立していきます。長政は名前の一文字を信長の「長」から取るほど信長に憧れていたということですから、対立は不本意だったことでしょう。その後長政は、信長と敵対している朝倉義景とともに戦略を練り、信長を挟み撃ちにしようと考えていましたが、その企てが事前に漏れてしまい、作戦は失敗に終わりました。
天正元年(1573年)、信長は遂に朝倉氏を滅ぼし、その足で長政のいた小谷城にも攻め込みました。浅井家三代目にして戦国大名にまでのぼりつめた長政でしたが、29才の若さで自害し、三代続いた浅井氏は滅亡しました。その頃、横山城を守っていた木下藤吉郎(きのした とうきちろう)、後の豊臣秀吉は、小谷城が落城する際にお市と三人の娘を救出したのです。
朝倉氏の打倒に貢献した秀吉はその功績を称えられ、浅井長政の旧領のうち、12万石の領地が与えられました。その際に名を羽柴秀吉(はしばひでよし)とし、戦国大名として出世していくのです。
小谷城と長浜城は12キロ程しか離れていませんが、琵琶湖からは少し距離があり、交通の便が悪かったことから、秀吉は現在の長浜市である「今浜」に城を作り始めます。築城の際に竹生島から材木を運んできたこと、領地の住民を集めてきた事などは古文書に残っていますが、長浜城の設計図や絵図面などは残っておらず、多くは謎に包まれたままです。ただし、長浜城内から水門を通って琵琶湖へ船が出せるようになっていたことだけは、記録に残っているのだそうです。
1.4 秀吉の長浜城が完成
天正3年、遂に秀吉の城が完成し、地名を「今浜」から「長浜」に改名しました。
秀吉はそれまで居た小谷城から長浜城へ移り住み、城持ちの武将となったのです。本能寺の変で信長が敗れた後、長浜城は一時的に柴田勝家(しばたかついえ)の甥、勝豊(かつとよ)が城主となりましたが、その後再び秀吉の手に戻ります。
豊臣氏が滅亡し、江戸時代になってからは、徳川家康の家臣であった内藤信成(ないとう のぶなり)が城主となりました。その後、息子の信正が城主になってからは領地を「摂津国(せっつこく)」に移すこととなり、長浜城は取り壊されて廃城となりました。この時に残った石垣などの多くが彦根城建設の際、材料として使われたのだそうで、彦根城の大通寺台所門・知善院表門・彦根城天秤櫓(てんびんやぐら)は、長浜城から移築したものだと言われています。
2. 長浜城歴史博物館で歴史を探ろう!
では、実際に長浜城歴史博物館へ行ってみましょう。コンパクトで落ち着いた雰囲気の長浜駅からスタートです。長浜城は長浜駅から歩いて7分ほどの距離ですので、アクセスは抜群です。
車で行く場合は、広い駐車場もあります。普通車は3時間まで無料です。
案内板に従って進んでいくと長浜城跡歴史博物館の説明書きがあります。
説明書きによりますと、構造は鉄筋コンクリート造り、面積は1,836平方メートル、総高33.9メートルで、昭和58年の4月5日に開館したのだとか。
更に進むと、階段の先に天守閣を再現した「長浜城歴史博物館」が見えてきます。
(1階)グッズ、チケットを購入できる
博物館入り口には、日本史好きにはたまらないおもしろいグッズがたくさん!チケットもここで購入できます。
入館料は大人400円、小中学生が200円。長浜市内・米原市内の小・中学生は無料で入館できるそうです。
滋賀や長浜城、ゆかりのある人物に関する資料がずらりと並んでいて、実際に購入することもできます。
2階:湖北、長浜のあゆみを紹介
2階へ進むと、湖北・長浜の歴史と文化が紹介されています。定期的に展示替えが行われていて、毎回違った見方で歴史を学ぶことができます。今回は、「近江宮川藩と歴代藩主たち」が紹介されていました。
(3階)秀吉と長浜の歴史を紹介
3階は秀吉と長浜がテーマ。階段を上がってすぐの場所に、長浜城築城中のミニチュア模型が展示されています。作業をする人や監視役、細かい動きなどが詳細に表現されており、機械も何もなかった当時において、手作業の大変さがよく伝わってきます。色々な資料が展示されている中で、特におもしろいと感じたのが「秀吉の履歴書」。スペースが足りないぐらいびっしり書かれた経歴は、さすが歴史に名を残す人物・豊臣秀吉だと、改めてそのすごさを感じられます。
※4階の茶室は講演会、講習会用の有料施設
(5階)戦国パノラマ展望台
5階への階段を上がると、滋賀を一望できる展望台があります。
天気が良ければ、石田三成の出生地(石田町)や伊吹山、横山城址なども見られます。
こちらは琵琶湖側の眺めです。何度見ても湖とは思えないほどの広さに圧倒されます。秀吉も同じように、この美しい琵琶湖を眺めていたのでしょうか。
博物館正面入り口を上から見下ろした景色です。
お城の周りを散策してみました。こちらは長浜城本丸跡で、大きな石と松の木もあります。
3. 長浜城の築城時に身を捧げた「おかねさん」の「おかね堀」跡地
長浜城跡といえば、お城のために自らの身を捧げたある女性、「おかねさん」の伝説が有名です。昔、お城を築城する際には「人柱(ひとばしら)」と呼ばれる風習がありました。人身供養の一種で、何か大きな建造物を立てる際に、災害や敵の襲来で崩壊しないよう、神様に祈願するのが目的でした。この長浜城の築城の際にも、長浜一の美女と言われていた「おかねさん」が選ばれ、自らの命を捧げました。かつて北側にあったお堀の辺りと言われ、「おかね堀」と呼ばれていたそうです。
長浜城の石垣と思われる、約30個の巨石が30メートルに渡り発見された場所です。現在は埋め立てられてしまい、見ることはできません。
4. 長浜城跡周辺の見どころ!竹生島・竹生島神社・宝厳寺
長浜城の周辺には、かつて活躍した戦国武将達ゆかりの神社仏閣や古戦場、城址などの観光スポットがたくさんありますが、中でもぜひ訪れてほしいのが「竹生島(ちくぶしま)」です。琵琶湖の北部に浮かぶ周囲2キロの小島で、古来より「神の宿る島」として多くの人々に信仰されてきました。島内には竹生島神社や宝厳寺(ほうごんじ)があり、パワースポットとしても知られています。
竹生島神社は江島神社、厳島神社と並んで「日本三大弁財天」とされています。弁財天の他にも「浅井姫命」が主祭神となり、年に一度、6月10日に「三社弁財天祭」が竹生島神社で行われています。神社の本殿は、今から約450年前に伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、国宝に指定されているのだとか。
宝厳寺の創建は神亀元年(724年)。聖武天皇が天照大神より、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受ける夢を見て、建立したのが始まりだと言われています。
竹生島の基本情報
- 住所:滋賀県長浜市早崎町
- 入島料:大人400円、小人300円
- アクセス:
JR「長浜駅」より徒歩約10分、長浜港から竹生島行き観光船で約30分
JR「近江今津駅」より徒歩約5分、今津港から竹生島行き観光船で約25分
JR「彦根駅」からバスで約20分、彦根港から竹生島行き観光船で約40分 - HP:竹生島
竹生島神社の基本情報
- 参拝時間:9:00〜16:00
- 参拝料:無料
- HP:竹生島神社
宝厳寺の基本情報
- 宝物殿拝観料:大人300円、小人250円
- ※入島には竹生島への乗船料(往復)が別途必要
- 拝観・納経時間:9:30〜16:30(観光船就航時間に基づく)
- HP:宝巌寺
5. 長浜城のまとめ
長浜城跡は知れば知るほど奥が深く、「もっと深く知りたい!」と探求心をかきたてられる場所。普段の生活で歴史を深く感じる機会はありませんから、長浜城歴史博物館のように、日本の歴史を身近に感じられる場所を訪れてみると、多くの学びがあるでしょう。
長浜市には有名な歴史上の人物のゆかり場所、遺跡、神社仏閣などがあり、教科書には出てこないようなおもしろい歴史がまだまだありそうです!歴史散策が好きな方は、ぜひ長浜に足を運んでみてください。
6. 長浜城歴史博物館の基本情報
長浜城歴史博物館の基本情報
- 住所:滋賀県長浜市公園町10-10
- 参拝時間:9:00〜17:00(入館受付16:30まで)
- 定休日:年末年始(12/7〜1/2)を除き、年中無休 ※展示替等による臨時休業あり
- 入館料:大人400円、小・中学生200円
- 駐車場:豊公園駐車場(普通車3時間無料)
- 車でのアクセス:高速道路北陸自動車道 長浜ICから車で15分
- 電車でのアクセス:JR琵琶湖線(北陸本線)長浜駅から徒歩7分
- HP:長浜城歴史博物館
【滋賀一口メモ】
滋賀には長浜城歴史博物館以外にもさまざまな観光スポットがあります。彦根城や琵琶湖などの観光名所から、比叡山延暦寺や近江神社、多賀大社などの神社・仏閣もたくさんあります。格安ツアーから豪華ホテルに泊まるツアーまで、たくさんのプランが用意されているので、ぜひチェックしてみてください。
<日数と費用>(関東発目安)
●旅行日数:2~4日間
●ツアー費用:約20,000円~約84,000円
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橋本 晶子
- 和の文化が大好き、富山生まれ田舎育ちの旅行ライター。オーストラリアワーキングホリデー経験あり。外国語専門学校卒業後上京し、関東を中心に日本全国の神社仏閣を巡り日々研究を続け、現在は主に神社仏閣旅行ライターとして活躍中。