ペルー・オリャンタイタンボ遺跡はマチュピチュに行くなら必ず訪れたいインカの村

オリャンタイタンボ遺跡 ペルー

クスコから車で2時間、有名なインカの聖なる谷の最西端に、今でも地元の人が暮らしていて、当時の面影が残っている美しい村・オリャンタイタンボがあります。標高2,800mに位置するこの村は高くそびえる山々に囲まれ、神秘的な石畳の道、洞窟、インカ遺跡など、見どころがたくさんあります!

この村の上には、同じ名前のオリャンタイタンボ遺跡があります。素晴らしい石造りのインカ時代の建造物で、村からも見ることができる斜面に、巨大な岩を積み上げて作られています。

そんなオリャンタイタンボ遺跡が素晴らしかったので、今回はここで紹介していきたいと思います。

目次

オリャンタイタンボ遺跡の素晴らしさは目を見張る

オリャンタイタンボ遺跡 太陽の神殿
<太陽の神殿>

一番有名なのはやはりマチュピチュですが、オリャンタイタンボの遺跡は目をみはるほど素晴らしい太陽の神殿が残っていて、マチュピチュにも勝るとも劣らない大変素晴らしい遺跡でした。

マチュピチュ遺跡やクスコでの経験については、以前の記事でも紹介しています。
>>以前の記事:反政府抗議デモの最中に世界遺産のマチュピチュ遺跡へ【ペルー】

巨大な石を切り出して運んで、剃刀も通さないほど精密に削られた石を繋ぎ合わせて作られた神殿。今の技術ではここまで復元できないくらいのすごい技術だそう。

そんな素晴らしいインカの匠の技を見るのも楽しいです。

マチュピチュに行く途中に必ず通る場所なので、一泊してゆっくりと遺跡巡りをするのがおすすめです。

村から見えるオリャンタイタンボ遺跡
<村から見える遺跡も絶景>

村からは、山の斜面に建設されたオリャンタイタンボ遺跡が眺められて、感動的です。

今回は遺跡の建物の説明などは置いておいて、オリャンタイタンボ遺跡に残る歴史やラブストーリーが面白かったのでその辺りを掘り下げていきましょう!

オリャンタイタンボ遺跡の歴史

オリャンタイタンボ遺跡
<オリャンタイタンボ遺跡の階段から>

オリャンタイタンボはインカ帝国のパチャクテク(1418~1471年)の支配時代にさかのぼります。彼の指導のもと、帝国はチャンカス、チンカス、チムーなどの、より古くて大きな文明を征服することによって急速に拡大しました。敵地の近くに、要塞化された村を建設して攻め落とすための準備を進めたのでしょう。オリャンタイタンボはそのような前哨地の1つであったはずです。なんだか映画の正解ですね!

インカ時代、オリャンタイタンボは、"聖なる渓谷"の北西入口へのアクセスを制御する重要な都市でした。ここは、トウモロコシが栽培され、ウルバンバ川の肥沃な平野で農業の中心地でもありました。

オリャンタイタンボは、インカが征服者に対して最も重要な軍事的勝利を収めた場所でもあります。スペインが侵略していた時代、インカ帝国最後(15代)の皇帝であったマンコ・インカが率いる、撤退するインカ軍は、オリャンタイタンボの要塞化された段丘の足元にあったトウモロコシ畑を水没させることに成功しました。進行中のスペインの騎兵は泥に足を取られ、上から投げられる岩石に耐えられませんでした。

オリャンタイタンボ遺跡のテラス
<オリャンタイタンボ遺跡のテラス、奥には村が見える>

インカは、長期的にはスペイン人の戦馬と武器には勝てないことに気づき、最終的にジャングルの奥深くに逃げて、ビルカバンバに向かわなければなりませんでした。

その後、インカの攻防は続きましたが、結果は最先端の武器を持ったスペイン人に支配されることになっていきます。中南米の歴史は、ヨーロッパからの侵略の歴史を知ると興味深いストーリーがたくさん出てきます。

ラブストーリーが残るオリャンタイタンボ伝説

オリャンタイタンボ遺跡
<プラットフォームを繋ぐ廊下のような道>

オリャンタイタンボとその要塞は、インカ帝国第9代皇帝パチャクテック(1418~1471/1472)の大規模な建築計画によるもので、インカの領土をクスコ周辺から広大な帝国に拡大しました。オリャンタイタンボの町は、インカ時代のラブストーリーの伝説にもつながっています。

インカのパチャクテックが最も信頼していた平民出身の戦士であるオリャンタイ将軍が、インカ軍の将軍としての功績が認められ、重要な貢ぎ物をもらったといいます。その儀式の最中、オリャンタイ将軍は一人の美しい女性に心を奪われてしまいました。インカのパチャクテックの娘の一人であるクシ・コイルールです。

インカの血筋を持つ者同士の結婚しか許されない帝国の掟から、この関係が2人の秘密のロマンスの中心軸となります。もちろんオリャンタイ将軍は王家の血を引いていなかったため、ロミオとジュリエット状態!

オリャンタイ将軍はインカの前に現れ、王女との結婚を申し込みました。しかし、パチャクテックはこれを拒否しました。そして、怒ったパチャクテックはオリャンタイ将軍を解雇し、娘を太陽の処女院に追放してしまいました。

それまで二人の恋は秘密にされていましたが、やがて二人の子である娘ユマ・スマックが誕生します。子供もできてしまい、どうする!?という感じでストーリーが進んでいきます。

6月に、このオリャンタイタンボ遺跡でこのラブストーリーの演劇が見られるようなので、オリャンタイ将軍とプリンセス・クシの恋の行方が気になる方はチェックしてみては!?

>>「Ollantay Raymi, a story of forbidden love(オリャンタイ・ライミ、禁断の愛の物語)」の詳細はこちら

このことから、オリャンタイタンボの村は彼の名を冠して名づけられました。

オリャンタイタンボ遺跡のまとめ

オリャンタイタンボ遺跡の歴史と、今でも語り継がれるラブストーリーいかがでしたでしょうか?

遺跡に行っても、そういったドラマがあったのがここなのか~!と想いを馳せると楽しいですね。

オリャンタイタンボ村
<オリャンタイタンボ村の民家の間の小道>

この写真は、オリャンタイタンボ村に泊まった時に、今でも昔の石造りを生かしてそのまま人々が住み続けている、素敵なジブリのような世界に感動したので撮影しました。

大きな石で作られた門のお家は、位の高い人が住んでいたそうです。そんな村に泊まるのも楽しい経験です。

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Ai Nishino

メキシコ大好きな旅するフォトブロガー。25歳の時に、青年海外協力隊としてタンザニアで2年間職業訓練校にて活動。そして、バックパッカーに。英語、スワヒリ語を話し、スペイン語を習得中です。ライター、デザイン、翻訳などをして海外ノマド旅中。AiWorld Exploreというサイトを運営。

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