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【レバノン③】地中海との調和が美しい遺跡
こんにちは。レバノンシリーズ第3回目です。
レバノンの地中海沿いには古代の海洋民族「フェニキア」の都市が基になった遺跡が点在しています。今回は特に印象的な3つの遺跡をご紹介します。
ひとつめは首都ベイルートから北に位置するレバノン第2の都市トリポリ、続いてベイルートから南下し地中海と十字軍が手掛けた城塞との調和が美しいサイダ、さらに最南部に位置するスールを訪れます。
今までの記事は下記リンクからお読みください。
>>【レバノン①】"レバノン"ってどこ?
>>【レバノン②】"聖書"の語源になった遺跡
目次
レバノン第2の都市トリポリ:セント・ジル要塞と旧市街
首都ベイルートから北に90km、レバノン第2の都市「トリポリ」もフェニキア人ゆかりの都市です。地元の人びとからは「トラブロス」と呼ばれています。
トリポリとはギリシャ語で「トリ=三つ」、「ポリス=都市」の意味です。由来としてはトリポリの街が三つに分かれていたからとか、有力であったフェニキアの三都市(レバノン南部のサイダ、スール、現在のシリアの沖合に浮かぶタルトゥース島)が同盟して交易所を置いたからとも伝えられています。
十字軍を率いたフランク王国レイモンド伯によって12世紀に建造された「セント・ジル要塞」。そこからトリポリの街並みと遠くに地中海を眺めることができます。十字軍はその後エジプトを中心としたマムルーク朝によって攻略されますが、トリポリは14~15世紀にかけて整備され、現在でも当時の街並みが「旧市街」として残されています。
中東に古くからある町は旧市街と新市街のふたつの顔を有しています。
旧市街はその名のとおり古くからある町の一帯で、町は敵からの攻撃を避けるため防御を兼ね周囲を城壁によって囲まれていました。人びとの往来は門によってのみ行われ、まさしく日没閉門の世界でした。
時代を経て現代になるにつれ経済活動も活発になっていきました。時代が新しくなった時に新市街は造られました。また、旧市街を閉ざしていた門扉は開かれ隔てていた城壁も崩されてしまいました。しかし、今でも旧市街は当時の面影を留めておりトリポリ旧市街も中東を代表する町並みひとつです。
トリポリ旧市街には12世紀の建物や14~15世紀のマムルーク朝時代の建物が残っています。今でもイスラム教礼拝所(モスク)や、イスラム教神学校(マドラサ)からは祈りを捧げる願いの声が響き、人びとの活気みなぎる市場(スーク)やかつてキャラバンサライが宿泊した隊商宿(ハーン)、現役で使用されている公衆浴場(ハマム)があります。
レバノン南部の中心地サイダ:海の城壁
首都ベイルートから南へ行きますと現在のパレスチナ、イスラエルにフェニキア人ゆかりの都市があります。
ここは「サイダ」です。サイダはレバノン南部最大の都市となりかつては「シドン」と呼ばれていました。紀元前4000年前には人が住んでいたと言われ、紀元前12~10世紀にはフェニキア人の主要な港として発展を遂げます。
フェニキアのあともバビロニア、ペルシャ、ローマ、イスラム、十字軍...と支配者は変わっていました。それでもサイダの港は通商上、防衛上とも要衝であり続けました。時にイエス・キリストもサイダを訪れおり、その使徒であるパウロもローマへの船旅の途中でサイダに立ち寄っています。
レバノンの地中海沿いの町はどこも歴史があり、また開かれた雰囲気があるのですが、そのなかでもサイダは「海の城壁」と呼ばれる城砦が有名です。サイダのフェニキア人の手によって造られたメルカルト神殿をもとに、1228年に十字軍が港の防衛のために改造された城砦は、地中海に張り出して造られており、城砦内は海を一望することができます。
堤防を歩いて、海に張り出している城砦に向いますので、地元の人にも人気があります。海の城砦のなかに入り地中海を背にして振り返ると、対岸には紀元前からの歴史を有するサイダの街並みが広がります。
レバノン最南部の都市スール:海の遺跡ティルス
首都ベイルートから南に80km、観光で訪れることのできる、レバノン最南部の都市が「スール」です。
現在の地名はスールですが、世界遺産には遺跡名である「ティルス」が登録されています。
スールはフェニキアの最南端に位置しています。古代には「ツロ」、または「ティール」と呼ばれたフェニキアの都市国家となっており、紀元前10世紀にツロのヒラム王が沖合に浮かぶ小さな島に港を築いたのが始まりです。旧約聖書にも地名が記されており、また新約聖書ではイエス・キリストが訪れています。
スールも地中海交易で名を馳せますが、紀元前332年にアレキサンダー大王の手によって港がある島と町に堤防を繋げられてしまいました。7ヶ月に渡ってスールは包囲されてしまいあっという間に攻略されてしまいました。
紀元前64年にローマの属州になってもスールは重要視され、ローマ時代に造られた遺構が街中に残ります。
古代フェニキアの港に向かって造られた列柱通りや紀元2世紀建造の高さ20m、幅10mのハドリアヌス帝の凱旋門や少し離れた場所には長さ500m、幅160m、2万人を収容できたと伝えられる競技場があります。地中海に向けて往時を偲ばせてくれる姿は「海の遺跡」と呼ばれています。
スールにある遺跡「ティルス」は1984年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。その理由として激化するレバノン内戦から遺跡を保護するためだったと言われています。
最後に
地中海沿いに広がる南北のレバノンの遺跡を3つご紹介しました。
人々の交易の歴史とともに海沿いに広がる遺跡は多数ありますが、レバノンにあるフェニキア人ゆかりの遺跡は海との距離感が特に近い気がします。偉大なる内海である「地中海」に面してフェニキア、ペルシャ、ローマ、十字軍、イスラム、フランス...と支配者が移ろいながらも歴史を築いてきたレバノンの遺跡はどことなく開放感があり、現代のレバノンの人びとにも通じているかのようです。
周りを海に囲まれた島国育ちの身として「遥かなる古代から、人びとは海に向かって行き、歴史を作り出したのか...」と感慨深いものがありました。
みなさん、レバノンの遺跡は海沿いだけではありませんよ。
次回は地中海を離れて内陸に進み、レバノン山脈を越えた巨大な神殿を訪ねます。
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