【レバノン④】見るものを圧倒させる巨大遺跡

レバノン 彫り彫刻

レバノンシリーズもいよいよ最終回です。

最終回はまさにレバノン観光のハイライトといってもおかしくない世界文化遺産にも登録されている遺跡「バールベック」を取り上げます。バールベックはシリアにある「パルミラ」、ヨルダンの「ペトラ」、イランの「ペルセポリス」と同様に中東を代表する遺跡です。見るものを圧倒するのは規模だけではなく、その保存状態の良さでも知られています。また同じく世界文化遺産である遺跡「アンジャール」もご紹介します。

今までの記事は下記リンクから飛べますのでぜひご覧ください。

目次

首都ベイルートから東へ、ローマの繁栄を支えた穀倉地帯に向かって

レバノン バールベックに向かう途中にある、切り出されたままの「オベリスク」

レバノンの首都ベイルートから東へと国道30号線が続いています。国道30号線は通称「ベイルート・ダマスカス街道」と呼ばれ、旧約聖書にも記されたシリアの首都「ダマスカス」まで約120kmあります。ベイルート・ダマスカス街道は途中でレバノン最高峰を擁する「レバノン山脈」を越えて、「ベカー高原」の中心都市「シュトゥーラ」に到着します。

ベカー高原は中東のなかでも、一部の方にとっては緊張感がよぎる地名かも知れません。しかし、シュトゥーラ周辺を含めたベカー高原はかつては穀倉地帯としてローマの繁栄を支えていました。現在はワイン用のブドウの栽培が盛んな地域です。

どこか日本の山梨や長野のブドウ畑の風景を連想させるようなのどかな田園風景が続いています。

レバノン 「ジュピター神殿」には6本の大列柱が残るのみ

レバノン杉で知られるレバノン山脈内の中心都市「ブシャーレ」はキリスト教徒が多いですが、ベカー高原は反対にイスラム教徒が多いです。イスラム教の礼拝所であるモスクから1日5回の礼拝の時刻を丁寧に知らせてくれる呼びかけ声が拡声器を通して鳴り響いています。まったく違う雰囲気ですので「これが同じ国なの?」と思う方がいるかも知れません。

そんなシュトゥーラで街道と別れベカー高原を北上すると、レバノンを代表する遺跡「バールベック」が鎮座しています。

保存状態の良さで見るものを圧倒する遺跡「バールベック」とは?

レバノン 建築規模とその技術力に圧倒される「バッカス神殿」

バールベックとは古代フェニキアの豊穣の神「バール」が由来です。紀元1世紀半ばから200年以上の時間を掛けて建造されたいくつかある神殿の中の1つです。一説にはアレキサンダー大王が侵略した際に太陽の町「ヘリオポリス」と古代フェニキアの豊穣の神「バール」が混合して信仰され、ローマによる征服のちに神殿群が造られるようになった、とあります。

バールベックの神殿は3つあり、紀元前27年から紀元60年に掛けて建造された太陽神を祀る「ジュピター神殿」、次に紀元2世紀建造の酒の神を祀る「バッカス神殿」、そして3世紀に建造された「ビーナス神殿」があります。4世紀にキリスト教が国教となると、神殿はキリスト教の教会に転用されイスラムの時代に城砦へと改造されます。さらに1759年に地震による自然災害で町は廃墟となりました。

レバノン 神殿上部に施された装飾を間近で見ることも

バールベックはまずその巨大な遺跡の規模に圧倒されます。

瞬時に計算してくれる便利なコンピューターや石柱を切り出しで運べる先進的な建設機械など便利なものが全く何にも無かった古代にできたものだからこそ、「本当に人間の力だけで造ったものなのか?」と思わず疑ってしまう方もいるほどです。ときに雪をいただく3000mの峰々を従えたレバノン山脈が奥にそびえ、中央には巨大神殿群を擁する古代遺跡バールベックが織りなす風景はなかなか写真ではその雰囲気を掴むことが難しいです。そのため実際に訪れて多くの方に心に留めていただきたいところです。

世界中には正直に言って「なんでこれが?」と思わざるを得ない世界遺産もありますが、バールベックはまさに文句なしの世界遺産です。さらに神殿が造られた古代に思いを馳せれば遺跡が我々に語り掛けてくれます。

国境間近にある、レバノンには数少ないウマイヤ朝遺跡「アンジャール」

レバノン アンジャール中心部から3km離れた場所にある遺跡

最後に1984年にユネスコ世界文化遺産に登録された「アンジャール」をご紹介いたします。

バールベックからベカー高原の中心都市シュトゥーラへと戻りベイルート・ダマスカス街道をさらに東に進みます。そうすると、隣国との国境間近の地にレバノン国内では数少ないウマイヤ時代の遺跡である「アンジャール」があります。「ウマイヤ朝」とはアラブ人が興した王朝です。首都をダマスカスに置き、領土は北アフリカのみならず海を渡ってイベリア半島、中央アジアにも広げました。最高権力者と呼ばれる「カリフ」は14代続きました。8世紀世紀初頭、第6代カリフであるアルワーリド1世がベイルートとダマスカスのほぼ中間に位置するアンジャールに夏の離宮を建造しました。

レバノン 世界遺産登録されているものの、訪れるひとはわずか

アンジャールは南北385m、東西350mの城壁に囲まれた長方形の都市です。首都であるダマスカスから55km東に離れたところに位置し、ベイルート・ダマスカス街道の沿道であったため商業の中心地としても繁栄しました。

アルワーリド1世もローマが造った都市を参考にしたのでしょうか。アンジャールの町は街を南北に貫く通りである「カルド」、東西に貫く通りである「デクマヌス」のように街区が構成され、4つに分割されているのも特徴的です。また建造の際、周辺地域の遺跡から石材を運び込んでおり、今なおローマ時代に造られた列柱が優美な曲線を描いて、空なる天を支えています。

最後に...レバノンのモザイク壁画とモザイク国家

レバノン バールベックから見た雪を頂くレバノン山脈

ご紹介したアンジャールの遺跡から小高い山を越えるともう別の国です。

レバノン東部の国境線はレバノン最高峰の標高3,000mを超えるサウダ山を擁するレバノン山脈には引かず、レバノン山脈よりも標高が低いアンチ・レバノン山脈のさらに先に引かれました。この国境線が他地域とは異なる信仰を持つ人々を大きく擁し、今でも情勢を複雑にしていている一因です。

4回にわたってレバノンをご紹介してきました。ここらもわかるように多様な信仰心を持った人々がひとつの国家であるレバノンで暮らしています。そのため、「モザイク国家」と言われてきました。

レバノン 国立博物館に収蔵されているモザイク壁画

かつてレバノンは、複雑な国内情勢ゆえに周辺国を巻き込みながら長期間にわたって大きな混乱に陥り「中東のパリ」、「中東のスイス」の美名を手放さざるを得ませんでした。先人たちがレバノン国内に残したモザイク壁画と同様、ひとつひとつのかけらは個性を主張しながらもひとたび集合すれば美しく輝くひとつの姿が表れることを今後も願ってやみません。そしてひとりでも多くの方が地中海最奥部にあるモザイク壁画のように美しく輝く国に興味を持ってほしいと願いつつ。

レバノン 子どもたち

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