【レバノン①】"レバノン"ってどこ?

コロナ禍で暮らしが大きく変わる直前、大手自動車メーカーのトップが日本から突如として姿を消しました。そして、祖国の私邸に現れたニュースがありましたね。(みなさん覚えていますか?)

その舞台になった国が中東の小国「レバノン」です。

レバノンが事件や事故だけで注目されているのはちょっと残念なので、最低でも毎月1回はレバノンを訪れていた「レバノンファン」が4回にわたってレバノンはどういうところなのかをご紹介いたします。

今回はその1回目です。

目次

地中海の「最奥部」に位置する、中東の小国「レバノン」とは?

「10年ひと昔」と言いますが、今からふた昔ほど前、筆者はシリアの首都ダマスカスにアラビア語習得のため留学していました。その時最低毎月1回は、シリアの隣国であるレバノンを訪れていました(シリアの話は機会を改めて...)。その時のことを思い出しながらレバノンを紹介していきます。

レバノンについて

レバノンは地中海が大西洋に注ぎ込むところを出口とすると、その反対側の「最奥部」にありその位置が中東になります。面積は10,450平方kmあり、日本でいうと岐阜県の面積(10,620平方km)と同じくらいです。人口は610万人(2018年【出典:外務省ホームページ】)で、日本で見ますと627万人いる千葉県と同じくらいでしょうか(ちなみに岐阜県の人口は198万人です)。東西の幅が一番長いところで90km、一番短いところで25㎞、首都ベイルートから各主要都市には最大でも片道3~4時間で到着するコンパクトな国です。

首都ベイルート郊外・ハリッサにある「レバノンの聖母マリア像」

レバノンだけではく中東には日本より面積が小さい国々がいくつかあります。

近年注目を集めるドバイや、アブダビを擁するUAE(アラブ首長国連邦)は北海道と同じ面積、ドーハの悲劇で知られるカタールは秋田県よりやや小さく、その隣国バーレーンなどはさらに小さく東京23区と川崎市を合わせたのとほぼ同じ面積です。

レバノンを支えているもの

小さい面積でも独立している理由は原油や天然ガスを地下に豊富に埋蔵しているためで、UAEやカタールなどは目まぐるしい経済発展を遂げています。一方転じて、我らが(?)レバノンは他の中東の国々同様、小国です。ですが、残念ながら地下資源に恵まれていません。そんなレバノン経済を支える大きな柱のひとつは「観光」です。でもそれだけではなく「外国からの送金」という柱にも大きく支えられています。

「中東」のイメージが変わる、レバノンの魅力とは?

「聖母マリア像」が見下ろす、地中海と首都ベイルート

宗教の話になりますが、中東の人々の多くはイスラム教を信じています。しかし、レバノンに住む多くの人々の3割はキリスト教を信じていると言われています。そのためレバノン国内ではキリスト教の教会、修道院があるだけではなく、地域によっては聖母マリアの立像を街角で見かけることもあります。イスラム教は信仰の際に絶対に像を用いることはありませんので(いわゆる「偶像崇拝の禁止」ですね)、他の中東の国々と比べるとその街角の何気ない風景が新鮮に映ります。本来、キリスト教は現在のイスラエルとパレスチナにゆかりある宗教ですから、隣国であるレバノンに今でも数多くのキリスト教徒が暮らしています。

皆さんが思っている「中東」のイメージと異なるのがレバノンの魅力のひとつです。

戦火を乗り越えた、首都ベイルートにある「国立博物館」

レバノンは1943年に独立するまでフランスの支配下でした。ですが、同じフランスの支配下であった北西アフリカのチュジニア、モロッコなどと比べてフランス語を理解する人はあまりいません。しかも公用語はアラビア語で、道路標識などにフランス語がおまけで添えられている程度です。

国内の最高地点は標高3,000mを超え、冬にはスキーもできる緑に覆われた山々があります。かつては「中東のスイス」と呼ばれたレバノン、そしてその首都ベイルートは「中東のパリ」と称されていました。

先述したようにキリスト教徒が多いことからヨーロッパからの企業の多くが駐在事務所を首都ベイルートに構えています。1970年代中ごろまでは、中東を代表する金融センターであり華やかな国際都市でもありました。ドバイやカタールなどの中東の国々がオイルマネーを基に著しい経済成長を遂げたおかげで現在は「中東の顔」になった感もありますが、いくらオイルマネーがあっても作り出すことができないものがあります。それはレバノンが有する古代からの歴史です。

この歴史については第2回以降お話しいたします。

レバノンの人々が「アラブ料理」を世界に広め、街には自由な雰囲気が

レバノン料理は「メッザ」と呼ばれる前菜が勢ぞろい

他の中東国々の人々と違い、レバノンの人々は古代に地中海で活躍した人々の遺伝子を受け継いでいるからかでしょうか、巧な駆け引きをする商売上手な人が多い印象を受けます。レバノンの人々は中東だけではなく近隣であるヨーロッパ、遠く離れた西アフリカや南米にも渡りいくつもの言語を習得してその現地で暮らしていく、その行動力に驚かされることがあります。狭い国内を飛び出して、「レバノン系」として国際的に活躍されている方も多く、日本を飛び出して突如祖国レバノンに姿を現した、自動車メーカーのトップも正にレバノン系を代表する方です。

また、現在世界の各地で「アラブ料理」として提供される料理の多くはレバノンやその周辺で食べられている料理がベースとなっています。その料理たちは国際的に活躍するレバノンの人々によって世界に広められていったと言っても過言ではありません。

レバノンのビール「アルマザ」は、中東屈指の美味しいビール!

料理についてくるものといえばお酒です。

イスラム教徒が多い中東の国々では、飲酒はタブーとされて全く販売していない国もありまず。また販売していても手に入れるまでひと手間、ふた手間も掛かります。

しかし、レバノンではワインを「キリストの血」と称するキリスト教徒が多く、個人商店やスーパーなどでも一般的にお酒が販売されています。手軽に飲めるビールの代表的な銘柄は、首都ベイルート郊外にビール工場を有する「アルマザ」です。どこでも販売されており、飲みやすいビールになってますのでおすすめです。さらにブドウ栽培が盛んに行われていることから、ワインも有名です。ベイルートから自動車で約1時間の距離にあるベカー高原にはワイナリーが数軒あり、国際的にも高い評価を得ています。

お酒が比較的自由に手に入るレバノンは大規模なカジノがベイルート郊外にあります。本来イスラム教では賭けごともタブーとなっていますが、窮屈な習慣から解放されるために他の中東の国々からレバノンに訪れています。特に夏は自由な雰囲気がただよい、写真からでもわかるくらい賑わっています。

首都ベイルート中心部にある「エトワール広場」

最後に

レバノンのワイナリーで作られたワイン「クサラ」(これもおすすめ)

多くの方が中東に対して持つイメージとは違った文化、雰囲気を持っているのがレバノンです。そこがレバノン最大の魅力です。

次回からはレバノンが誇る「遺跡」の話を中心にお届けいたします。第1回はここらで...。

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