【ボスニア・ヘルツェゴビナ】サラエボに残る紛争の歴史を学ぶ

こんにちは!旅での歴史は出会い!歴旅ライターのまえてぃーです。

今回ご紹介したい場所は魅惑の東欧の一国であるボスニア・ヘルツェゴビナの首都、"サラエボ"です!

目次

西洋と東洋が交わる街「サラエボ」

あまり知られていないボスニアですが、ボスニアはギリシア北部、バルカン半島の北西に在し、西洋のヨーロッパ文化と東洋のオリエンタル文化が混在するとっても魅力的な国なんです。

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<文化の線>

サラエボの中心地にある"文化の線"。西に進めば西洋が、東に進めば東洋が現れるとっても面白い場所です。

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<西洋>

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<東洋>

しかしボスニア、と聞くと私たちは"紛争"というイメージを持つ人も多いと思います。

覚えている人も多いかと思いますが、1992~1995年にかけてボスニアは戦後最大と呼ばれる民族紛争がありました。今回はその紛争を象徴する場所、でも私たちと全く関係ないといえない場所についてご紹介します。

ボスニア紛争とは

ボスニア紛争を簡単に説明します。

当時のボスニアはユーゴスラビアという国に属しており、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人の3つの民族が平和に暮らしていました。

しかしユーゴスラビアから独立をする方針を決めたことで各民族間で争いが起こり始めました。中でも特にセルビア人とムスリム人の関係は熾烈を極めました。つい最近まで仲が良かった友達、同僚、近隣の住民同士が武器を向け殺しあうまでに発展してしまったのです。

セルビア人はサラエボを去り、ムスリム人の残ったサラエボは、周囲を山に囲まれた街で、その山々をセルビア人勢力に支配されててしまいました。つまり、街の中に閉じ込められたのです。そして、それだけではなく、昼夜問わず山から街をめがけて砲弾が飛んできました。男性も女性も、大人も子どもも関係なく"スナイパー"に狙われました。外部からの食糧や水の供給も難しく、学校や仕事、買い出しも命がけ。。。

この生活が実に4年も続いたんです。

墓地となったサラエボオリンピック会場

そんな街中から歩いて約20分。冬季サラエボオリンピック会場跡地があります。

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1984年に行われたサラエボオリンピック。覚えていますか??残念ながらまえてぃーは生まれたばかりということもあり、全く記憶にありません。しかし、日本にいた時に社会か何かの教科書で見たこの光景が忘れられませんでした。

それがこちら。

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<一面、墓地に埋め尽くされたオリンピック会場>

オリンピック開催からわずか8年後起こったボスニア紛争。先ほども書きましたが、街を山に囲まれたサラエボは、敵対勢力がその山を占領し常駐。そして、銃やロケットランチャーで365日24時間狙われました。

"スナイパー"、彼らはそう呼ばれました。水を汲みに行った瞬間、学校の帰り道、仕事に行く途中、犬の散歩中、ご飯を食べている時、寝ている時、、、。過ごす時間の全てが標的となる瞬間でした。

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<車ガード>

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街中にはスナイパーに撃たれた遺体で溢れました。でも、日中は危険なため遺体を回収することはできず、遺体の収容は夜中から明け方に行われたそうです。

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<当時のお墓>

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<おびえる人々>

墓地にいた守衛さんに写真を撮らせてもらっていいかと質問すると、"いいよ いいよ"と言ってもらったので、手を合わせてから数枚撮らせてもらいました。お墓のほとんどは紛争のあった1992~1995年で時が止まっていました。まえてぃーと同い年の子もいましたがその子は12歳で時が止まっていました。

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平和の祭典であるオリンピック開催からわずか8年後。

いったい誰が歓喜に溢れたオリンピック会場が、悲劇の象徴である墓地になることを想像できたでしょうか。

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日本でももうすぐオリンピックが開催されます。そう、2020年の東京オリンピックです。様々な競技、魅力あふれるアスリート達、感動し、勇気をもらえる瞬間たち。まえてぃーは楽しみで仕方がありません!!
けれどその8年後。2028年の日本がどうなってるのか。。。今はちょっと不安の方が大きい。

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そんな歴史を知ると、ボスニアのことがちょっと怖く感じたり、行くことに戸惑ったりしますよね!!

でも紛争が終わって20年以上たつ今のボスニアはとっても平和。

日本に比べるとまだまだインフラは整ってないように見えますが、戦後の日本がもう一度活力を取り戻すために頑張ったように、ここボスニアもの人たちも未来に希望を見て毎日を生きています。特に若い人たちの輝きはすさまじい!

最後にご紹介したい場所があります。

childhood museum

それは、"childhood museum"

この博物館は、紛争時に子ども達だった若者たちが当時の思い出の品を持ち寄って子どもたちが当時どんな思いを持っていたのか、どんな生活を送っていたのかが分かる場所です。

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そして、運営や案内をしているのも当時の子どもたち。最近ではでは過去の紛争だけでなく、今まさにおなじ時間を過ごしているであろうシリアやアフリカの子どもたちの品の展示も随時される予定です。

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<スタッフ(日本人インターンスタッフもいたよ)>

案内してくれた子はとってもチャーミングで笑顔とジョークの好きな子でした。

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<設立者にも会えちゃいました>

ぜひ笑顔と活気溢れるここボスニアにぜひ来てください。きっと平和の大切さと、今自分がどんな志を持って生きるかのヒントがもらえるかもしれませんよ。

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まえてぃー

元ノリノリ世界史教師。教科書に載ってたり載ってなかったりする世界の歴史ポイントをご紹介。旅のついでにそのロマン溢れた世界をご堪能ください。

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