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「SL動態保存の原点」と「歴史的車両群の宝庫」大井川鐵道のお話
車掌かんちゃんです。今回のお話は昭和時代の鉄道にタイムスリップします。
目次
SLは価値ある産業遺産
昭和51年3月、国鉄からSLが消えた、同じ年の7月9日、大井川鐵道がSL復活運転を開始しました。現在、日本各地で行われているSL動態保存の始まりとなったのです。
運行されるSLはC11形190号機。1940年製造です。
SLが牽引する客車も1943年製造です。車内の床は木です。冷房はなく、扇風機です。お客様も珍しいというか、まさにレトロと言っていました。
各地で活躍した車両の第2の人生
大井川鐵道はSLだけを運転しているのではありません。地域住民の足として、普通電車も運転しています。活躍しているのは、他の鉄道会社からやってきた歴史的価値のある車両です。
1958年製造の南海電鉄の特急車両です。高野山を目指して走っていました。
1968年製造の東急電鉄の車両です。青森県の十和田観光電鉄からやってきました。第3の人生ですね。十和田観光電鉄は2012年に廃線となりましたが、実は今、人気の古牧温泉星野リゾート青森屋の敷地の中を走っていました。
ドラマや映画撮影に最適
大井川鐵道は車両だけでなく、駅舎も昭和です。戦前、戦中を舞台にしたドラマや映画の撮影が行われることが多く、NHKの朝の連続ドラマでも撮影されました。
自分の名前が客車の車内に掲示
1987年財団法人日本ナショナルトラストが日本で初めて市民の募金でSLのC12形164号機とスハフ43形客車2両とオハニ36形荷物合造客車1両を国鉄より買い取りました。
募金金額は3万円。当時、自分は高校生。家族会議で、鉄道に興味のない父と姉は猛反対しましたが、翌日、母は黙って、こっそりと郵便局に募金金額を振込に行ってくれたのを覚えています。
田中和規、佐賀県は私です。格好よく言えば、スハフ43の客車のオーナーです。私の席に座って、多くのお客様がSLの旅を楽しんでいます。この客車は現存する唯一の旧国鉄特急列車用3等客車です。
どうやってSLの向きを換えるの?
新金谷駅にある転車台です。SLを載せて、回して向きを換えるのです。大井川鐵道のSL運転は新金谷駅~千頭駅の往復運転なので両方の駅に転車台が必要です。千頭駅にあるのは1897年に輸入されたイギリス製です。旧国鉄の赤谷駅で使用されていたものを1980年に大井川鐵道に移設しました。まさに歴史的遺産、2001年に登録有形文化財になりました。
転車台に載っているのはC12形164号機。このSLも修理費用の募金がありました。この時には、私は社会人になっていたので、給料から2万円、すぐに募金しました。SLの運転台に私の名前があります。
鉄道員(ぽっぽや)~子どもの頃の夢
大井川鐵道では年に数回、「トラストトレイン」という名称で、SL列車を運転しています。運転日には、財団法人日本ナショナルトラストがボランティアを募集します。私も何度か、参加しました。
運転日当日は、出発前に、SLと客車をしっかり掃除して、あらゆる所を磨きあげます。お客様を乗せて、発車したらグッズの車内販売をしたり、客車のドアは手動なので駅に停車する度にドアの確認をします。
好きなことをやっているので、とても楽しかったです。それとSLや客車に直接、触れることができるのも魅力です。
現在、私は添乗員をやっていますが、ツアー中には、
- 1. 列車内で、お客様の席を確認しているときは車掌さん
- 2. 列車乗車時、車掌さんに乗車完了の合図を送るときは駅員さん
- 3. ローカル線に乗ったら先頭車両の一番前に立って運転士さん
にもなります。子どもの頃の夢、鉄道員にちょっとだけ近づいているかなと思いながら、楽しく仕事しています。
子どもの頃の夢だった職業に就いた人は、本当に幸せな方です。夢とは違う職業に就いている方が多いと思います。
でも、誰だって夢はずっと持ち続けていきたいもの。皆さんも、時には、「夢の実現、夢への一歩」が目的という旅へ出かけてみてはいかがですか。
大井川鐵道
- ウェブサイト:大井川鐵道
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車掌かんちゃん
- 親からの最初の本は時刻表。いろんな列車に乗れて、給料ももらえるからと添乗員になりました。日本の鉄道路線、全て完全乗車の乗り鉄。住んでいる家も電車がよく見える線路沿い。鉄道が人生そのものです。