蘇れ能登!彼らの命の灯火を支えるもの、それが何であるかを思い知らされた日

石川県の能登半島と言えば「キリコ祭り」が有名で、平成27年に日本遺産にも登録されました。今回はそんなキリコ祭りにまつわるちょっと不思議なお話をご紹介します。

皆さんにぜひ知ってもらいたい重要なことがあります。ぜひ読みながら一緒に考えてもらえたら嬉しいです。

キリコ祭り

目次

キリコ祭りってどんなお祭り?

「キリコ祭り」は、能登半島の約200カ所で行われている古くからのお祭りです。「キリコ」というのはお神輿を囲む「切子灯籠」のことで、直方体で縦4〜10m程の長い灯籠に灯りが灯されたものです。

祭りの際にお神輿の道中を照らす役割をしているのですが、それが何機も並んで乱舞し人々は熱狂します。

海に入ったり神輿を壊して燃やしたりと大迫力の地域もあるようですが、もちろんそれらには深い意味合いが込められているのだそうです。

私はキリコ祭りの存在を知ってからとても興味が湧き、いったいどんな世界観なのだろうと思いを馳せていました。

家も仕事もなくした人々がポツリと言ったこと

そんな中で今年の頭、お正月に突然起きた地震。あまりの驚きとショックで、日本中がニュースに釘付けになりました。キリコ祭りをやっていた石川県、能登半島の周辺も大きな被害を受けています。

何かできることはないかとずっと考えていたら、いち早く現場に行ってボランティアをして帰って来たグループがあり、現場の報告会が私の地元で行われたので行って来ました。そしてそこで、驚くべき事実を伺ったのです。

地震で人々の身も心も大変な事になり、被害も凄いことになっている。ようやく避難所に移り少しだけ落ち着きを取り戻し始めた能登の人々の口から、どんな会話が出て来たと思いますか?

家を失い、仕事もできない。この先の食料をどうするかも見えてはいない。だけどそのことではなく人々がぽつぽつと話し出したのは、「今年の祭り、どうする?」ということだったというんです。

それだけ祭りというものは、昔から人々にとって生きていく支えとなっていた大切なもの。それは祭りの日だけでなく日常にもずっと影響を与えています。

なぜかというと、その祭りをするために老若男女が力を合わせる必要があり、地域の絆やコミュニティーが祭りによって遠い昔から形成されてきているという事実があるからなのです。

救出されたある物...それが集落の運命を変えていく


能登の人たち

先日、私の友人が能登のボランティアを終えて沖縄へと帰る途中に立ち寄ってくれたのですが、そこでもまた能登のお話を伺うことに。

そのお話は少し不思議な内容で、彼はまるで神様に呼ばれたかのようにそのお役目を果たして来たといった内容だったのです。沖縄で、キャンプを通して楽しく防災を呼びかける発信をしていた有村さん。

年明けの震災のニュースでいてもたってもいられなくなり即現地入り、七尾、能登町、珠洲市などで大工仕事をして棚やドア、屋根など壊れたものをなおしたり、炊き出しをしたりと活動を続けて来ました。

そんな中で出会った地域が、珠洲市にある馬緤(まつなぎ)町という、地震の時に孤立してしまっていた場所。そこに住む人たちは海で獲物を取り山で恵みを収穫するような、伝統的な暮らし方を昔からしていました。

自給率も高く普段から自立しているような場所だったので、震災後も人々は助け合いながらその場所で何とか生活していたそうです。

そこである日、有村さんは神輿のことを耳にします。地元にある春日神社の拝殿が余震で崩れて屋根がどさっと落ち、その中に入っていた神輿が潰れてしまった。

どうしても神輿を守りたいと思った神社関係者が、崩れた屋根の下に潜って壊れた神輿を救出、落ちてしまった小さなピースも全部バケツに拾い集めて四人で引っ張り出し、倉庫に大事にしまっておいた...そういう神輿がここにあるのだと聞いたのです。

次々にハマっていくパーツに背中がゾクッ

神輿

その神輿を見せてもらった時に、有村さんは「呼ばれたなと思ったよ、神様に。これを直しなさいと」そう直感で感じたのだそうです。「これを私に直させてくれませんか?」と提案した有村さん。

「キリコをやらないと集落がまとまらないでしょ?私が神輿を直したら、祭りをやってくれますか?」と聞くと、「神輿がないことには祭りはできないからね...そりゃあ直ったら嬉しい」と声が上がります。

「9月にまた来て、かつげるようにまではなんとかしてみる」と約束して有村さんは、一度その場を後にします。

そして9月半ば、再び現地入りした有村さんは神輿を前にして作業を始めます。10月13日の祭りの日までに何とか間に合わせようと、最初はパーツの仕分けから始めました。総漆の文化財のような見事なお神輿に驚きながらもとにかく向き合います。

屋根と胴を繋ぐ指ぐらいの小ささのパーツがバラバラで、これは厳しいだろうと直すのに10日はかかるとみていたけれど、やり始めたら何気に取るパーツごとにピタッとハマっていく。

屋根の角の4カ所のパーツも一発で当てはまってっていく。背中がゾクゾクするほど凄い時間だったと有村さんは振り返ります。

神様が乗り移って動かす手

春日神社

「その時に分かったのが、自分が手を動かしているのではなく春日神社の神様がやらせているんだなと」その後の作業もとにかく早く進み、予定の半分のたった5日で修復が完了したのだそうです。

漆ではなくペンキで、そしてボンドを使いながらの仮修復ではあるものの、もう復元不可能かにも思えた神輿は見事に再生。そしてまた大事に倉庫にしまわれた神輿を後に、有村さんは集落を出ます。

再び有村さんが集落に立ち寄った際に、「お祭りやるよ!」との嬉しい声が。有村さんが現地で聞いたその時のエピソードを話してくれました。

「実は、祭りをやるかどうか評議している最中は反対派が主流だったみたい、祭りはやめようって。土砂災害もあったし二重苦になって皆とても辛くて、隣の集落では死人も出たしみんな祭りを自粛していた。

だけどそのタイミングで、神輿が直されていたことが初めて皆に知らされて驚いて、評議していた全員で神輿を見に行った。

そこから空気が全然変わって、祭りを「やめよう」という話から「どうやってやろうか」という話になっていったんだって」と、その話を聞いた時は嬉しかったよと有村さん。

神輿

「自分がやったとは思っていないよ、神様だよ」と何度も繰り返す有村さんは、祭りの当日も一緒に神輿を担がせてもらって最高だったと話します。

キリコ祭りが人々の生きる望みを新たに吹き込んだ、そんな話を聞いていて、改めて昔から伝わる祭りの重要さを思い知らされました。

災害があってどん底に落ちても「生きよう」という望みを捨てず、前向きな生き方や未来を選択できるもの。祭りというものの持つエネルギーの強さを改めて知ったような気がしました。

日本各地にたくさんの祭りや伝統文化がありますが、今はどこも後継者がいないという深刻な声を聞きます。それは誰かに聞いたことではなく私が実際に行った先々で何度も聞いているので、はっきり言ってとてもリアルです。

だからこそ一度でも途絶えさせるといけない、それは能登の人たちも強く感じているのだろうと思いました。

一度消えたらもう戻すことは難しい、だからこそ今私たちにできることは、全国にある祭りにもっと注目して後押しして盛り上げ、日本の魂を元気づけて復活させていくことなのではないかと。

能登の人たちから学んだ「生き方」という柱

能登の人たち

多大な被害の中にあってまずはここからと、「祭」という生きる為の柱を打ち込んだ能登の人たち。祭り開催には賛否両論あったそうですが、それでも彼ら自身としての生き方を見失なわなかった姿に、私は感動を覚えました。皆さんはどう感じましたか?

能登の震災がもたらした被害は大きく、まだ多くの人々は家にも帰られないまま不安な日々を過ごしています。私たちにできることは、彼らがいまだ大変な状況にあるというのを忘れないこと、そして自分たちの防災も含めて準備すること、普段から身の周りにあるコミュニティーの大切さや仲間との繋がり、そして私たちの生きる支えとは何なのか...それを忘れないでしっかりと認識することのように思えました。

彼らから学んだことはとても大きいように感じます。私たち1人1人ができることは微力でも、互いを元気づけ、大勢の人が少しづつでも何かを支え合えるような世の中であられるように。

そしていつ世界で何が起ころうとも自分たちの足で立てるように、今回の能登の人たちの生き方を聞いて深くそう思ったのでした。

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Hinata J.Yoshioka

フォト&ライター。国内を転々と旅した後、沖縄にたどり着き12年を過ごす。現在は神戸を中心に活動中。ハワイ好きでフラ歴もあり、ロミロミマッサージのセラピストとしての一面も持つ。好きなことは料理・物作り・音楽・読書・写真・旅などあらゆることに興味はつきない。世界を船でぐるり2周した物語もWebで掲載中!!

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