アムステルダムのハート美術館で鑑賞する『カンディンスキー』展

ハート美術館 カンディンスキー展 アムステルダム

アムステルダム中心部に位置するハート美術館(H'ART Museum)では、2024年6月19日から11月10日まで『カンディンスキー展』が開催されています。

昨年9月にリニューアルオープンした同美術館にとって、これが記念すべき最初の企画展です。本展では、フランスのポンピドゥー・センター所蔵のカンディンスキー・コレクションから厳選された60点以上の名作が展示されています。

抽象絵画の創始者として知られるカンディンスキーの、初期の具象画から晩年の大作に至るまで、その激動の生涯をたどりながら鑑賞することができます。

目次

アムステル川を望むハート美術館

ハート美術館
<Photo: Eva Bloem>

ハート美術館 (H'ART Museum) は、アムステルダムの中心部を流れるアムステル川沿いにある美術館です(上写真)。この風格ある新古典主義様式の建物は、1681年から2007年まで養老院として使用されていましたが、約4,000万ユーロ(約65億円)をかけた改修工事を経て、2009年6月19日に美術館として開館しました。

私はいつも「マヘレの跳ね橋(Magere Brug)」を渡ってハート美術館へ向かいますが、アムステル川越しに端正な建物が見えてくると、いつも清々しい気持ちになります。

1671年に建造されたマヘレの跳ね橋は、アムステルダムで唯一現存する木造の跳ね橋で、人気の観光スポットです。

さらに、ハート美術館の近くには、まるでミニチュアのような跳ね橋「ヴァルター・サスキンド橋(Walter Süskindbrug)」(下写真)や、1883年に建造された豪華な外観を持つ「青い橋(Blauwbrug)」もあり、どのルートからでも美しい景色を楽しむことができます。

ヴァルター・サスキンド橋
<Photo: Eva Bloem>

リニューアル後初の展覧会

ハート美術館は、もともとロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館の別館としてオープンし、「エルミタージュ・アムステルダム(Hermitage Amsterdam)」という名称でした。

ロシアのエルミタージュ美術館は300万点以上の作品を収蔵しており、アムステルダム別館では、そのコレクションをレンタルして展覧会を開催していました。しかし、2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻を受け、アムステルダム別館はエルミタージュ美術館との関係を断つことを表明し、一時的に閉鎖しました。

そして2023年9月1日、「ハート美術館(H'ART Museum)」という新しい名称でリニューアルオープンし、今後はアメリカのスミソニアン博物館、フランスのポンピドゥー・センター、イギリスの大英博物館と協力して展覧会を開催していくことが発表されました。

ハート美術館  リニューアルオープン
<Photo: Janiek Dam>

『カンディンスキー』展は、ハート美術館にとって記念すべき最初の企画展です。2024年6月18日には、ウィレム=アレクサンダー国王臨席のもと、華々しいオープニングセレモニーが開催されました(上写真)。

『カンディンスキー』展の会期は、2024年6月19日から11月10日までです。

巨匠カンディンスキーの軌跡

巨匠カンディンスキーの軌跡
<Photo: Alizé Barthelémy>

ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、抽象絵画の創始者として知られ、20世紀を代表する偉大な芸術家の一人です。ハート美術館の『カンディンスキー』展は、10万点以上の近現代美術のコレクションを誇るポンピドゥー・センターとのコラボレーションによって実現しました。

30歳で画家を志したカンディンスキーは、ミュンヘン、パリ、モスクワ、ヴァイマル、ベルリン、そして最期にはパリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌに暮らし、精力的に絵画を制作しました。『カンディンスキー』展では、その初期から晩年の作品までを、カンディンスキーの歩んだ歴史をたどりながら鑑賞することができます。

貴重な初期の風景画

初期の風景画 ガンディンスキー
<写真1:『アルテシュタット』1902年, カンヴァスに油彩/写真2:『日曜日』1904年, カンヴァスに油彩>

ハート美術館は『カンディンスキー』展の訪問者に、「モダンアートの巨匠カンディンスキーが、当初は具象画家だったことをご存知でしたか?」と問いかけています。実のところ、私自身はカンディンスキーというと、幾何学的なモチーフを組み合わせた抽象的な作品しか知りませんでした。

この展覧会で初めてカンディンスキーの具象画を鑑賞しましたが、1900年代初頭に制作された風景画の美しさに心を奪われました(上写真)。赤・青・黄の三原色で描かれた抽象画で有名なピート・モンドリアン(1872-1944)の、初期の風景画を観た時と同じ感動を覚えました。

カンディンスキーは1904年から1908年にかけて、当時の恋人であったドイツ人画家ガブリエレ・ミュンター(1877-1962)と共に、オランダやチュニジア、イタリア、フランスを旅しながら戸外で風景画を描きました。『カンディンスキー』展では、旅先ごとにブースが用意され、カンディンスキーの旅路をたどるように風景画を眺めることができます(下写真)。

ガンディンスキー

スヘフェニンゲンから眺めた北海や、オランダの運河を描いた風景画(上写真2枚)には、今私が暮らしているこのオランダまで旅をして、2人で絵筆をとったカンディンスキーとミュンターを想像し、親近感を覚えました。

この時代のカンディンスキーは、パレットナイフで絵具をキャンバスに直接塗ったり、黒地にテンペラで描いたりと、さまざまな技法やスタイルを試しています。美術の教科書に載っている、一目でカンディンスキーとわかる抽象画だけでなく、初期の貴重な具象画を鑑賞することで、カンディンスキーという巨匠をより深く知ることができました。

抽象絵画の誕生

スケッチ旅行を終えて1908年にドイツに戻ったカンディンスキーは、写実的な表現の制約を取り払い、「抽象絵画」という表現方法を創り上げました。

『カンディンスキー』展の中盤にある開放的な展示スペースでは、1910年代に描かれた明るく自由な抽象画を鑑賞することができます(下写真)。カンディンスキーがドイツ人画家フランツ・マルク(1880-1916)と志を共にし、形へのこだわりや物質文明を乗り越えしようとした「青騎士(der Blaue Reiter)」時代の作品です。

ガンディンスキー 抽象絵画

抽象絵画の要素が現れ始めた『ババリアの秋』(写真1)や、鮮やかな色と形で表現された『黒い弧線のある作品』(写真2)などの作品を見比べると、具象的なモチーフが徐々に完全な抽象絵画へと変化していく過程がわかり、興味深いものでした。

ガンディンスキー
<『赤いスポットのある絵画』1914年, カンヴァスに油彩>

カンディンスキーにとって絵画とは、心に直接響く音楽でした。絵画に主題がなくても、色と形でハーモニーを奏で、鑑賞者を魅了できると考えていたのです。

カンディンスキーは、「色は魂に直接影響を与える手段」であり、「魂は多くの弦を持つピアノ」であり、その「色の鍵盤」を叩いて魂を振動させることができるのが芸術家だと語っています。鮮やかな色や形が踊るカンディンスキーの絵画からは、重層的なハーモニーが聴こえてきそうでした。

バウハウス時代の理論的な絵画

第一次世界大戦が始まると、カンディンスキーはやむを得ずモスクワに戻りましたが、ロシア革命後の政治的混乱と生活苦に耐えかねて再びドイツに移住します。

1922年からヴァイマルのバウハウスで教鞭をとり、1926年には2冊目の理論書『点と線から面へ(Punkt und Linie zu Fläche)』を出版し、抽象絵画をより鮮明な様式に発展させました。

バウハウスでは、スイスの画家パウル・クレー(1879-1940)や、ドイツの芸術家オスカー・シュレンマー(1888-1943)、ハンガリーのモダニズム建築家マルセル・ブロイヤー(1902-1981) といった著名な芸術家たちと肩を並べて仕事をしました。

カンディンスキーは1925年から1933年までの間に、289点の水彩画と259点の油彩画を制作しています。

ガンディンスキー 白の上に

1923年に描かれた『白の上に II』(上写真)では、幾何学的な形がまるで無重力の空間に浮かんでいるように見え、その奥行きも深遠です。

ウクライナの画家カジミール・マレーヴィチが主張したシュプレマティスムに影響を受けた作品とされており、純粋な感覚の絶対性が追究されています。この大作はバウハウスで、カンディンスキーのダイニングルームに飾られていました。

ガンディンスキー
<Photo: Alizé Barthelémy>

1922年にベルリンで開催された『ジュリーフライ・クンストショー(Juryfreie Kunstschau)』のために制作された、実物大のエントランスホールも展示されています(上写真)。

カンディンスキーはかつて、室内を華やかに装飾したロシアの農家で、まるで絵画の中にいるような感動を覚えました。その経験をもとに、訪問者が抽象絵画の中に没入できるよう、すべての壁にモチーフが描かれています。

当時のエントランスホールは残っていませんが、1977年のポンピドゥー・センター開館を記念して、ニーナ・カンディンスキーの監督の下、オリジナルと同じ大きさと色で復元されました。額縁の中の絵画を観るのではなく、逆にその画面に包みこまれることで、カンディンスキーが創り出した世界に佇んでいるような感覚になりました。

越境する芸術家

1933年にナチス政権によってバウハウスが閉鎖されると、カンディンスキーはフランスへの亡命を余儀なくされ、パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌにアトリエを構えました。

1941年になるとフランスもまたナチスの占領下に置かれ、カンヴァスさえ手に入らないような窮地に陥りましたが、カンディンスキーはアメリカへの亡命を拒否し、ヌイイ=シュル=セーヌでその生涯を閉じました。

ヌイイ=シュル=セーヌで描かれた作品を眺めると、カンディンスキーの抽象絵画が最晩年まで進化し続けていたことが分かります。

ガンディンスキー

写真1 『茶色・褐色の発展』1933年, カンヴァスに油彩

1933年8月にバウハウスが閉校された後、カンディンスキーはこの作品をベルリンで描き、同年の暮れにフランスに亡命しました。ナチスを連想させる重みのある茶色の間には、パリの美術界の歓喜を予感させる、カラフルな三角形の光り輝く空間が広がっています。

顔料を吹き付けて描かれたこの作品には透明感があふれ、まるで霧の中に浮かび上がるような幻想的な存在感がありました。『カンディンスキー』展で、私がもっとも心惹かれた作品です。

写真2『多彩なアンサンブル』1938, カンヴァスに油彩・リポリン (Photo: H'ART Museum)

陽気な色と形からなるこの作品は、カンディンスキーが妻ニーナ (1899-1980) のために描いたイースターの贈り物です。当時のロシアで皇帝に献上されていた、宝石で装飾された卵型の飾り物「インペリアル・イースター・エッグ」を彷彿とさせる作品です。

カンディンスキーは自然界に着想を得た有機的な形を取り入れ、バウハウス時代の厳格な幾何学と、フランスのシュルレアリスムの幻想を融合させた新しいスタイルを確立しました。ストラスブール出身の彫刻家ジャン・アルプ (1886-1966) や、スペインの画家ジョアン・ミロ (1893-1983) らとの交流が、カンディンスキーの作品を新たな方向へと飛躍させたのです。

写真3『相互の和音』1942, カンヴァスに油彩・リポリン

大型カンヴァスに冷たい色調で描かれたこの作品は、カンディンスキーの芸術的探究の集大成ともいえる作品です。2つの大きな三角形は先端が細く不安定ですが、その上下は小さな三角形で画面の枠に結ばれています。

カンディンスキーは、自身がドイツで確立した幾何学的抽象に、フランスで過ごした日々が与えた有機的なアクセントを、繊細なバランスで表現しました。

魂を震わせる色と形、崇高な幾何学、シュルレアリスムの幻想など、カンディンスキーが人生をかけて追究した表現がこの作品に結実しています。カンディンスキーの死後、妻ニーナはロシアの慣習に従って、この壮麗な絵画を棺に納められたカンディンスキーの背後に置きました。

ガンディンスキー

『カンディンスキー』展の最後には、カンディンスキーが遺した描きかけの絵も展示されていました(上写真)。

まとめ

ガンディンスキー

『カンディンスキー』展では60点以上の作品を鑑賞しながら、抽象絵画が花開いたミュンヘン、第一次世界大戦中に帰郷したモスクワ、バウハウスで教鞭を執ったドイツ、そして第二次世界大戦中に亡命し人生の幕を閉じたフランスまで、カンディンスキーの人生を旅することができます。

戦争や革命といった歴史的出来事、ヨーロッパの芸術運動、移住や亡命先の国々、国境を越えた芸術家たちとの関わりは、カンディンスキーの芸術の多様性と奥深さに映し出しされています。すべての芸術に共通する根底を明らかにしようと、生涯にわたり画風を変化させ続けたカンディンスキーの世界を、ぜひ体験してみてください。

ワシリー・カンディンスキー(に扮した俳優)が絵画について語る映像や、壁と床に絵画が投影されるイマーシブアート、サウンド・アーティストによるオーディオツアー、パフォーマンスイベントなども楽しめます。展覧会を鑑賞した後は、美術館の中庭にあるカフェでのランチがおすすめです。

ハート美術館 H'ART Museum

  • 所在地:Amstel 51, 1018 DR Amsterdam
  • 電話:+31 (0)20 530 87 55(平日9:00~17:00)
  • E-mail:mail@hartmuseum.nl
  • 営業時間:10:00~17:00, 12月25日と1月1日は12:00~17:00
  • 定休日: 無し
  • 入館料:大人22.5ユーロ、17歳以下無料、 アイアムステルダム・シティーカード無料、 ミュージアムパス5ユーロ(カンディンスキー展観覧料)
  • アクセス:アムステルダム中央駅よりメトロ51, 53, 54で2分、Waterlooplein下車Hortusplantsoen出口より徒歩5分
  • 公式サイト:ハート美術館 H'ART Museum

※チケットはオンラインまたは美術館窓口(16時まで)で購入できます。日時予約は不要です
※施設の詳細やアクセス方法など掲載内容は2024年10月時点のものです。最新情報については、必ず公式サイトなどでの確認をお願いいたします

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Kayo Temel

オランダ在住。アムステルダムの美術アカデミーで絵画を学び、イラストレーターとして活動中。20年の在蘭経験を活かして、オランダを満喫するためのローカルな情報をお届けします。

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