【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~

みなさんこんにちは!歴旅ライターまえてぃーです。

今回ご紹介する場所は、「長崎原爆資料館」です。1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が落とされました。日本は世界中に数ある国の中で唯一の被爆国となりました。この悲惨な歴史を忘れないために、そして繰り返さないために、みんなで知っていけたらと思います。

それでは早速いってみましょう。

目次

長崎原爆資料館の基本情報

原爆資料館はJR長崎駅の北側にあり、公共交通機関で約20分で着く場所にあります。

  • 住所:〒852-8117 長崎県長崎市平野町7-8
  • 電話番号:0958441231
  • 観覧料:一般200円 小中高校生100円

アクセス

  • 電車:JR長崎駅から市内電車「赤迫」行き「原爆資料館」下車徒歩約5分
  • バス:長崎バス1・2・9番系統「浜口町」下車徒歩約5分
  • 車:有料駐車場あり

長崎原爆資料館とは

長崎原爆資料館
<資料館入り口です>

この長崎原爆資料館は、被爆の惨状はもちろん、戦争がはじまり、日本が歩んだ戦争への道筋や原爆が投下されることになった経過、また核兵器が開発された歴史の流れから平和の追求まで、非常に包括的でストーリー性のある展示がされています。より分かりやすく感じられるように、映像資料を利用した解説もあります。

そして、主要な展示資料には、日本語、英語、中国語、韓国語の4か国語でキャプションを表示もされています。モバイル端末で館内に掲示しているQRコードを読み取ることによって11か国語(日本語、英語、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、アラビア語)で展示解説を閲覧でき、世界中の人々に原爆の恐ろしさ、そして、恐ろしさを通して平和の恒久を訴えています。

案内掲示
<資料館内の案内展示>

1945年8月9日

1945年8月9日午前11時2分。長崎の上空で一発の原子爆弾がさく裂しました。長崎の街は一瞬にして破壊され、大人も子どもも多くの命、日常が一瞬で奪われました。なんとか生き延びた人々も、身体はもちろん心にも大変大きな痛手を負い、今もなお多くの被爆者が苦しんでいます。

資料館入り口を入るとすぐ、原子野と化した長崎の街に足を踏み入れることになります。崩れた街、真っ暗な世界に火の手があがる様子、そして11時2分を指して止まった時計が展示されています。被ばく前の長崎の街の様子も見ることができ、その違いに愕然とします。

原爆投下直後の長崎の街を体感
<原爆投下直後の長崎の街を体感できる>

浦上天主堂
<東洋一の壮大さを誇っていた浦上天主堂(再現造形)は、わずかに側壁を残しただけで、無惨に崩れ落ちた>

時を止めた時計
<時を止めた時計>

長崎に投下された原子爆弾について

原子爆弾は、核分裂性物質が核分裂するときに発生するエネルギーを兵器として利用したものです。その威力は、通常の爆薬に比べるとはるかに大きな破壊力をもっています。また、核分裂の時に発生する放射線(ガンマ線など)は、一度人体に混入すると、長い期間に渡りその身体に深刻な障害を与えます。長崎に投下された原爆は、長さ3.25m、直径1.52m、そして重さは4.5tもあり、その形状からファットマンと呼ばれていました。爆発の時は21ktに相当するエネルギーを放出し、そのエネルギーとは爆風が約50%、熱戦が約35%、放射線が約15%で、これらが複合的に絡み合い、長崎の街を壊滅させたのです。そして死者73884人、負傷者74909人(1945年12月末までの推定)という未曽有の悲劇を生みだしました。

長崎型原爆ファットマンの実寸大模型
<長崎型原爆ファットマンの実寸大模型>

<編集部註>
原爆模型の横に付いている銀色の針金のような突起物はアンテナだそうです。 あのアンテナは高度を感知し、地上5~600m地点で爆発するように計算して装着され、 それによって地上に熱線と爆風を浴びせ、大きな被害を与えるという恐ろしい結果を生み出したそうです。

長崎地形模型では模型上に火球・熱線・爆風・火災・放射線の広がりについて分かりやすく展示・解説している
<長崎地形模型では模型上に火球・熱線・爆風・火災・放射線の広がりについて分かりやすく展示・解説している>

原爆投下後の火災による被害の検証展示
<原爆投下後の火災による被害の検証展示>

資料館の展示品

資料館の内部には当時の惨状が伝わるような数々の展示品があります。そこでは、ただただ日常を生きていた人達の日用品が、姿を変えて、私たちに平和の大切さを訴えてきます。

資料館の展示品
<当時の写真と当時使用されていたものを同時に見ることができます>

資料館の展示品
<右側:女子学生が使っていたお弁当箱は炭と化していた/左側:6本のガラス瓶が高熱のため溶けてくっついている>

核兵器のない世界へ

これほど悲惨な歴史を生み出したにも関わらず、人類は核への追求を止めませんでした。資料館の最期には、原爆投下後、さらに開発が進んだ世界の核開発について知ることができます。

戦後の核開発の歴史や核廃絶を求める流れ
<戦後の核開発の歴史や核廃絶を求める流れ>

現在の世界各国の核保有数
<現在の世界各国の核保有数。戦時中は数えるほどだった核兵器が、今ではおびただしい数となり、地球上に存在している>

今を生きる私たちが問題意識を持つためにも、今の核兵器・核開発がどのように行われているかを知ることは、とても意義のあることだと感じます。

終わりに

いかがでしたか?教科書で、日本に原子爆弾が投下されたことは学んでいたり、小中学生の修学旅行で訪れたりはしたかもしれません。まえてぃーも小学生の時の修学旅行は広島で、原爆資料館に行きました。その悲惨さと平和の大切さは生涯忘れないものとなりましたが、大人になって改めて知り、学んでみると、そのために何ができるか、今をどう生きるかということがより具体的になった気がします。そしてそれを誰かに伝えていきたいとも思うようになりました。

ぜひ一度、この長崎原爆資料館へ足を運んでみてください。

長崎平和公園

そして資料館すぐ横の「長崎平和公園」にもぜひ行ってみてください。この公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界恒久平和への願いを込めてつくられました。

長崎平和公園
<「平和の泉」です>

原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いが込めて浄財を募り建設された、円形の泉です。被爆し水を求めてさまよった少女の手記を刻んだ石碑が正面に設置されています。

長崎平和公園

こちらは長崎市民の平和への願いを象徴する平和祈念像です。この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は"原爆の脅威"を、水平に伸ばした左手は"平和"を、軽く閉じた瞼は"原爆犠牲者の冥福を祈る"という想いが込められているそうです。

毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。

関連記事

長崎」に興味わいてきた?あなたにおすすめの『長崎』旅行はこちら

※外部サイトに遷移します

Related postこの記事に関連する記事

Ranking長崎記事ランキング

ランキングをもっと見る

この記事に関連するエリア

この記事に関連するタグ

プロフィール画像

まえてぃー

元ノリノリ世界史教師。教科書に載ってたり載ってなかったりする世界の歴史ポイントをご紹介。旅のついでにそのロマン溢れた世界をご堪能ください。

Pick upピックアップ特集

全国の動物園&水族館 徹底取材レポート特集!デートや家族のおでかけなど是非参考にしてみてください♪

特集をもっと見る

たびこふれメールマガジン「たびとどけ」
たびこふれサロン

たびこふれ公式アカウント
旬な情報を更新中!