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南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
「南極」という言葉から、あなたは何をイメージできますか?
オーロラ、ペンギン、映画「南極物語」、昭和基地、タロ・ジロ......それぞれに思い浮かべた南極のイメージ。現在、私たちがこうしてあれこれイメージできるのも、先人が南極の地を目指したからこそ。
今回は、名古屋港に展示されている「南極観測船ふじ」に乗船し、氷の大陸を目指した南極観測隊の船内の生活をじっくり見学してきました。南極へのロマンかきたてる彼らの生活ぶりと南極大陸のフシギについてお伝えします。
目次
1. 名古屋港ガーデンふ頭へ
「南極観測船ふじ」へ行くために、名古屋港ガーデンふ頭を目指して出発します。
今回は電車を使いました。JR・名鉄・名古屋市営地下鉄が乗り入れる「金山」駅で、地下鉄名港線の「名古屋港」駅行きに乗り、終点の「名古屋港」駅で下車。3番出口を上がると、名古屋港ガーデンふ頭の玄関ともいえる「ガーデン緑園総合案内所」が前方に見えます。ここでは、名古屋港の観光スポット情報をはじめ、イベント、クルーズ船の入港予定なども確認でき、丁寧に対応してくれます。
今回の目的地「南極観測船ふじ」は、名古屋港ガーデンふ頭の一施設として公開されています。
名古屋港ガーデンふ頭にはそのほか、名古屋港水族館、名古屋港ポートビルの「海洋博物館」と「展望室」、複合商業施設「JETTY」などがそろっています。
2. 船まるごと展示されている「南極観測船ふじ」
ガーデン緑園総合案内所から南へ進むと、羽を広げたカモメのような形の無料休憩所「ポートハウス」が現れます。その先に、コの字型をした切込み式のふ頭に係留されている船が「南極観測船ふじ」です。
この船は、1965年から1983年までの18年間、氷を砕いて海を進む「砕氷船」として活躍しました。船内は、博物館として一部リノベーションされていますが、船まるごとがほとんど当時のまま展示されています。
「ふじ」へと近づき全貌が次第に明らかになると、船体のオレンジと白のツートンカラーがよく見えます。秋晴れの青空によく映えるのが印象的でした。
船体のオレンジ色は「アラートオレンジ」と呼ばれ、その名の通り、南極の氷と雪の白一色しかない環境でよく目立つように採用しているのだそう。ちなみに、南極の昭和基地にもこのアラートオレンジが塗装されています。
船内へ入るチケットは、乗船の入口に近い、陸地にある「ふじ券売所」で買うことができます。船旅の気分が盛り上がってタラップのほうへ行きそうになりますが、はやる心を少し抑えて、ドーム型の銀色に光る券売所へ立ち寄りましょう。
3. 「南極観測船ふじ」に乗船!
タラップの先にある乗船口でチケットを見せると「南極観測船ふじ乗船証明書」と書かれたカードをもらえます。1985年8月16日から一般公開されているふじへ乗船したのは、私で8905079番目のようです。
入口の横にふじについて紹介するビデオやパネルのプロローグ展示があります。予習を兼ねて見ていると、背後から「お待たせしました!」と男性の声が。
声の主は、南極観測船ふじの学芸員、山口真一さん。実は山口さんご自身も、昨年の第64次南極地域観測隊(夏隊)の一員として、令和4年11月11日から令和5年3月22日まで、広報担当の任務に就いていたそうです。今回特別に船内ガイドを務めてくれました。
それでは、乗組員たちが長期にわたり生活をともにしていた船内を見ていきましょう! 山口さんの過酷な思い出を挟みながらガイドしていただいた様子をお伝えします。
4. 船室を渡り歩いて乗組員気分!
「ふじ」の船内は、地下1階から3階に分かれていて、パネル展示とマネキンによって当時の様子を再現しています。
激しい揺れにも負けず、憩いの場として愛された「食堂」
まずは、船内の1階から。ふじの乗船入口に直結している「食堂」には、当時、一度におよそ100名が座って食事をすることができたそうです。現在は、博物館仕様にリノベーションされているので、残っている机は6脚のみ。「先ほど入っていただいた入口のほうまで、机がずらりと並んでいたそうです」と山口さん。
この食堂の机で注目したい点は、船体の激しい揺れに対応する工夫の数々。机の脚はがっちりと床に固定され、机の縁には食器が滑って床に落ちないようにストッパーが付いています。あまりに激しく揺れるので、鍋ややかんは天井からひもや鎖で吊るしていたのだとか。
激しい揺れが起こる原因は、南緯40度~60度付近の暴風圏。南極に船で向かう際は必ず通らなければなりません。海上で発生した低気圧がダイレクトに当たって相当の威力があるのと同時に、砕氷船は船体で氷を砕きやすいように揺れやすく造られているので、言葉では表せないほど揺れるのだとか。
山口さんもその揺れを経験したそうで「波高が8mにも及ぶことがよくあります。垂直方向のアップダウンに加え横揺れも伴い、それが繰り返されるので、1週間以上延々と遊園地のフリーフォールとジェットコースターを同時に体験するような感覚でした。ひどい船酔いに悩まされました。あの時のことは最近も夢で見ました」と話してくれました。
長い船旅の間、この広い食堂が乗組員にとっての憩いの場となっていたそうです。そして、「テアトルふじ」という名の映画上映や乗組員が南極について学ぶ「ふじ大学」といった文化が生まれました。ふじ大学は、所定の単位を修了すると卒業証書が授与されました。でも、証書をよく見ると、そこにはユーモアたっぷりで、思わずにやりと笑ってしまう文面が。学びもエスプリを効かせて楽しむ娯楽のひとつだったのかもしれませんね。
※卒業証書は2階の南極の博物館に展示されています。
総勢240人分の食事を作っていた「調理室」
食堂の奥には船内の大勢の人の食事を作る「調理室」があります。マネキンを使って当時の様子を再現しているので、そのリアルな姿にびっくりする人も多いのでは? ふじには、船の運航を任されている海上自衛隊の乗組員が約200名、そして南極の調査を行う文部省(当時)・気象庁などの職員や大学研究者で構成された観測隊員が約40名、乗船していました。
食事に使われる食材は、乾燥や冷凍で保存が効くようにしたものばかり。しかし時には水分の多い生野菜も食べたいという思いから、調理室には「もやしの栽培機」もあったそうです。
また、「おいしい家庭料理が食べたい」という隊員の思いに応えるべく、フリーズドライの研究が進んだという話もよく知られています。現在は、昭和基地でレタスやキュウリなどが水耕栽培できるようになり、極限の地でも新鮮な野菜を食べることができるそうです。
調理室横の長い通路を抜けて階段を下りると地下1階に。ここには実際の生活ぶりがよく分かる船室が並んでいます。
手術にも対応!240名の健康をあずかる「医務室」
船酔い、航海中や観測活動でのケガ、内科手術に至るまで、乗船する隊員の健康を預かっていたのが「医務室」でした。海上自衛隊の医官と歯科医官の専門医が従事し、衛生にかかわる教育、健康診断、診療などを任されていたのだそうです。
医務室の奥には病室もあり、盲腸の手術をしたという記録も。もしも、暴風圏に入るタイミングと手術が重なってしまったら、一体どうするのでしょう? 横たわる乗組員とその腹部を診察する医師のマネキンを見ながら、そんな心配をしてしまいました。
タダなら虎刈りもやむなし?な「理髪室」
ふじの中には、無料でヘアカットできる予約制の「理髪室」がありました。しかし、プロフェッショナルな理髪師ではなく、"腕に覚えのある"乗組員が担当していたそうです。南極観測船の中では、少ない人数で何でもこなさなければならないことがよく分かります。
日本から出港する前に、特別に理髪のトレーニングを受けたそうですが、それでも経験の浅い理髪師ですから、しばしば虎刈りにされてしまった人もいたとのこと。いつからか、理髪室のことを「タイガーショップ」や「タイガーバーバー」と呼ぶようになったのだそうです。皮肉が効いたネーミングですが、これもまたユーモアで厳しい南極生活を乗り切る知恵だったのでしょうか。
ちなみにこの理髪室、平成29年8月には全国理容連合会から「理容遺産」として認定されています。「タイガーショップ」は、国家的な貢献度や歴史的な価値が認められた、すごい理髪室なのです。
昭和なタイプライターに懐かしさ感じる「庶務室」
船の操縦や生活に必要な仕事だけでなく、乗組員はそれぞれに専門分野の仕事を分担していたそうです。ここ「庶務室」では、通文書を作ったり、保管したりという庶務に関わる仕事をしていました。ガラス窓越しに中をみると、昭和時代に活躍したタイプライターや手回し式の計算機を見ることができます。乗組員のマネキンの手元から、ガシャン!ガシャン!と文字を打ち込む音が聞こえてきそうです。
厳しいパイセンが居並んでいそうな「先任海曹寝室」
「いわゆる鬼軍曹の部屋ですね」と山口さんが笑いながら案内してくれたのは、ベテラン乗組員で「先任海曹」と呼ばれる約10人が生活していた「先任海曹寝室」。内部には、3段ベッドが5つ、机2つ、棚、ロッカー、テーブルがあり、奥には専用のトイレ、浴室がそろっています。マネキンの先任海曹が楽しんでいるのは、「キャロム」というボードゲーム。玉を指ではじいてボードの角に開いた穴へ落とすビリヤードのようなゲームで、当時、ふじの船内や昭和基地で流行したのだそう。
また、手前のテーブルには、タバコとガラス製の灰皿が。喫煙に大らかだった時代を感じさせますね。
乗組員100名が寝起きした、超大部屋な「第二居住区」
乗組員サイドの幹部と先任海曹には、およそ数人~10名ごとに船室が用意されていましたが、そのほかの一般乗組員はここ「第二居住区」で生活していました。
約150平方メートルのスペースに、総勢およそ100人が過ごしていた大部屋です。「室」ではなく「区」と名付けられていることからも、このスペースに乗組員たちがひしめいていたのだろうと想像できます。同じように60人分の第一居住区が、船首のほうにもあったそうです。
ベッドは、鉄のフレームに丈夫な布を紐で結んだだけの簡易を極めた造りをしています。横幅が小さめなのは、寝転がると自分の体重で布が引っ張られて枠に体がフィットするように設計されているから。暴風圏を通過するときは非常に揺れるため、落下防止のベルトも備わっています。
展示されていた航海日課には、平日・土曜日・休養日に分けられた1日のスケジュールが記されています。起床から消灯まできっちり決められている中で過ごしていたことが分かります。海上自衛隊には、予定の定刻5分前には準備を終えておく「5分前精神」というルールがあるそうです。
第二居住区のベッドには、当時の隊員が「"人生"楽あれば苦も又、多し 田中早苗」と書き置きをした文字がそのまま残っています。また、流行していた歌手の名前を書いたと思われるベッドもあり、ここで過ごしていた隊員の何気ない普段の様子が垣間見えた気がしました。
快適そうでも油断大敵な「第12観測隊員寝室」
乗組員は大規模な共同生活を送る一方、観測隊員には2人部屋と4人部屋がありました。
テーブル上のタバコの包装や上に飾られている人形、ベッドの片隅に置かれた洗濯用洗剤に時代を感じます。彼らの部屋にはベッド、机、ソファー、洗面台が付き、バス、トイレは共有だったようです。ベッドはしっかりとした造りでマットも敷かれていますし、士官室と同レベルの快適さが保たれていたように見受けられます。
ただ、ひとつ違うのは、観測隊員の部屋で倉庫に入りきらない観測機器をそれぞれが保管していた点。精密な機械は数百万円という高額なものもあったそうで、暴風圏を通過するときや氷を砕いて進むチャージングの際には、観測隊員は機器が壊れないように神経をすり減らしていたようです。
南極への航海は、その厳しい環境下での観測業務もさることながら、それぞれの仕事を遂行するために、お互いを尊重しつつ、長期にわたる共同生活をいかに快適に過ごせるかが重要だったのかもしれません。
5. 「南極の博物館」で知る南極観測の理由
さて、船内の様子をじっくり見学した後は、2階へ上がって「南極の博物館」で学びの時間です。
当時、甲板だったスペースが博物館として使われ、南極大陸の成り立ち、南極観測の様子と実績などが分かるパネル、歴代の砕氷船模型、実物の雪上車などが展示されています。
展示物を見ながら、山口さんにもいくつか質問してみました。
―そもそも、なぜ南極を観測することになったのですか?
山口さん「南極には人が住んでおらず、人間にとって未知の世界でした。そのため、第二次世界大戦が終わった頃から、この地域を調べたいと、世界中で南極へ向かう動きが活発になったのです」
―日本もそこに加わった?
山口さん「はい。日本が参加できたのは、昭和31年のことです。敗戦国として扱われたこともあり、一時は参加を拒否されもしましたが、最終的になんとか参加を認められました。終戦後の日本が国際社会に認められるきっかけともなる、とても意義のある一大国家事業だったのです」
―日本の南極観測では、どんなことが分かったのでしょうか。
山口さん「昭和基地の上空で、オゾン全量が急に少なくなっていることに日本が初めて気づいたそうです。はじめは観測機器の故障を疑われましたが、後のオゾンホール発見につながったというのは代表的な成果ですね。そのほか、世界に先駆けて日本が成し遂げた実績としては、南極隕石の発見やロケットでオーロラ発生の仕組みを観測できたことなどがあります」
―南極観測では、具体的にどんなことを調べるのでしょうか。
山口さん「ひとつには氷ですね。南極大陸の氷は、降った雪が固まってできたもの。そのため南極大陸には、標高が3,800mという富士山より高い所もあり、その場所の氷の厚さは3,000m以上あります。この分厚い氷をいかに深いところまで手に入れるか。その頃の大気の状態、つまり百万年前の地球の様子が分かってくるんです。さらに、地球温暖化の予測や解明にも発展していくわけです」
―気の遠くなるような、それでいてロマンを感じるプロジェクトですね。ちなみに、山口さんが忘れられない南極観測でのエピソードはありますか。
山口さん「ナンキョクオオトウゾクカモメ(写真中央)に襲われました(苦笑) 国際条約の南極条約では、アザラシは15m、ペンギンや鳥は5m以内に近づいてはいけないルールがありますが、撮影しようとカモメの巣に近づきすぎてしまったがために、飛んできて足で威嚇されたんです。それでもカメラを構えてシャッターを押したので、思いがけず迫力のある写真が撮れました。しかし、カモメには申し訳ないことをしたと思っています」
極感ドラマチックシアター
前面、左右と床の四方を囲む巨大なスクリーンで、ふじに乗っているかのような気分を味わえる疑似体験を楽しめます。映像は「南極観測船ふじ 氷海を行く」(2分30秒)と「南極大陸を行く」(2分40秒)の2本がリピート上映されています。
雪上車
初めて南極を目指した「宗谷」の時代に活躍した、国産第1号の雪上車です。役目を終えて南極に置き去りになっていましたが、「ふじ」の時代に地球環境保全のために回収し、こちらで展示されています。
極寒の地で使う雪上車のエンジン燃料には何が適しているのかも分からない時代。この雪上車はガソリンで動くタイプとして投入されたものの、結果的にディーセルエンジンが採用され、最初で最後の1台として今に残されています。
6. 「ヨーソロー!」航行ブリッジでハンドルを握る!
「南極の博物館」から甲板に出て、海上自衛隊のヘリコプターを眺めたら、外の階段を上って3階へ。船を操船し、船内の各所に指令を出す司令塔としての役割を果たす「ブリッジ」の中を見て行きましょう。
操縦ハンドルと伝声菅
「ふじ」が一般的な船と異なるのは、「チャージング航行」といって、前進と後進を何度も繰り返して船首で氷を砕きながら進んでいく点です。操縦ハンドルは、船のエンジンへ速力を伝える大事な役割を担っています。操縦ハンドルの上には、進行方向と速度が細かく分けられた「速力区分 発停増減速区分」が掲示されています。
ハンドルの上に取り付けられたラッパ状の装置は「伝声菅」という管で、電話もなかった時代に船内でほかの部屋と話をするために使われていました。話をするために備えられていた管です。その名残が「ふじ」にもありますが、電話の予備という位置付けで、あまり使用されなかったようです。
艦外の号令
ふじへ乗船する際のことですが、号令とそれに答える声が聞こえていました。どうもその号令は、このブリッジから発せられるものだったようです。上官が伝声菅を通して指令を出し、乗組員がそれを受けて復唱して船を操作するそうです。
気を付けて聞いていると、「間もなく乱氷帯に入る」「ヨーソロー」「両舷前進第一強速」「両舷停止」「両舷後進半速」「チャージング航行を行う」といったやりとりが分かります。ちなみに「ヨーソロー」とは航海用語で、「宜く候(よくそうろう)」が変化したもの。そのまま進めという意味だそうです。
7. あの「タロ」と「ジロ」に出会える広場
さて、ふじの船内を一巡して下船したら、陸の展示もぜひ見てください。目の前の「ふじの広場」は、南極大陸の形になっているそうです。高い場所から見下ろすと分かるかもしれません。ここには、ふじで実際に使われていたプロペラや雪上車のほか、あの有名な南極犬「タロ・ジロの像」もあります。
巨大なスクリューは、間近で見ると大迫力! 氷の海を力強くふじが進んでいけたのは、このスクリューがあったおかげだと思うと、感動もひとしおです。ただただ、大きさに圧倒されてほしいスクリューです。
「タロ・ジロ」といえば、本や映画にもなった有名な樺太犬。1956年(昭和31年)、第1次南極観測越冬隊と一緒に南極でそり犬として活躍したものの、翌年の第2次隊が南極に到着して入れ替わる際、天候が悪く南極に取り残されてしまいました。鎖につながれて置きざりにされたタロとジロは、鎖から抜け出して1年間生き延び、第3次隊に救出されて一躍有名になりました。
8. 名古屋港ガーデンふ頭に来たらここもチェック
ふじの船内と周辺をじっくり見て回ると、およそ1時間。時間に余裕があれば、白い巨塔が目を引く「名古屋港ポートビル」へも行ってみてください。ふじのすぐ近くです。
名古屋港ポートビル
白い帆船をイメージした、高さ63mの建物が「名古屋港ポートビル」です。近くの「ガーデンふ頭臨港緑園」から名古屋港をバックに外観を眺めるのも良いですが、おすすめは展望室からの眺め。ポートビル最上階の7階「展望室」からは、名古屋港や名古屋駅周辺の高層ビル群が一望できます。
名古屋海洋博物館
(写真提供:公益財団法人 名古屋みなと振興財団)
名古屋港ポートビル内の3階と4階には「名古屋海洋博物館」があります。国際貿易港として日本一の名古屋港にふさわしい、港・海・船について学べる博物館です。
「おたのしみブリッジ」ゾーンでは、船舶のブリッジがリアルに再現され、制服や帽子を着用して船長になった気分を味わえます。また、「操船シミュレータ」やコンテナを積み込むガントリークレーンが体験できる「体験リアルポート」など、子どもはもちろん、大人もゲーム感覚で楽しめますよ。
「南極観測船ふじ」での南極観測船の乗組員体験を通して、ロマンあふれる南極の世界を堪能してみてはいかがでしょうか。
9. 「南極観測船ふじ」の基本情報
最後に、南極観測船ふじの基本情報です。
- 住所:〒455-0033 愛知県名古屋市港区港町119
- 開館時間:9:30~17:00(最終入館16:30)
- 入館料金:大人300円/高校生300円/小・中学生200円/幼児(4歳以上)無料 ※4施設共通チケット(名古屋港水族館・南極観測船ふじ・名古屋港ポートビル展望室・名古屋海洋博物館)など、各種セット料金もあります。詳しくは公式サイトでご確認ください
- 休館日:毎週月曜 ※休日の場合は翌日 ※GW期間、7月~9月、春休み・冬休み期間中の月曜は開館
- アクセス:
地下鉄名港線・地下鉄名城線金山方面(左回り) 名古屋港駅3番出口より徒歩5分 / 名鉄線・JR線金山駅にて地下鉄乗りかえ、名港線名古屋港駅3番出口より徒歩5分 / 名古屋高速道路 港明ICから約10分(築地口・名古屋港方面) / 伊勢湾岸自動車道 名港中央ICから約20分(築地口方面、築地口交差点を右折直進) / 知多半島道路 大高ICから約20分(国道23号線四日市方面、築地口交差点を左折直進) - 駐車場:ガーデンふ頭駐車場(100円/30分 24時間ごと上限額1,000円) ※混雑時には臨時駐車場を案内される場合があります
- 電話番号:052-652-1111(毎週月曜日を除く、9:30~17:00)
- 公式サイト:名古屋港ガーデンふ頭
※本記事は2023年11月30日時点の情報のため、最新情報は公式サイトでご確認ください
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高橋尚美
- 愛知県生まれ。大学進学をきっかけに上京し、卒業後はIT系雑誌の広告営業やWebメディアの広告企画の仕事に就く。結婚・出産を経て、2009年に岐阜市へ移住し、2017年からフリーランスライターとして活動を始める。現在、フリーペーパーやWebメディアでインタビュー記事を中心に執筆し、子育て・教育・食・健康・住まいなどの分野を得意とする。