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【フランス】セーヌ川の水源を尋ねて...
<TOP画像:セーヌ川の上流 ©KanmuriYuki>
セーヌといえばパリ。フランスの首都を東から西へと横断する川として知られます。パリを離れたセーヌは大きく蛇行しながら西方のノルマンディに向かって進み、最後は海へと流れ込みます。その途中、観光名所としては、モネの家があるジヴェルニーやジャンヌ・ダルクが処刑されたルーアンを通ります。
...と、この辺りはよく聞く話。それでは、パリに流れつく前のセーヌは、いったいどこを通ってくるのでしょうか?
目次
セーヌの水源はブルゴーニュ
答えから先に言ってしまうと、セーヌの水源はブルゴーニュのコート・ドール県内にあります。ちなみに、コート・ドールは、直訳すると「黄金の斜面」という意味。この地がワインの名産地であることから、議員の1人が18世紀に付けた名前だと言われています。コート・ドール県の県庁所在地は、美食の都として有名なディジョン。かつてはブルゴーニュ公国の首都がおかれた場所で、歴史的にも文化的にも豊かな見どころを持つ町です。
<ディジョンの町 ©KanmuriYuki>
さて、セーヌの水源は、このディジョン市から北西に約35km離れた場所にある人口約60人の小さな村に隣接しています。その村の名はスルス・セーヌ(セーヌの水源)。もともとは昔の高名な司教名が村名に使われていましたが、フランス革命の時期に「スルス・セーヌ」が一時的に用いられ、その後いくつかの変遷を経たのち、2009年正式名称に採用されました。
ブルゴーニュの中にパリ?!
さて、このセーヌの水源ですが、間近に見に行くことができます。マイカー以外では訪ねにくい場所ではありますが、駐車もでき、水源地帯は整備され、あたりにはベンチやピクニック用のテーブルなども置かれています。実は、1864年以来この水源地帯はパリ市が管理しています。つまり、ブルゴーニュのど真ん中にパリ市の土地があるわけで、なんだか不思議な気がします。
<セーヌ水源公園の入り口には「パリ市」と明記されている©KanmuriYuki>
セーヌ川の水源はひとつではなく、緑地の中に7か所あります。それらをまとめる形で1865年には洞窟が作られました。中に横たわる彫像は、セーヌの名の起源となった女神セカナを現しています。
女神セカナを祀った聖域
セカナはガリアのケルト神話に出てくる女神で、願いを叶え、ヒトを癒すと信じられていました。それがどうしてセーヌ川の女神になったのかは不明ですが、カエサルがガリアを征服した紀元前1世紀ごろにはセーヌ川と結びつけられていたと考えられています。というのも、このセーヌの水源のすぐ近くで発見された神殿跡には、紀元前1世紀から紀元4世紀にセカナへ献呈されたおびただしい数の木像や石像、青銅像が見つかっているからです。
<洞窟の中には横たわるセカナ像©KanmuriYuki>
19世紀と20世紀に発見されたこれらの発掘物は、現在ディジョンにある考古学博物館で展示されています。
ディジョンの考古学博物館
- 開館時間:4/1~10/31 9:30~12:30・13:30~18:00、11/2~3/31 9:30~12:30・13:30~18:00
- 休館日:火曜日(4/1~10/31)、月・火・木・金(11/2~3/31)、1/1、5/1、5/8、7/14、11/1、11/11、12/25
- 入場料:常設展は無料
- URL:ディジョンの考古学博物館
セーヌ川一番上流にある橋はこれ!
19世紀の発掘では、セカナの座像と思われる石像も発見されました。セーヌ水源公園には2014年に制作されたこの像のレプリカも置かれています。
<セカナ像レプリカ©KanmuriYuki>
水源公園で、もうひとつ見ておきたいのは、1970年に作られた石橋です。なんといっても、上流から数えて最初の橋となるのがこれ!この橋には、50年以上このセーヌ水源の管理人を務めた人物、ポール・ラマルシュ氏の名前がつけられています。
<ポール・ラマルシュ橋 ©KanmuriYuki>
セーヌの水源
- 公式サイト:セーヌの水源
寄り道のすすめ:ミュゼオ・パルク
発掘されたセカナの神殿跡は立ち入り禁止で見学はできませんが、近くには歴史好きな方におすすめの場所があります。それは、セーヌ水源公園から25kmほど北西にあるアリーズ・サント・レーヌ村です。
<ミュゼオ・パルク博物館の外観 ©Sébastien PITOIZET>
ローマ人とガリア人の戦いであるガリア戦争は、紀元前52年ごろアレシアの戦いでのカエサルの勝利で終了しました。その「アレシア」(フランス語ではアレジア)の場所については、長い間歴史学者たちが議論してきましたが、現在最も有力と見られているのが、このセーヌ水源公園近くにあるアリーズ・サント・レーヌ村なのです。実際、この時の包囲戦の跡とみられる遺跡が、この村とその周囲では数多く見つかっています。
<戦いの再現イベントの様子©Sébastien PITOIZET>
国の歴史的建造物指定も受けているこの遺跡における発見を集め、2012年には「ミュゼオ・パルク」がオープン。大人も子どもも多角的に歴史を学べる博物館として人気です。特に夏は毎年、屋内外のイベントが多く企画されます。冬は休館していますのでお気を付けください!
アレジア・ミュゼオパルク
- 開館時間:2/15~3/31 10:00~17:00、4月~6月 10:00~18:00、7~8月 10:00~19:00、9~10月 10:00~18:00、11月 10:00~17:00(閉館45分前までに入館すること)
- 休館日:冬期期間(12/1~2/14)
- 入館料:博物館のみは大人9ユーロ~、復元されたガロ・ロマン村のみは大人4.5ユーロ~、共通券は大人11ユーロ~/13~17歳、学生、60歳以上などの割引あり、7~12歳は子ども料金
- 公式サイト:アレジア・ミュゼオパルク
ヨンヌと呼ばれたかもしれないセーヌ
さて、話をセーヌに戻しましょう。セーヌ川はフランスでは2番目に長く約777kmもあります。日本で一番長い信濃川(367km)と比べても倍以上の長さです。
<パリを流れるセーヌ川 ©KanmuriYuki>
川が別な川と合流する際は、より水量の多い方の川の名を川下において用いるのが基本です。セーヌ川の場合、合流する主な支流にはヨンヌ川、マルヌ川、オワーズ川があります。原則どおりであれば、どの合流点でもセーヌの方が大きいはずなのですが、実はそうではありません。というのも、モントロー・フォー・ヨンヌで合流するヨンヌは、セーヌよりも大きいのです。
<ヨンヌ川 ©KanmuriYuki>
セーヌよりも大きなヨンヌが、なぜ支流となってしまったのか?セーヌ河畔にある町ピュトー市の公式サイトは、これを、女神セカナの名を持つセーヌ川が神格化されていたためだろうと説明しています。
ピュトー市
>>ピュトー市の公式サイト:セーヌという名になった理由はこちら
とっくに歴史の中に忘れ去られたように見えるセカナ信仰ですが、それがなければ、今頃はパリを流れる川はヨンヌと呼ばれていたのかもしれないと思うと、面白いですね。
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冠ゆき
- 山田流箏曲名取。1994年より海外在住。多様な文化に囲まれることで培った視点を生かして、フランスと世界のあれこれを日本に紹介中。