【オーストリア】世界遺産の町グラーツのシンボル「シュロスベルク」山上を散策

<TOP画像:シュロスベルクの時計塔>

オーストリア第二の都市グラーツ。ウィーンから150km南にある世界遺産の町で、スロヴェニアとの国境も近く、緑豊かなシュタイヤーマルク州の州都としても親しまれています。

グラーツのシンボルと言えば「シュロスベルク」という山と、その山上に建つ時計塔。「シュロスベルク」とは「城山」を意味しますが、ふしぎなことに山の上にあるのは時計塔だけで、「城」の姿はありません。

のどかなシュロスベルク山上を散策し、絶景を堪能しつつ、「城」の行方を探ってみましょう。

目次

グラーツの「城」はどこへ?

「グラーツ」とは、スラブ系の言語で「城」や「砦」を示します。その名の通り、12世紀には既にシュロスベルクの山上には城があり、難攻不落の要塞として名を馳せていました。15世紀から16世紀にかけてのオスマントルコ侵攻も何度も耐えきったシュロスベルクの城。何度も増築、改築を重ね、時代に合わせて補強してきた、オーストリア南部を守る重要な城でした。

その運命は、ナポレオン戦争で大きく変わります。1809年、3,000人のフランス軍に包囲された際には、オーストリア軍はたった900人で立てこもり、8回の突撃を耐えきり、城を守り切ります。しかし、首都であるウィーンがフランス軍により陥落した後、ナポレオンはこの城の取り壊しを命じます。こうして、一度も陥落したことがないまま、1810年にシュロスベルクの城は解体されました。

取り壊された礼拝堂跡
<取り壊された礼拝堂跡>

グラーツ市民は、時計塔と鐘の塔だけは残すよう懇願し、多額の身代金を支払ったため、この2つの建物だけは取り壊しを免れました。グラーツの時計塔は、ただの町のシンボルではなく、市民で協力して守った、団結の印でもあるのです。現在、城があった山頂は公園や花壇として整備され、市民の憩いの場となっています。

シュロスベルクの登り方

シュロスベルクの山上へのルートは、ケーブルカー、エレベーター、階段の3つがあります。今回は1890年建造のケーブルカーを利用して、一気に頂上まで上がってみましょう。シュロスベルクは町の中心部との高度差が123mとそれほど高くないですが、傾斜は相当なものです。

ケーブルカー
<ケーブルカー>

乗車時間は3分ほどですが、上から来るケーブルカーとすれ違ったり、トンネルがあったりと、かなりスリリング。頂上に着くと、絶景の広がるカフェが見えてきます。ここでいったん休憩し、辺りを散策してみましょう。

エレベーターと階段は山の反対側、時計塔の近くにあります。ケーブルカーかエレベーターで山を上り、階段で降りてくるのがおすすめです。山上はカフェがいくつかと博物館があり、芝生が広がっています。ピクニックシートなどを広げて休日を楽しむ家族連れの姿も見られます。

要塞の名残を探して

ケーブルカー山頂駅を降りてすぐに、「鐘塔」があります。この塔と時計塔の2つのみが取り壊しを免れましたが、すぐ隣にあった礼拝堂は破壊され、土台だけになっています。

鐘塔
<鐘塔>

坂をのぼると武器庫として使われていたレンガ造りの建物が見えてきます。屋根は破壊され、壁だけが残っているため、現在は半野外の劇場として使用されていて、夏季の演劇祭等のイベントに使われています。

さらに進むと、グラーツを一望のもとに見渡せる、芝生の公園があります。一角にたたずむツィステルネと呼ばれる地下貯水施設やナポレオン戦争の包囲戦を祈念したライオンの像は、この場所に要塞があり、過去に激戦が繰り広げられた名残を見せています。

ライオン像
<ライオン像>

この公園の奥まで行くと、ゴシック時代の城門跡が見えてきます。城の取り壊し時に埋められ、1982年に「発見」された中世の巨大な城門で、外観は頑強な城壁の門にしか見えず、城本体が現在存在しないのが不思議なくらいです。

ゴシック城門跡

ゴシック城門跡
<ゴシック城門跡>

ここから元来た道を引き返し、山の反対側にある時計台に向かいます。散歩道の途中にはシュロスベルク博物館があり、更に下ると六角形の井戸が見えます。これが、1553年に作られた、94mの深さのある「トルコ井戸」です。その名の通り、オスマントルコとの戦争で囚われた捕虜が掘ったとされ、実際にナポレオン戦争で城が包囲された時の水源として役立ちました。

トルコ井戸と博物館
<トルコ井戸と博物館>

その横には、爆薬庫だった建物を使ったワインレストランもあり、グラーツを見下ろしながらワインを楽しむことができます。ここから時計塔を目指して歩く途中にある「中国風パビリオン」も絶景ポイントです。

山頂からグラーツ市街を見下ろして
<山頂からグラーツ市街を見下ろして>

時計塔は、13世紀には既にこの場所にあり、グラーツの市民に時を伝えていました。高さは28メートルあり、長針と短針が逆についています。町から時計を見上げた時に、分より時間の方が見やすいよう、このように作られたそうです。

時計塔の針は2時47分を指している
<時計塔の針は2:47を指している>

階段で山を下る

時計塔の足元には、城の取り壊し後に作られた庭園があり、ここから260段の階段で山を下りていきます。この階段は第一次世界大戦中に作られたため、「戦争階段」という名がつけられいます。

シュロスベルクの階段
<シュロスベルクの階段>

階段の折り返しスペースで休憩しつつ、眼下の風景を楽しむと、見下ろしていたグラーツの町が少しずつ同じ目線に近づいていきます。

グラーツ市庁舎
<グラーツ市庁舎>

この階段を降りて振り返ると、山にトンネルが2つ空いていることに気づきます。左のトンネルは山頂に登るエレベーターに、もう1つはトンネル内のイベントスペースにつながっています。これらのトンネルは、第二次世界大戦中に強制労働者によって作られたもので、グラーツの町が爆撃された際には、司令部の避難場所として使用されていました。シュロスベルク内部には、6.3kmに及ぶ坑道が掘られ、なんと鍾乳洞にもつながっています。

まとめ

中世から7世紀以上もシュロスベルク山上に建ち、市民を見守って来たグラーツの城。取り壊しからまだ200年ということを考えると、この山に城があった時代の方が、取り壊し後よりずっと長かったことになります。

城の名残を探してシュロスベルクを散策すると、お金を出し合って時計塔と鐘塔をナポレオンから救った当時のグラーツ市民の思いが、現在まで受け継がれていることを実感します。

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ひょろ

オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。

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