民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命

ゆづるは神社では年に1回、五月大祭「地車祭」の日に8基のだんじりが大集結します。この日は朝から人で大賑わいしていた境内。中央の空間を開けて円形に囲んだ状態で、だんじりが入場して来るのを今か今かと待っている様子です。

目次

五月大祭「地車祭」

だんじり練り回しが始まった

今日は大切な祭りの日ともあり、ゆづるは神社の氏子たちがここに一堂に会しています。コロナで3年開催できなかったというだけに、いつも以上に地域の皆の想いがギュッと込められたお祭りになる予感。

満を持して、1番目のだんじりが威勢よく入ってきました。だんじりの屋根の上では、青年たちが大声で掛け声をかけながら全身を揺らしてはたきを振っています。体には命綱のような縄が一本結びつけられ、その細い縄に全体重をかけて前のめりに踊る姿に目が捉えられてしまいます。

五月大祭「地車祭」だんじり練り回し

だんじり自体の動きにはそれぞれ決まったものがあって、正面に向かって走ったり、だんじりの前側を持ち上げ、後ろを軸にして方向転換するなどの動きがあります。各だんじりによって動きは同じでも雰囲気が違っていたりするのが面白いところ。動かす速さや人数も違えば、息の合わせ方ひとつで違ってくるものなのかも知れません。

そして、だんじりの中から聞こえてくる鐘や太鼓の演奏。勢いのある生演奏に、引き手も舞手も、観衆までもがボルテージがあがります。美しく型取られた地車の装飾もそれぞれにこだわりがあり、職人の手によってつくられた個性豊かなものばかり。そんな各地区の誇り高きだんじりが次々と、境内で勇壮に練り回されていきます。

五月大祭「地車祭」だんじり練り回し

湧き上がる拍手の訳とは

時に、拍手が湧き上がるような瞬間がありました。会場全体がひとつになるような、ギュッとした一体感。だんじりの車輪がいったん土に入り込んでしまうとなかなか出られないのだそうです。だんじりが通るたびに地面が掘られてボコボコになっていく、そんな状況の中で彼らは果敢にも立ち向かいます。

肩を入れて、だんじりを一度上げたら落とさないように廻るのですが、落としそうになって踏ん張って土にめり込んで、それでも必死にあがいて出られた時に「よう頑張った!」と周りから拍手が湧きおこります。お互いその苦しさが分かるからこそ成功した時には讃え合う、そんな素晴らしい精神が祭りを更に熱くしていきます。

ひとつひとつ、練り回しが終わる度にだんじりは各自の場所に収まっていくのですが、それぞれの最後のシーンでは人々が男衆の中に飛び込んでそのまま胴上げされたりと、感動の時が続きます。中には泣いている人の姿もあり、この日がどれだけ彼らにとって特別なものなのかを思い知らされました。

五月大祭「地車祭」だんじり練り回し

ここでじっくりと見ていると、だんじりという存在が普段から地域をまとめあげているということが良く分かります。老いも若きも互いに協力し合い、それぞれの得意とすることを発揮して尊重し合うことができる文化です。役割分担をして皆で支え合うことで、だんじりの存在が更に際立っていきます。

伝統を絶やさないという使命を持ち、未来の子供たちへとバトンを渡せるように保ち続けてきた文化。それを続けること自体が今を生きる人々にとっての活力となり、だんじりを動かすエネルギーが地域の氏神様を喜ばせるという素晴らしい循環。お祭りの日だけだんじりが存在するのではなく、日々の生活から全て繋がっているのがこのお祭りなのです。

五月大祭「地車祭」

200年もの間続いてきた祭り

朝から止まることなく続いた「地車祭り」も全8基の練り回しを終え、皆が待ち焦がれた4年ぶりの開催は、拍手喝采の中で無事終了を迎えました。「やっと元に戻った。天気も良くて神様も喜んではるかなと」そう答えてくれたのは、ゆづるは神社の宮司さん。お祭りは、形態は少しずつ変わっているものの200年近く続いているのだそうです。

ゆづるは神社では、地域の氏子が集まりこうやって神様の前で祭りを行い続けてきた歴史があります。ですが実は、コロナ以前にも20年ほど運行していなかった時があるのだと宮司さんは言います。戦争でだんじりが焼けるなどもあって衰退していた時期もあった中、なんとか耐え凌ぎ、昭和50年代には3基、4基と復活していき他の地区と刺激し合いながら年々盛り上がって、今では東灘で32基までに。

五月大祭「地車祭」だんじり

阪神淡路大震災の後に初めて共同運行をしたというだんじり。それまではお宮ごとにバラバラで動いていたそうです。今がだんじりの数も多くて盛んになっている時期ということですよ、そんな盛り上がっている姿を見られることに感謝ですね。

「3年もやらないとどうかなと思っていたけど、事故もなくやってくれているのであと半日、最後小屋に入れるまでは気を緩めず頑張って欲しい」と、宮司さんは祈りを持って見守ります。

五月大祭「地車祭」だんじり

誇りに思い尊敬を持って

この後、各地区のだんじり小屋に納めるまでそれぞれ夜8時頃まで街を引っ張り歩くのだと聞いて、地車祭での最後を飾った「弓場地区」のだんじりについていく事にしました。先に神社を出て大きな道路沿いまで歩いていくと、すでに場所取りをしている人が。皆さんそれぞれにいい場所を熟知しているようで、手にはカメラを持ってだんじりの登場を待ちわびている様子。

五月大祭「地車祭」だんじり

コンビニや信号機、坂道の道路といった日常風景の中に、だんじりが突如姿を現しました。そんな一種の違和感が面白く、また今日が特別な日なのだということを物語るかのように、太鼓と鐘が辺りに鳴り響いている様子にワクワクします。だんじりの屋根の上では、扇を持って舞う若者ふたりの姿がありました。

東灘一帯で弓場だけが、扇を使った舞をしているのだそうです。70年前ぐらいから始まり伝統として続いているこの舞は、日本舞踊を神社に奉納しようという所から始まりました。女形のていで作られたという舞は柔らかな動きで美しく、ついつい見入ってしまいます。舞手さんは今年で9年目ということで若いのにベテランさん、屋根の上をいともたやすく動きまわります。

五月大祭「地車祭」だんじり

たまにヒョイと飛び上がる姿を見ると、どうやら彼らは命綱もなく屋根の上にいるようです。恐れる様子もなく堂々としている姿から、長年の経験があるのと同時に、これは信頼の上に成り立っているのだとしみじみ思わされました。

上で舞っていて怖くないですか?と後で聞くと「もちろん怖いですよ、今日は特に出番が最後で地面がボコボコ、掘り返されてるから余計に。正直ずっと足がプルプルしてました。だけど一番気持ちいいとこだから、怖さよりも勝ります。皆んなが押してくれてるし、自分は乗せてもらってる側やから」と、笑顔で返事がかえってきました。

御影の中では、30年で一番古いという弓場のだんじり。その上で舞えることを誇りに思っているのだと言います。きっとその気持ちはだんじりに関わっている全ての皆さんの共通した想いなのでしょうね、どこか尊敬が感じ取れるような彼らの動きが見てとれます。

五月大祭「地車祭」だんじり

日常の中へ溶け込むだんじり

だんじりは大通りを堂々と進んだかと思いきや、小さな細い路地までも入っていきます。道をゆく人々はそれを見守ったり、ついて歩いたり。それが昔から当たり前の風景としてここにあるのが素敵だなと思います。いつまでも無くしたくない風景ですね。

五月大祭「地車祭」だんじり

だんじりの後についてどこまでも歩き、辺りも暗くなってきた頃にだんじり小屋へと到着しました。朝から夜まで丸1日かけてだんじりを追いかけた日。そこで感じ取れたのはだんじりを通して繋がり合っている彼らの生き方でした。そんな彼らを羨ましくも思えた1日。

年に1度の地車祭は毎年5月4日に開催です、ぜひゆづるは神社へ足を運んでみては。

五月大祭「地車祭」だんじり

弓弦羽(ゆづるは)神社

  • 住所:神戸市東灘区御影郡家2丁目9−27
  • 地車祭:毎年5月4日
  • 公式サイト:弓弦羽神社

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Hinata Yoshioka

フォト&ライター。国内を転々と旅した後、沖縄にたどり着き12年を過ごす。現在は神戸を中心に活動中。ハワイ好きでフラ歴もあり、ロミロミマッサージのセラピストとしての一面も持つ。好きなことは料理・物作り・音楽・読書・写真・旅などあらゆることに興味はつきない。世界を船でぐるり2周した物語もWebで掲載中!!

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