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<北海道・東川町>移住したい人が増えている「適疎」の田舎町。東川スタイルとは?

記事投稿日:2022/07/01最終更新日:2022/07/01

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北海道東川町

こんにちは! たびこふれ編集部のシンジーノです。

日本の多くの町が過疎化に苦しむ中、じわじわと人口が増え続けている地方の小さな町があります。

それが北海道の東川町(ひがしかわちょう)です。

展望閣からの景色1
<東川町を一望するキトウシ森林公園の展望閣からの眺め>

たびこふれに東川町の概要を紹介した記事がありますのでどうぞお読みください。

>>【北海道】水道から天然水が出るって?今、人口が増えている「東川町」とはどんなところ?

この東川町に、2022年の6月に訪れてきました。

他の町では見られない独特の雰囲気を持った東川町の魅力を、さらに掘り起こしてお伝えしたいと思います。

目次

東川スタイルの象徴 北の住まい設計社

東川町の郊外に「北の住まい設計社」という会社があります。

もともとは家具屋さんですが、現在では、家、調度品、雑貨、パン、カフェなど、生活に関連したものを提案する会社になっています。

今から約30年前、廃校となった小学校跡地に、オーナーの渡邊ご夫妻は移り住んだそうです。小学校跡地というと、校舎があってその前に校庭がありますよね。どちらかというと殺風景なイメージです。

しかし、現在その小学校だった場所は、まるでカナダか北欧の森のような雰囲気に包まれています。

北の住まい設計社

なんとおしゃれな!日本とは思えない佇まいです。

北の住まい設計社

森の妖精が現れそうな。。。

北の住まい設計社

ここは元小学校だったとはとても思えませんね。渡邊さんご夫妻が約30年かけてじっくり築かれた世界です。

北の住まい設計社

店内には生活に関連した衣類、リネン、食料品、焼きたてパン、雑貨などが売っています。

北の住まい設計社

ほうれん草のパスタ

カフェでいただいたほうれん草とホタテのパスタです。香りが立ってホタテも野菜も新鮮で、とっても美味しいパスタです。

東川町に移住した方の中には、渡邊さんの影響を受けた方もいるそうです。

「東川スタイル」という言葉がなかった40年以上前から、豊かな暮らしの世界観を積み重ね、今の東川町の雰囲気の礎を創ってきたのが「北の住まい設計社」であるともいえるでしょう。

>>北の住まい設計社のオフィシャルサイトはこちら

東川町役場の西島さんにインタビュー

東川町役場 東川スタイル課の西島さんにお話を伺いました。

東川町はなぜ「写真の町」になろう!と決めたのでしょうか?

もともとは町起こしのために、なにができるか、町が外部の企業さん等にアドバイスを求めたのだそうです。

当時は「写ルンです」が流行っていて、手軽に写真が撮れる時代になりつつありました。東川町は近くに旭岳、天人峡など美しい風景があったので、写真をキーワードに町の観光PRができないか? というのが発端だったそうです。

そこから東川町は「写真映りのよい町」を目指そうと進化していきます。

「写真映りの良い町」になろう。ここには深い意味があるのです。

写真映りがよい町とは、単に写真映えする写真を撮ろうということだけでなく、"人や自然、文化を大切にしている"という意味も含まれています。

「写真映りがよい町になる」とはどういうことか?

写真映りが良い町になるには、まず町がきれいである必要があり、ゴミとかが落ちていてはいけません。

写真には人も映ります。ということは町の人たちの明るい顔で溢れている方がいいわけです。町の人が笑顔でいられるようにするにはどうしたらいいのかな、という風にひとつづつ考えていきました。

こうして東川町に "文化" が作られていったのです。

また、当時の東川町の職員は、「営業する公務員」を心に仕事をしていたそうです。営業する公務員なんて聞き慣れない言葉だと思います。

東京にある写真関係の企業さんに足しげく通い、写真コンテストを開催するためにスポンサーになっていただくようお願いに行きました。

初めはけんもほろろでまったく相手にされませんでした。聞いたこともない小さな町からの依頼ですから、それも当たり前ですよね。それでもあきらめないで何度も何度も通っている内に、先方に私たちの熱意が通じて、徐々に協力していただける企業さんが増えていきました。

東川町がめざす写真の町は"人とのつながり"で広がっていったのです。

なぜ他の町では前例のないことを、東川町は37年間もやり続けることができているのでしょうか?

「写真の町」になろうという、捉えにくく、よその町ではあまり類をみない方向に進んでいました。

実は「写真の町宣言」をした1985年当時、住民の人たちも賛同者ばかりではなかったそうです。

またこれまでの37年間、ずっと「写真の町」に精力的に邁進していたわけでもないようです。

しかし、それをブレずにずっとやり続けてこれた大きな要因は、写真の町宣言を条例化したことが挙げられると思います。

条例が制定されたからこそ、大きな方向を外れずに今日までこられたのでしょう。

例えば、条例の前文にはこう書かれています。(抜粋引用)

【写真文化首都「写真の町」東川町まちづくり基本条例】
(前文)
私たちの東川町は、おいしい水、うまい空気そして豊かな大地さらに、大雪山国立公園の主峰「旭岳」を擁する優れた自然環境に恵まれた町です。

私たちは、多様な植物や動物たちが息づく雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ共に培った美しい風土と豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に世界の人々に開かれた町、心のこもった「写真映りのよい」町の創造をめざします。

ここに私たちは、町民憲章や写真文化首都「写真の町」の精神に立って、まちづくりを進めていくことを誓い、町民、議会、町がそれぞれの役割を自覚し、世代を越えて互いに力を合せ自らの創意工夫により、住民自治を確立し、持続可能なまちづくりを進めるためにこの条例を制定します。


この条例があったからこそ「今私たちがやっていることは条例に合っているだろうか?」という見るモノサシができたのだと思います。

東川町は、写真の町宣言(1985年)をし、その後、写真だけじゃなく文化も豊かにしていきたい、人の心を豊かにしていきたいという思いに昇華し、写真文化首都宣言(2014年)をしました。

【写真の町宣言】(1985年6月)

「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」それぞれの出会いの中に感動が生まれます。

そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら、人は、その出会いを永遠に手中にし、幾多の人々に感動を与え、分かちあうことができるのです。そして、「出会い」と「写真」が結実するとき、人間を謳い、自然を讃える感動の物語がはじまり、誰もが、言葉を超越した詩人やコミュニケーションの名手に生まれかわるのです。

東川町に住むわたくしたちは、その素晴らしい感動をかたちづくるために四季折々に別世界を創造し植物や動物たちが息づく、雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ、共に培った、美しい風土と、豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に、世界の人々に開かれた町、心のこもった"写真映りのよい"町の創造をめざします。

そして、今、ここに、世界に向け、東川町「写真の町」誕生を宣言します。

【写真文化首都宣言】(2014年3月)

「1985年、私たちは「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」 それぞれの出会いの中に感動が生まれる「写真の町」を宣言し、写真文化を通じて潤いと活力のある町づくりに取り組んできました。 30年にわたる「写真文化」への貢献は私たち住民の大きな誇りになっています。

私たちは「写真文化」を通じて「この小さな町で世界中の写真に出逢えるように、この小さな町で世界中の人々と触れ合えるように、この小さな町で世界中の笑顔が溢れるように」願っています。

「おいしい水」、「うまい空気」、「豊かな大地」を自慢できる素晴らしい環境を誇りにする東川町が、30年にわたる「写真文化」の積み重ね、そして地域の力を踏まえ、開拓120年の今、私たちは未来に向かって均衡ある適疎な町づくりを目指し、「写す、残す、伝える」心を大切に写真文化の中心として、写真文化と世界の人々を繋ぐ役割を担うことを決意し、ここに「写真文化首都」を宣言します。

東川町を自転車で走って感じたこと

「東川町を自転車で走ってみたいな」そう思った私は、クロスバイクを借りて走ってみました。

メインストリート

東川町のメインストリートです。広々とした道路がまっすぐ伸びています。旭川市へ車で約30分で行くことができます。

KAGUの家

あの隈研吾さんが設計されたサテライトオフィス「KAGUの家」です。東川町に溶け込んでいます。

>>「KAGUの家」を紹介したニュース記事(TECTURE MAG)はこちら

元役場

旧役場庁舎は「郷土館」として、東川の歴史を知る資料、開拓時代の農耕・農機具や軌道電車が展示されています。

郷土館の開館日は季節により変動するので、詳しくはこちら(東川町サイト)をご覧ください。

田んぼ道

青い空が田んぼに映りこんで美しい。

田んぼ道

田んぼの横を流れる水路にも、旭岳から豊富な伏流水がふんだんに流れてきます。

川沿い

東川町と隣の東神楽町の間を流れる忠別川沿いのサイクリングロードを走ってみました。

川沿い

この日は雲が厚かったのでよく見えませんが、晴れた日には真っ正面に旭岳が見えます。

東川町は田んぼがあることからわかるように平坦でアップダウンがほとんどないので、サイクリングにはぴったりです。

風が爽やかで、空気がおいしかった~。

上水道がない町。蛇口をひねるとナチュラルミネラルウオーターが!

東川町は「上水道のない町」です。旭岳から流れる伏流水が町を潤しています。

取水場

町の郊外に大雪旭岳源水という取水場があります。その取水場から、さらに道を奥に進みます。

源水までの道

緑に包まれた道を森林浴しながら5分くらい分け入っていくと。。。

源水

大雪旭岳源水です。

手ですくって飲んでみました。甘くてまろやか。塩素の入った水道水とは違う、優しくおいしいお水でした。

源水を動画でお楽しみください。

東川町が本当にすごい理由

東川町には、よその町には見られない、たくさんの "すごい" ことがありました。

前例のない、常識から外れることをものともせず、自分たち、または繋がった人たちを巻き込んでどんどん広がっています。

ただ、私が感じた東川町の一番のすごさとは、37年間やり続けてきたこと、ではないかと思います。

日本の企業や組織の多くが、短期で結果を求められ、目先の成果に右往左往し、他人の成功例に倣って、いとも簡単に方向性を変えてきました。

そうでなければ時代に取り残されるという恐怖感にかられ、いかに風を読んで凧を揚げることができるか、が良いこととされる風潮がありました。

しかし、東川町は、自分の軸を変えず、周りに振り回されず、かといって頑固一徹ではなく、しなやかにたくましく、自分たちの進む方向を見据えて歩んでこられました。

日本がバブルに浮かれていた時も、不景気で撤退や廃業、統合をしていた時も、目指した場所に向かって歩きつづけてこられたのです。

もちろん悩み、迷ったこともあったでしょう。それをやり続けてこられたことはやはりすごい、と思わずにはいられません。

東川町の取材を終えて

東川町が向かっている姿をひとことで表すとすると「こころ豊かに生きていく」ではないでしょうか。

町が生きていく道筋を「長い時間軸で捉える」のは、当たり前といえば当たり前でしょう。町という生き物は1~2年で終わるわけではないのですから。

よその自治体が東川町に視察にきたとしても、そのまま真似ることは難しいと思います。東川町から学びとることができるのは、表面的な町づくりのハウツーではありません。町としての生き方です。

東川町の生きざまは、今の日本が進むべき道の指針になるかもしれません。

日本はもう、右肩上がりの拡大路線をめざすステージではないでしょう。

「モノの豊かさ」から「心の豊かさ」を求める生き方に舵を切る。

そこにはもちろん不便もあり、みんなで守らなければならないこと、その中で自分が果たすべきことがあります。

そのことを理解し、納得し、自分たちで動いて作っていく。それが私たちに求められることなのかもしれません。

東川町は、やっぱりすごく豊かな田舎でした。

>>東川町オフィシャルサイトはこちら

最後に、キトウシ森林公園の展望閣から見た東川町の動画をご覧ください。

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