「ワルツ王」が「美しき青きドナウ」を作曲した部屋を訪ねて

ヨハン・シュトラウスの住居

新年の風物詩にもなっている、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート。その最後を飾る「美しき青きドナウ」は、オーストリアを代表する名曲の一つです。

「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世が作曲したこの曲は、オーストリアでは「非公式国歌」として親しまれ、この曲に合わせてウィンナーワルツを踊れない人はいないほどです。

今回は、この「美しき青きドナウ」が作曲された部屋を訪ね、「ワルツ王」の生活を垣間見てみましょう。

アルテドナウ
<「美しき青きドナウ」のモデルとなった、現在のアルテドナウ(ドナウ川支流)>

目次

ヨハン・シュトラウス二世とシュトラウス一家

ヨハン・シュトラウス二世は、1825年、作曲家で同名の父親ヨハン・シュトラウス(父)の長男として生まれます。シュトラウス(父)は、国を代表する有名な作曲家でしたが、一方で家庭を顧みない父親でした。ヨハン、ヨーゼフとエドゥアルトの3人の息子たちは、共に音楽家の道を選び、父親からは独立して音楽活動を始めます。

ヨハン・シュトラウス二世は19歳で自らのオーケストラを率いてデビューし、ワルツやポルカなどの軽快なダンス音楽を、ダンスカフェや舞踏会で演奏して人気を博します。彼が「ワルツ王」と呼ばれ始めたのは、38歳で宮廷舞踏会音楽監督に就任し、数々のダンス曲を作曲しつつ、宮廷の舞踏会を指揮していた頃のことです。

壁飾り
<シュトラウス楽団長50周年を記念した壁飾り。中央上がシュトラウス二世、その下が父、左右が二人の弟ヨーゼフとエドゥアルト>

30代後半で、7歳年上の歌手ジェティ(ヘンリエッテ)・トレフツと結婚し、エレガントな大通り「プラーター通り」の高級な住居へ引っ越します。これが今回紹介する「ヨハン・シュトラウスの住居」で、現在は博物館になっています。

ここでは「美しき青きドナウ」が作曲されましたが、さらにこの時期には、「芸術家の生活」「ウィーンの森の物語」「酒、女、歌」などの代表的なウィンナーワルツ作品が生まれています。

また、1870年を境に、ウィンナーワルツやポルカなどのダンス曲から、「こうもり」などのオペレッタなどの舞台作品を手掛けるようになり、「ウィーンオペレッタの黄金時代」を築きます。

その頃からシュトラウスは、避暑用としていたヴィラで過ごすことが増え、1870年後半に建設した邸宅「シュトラウス・ヴィラ」で、晩年までの日々を過ごします。

「ヨハン・シュトラウスの住居」を訪ねて

「美しき青きドナウ」が作曲された住居は、ウィーン中心部から地下鉄でたった3駅の大通りにあります。

シュトラウスの住居博物館
<「シュトラウスの住居博物館」外観>

シュトラウスの時代は、大通りに面した2階部分が、最も良い住居とされていました。

博物館になっているのは、シュトラウスが大通りを見下ろしながら時間を過ごした、作曲部屋と居間を含めた6室です。所縁の地、音楽と作曲、肖像画、家族、生涯等のテーマに分かれていて、作曲室では「美しき青きドナウ」がBGMに流れます。

実際の住居はもっと広かったのですが、物置や台所、食事の間、召使の部屋等は現在は公開されていません。

ヨハン・シュトラウス
<ヨハン・シュトラウスの肖像画>

展示室
<展示室>

ここに引っ越してきた時には、すでに売れっ子作曲家だったヨハン・シュトラウス二世。シュトラウス兄弟の絵画が埋め込まれた壁掛けや、直筆サイン、楽譜や手紙など、彼の人となりを示すものが展示されています。

作曲部屋に足を踏み入れると、その雰囲気に圧倒されます。中央にあるグランドピアノは、世界的ピアノ製作会社ベーゼンドルファー社から贈られたもの。奥にはシュトラウス所有のバイオリンとハーモニウム(オルガン)が鎮座しています。

作曲部屋
<作曲部屋>

バイオリン
<シュトラウス所有のバイオリンとケース>

最も印象的だったのは、窓際に置かれた立ち机です。立って作曲アイデアを書きつけるのが習慣だったシュトラウスが作らせたもので、机の表面の使用感に使い込んだ味が出ています。にぎやかで華やかな窓からの大通りの景色を眺めながら、この机のそばに立って作曲していたのでしょう。

立ち机
<シュトラウスの立ち机>

現在は、車通り・人通りが多いプラーター通りをここから見下ろすことができますが、155年前ここは、ウィーンでも随一のモダンでエレガントなショッピングストリートでした。シュトラウスがここに住んでいたころから、馬車トラム(馬が引く市電)が行きかい始め、カフェや劇場に通う人々を運んでいました。

プラーター通り
<シュトラウスの作曲部屋から見下ろすプラーター通り>

ドナウ川は当時、複数の支流に分かれた入り組んだ流れをしていましたが、シュトラウスの住居も支流に挟まれる場所にありました。華やかな通りを見下ろしながら、すぐ近くにあるドナウ川の流れを脳内に再現して、「美しく青きドナウ」を作曲したのでしょう。

まとめ

華やかなハプスブルク帝国時代のウィーンで、ドナウ川の支流に囲まれ、売れっ子音楽家として円熟期を迎えていたシュトラウス。

運よく誰もいない時間帯にこの博物館を訪れると、一人っきりでシュトラウスの住居を満喫する贅沢を堪能できます。ふらっとお宅訪問させてもらっているような気軽さで、シュトラウスの作曲部屋に入れてもらい、音楽家の生活を垣間見ることができるのは、小さな博物館の醍醐味です。

「美しき青きドナウ」が生まれた家を訪ねてみると、「ワルツ王」がとても身近な存在に感じることのできる博物館でした。

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ひょろ

オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。

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