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日本の大仏はこんなにあった! 大きさ比べから大仏豆知識まで
大仏といえば、「奈良の大仏」「鎌倉の大仏」が有名ですが、実は他にも日本各地にたくさん大仏があるのをご存知でしたか? 大仏は、寺院だけでなく、駅前や観光名所のランドマークとしてもたくさん造られています。
でも、大仏はなんのために作られたの? 日本で最も大きい大仏は? そもそもなぜ大仏は大きいの? 知っているようで知らなかった大仏について、さまざまな方面から見ていきましょう。
>>繁体字版文章:日本有這麼多「大佛」! 尺寸比較、小知識全面介紹
目次
1. 大仏とはそもそもどんな存在? なぜ誕生したの?
大仏とは、その名の通り「大きな仏像」のことで、実は仏教発祥の地・インドには10m以上の「大きな仏像」が造られた例はほとんどありません。仏教がシルクロードとともに、東南アジア、中央アジア、中国に伝わる中で、交易で富を得た王侯貴族らが願主となり、多くの大仏が建立されました。
中国においては、5世紀ごろから、皇帝が願主となって岩を仏像の形に彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)をはじめ、大きな仏像が造られるようになったそうです。莫高窟(ばっこうくつ)、龍門(ろんめん)石窟、雲崗(うんこう)石窟は、中国三大石窟と呼ばれています。
ちなみに、東大寺の大仏は、中国洛陽・龍門石窟の奉先寺(ほうせんじ)の大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ)をモデルにしたと言われています。
日本に仏教が伝来したのは、6世紀のこと。聖徳太子などが広めた仏教は、平城京で花開き、多くの仏教美術や文化を誕生させます。
最も文化の進んでいた唐の長安をモデルに造られた平城京の時代は、天平文化と呼ばれ、遣唐使や万葉集などにも代表される華やかな時代でしたが、同時に、政権争いが絶えず、干ばつ、飢饉、凶作、大地震、天然痘の大流行など、とても苦しい時代でもありました。
2. 日本最古の大仏は?
<出典元:写真AC>
日本で最も古く、最も有名な大仏といえば、奈良県の東大寺にある「奈良の大仏」です。およそ1300年前、自然災害や天然痘の大流行による国民の不安を仏教の教えによって解消しようと考えた天武天皇が大仏の建造を始めます。これが「奈良の大仏」、東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。
盧舎那仏は、『華厳經(ごんげぎょう)』では宇宙そのものであることが説かれています。宇宙における太陽のようなもの、世界を照らす仏という意味であり、聖武天皇は盧舎那仏の建造によって国民の気持ちが少しでも明るくなることを願っていました。
743年に発せられた「盧舎那大仏造立の詔(るしゃなだいぶつぞうりゅうのみことのり)」では、「仏教の力によってすべての生きとし生けるものが共に栄えること」を願い、「国じゅうの銅を使い、像を造り、山を削ってお堂を建てることに協力してほしい」と国民に呼びかけました。
「民衆の力で大仏を造りたい」という聖武天皇の願いを実現するため、僧侶・行基(ぎょうき)が中心となり、日本全国を回り民に協力を求めました。この、従来の富と権力によって強制するのではなく、「一枝の草、ひとつかみの土」の人々の寄付や労力によって造ることでひとつになろう、という精神はその後の各時代の再興や修理にあたって現代にも継承されています。
745年に始まった大仏造立は、752年に完成します。座高は約15m、顔の幅3.2m、台座の直径は18.3mと前代未聞のサイズになりました。巨大な仏像造りに使われた銅は約500t、金は440kg、大仏の建造には当時の全人口の約半分、延べ260万人が関わったとか。まさに「奈良の大仏」の造立は、国を挙げた大プロジェクトとして行われたのでした。
3. 日本の大仏、実はこんなにあった!
旅先のお寺や地方の観光地のランドマークとしても各地で目にする大仏。古くからある大仏のほか、地域活性を願って新たに造立された大仏などを合わせると、なんと国内に100体以上! こんなにたくさんあるとは......ご存知でしたか?
坐像だけでなく、立っている像、寝ている像(涅槃というポーズ)と実にさまざまです。
奈良時代に誕生した「奈良の大仏」を皮切りに、現在も新たな大仏が各所で誕生しています。新しいものには、2018年に東京都の西多摩郡に造られた「鹿野大仏(ろくやだいぶつ)」があります。「イケメン大仏」として、仏像好きの間で人気を博しています。
4. 江戸時代における日本三大仏
日本三大仏といえば、奈良の大仏、鎌倉の大仏......もうひとつの大仏は? 実は、3つ目は時代ごとに異なったり、諸説あったりします。
まずは、江戸時代における日本三大仏を紹介していきます。
奈良の大仏(東大寺)
<出典元:写真AC>
修学旅行で見た、という人も多いであろう、奈良県東大寺の大仏。東大寺は聖武天皇が仏教の教えと国を守るために建てたお寺で、大仏殿は世界最大級の木造建築といわれています。
正式名称は「盧舎那仏」で、宇宙の中心から太陽のように照らし続けるという意味が込められています。752年造立の日本最古のもの。蓮華座(台座)を含めて高さ18m、重量は大仏が約250t、台座が約130tと圧巻の存在感です。
平安時代、室町時代、江戸時代と何度も焼け落ち、その度に再興されています。現在の大仏は1691年、江戸時代に修理されたものです。胴体は鎌倉時代のもの、比較的新しそうに見えるお顔は江戸時代のものです。1958年に国宝指定、1998年に世界遺産に認定されています。
人気の「柱くぐり」は、大仏の鼻の穴と同じ大きさ(37×30cm)といわれる柱の穴をくぐることで、無病息災のご利益が得られるとされています。大人の方がチャレンジして、抜けなくなってしまったこともあるようなのでご注意を。
鎌倉大仏(高徳院)
<出典元:写真AC>
1958年に国宝に指定された神奈川県鎌倉市の高徳院にある「鎌倉の大仏」。確かな情報が少なく、建立された経緯など、詳細は謎に包まれたままのミステリアスな大仏さま。源頼朝の侍女であった稲多野局によって発願され、民衆の浄財を集めて造ったものであり、1238年に着工した当時は木造だったが、天災ですぐに倒れてしまい、1252年に現在の青銅で鋳造した、と伝わっています。
台座を含めて高さ約13mの鎌倉大仏には大仏殿がなく、屋外に設置されているため、風雨にさらされながら鎌倉の街を見守ってくれています。実は建立された際は大仏殿の中にありましたが、津波や地震、台風などで倒壊してしまい、1369年以降は大仏だけが再建されるようになったのです。
また、蓮台(仏像の乗っている台座)や光背がありませんが、これは民衆の浄財が乏しかったために設置できなかったといわれています。
京の大仏(方広寺)
豊臣秀吉が建立した京都の方広寺にも、かつて大仏がありました。秀吉が東大寺に匹敵する大仏を造立しようとした「京の大仏」は、高さ約19mの木製金漆塗坐像だったそうです。1595年ごろ、巨大な大仏殿とともに大仏は完成しますが、翌年の慶長大地震によって開眼供養前に大破。秀吉は大仏開眼供養を待たず、1598年に亡くなってしまいます。
秀吉の意志を継いだ豊臣秀頼による2代目の京の大仏は、鋳造中の事故で溶解するなど困難に見舞われます。秀頼は1612年に金銅製の大仏を完成させますが、その後も大仏殿と大仏は地震や落雷などで焼失と再建を繰り返し、今は無き幻の方広寺「京の大仏」として、現在は巨大な石垣の一部だけが残っています。
5. 現在の日本三大仏(諸説ある三つ目の大仏)
現在の日本三大仏はどうでしょうか。奈良の大仏、鎌倉大仏に続く、3つ目の大仏には諸説があります。候補になる3つの大仏について、それぞれの概要を説明しましょう。
高岡大仏(大佛寺)
<出典元:写真AC>
富山県高岡市の大佛寺にある「高岡大仏」は、高さ約16mの青銅製阿弥陀如来坐像です。銅器の生産で有名な高岡の銅器製造技術の粋を結集して造立された大仏は、町のシンボル的存在。特徴である背中にそびえる「円光背」には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現する梵字「キリーク」が頂点に配されています。
およそ800年前、摂津の国多田にいた源義勝が承久の乱を避けるために越中に入道し、木造大仏を造営したことが起源と伝わっています。これまでに荒廃や焼失に見舞われ、現在は1907年から26年かけて造られた3代目。
その出来栄えの美しさから「イケメン」との呼び声も高く、富山県では、射水市の小杉大仏、砺波市の庄川大仏と合わせて「越中三大仏」とも。市民からは「だいぶっつあん」と親しみと敬意を込めて呼ばれています。
岐阜大仏(正法寺)
<出典元:写真AC>
岐阜県のシンボル・金華山の麓にある正法寺の「岐阜大仏」は、像高13.63mもある釈迦如来坐像。耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。鎌倉の大仏よりも大きく、乾漆仏としては日本最大規模です。大イチョウを直柱として、木材で骨組みを組み、全体を粘土で肉付けし、その上に経文が書かれた美濃和紙を貼りつけ、さらに漆を塗って、最後に金箔で覆ったものだそうです。竹材で形を作っていることから「籠大仏」と呼ばれています。
38年もの歳月をかけて江戸時代後期、1832年に完成した岐阜大仏は、岐阜県の重要文化財に指定されています。胎内には薬師如来がまつられているそうです。
また、岐阜大仏が設置されている正法寺大仏殿も岐阜県重要文化財になっています。明朝様式と和様が融合した木造三層建てで、大仏の造立する際に雨ざらしになることを防ぐために同時期に建てられたと考えられています。
兵庫大仏(能福寺)
<出典元:写真AC>
兵庫県神戸市の能福寺にある「兵庫大仏」は、台座を含めた高さが約18mという大きな大仏。能福寺は、805年、唐に留学していた最澄(伝教大師)が帰国する際に、兵庫の和田岬に立ち寄り、自分で作った薬師如来像を安置して能福護国密寺としたことが開創だとされる天台宗の古刹です。
平清盛が出家した平家の祈願寺でもあり、境内には清盛廟もあります。
初代兵庫大仏が造立されたのは、1891年。時代背景として、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動と、神戸の居留地から発信されるキリスト教の隆盛を受け、豪商・南條荘兵衛の一大発願により兵庫の民衆はもとより仏教全宗派を挙げて造立されました。
大仏は、兵庫港に入港してくる舟乗りたちから神戸のランドマークとして全国各地に伝播し、日本三大仏と称されたそうです。戦時中の金属類回収令によって一度は消失し、1991年に再建されました。現在の兵庫大仏は2代目となります。
6. 大仏は大きい! なぜ?
大仏が大きい理由は、「世のすべての生きとし生けるものをくまなく救済するため」だそうです。盧舎那仏のいる世界、蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)の仏様は巨大で、仏様が大きければ大きいほど仏力が高く、多くの人が救済できると考えられています。
そんな巨大な身体を用いて、世のすべてを救済する仏様の世界を現世に再現するために造立されたのが大仏なのです。
仏像の基本寸法「丈六」とは
「丈六(じょうろく)」とは、お釈迦さまの身長(1丈6尺=約4.8m)のこと。これを基準として、その倍以上の高さがあるものが、一般的に「大仏」と呼ばれています。
『華厳經』には、盧舎那仏は宇宙そのものであると説かれていて、「十」という数字が宇宙に拡大できる特別な数字であることから、仏像の基本寸法である「丈六」を十倍したもの(約48m)であると考えられます。
ですが、盧舎那仏を造立する際、このサイズが問題になりました。「丈六(4.8m)」の十倍サイズで造立したくても、当時の技術では50m近い直立した像を造立することができず、坐像(約16m)であれば可能だったため、坐像になったそうです。
坐像であれば「1丈6尺(4.8m)」の半分、「8尺(2.4m)」以上あれば大仏、丈六仏と呼ぶそうです。
大仏の高さランキング
日本には100mを超える巨大な大仏もあります! 国内にある大仏の高さランキングで見ていきましょう。
- 1位:牛久大仏(120m)
- 2位:仙台大観音(100m)
- 3位:北海道大観音(88m)
- 4位:加賀大観音(73m)
- 5位:救世慈母大観音(62m)
- 6位:会津慈母大観音(57m)
- 7位:東京湾観音(56m)
- 8位:大本山小豆島大観音(55m)
- 9位:釜石大観音(48.5m)
- 10位:札幌涅槃大仏(45m)
圧倒的に高い「牛久大仏」とは
<出典元:写真AC>
茨城県牛久市にあるブロンズ製大仏立像、牛久大仏。全高120m(像高100m、台座20m)あり、立像の高さは日本一! 世界でも6番目の高さで、ブロンズ立像としては世界最大としてギネスブックにも載っています。奈良の大仏が手のひらに乗り、NYの自由の女神(全高93m、手を挙げた姿勢の像高46.05m)の足元から登頂までの高さ(33.86m)の3倍近い、超巨大サイズです。
浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって、1992年に造られた牛久大仏は、同派の本尊である阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)の形状を拡大したものになっています。
大仏の胎内に入ることができ、大仏の胸部にあたる地上85メートルにある展望室にはエレベーターでのぼることが可能で、周囲の景色を展望できます。その他にも写経体験や建立完成までのパネル展示、大仏様の親指の模型などがあり、5層に分かれた空間が楽しめます。
大仏は、小動物公園や花畑などがある浄土庭園内にあり、庭園の総面積は37万平方m。動物と触れ合える「ふれあいガーデンテラス」など見どころも満載です。
- 住所:茨城県牛久市久野町2083
- 拝観時間:3~9月 9:00~7:00(土日祝9:00~17:30)、10~2月 9:30~16:30(※受付時間は閉館30分前)
- 定休日:年中無休
- 料金:大仏胎内を含むすべての拝観(大人800円、子供400円)
- アクセス:JR常磐線「牛久駅」東口から関東鉄道バス「牛久浄苑行き」、または「あみプレミアムアウトレット行き」で約30分、「牛久大仏」下車
- HP:牛久大仏
7. 大仏のポーズにはどんな意味がある?
<出典元:写真AC>
右手を上げて、左手をひざの上に手のひらを表に置いた、大仏さまの有名なポーズ。何か意味があるのでしょうか?
実はこのポーズ、「印相(いんそう)」と呼ばれる意味のあるもので、右手は「施無畏印(せむいいん)」と呼ばれる、緊張をほぐし「恐れなくてもいいよ」と相手を励ましているポーズ、そして左手は「与願印(よがんいん)」と呼ばれ、願いをかなえて差し上げましょうという大変有難い形なのです。
8. 大仏の髪型の意味は?
大仏さまのパンチパーマのような髪型は、螺髪(らほつ)と呼ばれ、悟りを開いた一番えらい仏様の髪型です。
一つ一つのブツブツは、髪の毛を丸めて巻貝の様に渦巻状(知恵の象徴で右巻き)になっており、奈良の大仏には一つ1.2kgの螺髪(らほつ)がなんと483個も 頭の上に乗っているのです。
創設された平安時代の記録では966個になっていましたが、近年レーザー光線を使って三次元計測をしたところ、492個(うち、9個は落下してしまった)が取り付けられていたのではないかと考えられています。
9. 大仏のおでこにある「あれ」はほくろ?
東大寺の大仏のおでこにある、ほくろのような点。実は「毛」で、正式には「白亳(びゃくごう)」といいます。白亳からは、世界を照らす光が放たれている、といわれています。
釈迦如来(しゃかにょらい)をはじめ、薬師如来(やくしにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)など、「如来(にょらい)様」と呼ばれる仏様にあるもの。眉間に一本の白い毛が右回りに丸まっていて、伸ばすと5尺(約1.5m) あるといわれます。
10. 背中側にある金色のものは何?
奈良の大仏などの後ろにある金色のものを「光背(こうはい)」といいます。仏様が発する光明を具象化したものだとされています。他人に親切で優しい人のことを「後光(ごこう)がさしている」と表現することがありますが、これは光背からきている言葉なのです。
<出典元:写真AC(説明はたびこふれにて追記)>
大仏がなぜ大きいかという理由など、知れば知るほど面白い仏像の世界。これまでより大仏の興味を持つことができたでしょうか? 近くにある大仏さまがどのような願いで造立されたのか、調べてみるのも面白いと思います。
そして、ぜひ全国各地の大仏を訪れて、実際にその偉大さを味わってみてください!
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