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見渡す限りのウサギたち!大久野島で歴史も癒しもゲットしよう
みなさんこんにちは!まえてぃーです。すっかりおうち時間を満喫する手段を身に着けつつある私たち。でも、少しは旅をして心身ともにリフレッシュしたい!そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。そんな方に今回ご紹介したい場所があります。
広島県の瀬戸内浮かぶ小島、「大久野島」です!それではさっそく見てみましょう!!
目次
大久野島とは
大久野島は広島県竹原市にある忠海港から、フェリーで約15分で行くことができ、そのほぼ全域を環境省が管轄している無人島です。無人島と言っても、そこには宿泊施設や歴史を知るための資料館やビジターセンターも存在しています。
見渡す限りのウサギたちに癒されよう
フェリーから降りるとそこにはなんと沢山のウサギたち!!
見渡す限りの地面にはウサギたちが点々と、いやピョンピョンと遊びまわっています。
動物園じゃなければ柵もない、自由に跳ね回るウサギたちにきっと心は踊るでしょう。
そしてこのウサギたち、、、触ってもいいんです。島内に「ウサギのエサ」なるものは売っていませんが、フェリーに乗る前にあるお店では売っていますので入島する前に要チェックです。ウサギとより近くで仲良くしたい!という方は買ってみて食べさせてあげてもいいですね。
ウサギたちは非常に繊細でか弱い生き物ですので、島内に掲げられてあるルールを守って接してくださいね。絶対に追いかけまわしたり、無理に触ろうとしたり、人間が食べているようなものは与えないでくださいね。
ひとしきり遊んだあとは歴史の勉強もしてみましょう。
地図から消された島
明治期に入ると、欧米列強の脅威に備えるため、この大久野島にも砲台等が設置され、重要な軍事要塞としての役割を担うこととなりました。
そして、日本が戦争に突入していく昭和に入ると、戦争で使用する武器の製造が始められました。その武器、というのが「毒ガス」です。この大久野島は毒ガスを使用する化学兵器の製造というとても重大な極秘任務を背負っていたのです。
当時世界では毒ガスの使用を禁止する条約がありましたが、日本は批准していませんでした。
その製造が始まるとなると、それまで居住していた島民は強制退去となり、島は地図からも消されました。本州を走る列車からも見えないように窓には目隠しがされていたようです。
毒ガス資料館に行ってみよう
その歴史を知ることができるのがこの「毒ガス資料館」です。
1988年に開設されたこの資料館では、なぜ毒ガス製造を始めたのか、毒ガスが持つ威力と恐ろしさ、そして製造の過程での犠牲、戦後処理はどのように行われたのかを知る貴重な資料を見ることができます。毒ガスの主な威力は血液剤や嘔吐剤、催涙剤だったそうで、職員たちは日々その危険と隣り合わせの生活をせざるを得ませんでした。戦争終結後、その事実発覚を隠すために研究所等はほぼ全て破壊されました。
島の中には歴史スポットがたくさん
島内を歩いて回ると戦時中の遺跡がたくさん点在しています。
見晴らし台へと続く道はまるで映画の世界のようです。(現在は閉鎖中)
<発電場跡>
<毒ガス貯蓄倉庫跡>
<慰霊碑>
どの歴史スポットにもウサギたちがピョンピョンしており、悲しい歴史と可愛いウサギのギャップにホッとしながら見て歩くことができます。きっと戦争遺跡とウサギが同時に見ることができる場所は世界中探してもこの大久野島しかないかもしれないですね!!
終わりに
いかがでしたか?大久野島は、日本にもそんな時代があったんだと、そして、忘れてはいけない、くり返してはいけないという「想い」とも出会えることができる場所です。そして「この子たちを大事にしたい!」とウサギたちに優しい気持ちを抱くこともできます。キャンプもできるので密を避けた宿泊も可能なのも魅力の一つですね。ぜひこの魅力たっぷりの大久野島に足を運んでみてくださいね。
本州に帰ってきたときの街並みに、平和が続くことを祈った瞬間でした。
ちなみに島内はゆっくり歩いても半日もかからず回ることができ、自転車の貸し出しもありますよ~。
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まえてぃー
- 元ノリノリ世界史教師。教科書に載ってたり載ってなかったりする世界の歴史ポイントをご紹介。旅のついでにそのロマン溢れた世界をご堪能ください。