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エジプトで3ヶ月、ホームステイしたときの話
目次
- はじめに
- ホームステイのきっかけ
- アラビア語の中での生活
- 寒いお風呂
- 家の中の様子
- 命をいただく
- 2階の窓から見たもの
- ラクダの行進
- 自転車か、それともロバか?
- 普通の生活って?
- エジプトで体調を崩す
- 雨が降ると
- エジプトの家庭料理
- 女性のスカーフの謎
- ホームステイを終えて
はじめに
今からさかのぼること25年前のことです。突然、「エジプトでホームステイがしてみたい!」と思い、私は単身で2か月の予定でエジプトに飛びました。その前に私の生い立ちを少しお話させてください。
小学生の頃の私は親戚の家や近所の人の家に泊まるのが大好きで、その家その家の雰囲気を見るのが興味深く、その家の家庭料理を味わうのも楽しみの一つでした。
そういう体験をするのが楽しすぎたのか、あまりにも家に帰って来ないので、最終的には自分の親に首根っこを掴まれて家に連れ戻される有様でした。
小学生というと充分ホームシックになったりするような年頃ですが、「ホームシック」という単語は私の中にはまったく見当たらないようです。
そして、大人になって色々な国に観光旅行をするうちに、旅行では見えてこない部分があることに気付きました。
「この国の人達はどうやって水道代を払っているんだろう?」
「女の人はスカーフをかぶっているけど、寝る時はどんな格好なんだろう?」
他にも疑問点が沢山浮かんできます。「百聞は一見に如かず」もう行くしかない!
・・・でもどうやって?
ホームステイのきっかけ
エジプトには一度だけツアーに参加をして行った経験がありました。
その時に立ち寄ったお土産屋さんの店員さんと一緒に写真を撮ってもらい、帰国後それを彼女に送ってあげたことがきっかけで、いつの間にか彼女とはペンフレンドになっていました。
彼女の名前はホダ。手紙にはいつも「またエジプトに来て下さい。その時はぜひ私の家に泊まってね」と書いてありました。
前置きが長くなりましたが、そんなこんなで本当に行ってしまったのです、エジプトに3ヶ月!持って行った物はスーツケース1つと、あとは「なんとかなる」という気持ちだけでした。信頼できる友達ホダがいたので 不安はそんなにはなかったです。
ホダの家はエジプトのギザにありました。ギザ地区のナズラットサンマーンというピラミッドのすぐ近くの町です。
さぁこれからどんな生活が始まるんだろう。それは、「旅行」ではなく「暮らし」。とにかく楽しみでした。
アラビア語の中での生活
最初に困ったことは、意思の疎通でした。ホダは英語とアラビア語を話すのですが、家族はみんなアラビア語だけです。
私はアラビア語など知るはずもなく、日本語と少しの英語しかわかりません。そして、まわりに日本語を話す人は誰一人としていませんでした。
私は観光ビザで来ていたので、働くことも学校に行くこともせず、ホダが仕事に出て帰宅するまでの間、日中はずっと英語の通じない家族と一緒に過ごしていました。
とにかく言いたいことも言えないし、言ってることもまるでわからない・・・。
しかし何度も自分に言い聞かせていました。「今回の目的はホームステイなんだから」「通じなくて当たり前」と。
それでまず、少しでもアラビア語を理解できるように努めようとしました。
いつも一緒にいたホダのお姉さんとその子供達に「あれは何ていうの?」「これは何て言うの?」と聞いていき、ノートにカタカナで単語を書いて口に出して覚えるようにしていったのです。
相手の言っていることがわからないときは、時にはその文章をまるごとカタカナでメモをし、ホダが帰宅してからそれを読んで、英語に訳してもらったりもしました。
そういうふうにして少しでも単語が通じると、ものすごくうれしくて、それで何度も何度も周りの人に自分から言葉を発していくようになりました。
<いつも一緒に遊んでくれたホダの姪っ子ちゃん達。私のアラビア語の先生でもあります。よく家の中でベリーダンスを踊ってくれていました>
寒いお風呂
言葉の次に困ったのはお風呂でした。ホダに「ここはハンマームよ。トイレットね。そしてここで体を洗うのよ」と案内された所が、穴が1コあるだけの場所でした。
よく見ると壁の下の方に水道の蛇口があり、小さな柄杓(ひしゃく)が一つ置かれていました・・ここがトイレ兼お風呂だという。
・・・マジ?・・・トイレはわかる。でも「体を洗う」ってどうやって?シャワーもないしもちろんバスタブもない・・・(もう一ついうと、トイレットペーパーもありません)
ホダはニコニコしながら金だらいを持ってきて、教えてくれました。
「ここに水を入れてコンロの上に置いて、お湯を作るの。それをハンマームに持っていって体を洗うのに使うのよ。」いわゆる、行水でした。
冬だったので夜は気温が下がり、寒いお風呂は慣れるまで苦痛でした。
想像してみてください。冬の行水は寒くて寒くてたまりません。お風呂に入って出るまでの間、私はずっと鳥肌状態でした。
ですが幸い砂漠気候ということもあり、汗をかくことも無かったので、私は毎日お風呂に入らなくても平気だったのです。
それで、今日は体を洗う日、次の日は(服を着たまま)髪の毛を洗う日というように一日おきに洗っていました。
とにかくそれほど寒かったのです。お風呂から出た後、私はいつも急いで「バブーン」の前に直行していました。
<これがバブーンで、ガスコンロのようなもの。寒い時いつも、お母さんが私の部屋にこれをもってきてくれました。炎がむき出しで時には火事の原因にもなるそうです...>
家の中の様子
さて、どんな家で暮らしていたかというと、レンガ造りの2階建ての一軒家でした。
ホダとホダのお父さん、お母さん、お兄さん、弟が1階に住んでいて、2階にホダのお姉さんとその旦那さん、子供3人が暮らしていました。3階は屋上で、いわゆる二世帯住宅です。
リビングとトイレは1階と2階の両方にありましたが、台所は1つだけでした。
ホダのお父さんは足が悪いので、滅多に2階には上がりませんでしたが、子供達、孫たちはみんな2階と1階を行ったり来たりしていました。
日本の家と大きく違うところは、白黒のテレビがたった1つだけ・・・という点でしょうか。
そのテレビは2階のリビングに置いてあったのですが、お父さんが1階でテレビを見るときは、誰かがコンセントを外してテレビを抱えて下に持っていくのです。
そうやって一日に何度もテレビが上に行ったり下に行ったりするので、そのテレビは全然ホコリがかぶっていませんでした。
私はいつも「日本のうちの家のテレビ、いい加減に掃除しないとなぁ」と思って見ていました。
命をいただく
家の3階は屋上になっていて、そこからはピラミッドが見えていました。
屋上ではヤギとニワトリを飼っていて、いつもそこでエサをあげるのは私の役目でした。エサをあげると夢中で食べるその姿がとてもおもしろくて、時々お母さんに「もうそんなにあげなくていいわよ。」と止められたりしました。
ニワトリの卵が産まれると台所に持っていき、食卓には玉子料理が並びました。
そして、おいしいチキンのグリルがメイン料理として出ることもありました。
私は「もしかして・・」と思い、あとで屋上に行ってみると、ニワトリが一羽いなくなっていたのです。いつも喜んで私の手からエサを食べていた子・・・です。
わかってはいたけれど、なんともいえないブルーな気持ちになりました。でもその味はとても香ばしく、それはそれはとても美味しかったのを覚えています。
<エサをあげるのが楽しくて、いつもたらふく与えていました>
2階の窓から見たもの
エジプトで私の好きだった食べ物の一つに、ターメイヤというものがあります。ソラマメをつぶして丸めて揚げたのコロッケのようなものです。
このターメイヤを、時々近所のおばさんたちが数人集まって家の前の路上で作って売っているのです。作りたてのアツアツはとても美味しいのですが、無許可で路上で販売行為を行うのは禁止されています。もちろん罰金を取られます。
それで時々ポリスが見回りに来るのですが、このおばさん達は、ポリスが来るやいなや、ほんの十数秒で姿を消すのです。その素早さといったら・・・(笑)
油が煮えている鍋も、火もあるのに・・・です!私は時々、家の2階の窓からその一部始終を眺めていましたが、まるでコントを見ているようでした(笑)
そしてポリスが去っていくと、またすぐに戻ってきて店開きをするのでした。
大阪のおばちゃんもたくましいですが、エジプトのおばちゃんも全然負けていないですよ。
<ターメイヤを作って販売するおばさん達。私もよく買っていました。作りたてのターメイヤのサンドイッチは最高!>
ラクダの行進
毎朝、そして夕暮れになると、家の外で「シャンシャンシャンシャン」と遠くから鈴の音が聞こえてきます。その音がだんだんと大きくなってくると、それを合図に私はいつも急いで家の外に出るのでした。
鈴の音はラクダに付けられた鈴なんです。いつも大体、十頭はいたでしょうか。ラクダが列をなして家の前をゆっくりと通っていくのです。
それは、私にとってはお祭りのような感じに見えて、それを見るのが楽しみの一つになっていました。
朝はいつも、ラクダ使いのおじさんが私に「やぁ元気かい?」と声を掛けてくれるんです。「これから仕事してくるよ~」ってな感じです。
おじさんも、こんな普通の民家から日本人が出てくるので、珍しかったんだろうと思います。
このラクダのパレードって何度見ても飽きないんですよ。それに、日本では絶対見れない光景ですもの!
夕暮れになると、仕事を終えたラクダたちが一斉にゾロゾロと帰っていくのですが、たまに一頭だけ群れから外れて、ずいぶん遅れて単独で走ってくるラクダがいるんです。
てっきり私は「迷子のラクダだわ。誰か迎えにきてあげないと」と思って見ていたのですが、ホダの話によると、そのラクダは自分の家をちゃんとわかっているから、全然心配いらないんだそうです。
なんとも微笑ましいですよね。
<家の前でのラクダの出勤風景。勤務先はもちろんピラミッド!>
自転車か、それともロバか?
ある日私は、ルクソールに住むホダの親戚の家に家族で一緒に泊まりがけで遊びに行きました。都会のギザとはまた違ったエジプトの田舎の暮らしも体験できて、とてもウキウキしました。
ホダのおじさんは農業をしていて、さとうきびなどを作って生計をたてていました。
おじさんはある程度お金が貯まったらしく、そのお金で自転車を買うかロバを買うか、どっちがいいか迷っているんだと話していました。
ホダの話では、(当時は)ロバも自転車も同じくらいの値段とのことでした。
私は考えてみました。人と荷物を乗せて移動ができるという利点はどちらも同じ。ですが、自転車は早いし乗り心地も良い。しかもかっこいい。運動にもなる。
でもロバはかわいいけど生き物。毎日エサが必要。病気になるかもしれない。しかし、自転車は修理をすればずっと乗れる。エサ代に薬代・・馬鹿にならないし、迷うことも無いじゃないと思ったので、私は「おじさんは自転車にしたんでしょ?」と言いました。
するとホダは「それが、ロバに決めたみたい」と意外な答えが返ってきたのです。
ホダは「ロバはね、人がついていなくても畑から家まで自分で物を運ぶことが出来るの」と教えてくれました。たしかに自転車ではそれは不可能です。
その後、荷物を乗せて単独で歩いているロバを実際に見かけたのですが、「ロバって本当に賢いんだ!」とこれまた驚いたのでした。
普通の生活って?
さて、働くでも学校に行くでもない私は、普段は買い物に出掛けたり、散歩に行ったり、時にはラクダに乗ったり、馬を1日レンタルして、砂漠を駆け回ったりもしました。地平線の見える砂漠で、馬に乗って走るのは最高の気分でした。
散歩はというと、ほぼ毎日していました。家から歩いて5分ほどでピラミッドやスフィンクスのエリアに行けるので、よくぶらぶらとあちらの方まで散歩に行っていました。ですので、ピラミッドのエリアは自分の庭・・・いいえ嘘です(笑)、近所の公園のような感覚でした。今はピラミッドもスフィンクスも入場料が要りますが、その当時は無料だったのです。まだスフィンクスの前にピザハットもケンタッキーも無かった頃です。
日々の買い物はというと、近くにスーパーがなかったので、いつも青空市場でお米や野菜、豆などの食材を買っていました。
お米は量り売りです。家に持ち帰ると、必ずやらなければいけない作業がありました。お米の中に小さな石が入っているので、それを手作業で取り除いていくのです。
大きなお盆にお米を少しずつ出しては広げ、石がないか探します。これは女性の仕事で私もよく手伝っていましたが、エジプト人女性は大変だなぁとつくづく思うのでした。
そうそう、水道代は近くの銀行に行って、現金で払っているのを実際にこの目で見ました。いつも窓口に大勢の人が並んでいたので、支払いをするのも一苦労のようでした(あくまでもその当時の様子です)。
<この馬に乗って砂漠を走りました。もう一頭は同行していたガイドさんの馬>
エジプトで体調を崩す
基本、いつも元気な私でしたが、滞在中一度だけ体調を崩したことがありました。原因はわからないのですが、突然、体中に何やら湿疹ができてしまい、かゆくてかゆくてたまらなくなってしまったのです。
日本から持ってきていた虫刺されのかゆみ止めを塗ってみたのですが、いっこうに効果があらわれず、私はホダに頼んで病院に連れて行ってもらいました。「ピラミッドホスピタル」という名前の病院でした。
聴診器を付けた医師「らしき」人が診察をし、私の横には看護師さんの「ような」人がいて、腕をまくるのを手伝ってくれました。
「らしき」「ような」と表現したのは、誰も白衣を着ていないから・・・です。医師はセーター姿で、聴診器がなければどこから見ても普通のおじさんにしか見えません(笑)。看護師さんも私服なのでその辺を歩いている普通のおばさんのようでした。
さて、医師の診断は「アレルギーでしょう。処方箋を書くので、患部にその薬を塗るように」とのことでした。そして病院を出た後、処方箋を持って家の近くの薬局に薬を買いに行きました。
すると薬局の店員がその処方箋を見て「注射を打つようにと書いてある」と言いました。その店員さんは男性です。
私は「え?ここで注射するの?今?」と言うと、ホダが「大丈夫よ」と言ったので私は即されるまま、その店員さんに店の裏側に連れて行かれました。
そこは薬の入った箱がいっぱい積み上げられた薄暗い倉庫のような場所で、店員さんは注射器の準備をしはじめました。それで私が腕をまくりあげると、「ノー、ノー」と言われ、「お尻の方」とゼスチャーで言われたのです。
え・・・なんで?
薬剤師か知らんけど、Gパン姿の普通の兄ちゃんが注射するの?こんなホコリだらけのところで?それに「お尻」って?しかも立ったまま?
とにかく疑問、疑問だらけでしたが、もう意を決して・・・
・・・・ブスッ!!
あれ?そんなに痛くない。その時、腕よりもお尻の方が痛みが少ないということを知りました。
その後、薬も毎日塗り続け、一週間ほどで完治しましたが、この時の体験で、これからは日本でもお尻に注射してもらおうかなと思ったのでした(笑)
雨が降ると
日本では時々雨が降りますが、エジプトではめったに雨は降りません。洗濯物の心配が要らないのです。それでもごくたまにですが、雨が降ることがあります。
日本では雨が降ると、慌てて洗濯物を部屋の中に取り入れますが、エジプトでは雨が降っても誰も取り入れたりはしないようでした。
応急処置として、ビニールを洗濯物の上にかぶせ、上から洗濯ばさみで留めるのです。雨はまたすぐ止むので止んだら、ビニールを外すだけなんです。
私は「なんと合理的なんだ!」と感心しました。
雨は日本ではうっとうしいとか、運が悪いとか、残念な気持ちになったりしますが、エジプトでは雨が降ると子供達が外に出て「マタル(雨)!マタルだ~!」と喜んでわざと濡れながらはしゃぎまわるのです。
はしゃいでいる子供たちの姿を見て私は、日本ではこんなに雨を喜ぶ子っているかなぁ?と考えてしまいました・・・。
でも!良く考えると日本にも「恵みの雨」という言葉があるので、そういう気持ちをもっと大事にしていけばいいなぁと思ったのでした。
<カイロにある親戚の家のベランダの様子。洗濯物と雨除けのビニール>
エジプトの家庭料理
ホームステイ中、どんな食事をしていたかというと、家では野菜をふんだんに使った料理が中心で、豆料理も多かったです。イスラム教徒なので、豚肉は食べません。
新鮮な食材を買ってきて、家で料理をしてその日のうちに食べてしまうので、冷蔵庫の中はいつも空っぽ状態でした。
ごくたまにお米も食べるのですが、主食は「アエーシ」という平たいパンのようなもので、それを皆、朝・昼・晩、必ず食べていました。
それでこのアエーシなんですが、なぜかお皿にはのせず、必ずテーブルに直に置くのです。
これがとにかく不思議で、アエーシは砂ぼこりが舞う路上で、はだかで売られていたりします。そしてそれを買う人も、アエーシを素手でつかんだまま歩いて持ち帰ったりするのです(エジプト人男性はあまりカバンを持たないんです)。
とにかく袋にも箱にも入れなくても平気みたいなんです(もちろんちゃんと袋に入って売られているアエーシもあります)。
庶民的なレストランを見ても、空き瓶の入れてある箱の上にアエーシが数十枚、はだかで無造作に積まれていたりするのです。
アエーシも口に入れる食べ物なのに、このように扱われるのはいったいなぜなんでしょう。ホダに聞いても「なんでかわからない」と言われたので、今もずっと原因不明のままです。
どなたかご存知の方、教えてください(笑)
<エジプトの家庭料理(ある日の昼食)。左上の茶色っぽい料理は「フール」という豆を茹でて塩とオリーブオイルで味付けしたもの、他は野菜を切って素揚げしたものとトマトサラダ>
女性のスカーフの謎
エジプトはイスラム教徒の人が大半を占めているので、ほとんどの女性はスカーフをかぶっています。さてこのスカーフなんですが、家の中では外している人が多いようです。
女性は外に出る時は必ずスカーフをかぶります。それは他の男性に髪の毛を見られないようにするためだそうです。家の中では家族しかいないので、かぶる必要がないということですね。
ところが、例外があります。例えば家にお客さんが来た時です。すぐに頭にスカーフを巻いてから玄関先に出ていくのです。
たとえば郵便屋さんが来た時も、ちゃんとスカーフを被ってから、小包などを受け取りに行きます。これは100%と言っていいほど徹底していました。
とにかくノックの音がした瞬間、ほんの数秒でスカーフを頭に巻くのです。ノックの音だけでは来た人が男性なのか女性なのかわかりませんから、一応スカーフを被るわけです。
スカーフを巻いたり外したり・・・やっている本人にとっては、単なるいつもの習慣でしょうけど、私にとってその一部始終は「ブラボー!!」という感じでした。とてもスピーディで、手つきが鮮やかなんです。
ホダの姪っ子に小学生の女の子がいたのですが、子供なのでまだスカーフはかぶっていませんでした。ですが、「私も早くスカーフをかぶりたいなぁ」とよく言っていたので、憧れていたみたいです。
私は心の中で「夏は頭が蒸れて暑そうだし、何度も巻くのって面倒くさいのになぁ。私はイスラム教徒じゃなくてよかった」と思ったのでした。
女の子は初潮を迎えると、スカーフを被るようになるのだそうです。
ホームステイを終えて
日本に帰る日が近づくと、私は何ともいえない寂しい気持ちになっていました。ホダもホダの家族もみんな私を本当の家族のように接してくれていたので、別れのその時は思っていた以上に辛かったです。
「今度は日本に来て私の家に泊まってね」と言っても、彼らはビザの関係で日本に、簡単には来れないのです。
今回、ホームステイをして感じたことは、言葉が通じなくても所詮同じ人間だし、悲しければ泣くし、腹が立てば怒るし、結局はみんな同じなんだなということ...国や言葉が違っていても、そんなに大して違わないんだと改めて感じたのです。
ただ、日本人と大きく違うなと思ったのは、エジプト人って人生を楽しんでいる人が多いなぁと(感じた)いうことです。
当時のエジプトは「1日の1人当たりの食費が2ドル」という人が国民の40%も占めていたそうで、私がお世話になった家もこの中に含まれていたかと思われるのですが、それでもみんな毎日笑って幸せそうに暮らしているんです。
最後の日、カイロ空港に向かう時のタクシーの運転手さんが「うちの息子がケンタッキー、ケンタッキーって泣くんだよ。そりゃぁ食べさせてやりたいけど、あのフライドチキンを1個買うのと家族4人分の食事代と同じなんだよなぁ。俺だって食べたいよ、ケンタッキー。ワッハッハ」と笑って話していたのが今でも耳に残っています。
そして、とうとう帰国をし、日本の空港の帰国審査場で、審査官が無表情でスタンプを押していたのを見て私は「あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ」としみじみ感じさせられたのでした。
あたりを見まわすと、みんな無表情なんです。それはごくごく普通のことなんですが、エジプトから帰国した私には、どうしてもそういうふうに見えたのです。もちろん私自身も無表情ではあるのですが。
そんな表情豊かなエジプト人ですが、彼らは普段から、困っている人を見ると放っておけないという人が多いような気がしました。ただそれは「親切」というよりも、私の目から見るとなんとなく「おせっかい」に近い気がしましたが(笑)
エジプト人っておせっかいだけれども、人間らしくて、フレンドリーで、底抜けに明るくて「憎めない奴ら」なんです。私はそんな彼らが大好きになって帰国したのでした。
エジプトの地を訪れる方は、ぜひエジプト人と沢山交流してみてほしいです。その数だけ、きっと楽しい思い出が増えると思います。
最後に一言。
「エジプトはピラミッドとツタンカーメンだけの国じゃないですよ~!! 」
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藤本 敦子
- 海外ホームステイのおもしろさを多くの人に広めたいです。趣味はラグビー観戦、乗馬、ピアノ、というと何やらかっこいいですが、まったく泳げません…笑