移民たちはどんな暮らしだった?ハワイプランテーションビレッジで歴史散策

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※編集部註:当記事の情報は2020年4月時点までに確認できた内容を元にしております。最新情報については、各公式サイトや公式SNSをご確認ください

ハワイの歴史を知る上で欠かせないのが、移民たちの存在。彼らは当時の主要産業であったサトウキビのプランテーションを運営するための労働力として、日本や中国、韓国、ポルトガルなどさまざまな国からハワイを訪れました。 そんな当時の移民たちの生活を学ぶことができるのが、ワイパフにある「ハワイプランテーションビレッジ」。各国の様式を元にした移民たちの住居や、日本人移民による稲荷神社、雑貨屋など当時の様子と歴史を知ることができる施設です。

目次

1. ハワイプランテーションビレッジとは

2. サトウキビ産業が盛んだった頃のハワイ移民たち

3. ハワイプランテーションビレッジで見られるもの

4. ハワイプランテーションビレッジの料金と所要時間

5. ハワイプランテーションビレッジを訪れた理由

1. ハワイプランテーションビレッジとは

昔、ハワイの主要産業であった砂糖産業。かつては広大なサトウキビ畑だったワイパフの一画に、当時のプランテーション(※)集落と住居を再現した屋外博物館「ハワイプランテーションビレッジ」があります。

広い敷地には、1850~1950年頃にプランテーションで働いていた30以上の国から来た移民のうち、8カ国(日本、中国、ポルトガル、プエルトリコ、韓国、フィリピン、沖縄、ハワイ)の移民たちが暮らした住居が設置されており、その歴史を各国の生活様式と共に伝えています。この施設を紹介する前に、まずは、ハワイへ来た各国移民の歴史をおさらいしましょう。

※編集部註:プランテーションとは、一つの商品作物(サトウキビやコーヒーなど)を大量に栽培する大規模農園のこと。先住民や移民、奴隷などが安価な労働力として導入され、農業に従事していました。

2. サトウキビ産業が盛んだった頃のハワイ移民たち

1835年、カウアイ島のコロアで西欧人の手により始まったサトウキビの栽培。1848年に、カメハメハ三世によって行われた「グレートマヘレ(土地の分配)」で、土地の個人所有が認められ、西欧人がプランテーションによる砂糖の大規模栽培を始めました。 しかし、西欧人がハワイへ持ち込んだとされる数々の疫病によりハワイ原住民は激減。それをきっかけに、ハワイ王国は移民を招き入れました。

2.1 日本からの移民たち

日本から元年者と呼ばれる最初の移民が、ホノルルに到着したのは今から約150年前、1868年のことです。その後、カラカウア王は明治天皇に謁見した折に移民を要請、1885年には明治政府は「官約移民」を開始、以降1893年にハワイ王国が終焉するまで日本から約2万9千人の移民がハワイに渡っています。

その後、「自由移民」「呼び寄せ移民」と形は変わりますが、移民の数はどんどん増え、1920年にはハワイの人口における日系人の割合は42.7%にまで及んだそうです。 日系移民の多くは、ハワイの主要産業(当時)であるサトウキビ農場で働いていました。日系移民たちは、その苦労を「ハワイ、ハワイと、夢見てきたが、流す涙も、キビの中」と『ホレホレ節』という歌の中で訴えています。

また、過酷な労働条件からたびたびストライキも起こしていたようです。 少し古い映画ですが、工藤夕貴さんがハワイで働く日本人男性の写真を見ただけで渡米を決め、嫁いだ女性を演じた『ピクチャーブライド』という映画に、当時の移民の生活が詳しく描かれています。

ちなみに、プランテーションビレッジには、女性は朝4時に起きて朝食と昼食の準備、6時から作業を開始、4時まで働き、8時には電気を消すという「労働者の一日」の張り紙がありました。

2.2 沖縄からの移民たち

沖縄からハワイへ最初の移民は1899年。同じ日本人でありながら、言葉や習慣が異なることから、日系移民とは別の集落を構えていたようです。プランテーションビレッジにも、「沖縄の家」が設置されています。 移民たちが紡いだ沖縄文化は今も継承されており、ハワイでは毎年9月最初の週末に「オキナワンフェスティバル」が開催されています。

>>>オキナワンフェスティバル公式サイトはこちら(外部サイトへ遷移します)

2.3 中国からの移民たち

砂糖産業を発展させるために多くの労働力が必要だったハワイ王国は、1852年に海外からの移民の受け入れを決定、最初にハワイに渡ったのは中国人移民でした。プランテーションでの労働は5年契約。賃金は月に3ドル(約320円)だったという記録が残されているそうです。

2.4 韓国からの移民たち

当時の朝鮮からハワイへ最初の移民が到着したのは1903年。多くの人がサトウキビ農場で働くことになりました。日本人と同じく、多くの女性が写真見合いにより、ハワイで働く男性労働者の元に渡りました。

2.5 フィリピンからの移民たち

フィリピン人がプランテーションの労働者としてハワイに到着したのは1906年。当時、フィリピンはアメリカの植民地であったことから、1934年までには、約12万人という人が移民としてハワイに渡ったといいます。

2.6 ポルトガルからの移民たち

ポルトガル(実は本土ではなく植民地の島)からの移民がハワイに到着したのは1879年。他の国と同様、多くはサトウキビ農場の労働力となりました。実はそのときに彼らが持ち込んだのが、今やハワイを代表する楽器であるウクレレの原型だといわれています。 また、近年人気のマラサダも実はマディラ島というポルトガル領の島で作られていたお菓子です。

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2.7 プエルトリコからの移民たち

日本人移民に続きハワイへやって来たプエルトリコ移民ですが、外見が白人と似ていた彼らの役割は、プランテーションで働く他の移民を管理することだったそうです。

3. ハワイプランテーションビレッジで見られるもの

ここからは、ハワイプランテーションビレッジを訪問したときの様子をご紹介します。

到着したら、まずはオフィスへ。入場料(大人15ドル=約1,610円)を支払うと、日本語の地図と住居の説明を書いた資料を貸してくれます。日本語のガイドツアーは事前の申し込みが必要です。 見学を終えて資料を返しに行ったら、受付の女性が、「今度来るときは先に連絡してね」と言っていました。

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<「ハワイプランテーションビレッジ」オフィス>

3.1 タイムトンネルの向こうに広がるプランテーション

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<トンネルを抜けると、現代のハワイから移民の時代のプランテーションへ>

ここからはタイムトンネルをくぐり抜けて、「ハワイプランテーションビレッジ」の移民の生活をのぞいてみましょう。 広い敷地には、中国、ポルトガル、プエルトリコ、日本、沖縄、韓国、フィリピンそれぞれの様式で建てられた住居と公共施設が点在しています。

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<プランテーションへ最初にやってきた中国人の会議所>

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<ポルトガルからの移民がパンを焼いていたかまど>

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<プエルトリコ人の台所>

プエルトリコから来た移民の住居には、コーヒー豆をひく器具(コーヒーミル)が取り付けられています。

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<沖縄から来た移民の住居内。故郷を思って三線を弾いたのでしょうか>

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<韓国から来た移民の家。写真の女性がチマチョゴリを着ています>

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<フィリピンから来た移民の家>

写真をよく見ると、窓際に十字架が置かれています。この部屋の住人は、クリスチャンだったのでしょうか?

3.2 日本人移民の集落

プランテーションで、最初に日本人移民へ提供されたのは寮形式の長屋(1910年頃)。この長屋では、プライバシーは守られていませんでした。労働条件の改善とより良い環境を求めたストライキを経て、1919年頃には家族単位で家が提供されるようになります。

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<仏壇や足踏みミシンがありました>

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<板の間に布団を敷いて寝ていたのですね>

また、日本と同様に神社や銭湯、散髪屋なども作られ、日本人コミュニティにおいて社交場の役割を果たします。

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<若宮稲荷神社。日本人移民の多いハワイでは神社や寺をよく見かけます>

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<日本人移民にとって、銭湯は社交場でもありました>

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<散髪屋はプランテーションにおいて農業以外では最初の職業>

プランテーションの散髪屋は、多くの日本人が就いていたそうです。

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<日本人はもちろん、各国の若者が相撲を楽しんでいたそうです>

3.3 移民たちの生活を支えるさまざまな施設

プランテーションには、移民たちの生活を担保するためにさまざまな施設が設置されました。先ほど紹介した散髪屋以外にも、次のようなお店が存在していました。

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<雑貨屋>

雑貨屋には、労働者と家族が生活するために必要な全てが売られていました。

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<診療所>

移民たちが仕事を休むときは、プランテーションの医者による許可が必要だったそうです。 駆け足で、移民たちが暮らしたプランテーションをご紹介しました。いかがでしたでしょうか?

4. ハワイプランテーションビレッジの料金と所要時間

「ハワイプランテーションビレッジ」の料金は、下記となります。

  • 大人:15ドル(約1,610円
  • 62歳以上(ID必須):12ドル約1,290円
  • 4歳から11歳:6ドル(約650円 3歳以下無料)

ボランティアによるガイドツアーは毎日10時〜14時の間に行われていますが、日本人ガイドによるツアーは事前のリクエストが必要なようです。 Webサイトによれば、ガイドツアーの所要時間は1時間〜1時間半とあります。建物を見て回るだけでなく広い敷地にはきれいな花が咲いていたり、タロイモ畑があったりと、のんびり過ごすのにもオススメです。

5. ハワイプランテーションビレッジを訪れた理由

実は、筆者は4年ほど前にこの場所をツアーで訪れ、日本人ガイドさんと一緒に回ったのですが、その時のことは何も覚えていなかったのです。なぜかといえば、移民の歴史について何も知らなかったから。 その私がもう一度「ハワイプランテーションビレッジ」を訪れようと思ったのは、偶然乗ったトロリーバスのガイドさんによる「日本人はハワイに来ると買い物ばかり。もっとハワイの歴史を知って欲しい」というひと言がきっかけでした。

それから、本を読んだりWebサイトで調べたりして、ハワイの文化や歴史を少しずつ勉強するようになりました。そうしている内に、どんどん興味が湧いて博物館や美術館、歴史的建造物などを少しずつ回るようになったのです。

2018年には、元年者(がんねんもの)と呼ばれる日本人がハワイに来てから150年という記念すべき年を迎えました。時には観光やショッピングの合間に、「ハワイプランテーションビレッジ」を訪れて当時の風景に想いを寄せてみるのもよいでしょう。

ハワイプランテーションビレッジの基本情報

  • 名前:ハワイプランテーションビレッジ(Hawaii's Plantation Village)
  • 住所:94-695 Waipahu Street Waipahu, HI 96797
  • 営業時間:[月-土]10:00~14:00
  • 定休日:日曜日
  • 公式HP:http://www.hawaiiplantationvillage.org/home.html

※編集部註:2020年4月時点では、新型コロナウイルスの影響で休業中です。再開など最新情報は、公式サイトをご確認いただきますようお願いいたします

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たなかみえ

東京生まれの東京育ち、書くことを生業としています。インタビュー、取材でお会いした100人を超える有名、無名の方々に伺ったお話が私の財産です。大好きなハワイの風、匂い、人、場所。読んでくださる皆さんと共有できたらいいな。ハワイ州観光局公認ハワイスペシャル検定上級取得。

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