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歴史的快挙!スイス・バーゼルの「バーフューサー教会の淑女」の謎が解明

記事投稿日:2018/02/24最終更新日:2018/02/24

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今から43年前の1975年に、スイス・バーゼルのバーフューサー教会(Barfüsserkirche)の建物修繕工事に際した教会地下の考古学調査で、地中の石室からミイラ化した女性の遺骸が発掘された。

この遺骸は「バーフューサー教会の淑女(Dame aus der Barfüsserkirche=ダーメ・アウス・デル・バーフューサーキルヒェ)」と呼ばれ、スイスで最も保存状態が良く、また同時に最も謎めいた石室ミイラとして一躍有名になった。その謎は長年解明されることがなかったのだが、バーゼルの自然史博物館(Naturhistorisches Museum Basel)が、特別展示「ミイラ-時間の謎解き(記者意訳、原題は「Mumien - Rätsel der Zeit」、2016年9月~2017年4月に開催)」の一環として、このミイラが一体誰なのか・どんな背景があったのかなどを調査するインターナショナルな組織を結成。

調査は2015年から始まり、約3年間に渡る地道で綿密な調査の結果、ついにこの「淑女」の謎が明らかになったのだ。

科学と歴史の両面から行われた徹底的な調査

調査はバーゼル自然史博物館の主導で行われ、科学的な調査をする専門家や、系譜学(家系調査・家系図作成等)の専門家・愛好家が参加。教会の特等席と言ってもいい「良い場所」に埋葬されていたことから、それなりのステータスがあった人物であろうということは推測できたものの、それ以外はまったくわからないという状況からのスタートだ。

系譜学チームはまず膨大な歴史資料やバーフューサー教会の記録などを徹底的に当たり、2つの大きな発見をした。1つ目は、今から175年前の1843年に行われたバーフューサー教会の工事の際に、「ミイラ」が既に発見されていたということ(「3体のミイラ発見」の記述があり、これらは発見された場所の石室に再び埋葬された)。2つ目は、1975年の修繕工事時の写真や資料から石室の場所/墓石番号が「105番」であることがほぼ特定され、また教会に保存されていた墓石番号記録書から、その墓石番号105番に埋葬された人物の名前「アンナ・カタリーナ・ビショッフ(Anna Catharina Bischoff)」が明らかになったこと。

系譜学チームと並行して、科学者チームは「淑女」の遺骸を科学的・医学的な面から調査。その調査から、良い服を身に着け、栄養価が高く脂肪分が豊かな食事ができていた(→当時の上流階級に属する人物である)こと、梅毒に罹患していたこと、当時梅毒の治療法として用いられていた水銀噴射の影響で死亡したこと、そしてその水銀の作用によって遺骸が「ミイラ化」して保存されたことなどを突き止めた。また、頭蓋骨から顔の復元にも成功し、アンナ・カタリーナ・ビショッフがどんな外見の女性だったらしいかということも見ることができる。

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<アンナ・カタリーナは裕福な上流階級の出身で、身長は142cmと小柄>

「淑女」の生涯

系譜学チームはこの「アンナ・カタリーナ・ビショッフ」という女性について更なる調査を進め、彼女の生涯も明らかになった。アンナ・カタリーナ・ビショッフは、1719年にシュトラスブールで生まれたバーゼル市民。父親のヨハン・ヤコブ・ビショッフは、シュトラスブール地域の改革派教会(シュトラスブールでは当時ルター派によって改革派の礼拝が禁じられていたため、教会はシュトラスブール近郊のウォルフスハイムという所にあった)の牧師だった。

アンナ・カタリーナが14歳の時に父親が他界したため、アンナ・カタリーナは未亡人となった母と2人の妹と共に、1733年に故郷のバーゼルに戻ったが、5年後の1738年に19歳でシュトラスブールの改革派牧師(アンナ・カタリーナの父親の後継者)であるルカス・ゲルンラーと結婚し、再びシュトラスブールに移る。彼女はその後の43年間を敬虔な牧師の妻として過ごし、7人の子供を産んだ(うち5人は幼少期に他界し、2人の娘のみが生育)。牧師の妻の務めとして病人の世話や介護にも尽力し、おそらくその過程で梅毒に罹患したと思われる。1781年に夫が脳卒中で他界すると、アンナ・カタリーナはバーゼルに帰郷。郷里で結婚していた妹のアンナ・マルガレータの下に身を寄せ、梅毒治療に用いられた水銀噴射の影響で1787年に亡くなった。

過去から現在へ歴史の謎解きを導くDNA

状況と文献による証拠では、「淑女」がアンナ・カタリーナであるらしいことは分かったが、これだけでは決定的な確証には至らない。そこで科学者チームは、「淑女」の足の親指部分の骨からミトコンドリアのDNAを採取。これを、生存するアンナ・カタリーナの子孫のものと比較して、科学的に裏付けをしようという試みだ。

これは大変な難題で、というのもミトコンドリアのDNAは、母から娘へ「女系の血縁者」にのみ受け継がれるものだからだ。「淑女」と同じ型のミトコンドリアDNAを持つのは、「淑女」の娘もしくは母の系列にある女性の血縁者のみ。つまり、このDNA比較を行うには、存命のアンナ・カタリーナの女系血縁にある女性を探さなければならない。系譜学チームは信じがたい熱意と執念で地道な調査を続け、ついにアンナ・カタリーナをとりまく壮大な家系図の作成に成功。この家系図では、アンナ・カタリーナの家系を彼女の曾曾曾曾曾祖母であるユスティナ・フローベンまで遡り、ユスティナの3人の子供(息子のニコラウスおよび娘のユディスとモデスタ)から繋がる親類縁者を一覧で見ることができる。

SW_20180202_03.jpgStammbaum Anna Catharina Bischoff © Jürgen Raubler

左側の濃いピンクで表示されているのがアンナ・カタリーナ。アンナ・カタリーナをとりまく家系は、バーゼルの上流階級層を幅広く繋いでいる。

この家系図の一番右下・濃い黄色で示されている2人が、ユスティナの娘モデスタから繋がる直系の女系家系の存命親族で、この2人のうち何と1人は女性なのだ。この女性(ローズマリーさん)と「淑女」のミトコンドリアDNAを比較して一致が見られれば、淑女=アンナ・カタリーナである決定的な証拠となる訳だ。

そして結果は...というと、99.8パーセントの確率でDNAの型が一致!モデスタはローズマリーさんから15代遡った直系の女系血縁女性で、モデスタの姉ユディスはアンナ・カタリーナの曾曾曾曾祖母。つまり、ローズマリーさんにとってアンナ・カタリーナは、「大がどれぐらいつくかは即答できないが、血の繋がった大叔母」なのだ。

アンナ・カタリーナの著名な子孫

アンナ・カタリーナの2人の娘のうち、1人は生涯独身だったが、もう1人の娘(母と同じ名前の「アンナ・カタリーナ」)はドイツ人のプフェッフェル男爵と結婚し、2人の息子を授かった。長男は早くに亡くなったが、次男のクリスティアン・フーバートは成人し、1808年にカロリーナ・フォン・テッテンボルンと結婚して1男(カール・マクシミリアン)1女(エルネスティナ)をもうけている。

このカール・マクシミリアンの息子の娘の娘の息子の息子は、英国の現外相(家系図一番左下の水色表示)。つまり「バーフューサー教会の淑女」は、現英国外相のお父さんのお母さんのお母さんのお父さんのお父さんのお父さんのお母さんのお母さんに当たる。これについては日本でも大きく報道され、もちろんかなり驚きの事実ではある。

しかし一番のビッグニュースは、たくさんの専門家やホビー調査家たちが何年にもわたって地道で丹念な調査をあきらめずに続けた結果、過去と現在を繋ぐ様々な謎が解き明かされたこと。18世紀に生きた牧師の妻が導いた世紀の謎解きに関わったすべての人たちの努力と熱意に、心から敬服!

バーゼル自然史博物館
Naturhistorisches Museum Basel
Augustinergasse 2
4001 Basel
E-Mail: nmb@bs.ch
Tel: +41 (0)61 266 55 00
https://www.nmbs.ch/home

*淑女のミイラは現在は公開されていません*

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Asami AMMANN-HONDA
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