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東京の路地裏を歩く「裏さんぽ」 第二回 新宿~大久保の巻

記事投稿日:2018/03/23最終更新日:2018/04/10

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歴史ある東京の路地裏を歩きまくる現地集合/解散型ツアー「裏さんぽ」

➡➡裏さんぽの概要はこちらからご覧になれます。

第二回 旅の始まりは・・・

地下鉄新宿3丁目駅から出発です。今回も続々参加者が集まりました。

<目次>

  • 玉川上水とは・・・
  • 甲州街道は馬糞が多かった?
  • 木戸とは?
  • 新宿の辺りは意外にお寺が多い
  • なぜ歌舞伎町という名がついたのか?
  • 実は小泉八雲の終焉の地はここ大久保だった
  • ん?神社の拝殿がなぜこんなところに???
  • 皆さんが一番熱心に拝んでいた神社はこちら

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添乗員さんより挨拶、行程、注意事項の説明がされてさあ出発!まずは新宿御苑に向かって歩きます。

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新宿は甲州街道を日本橋から数えて一番最初の宿場です。もともと一番目の宿場は新宿ではなく高井戸だったそうです。ふつう宿場は8~10kmおきに置かれますが高井戸は日本橋から少し遠い位置にありました。そこで4人の商人が幕府に願い出て新宿の開発と宿場運営の権利を得て今の新宿の場所に宿場町を作りました。新しい宿場だから新宿。内藤新宿と呼ばれていたのは、この辺りの場所を内藤家が所有していたからです。

新宿御苑の北側にはかつての玉川上水に沿って玉川上水・内藤新宿分水散歩道が整備されています。

玉川上水とは・・・

玉川上水とは今の東京都羽村市から四谷まで43kmに渡って作られた水路です。当時江戸の人々の水は井の頭池と神田川で賄われていましたが足りておらず新たな水源が必要でした。それを幕府から任命され請け負ったのが玉川兄弟です。その膨大な工事をほぼ人力だけで、なんと8か月で完成させたというから驚きです。玉川兄弟は幕府から支払われた工事代金が底をつきると私財を投げ打って工事を完成させたそうです。玉川上水は当時100万に達していた江戸の人々の生活を支えました。水道奉行という役職もあったそうですから、いかに水道が大切なものであったかわかりますね。

今も府中市にある「悲しい坂」の名の由来とは?

府中市に「かなしい坂」という坂があります。玉川上水を掘削していた時、今の府中市の清水が丘辺りで水が土にしみ込んでしまったそうです。そして担当の幕府役人は責任をとって切腹させられたというなんとも切ない逸話がある為、「かなしい坂」の名がついたそうです。水が染みこんでしまったからって切腹させられるなんて、ひどい話ですよね。

こちらが玉川上水・内藤新宿分水散歩道です。

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甲州街道は馬糞が多かった?

甲州街道は産業道路でした。物資の運搬には当然馬の往来が多くなるので、馬糞が多いのもうなずけますね。歌川広重の甲州街道の絵にも馬糞が描かれているそうです。面白いですね。

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新宿御苑から四谷大木戸跡に進みます。 

木戸とは?

江戸時代には木戸という存在があり、この四谷大木戸からは江戸外だという区分けをされていました。木戸は一種の関所の役割を担っており、そこでは荷物の取り締まりが行われ、夜は閉められて自由に往来できませんでした。

江戸6大地蔵のひとつがある大宗寺に進みます。江戸の各街道の入口にはそれぞれ地蔵があったそうです。太宗寺には塩かけ地蔵という面白いお地蔵さんがいます。それがこちらです。

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写真の白い部分は塩です。この地蔵に塩を刷りこむと「いぼ」が取れるという言い伝えがあるらしいです。世の中にはいろいろなお地蔵さんがいますね~

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新宿の辺りは意外にお寺が多い

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太宗寺と正受院には閻魔さまといつもセットとなる奪衣婆(だつえば)を見ることができます。なかなかインパクトのあるお姿です。

<太宗寺の奪衣婆>

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<正受院の奪衣婆>

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成覚寺は別名「投げ込み寺」と呼ばれていました。内藤新宿は江戸時代、岡場所としても有名でした。奉公途中で死んでしまった飯盛り女たちは身につけていたものを剥ぎ取られて俵に詰められ投げ込むようにこの寺に葬られていたそうです。痛ましい歴史です。

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成覚寺に2018年3月に再び訪れた時、桜がきれいだったので追掲載します。

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さて 花園神社を通り、新宿ゴールデン街に進みます。普段一見ではなかなか入りにくいこの一帯ですが、昼間はひっそりと静かです。

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新宿ゴールデン街は約2,000坪の区画内に低層木造長屋に3~4坪ほどの小さな飲食店が密集しています。戦後の闇市が始まりです。ガイドさんのお話では、ゴールデン街には3種のバーがあるそうです。ひとつは文壇バー。ふたつめはゲイバー。そして3つめは・・・ぼったくりバー(笑)

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新宿ゴールデン街は歌舞伎町の隣に位置しています。

なぜ歌舞伎町という名がついたのか?

この一帯は東京大空襲で焼け野原になりました。戦後、復興政策として、歌舞伎の演舞場を建てて、それを中心に一大芸能エリアにしようという構想があり、歌舞伎町という名前が付けられましたが、財政面の問題で結局この計画は実現せず、唯一新宿コマ劇場が建設されたに留まりました。

歌舞伎町から大久保まで歩きます。

実は小泉八雲終焉の地はここ大久保だった。

日本人に有名な外国人のひとり小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は島根県の松江のイメージが強いですが、亡くなったのは東京の大久保でした。小泉八雲は立派な足跡を残しましたが、背が低く、そのことに本人は強いコンプレックスを持っていたそうです。また亡くなる直前、片目はほとんど見えていなかったそうです。 享年54歳。亡くなる日奥様に「ママさん、先日の病気また参りました」と小さな声で言ったと伝えられています。(病名は狭心症)大久保には小泉八雲の公園があります。

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小泉八雲はギリシャ系アメリカ人だったので公園はギリシャ風の造りです。

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ランチは新大久保で韓国料理バイキングでした。(写真撮り忘れました。。。)

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ランチ後、面白い神社に行きました。その名も「夫婦木(めおとぎ)神社」です。 

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ん?拝殿がなぜこんなところに???

この神社のユニークなところは拝殿が・・・なぜかアパートの上にあるんです。

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夫婦木神社のご利益は子宝、夫婦円満。祭神はイザナギ、イザナミで日本神話ではこの神は夫婦で多くの神を産み、山、海、自然のあらゆるものを司ったとされており、男女で参詣すると必ず結ばれ、子どもが欲しい夫婦が祈れば授かるといわれています。

大久保通りに戻ってJR新大久保駅方面に歩きます。この辺り(現在の百人町1~2丁目)は大久保鉄砲隊百人町屋敷がありました。鉄砲隊とは将軍の警護を担う役職です。(実際には実践の機会は一度もなかったそうですが)

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皆さんが一番熱心に拝んでいた神社はこちら

JR新大久保駅を越え、JR大久保駅に向かって数十メートル歩いたところにあるのが皆中神社です。実はツアーご参加のお客さまが一番熱心に拝んでいた神社がこちら皆中神社なんです。

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「皆中」とは「みな当たる」という意味です。鉄砲隊百人組の中に、腕の悪い隊士が居たそうです。その隊士の夢の中に「稲荷の神」が現れ「この神社に参拝せよ」とお告げがあったそうです。その隊士は言われた通り参拝してから鉄砲を打つとなんと百発百中!そこから勝運にご利益があると評判になり、今では競馬や宝くじの当選を祈願する人たちで大人気の神社になっているそうです。なるほど、一所懸命に拝む気持ちがわかります。。。

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今のうちに見ておきたい、今のうちに知っておきたい東京のこと

いかがでしたか?裏さんぽ第二回 新宿~大久保の巻。コース内容を詳しく書いてきましたが、魅力は半分も伝わらないでしょう。ガイドさんはここに書いた以外のお話もしてくれます。やはり実際に自分で歩いてみる、そしてそこにガイドさんの実況中継が加わると臨場感が格別です。私も「今日は良い一日を過ごせたなあ」と感じました。半日歩いて学べて、お昼ごはんまでついて数千円です。こんな充実した一日いかがですか?

➡➡裏さんぽ 第二回 新宿~大久保編のツアーの空席確認、ご予約はこちらからチェックできます。

➡➡裏さんぽ 第三回 佃島~月島の巻の潜入取材記はこちらからご覧になれます。

➡➡裏さんぽの全体象をつかみたい方はこちらからご覧になれます。

※取材内容は2017年10月時点のものです。

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この記事を書いた人
シンジーノ
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記事投稿日:2018/03/23最終更新日:2018/04/10

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