東京の路地裏を歩く「裏さんぽ」第四回 御茶の水~秋葉原~神田の巻

裏さんぽ

歴史ある東京の路地裏を歩きまくる現地集合解散型ツアー「裏さんぽ」

>>「裏さんぽ」の概要はこちらからご覧になれます

第四回 旅の始まりは・・・

JR御茶ノ水駅聖橋口から出発です。聖橋を渡ります。

目次

聖橋の名の由来

「聖橋」って美しい名前ですよね。この橋の名の由来は「聖なるものをつなぐ橋」という意味です。聖なるものとは・・・ニコライ堂と湯島聖堂です。

余談ですが、昔、この付近にユニークな甘味屋さんがありました。どこがユニークかというと例えば給仕のお姉さんが歌を詠みながらかき氷を運んでくるんです。「ニコライの~鐘が鳴るなり御茶の水~。宇治抹茶白玉あずきでございます。」てな調子で。メニューによって詠む歌が決まっていてお客さんは「このメニューを頼んだらどんな歌なのかな~」と想像しながらオーダーするんです。・・・すみません、脱線しました。

さて、こちらがそのニコライ堂です。

ニコライ堂

聖橋を渡ったところにあるのが湯島聖堂。湯島聖堂は江戸幕府が開いた、儒学を教える学校です。時代は第五代将軍綱吉の頃です。

湯島聖堂はなぜ五代将軍綱吉の時代に作られたのか?

江戸時代も五代綱吉の頃には戦国の世ではなく、天下太平の時代でした。武士も武芸から学問を重視する時代に変わっていっていたんですね。湯島聖堂は旗本、御家人の子弟たちが学んでいました。

湯島聖堂

神田明神といえば・・・あの人ですネ

次は神田明神です(正式名称は神田神社)神田明神の歴史は古く天平2年(730年)の創建と言われ、約1300年もの歴史があります。当初は今の大手町の辺りにありましたが徳川家康により神田へ移され、二代秀忠が江戸城の鬼門にあたるこの場所に移しました。

神田明神

神田明神といえば・・・銭形平次ですよね。銭形平次は実在の人物ではありませんが、こんな立派な碑が建てられています。

銭形平次の碑

江戸城を作る時、小田原から多くの職工を呼んできました。(当時江戸より小田原の方が栄えていたそうな。)

江戸は完全な男社会で男女比は7:3だったそうです。神社は人々が多く集まる場所で男が多かったこともあり、神社の傍には遊郭が作られました。湯島のラブホテル街はその当時の名残りとも言われているそうです。神田を下って秋葉原へ。

秋葉原へ

秋葉原の名の由来

徳川家康の時代は秋葉原一帯は一面の原っぱでしたが徐々に町が作られて人が住むようになりました。当時は火事がとても多かったそうです。明治2年(1870年)の大火後、火伏の神である秋葉大権現を祀った秋葉神社が創建されます。そこから「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼ぶようになりました。もともとはアキバハラだったんですね~

ガイドさんの案内

江戸時代、庶民が新しい服を着ることはなかったようです。基本は古着です。今の神田岩本町辺りの川沿いに服(古着)の市場がありました。

案内

お玉が池跡に残る悲しい茶屋の娘の話

昔、神田に「お玉が池」という池がありました。今はありません。その池は「不忍の池」よりも大きかったそうですからかなりの大きさだったようです。

さて「お玉が池」の名の由来ですが、この池の近くにある茶屋に「お玉さん」という看板娘がいました。そのお玉さんに男性ふたりが言い寄ってきました。悩んだお玉さんはこの池に身を投げ死んでしまいました。人々はお玉さんの死を哀れに思い、それまで「桜ヶ池」と呼ばれていたこの池を「お玉が池」と呼ぶようになり、彼女の霊を慰めるため、「お玉稲荷」を建てました。

お玉稲荷

稲荷といえば・・・きつねさんじゃないの?

稲荷神社といえばきつねを祀っていますが、なんと神田にはたぬきを祀った稲荷神社があります。それがこの柳森神社です。境内の福寿社は「おたぬきさん」と呼ばれ、5代綱吉の母である桂昌院が江戸城内に「福寿稲荷」として創建したのが始まりです。受験、勝負ごと、出生、金運にご利益があるといわれています。こちらがおたぬきさんです。

稲荷神社

秋葉原でお昼ごはんといえば・・・!万世のハンバーグですね。昭和の懐かしい味がします。

ハンバーグ

徳川の埋蔵金を隠した?と言われる小栗上野介の一番の功績とは?

さて裏さんぽは再び御茶の水に戻ってきました。御茶の水は小栗上野介が生まれた場所です。小栗上野介は幕末の旗本で外国奉行、勘定奉行、軍艦奉行を歴任しました。彼は徳川埋蔵金を隠したという逸話で有名ですが、その真偽はともかく、彼の一番の功績は横須賀製鉄所(後の造船所)を作ったことと言われています。彼が残した造船技術は明治以降も受け継がれ、その後の日本の発展に大きく寄与したのです。

小栗上野介が生まれた地

あの天下のご意見番の実像とは・・・

御茶の水にはもうひとり有名人の史跡があります。大久保彦左衛門の屋敷跡です。大久保彦左衛門といえば「天下のご意見番」として三大将軍家光に対してことあるごとに諌言したといわれていますが、それは後世の講談の中での創作のようです。

大久保彦左衛門の屋敷跡

さて最後は「御茶の水」の名の由来

「御茶の水」とはその名の通り、「お茶にする水」です。

二大将軍秀忠が鷹狩りの帰りに寄ったこの地の寺から湧いている水を使ったお茶を飲んだところたいそう美味しかったので徳川家御用達の水となり、この地を御茶の水と呼ぶようになったようです。JR御茶ノ水駅向いの交番横に御茶の水の碑があります。

由来

今のうちに見ておきたい、今のうちに知っておきたい東京のこと

いかがでしたか?裏さんぽ第四回 御茶の水~秋葉原~神田。行程を詳しくご案内してきましたが、魅力は半分も伝わらないでしょう。

やはり実際に自分で歩いてみる、そしてそこにガイドさんの実況中継が加わると臨場感は格別です(ここに書いた以外にもいろいろな話が聞けます)。このコースはアップダウンもあり、なかなか歩きごたえがありました。

半日歩いて学べてお昼ごはんがついて数千円。こんな充実した一日、いかがですか?

>>現地集合・解散と趣味・テーマの旅 ~毎日が好奇心~ 時を自由に遊ぶ人「時遊人」のおすすめツアーはこちら

※取材内容は2017年10月時点のものです。

裏さんぽ関連記事

時遊人」のおすすめツアーはこちら

※外部サイトに遷移します

Related postこの記事に関連する記事

Ranking東京記事ランキング

ランキングをもっと見る

この記事に関連するエリア

この記事に関連するタグ

プロフィール画像

シンジーノ

3人娘の父で、最近は山歩きにハマっているシンジーノです。私は「お客さまが”笑顔”で買いに来られる商品」を扱う仕事がしたいと思い、旅行会社に入って二十数年。今はその経験を元にできるだけ多くの人に旅の魅力を伝えたいと“たびこふれ”の編集局にいます。旅はカタチには残りませんが、生涯忘れられない宝物を心の中に残してくれます。このブログを通じて、人生を豊かに彩るパワーを秘めた旅の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。

Pick upピックアップ特集

全国の動物園&水族館 徹底取材レポート特集!デートや家族のおでかけなど是非参考にしてみてください♪

特集をもっと見る

たびこふれメールマガジン「たびとどけ」
たびこふれサロン

たびこふれ公式アカウント
旬な情報を更新中!