山口・萩2(金毘羅社 円政寺)

高杉晋作、伊藤博文が学び遊んだ 大きな天狗面のある寺

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▲市指定有形文化財/円政寺内金毘羅社社殿(欄間に十二支の干支の彫刻がめぐらされている)

円政寺は、萩城城下町の一角、江戸屋横町にあります。真言宗の〝寺院〟ですが、入口に鳥居があるので〝神社〟と思う方も多く、境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社(神社)もあります。神仏習合の形態が見られる点で貴重なお寺とされており、〝日本古寺100選〟にも選ばれています!もとは大内氏の祈願所として山口に創建されていましたが、大内氏滅亡後この地を治めた毛利氏が萩の築城と同時に塩屋町へ移転、神仏分離令後、円政寺の名が惜しまれ当時の法光院を改称・合併、現在の円政寺になりました(今でも山口市内には円政寺町という地名が残っています!)。円政寺は代々、大内氏・毛利氏殿様の祈願所なのです。

また、嘉永(1850年代)の頃、法光院(現:円政寺)住職の恵運は、従兄妹の林琴子の長男で利助という11歳になる子をあずかり、約1年半の間、雑用をさせるかたわら読書や習字を教えました。この利助は後に初代総理大臣となる、明治の元勲、伊藤博文です。幕末から明治にかけて数々の著名人を輩出している萩ならではのエピソードですね。

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▲市指定有形文化財/山門・石鳥居 <延享2年(1745)寄進>

金毘羅社の拝殿には、朱色にぬられた大きな天狗の面がかけてあります。江戸時代、近所に住んでいた高杉晋作は幼い頃、家人にここに連れて来られ、この天狗の面を見せられ、物怖じしないようにと鍛えられたといわれています。現在、天狗の面は髭も髪もありませんが、当時は麻ひもでつくったふさふさの髭や髪を付け、目と歯は金色に光っていたそうです。 さすがに、幼い子どもなら泣き出しそうですね・・・(桂小五郎も近所に住んでいたので、この境内で遊んでいたかもしれませんね。)。

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▲(上)朱色天狗の面/(下)幼年期の高杉晋作 伊藤博文が遊んだといわれる神馬(木馬)<文政3年(1820)寄進>

また、円政寺には文化財の石燈籠があります!高さ5.07mと山口県最大のもので、龍の彫刻が立体的に彫り込んであります。こんなにも大きな石燈籠が地震にも耐え、立っている秘密は、石燈籠を支えている二本の足が動く仕掛けになっているからです。この仕組みは、現在、超高層ビルにも活かされています。 江戸時代にひとかたまりの大きな石を、ここまで細かく掘ることができる技術の高い石工さんがいたという証明になります。

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▲市指定有形文化財/石燈籠 <安政5年(1858)寄進>

今回は萩城下町の一角をご紹介しましたが、萩には見所がたくさんあります。幕末以降の偉人たちの志や当時の風景に思いを馳せるもよし、世界遺産を網羅した後ゆっくり温泉に浸かるもよし、時間の流れがゆったりしている萩へ癒されに行ってみませんか?

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