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チュニジア紀行 悠久の歴史をたずねて

<TOP画像:スース>
みなさん、チュニジアという国がどこにあるかご存知ですか?
日本ではまだ知名度が高くない国なのでパッと答えられる人は少ないかと思いますが、アフリカ大陸北岸に位置し、地中海を挟んでイタリアのお向かいのあたり。と聞くとイメージがしやすいのではないでしょうか。
"歴史のモザイク"と呼ばれるチュニジアは、地中海の要衝という土地柄、数多の覇権争いに巻き込まれ波乱の国運を辿ってきました。故に、北部~中部にかけて往時の様子を今に伝える遺跡の数々やアフリカ屈指の地中海リゾート、フレンチ・チュニスのモダンな街並みが広がる一方、南部にはサハラの広大な大地もあり、様々な表情を見せてくれます。
今回は、ツアー中に撮影した観光地の写真と共にチュニジアの歴史を辿ってみましょう。
目次
フェニキア~ローマ時代
紀元前9世紀頃。現在のレバノンのあたりからやって来たフェニキア人が都市国家カルタゴを建設。大いに繁栄を誇りました。
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<カルタゴの、見晴らしの良いビュルサの丘に残る遺構>
紀元前3世紀頃から、シチリア島をめぐってローマ帝国と対立。3次にわたるポエニ戦争ではハンニバルに代表される軍人たちが死闘を繰り広げたもののあえなく敗れ、カルタゴは滅亡。のちに再建されますが、ローマ共和国の統治下でアフリカ属州に組み込まれます。
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<山中の要塞都市ドゥッガ>
3世紀には、ローマの属州として繁栄を誇ったエル・ジェムに円形闘技場が作られました。世界各地に残る円形闘技場の中でも群を抜く保存状態の良さで、現在も人々が集います。
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<エルジェムの円形闘技場は上からの展望が素晴らしい>
イスラム教の流入
その後7世紀頃にはアラブ人の進入によりイスラム教が流入。アラブの将軍がベルベル人を見張るために駐屯基地を置いたケロアンは、やがて「北アフリカのメッカ」としてイスラム教の主要な聖地の1つになりました。
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<ケロアンのグランドモスクは、女性はスカーフが必要>
その後はいくつかの王朝を経て1574年、オスマン・トルコの属州に。
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<装飾が見事なシディ・サハブ霊廟>
フランスの支配~現代へ
近代に入ると、帝国主義の風潮が高まる中、1881年、フランスの保護領となると、その支配は1956年にようやく独立を果たすまで続きました。
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<チュニスのハビブ・ブルギバ・ストリートはまるでシャンゼリゼ>
多くの芸術家やブルジョワ階級の人々を魅力したチュニジア北端の村シディ・ブ・サイドは、現在でもアフリカ屈指のリゾートとして人々を惹きつけています。
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<白と青の小さな楽園>と呼ばれるシディ・ブ・サイド
また、南部に広がる広大なサハラ砂漠も外せないポイント。近くの国モロッコ/メルズーガの赤い砂の海のような砂漠に比べて、こちらは砂の惑星に不時着したかのようなゴツゴツとした白っぽい岩砂漠。有名SF映画の撮影が行われるなどして、一躍有名になりました。
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<チュニジアのジャメル砂丘は映画ファンの聖地でもある>
最後に
いかがでしょうか。個性あふれる観光地がモザイクのように敷き詰められた国、チュニジア。面積は約16.3万㎢(日本の約5分の2ほど)の小さな国なので、8日間あればしっかり見て回ることができます。ぜひ、訪れてみてくださいね。
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むーむー
- 自然と歴史、そして、食べることが好きです。




























