聖心女子学院創立者、聖マドレーヌ=ソフィの足跡を巡る旅

庭園側から見たビロン邸

聖心女子学院をご存じでしょうか?

カトリック女子修道会「聖心会」が築いた教育機関で、いわゆるミッションスクールのひとつです。日本に最初の聖心女子学院が設立されたのは1908年のこと。今では、幼稚園から大学院まで全国に6つの姉妹校が存在します。もちろん、東京の聖心女子大学もそのひとつです。

聖マドレーヌ=ソフィ・バラ像
<聖マドレーヌ=ソフィ・バラ像 © Agnieszka Włodarczyk rscj>

この学校を創立したのは、フランスに生まれたマドレーヌ=ソフィ・バラ(マグダレナ=ソフィア・バラとも呼ばれる)という女性です。今日はこのマドレーヌ=ソフィの足跡をたどり、フランスのスポットをご紹介しましょう。意外な場所との関わりに驚かれることでしょう。

目次

芸術と歴史の街ジョワニー

ジョワニー旧市街
<ジョワニー旧市街 ©KanmuriYuki>

マドレーヌ=ソフィは、1779年の師走ジョワニーという町で生を受けました。ジョワニーは、ブルゴーニュのヨンヌ県にあり、パリからは列車で1時間半弱の距離です。町の発展は中世に入ってからで、11世紀以降はジョワニー伯領となり、林業やワイン醸造、ヨンヌ川を利用した運送などで発達しました。

ヨンヌ川
<ヨンヌ川とジョワニーの町 © Agnieszka Włodarczyk rscj>

ヨンヌ川の北側にある旧市街には古い町並みが今も見られますが、大火事などの影響もあり、その多くは16世紀以降に建てられたものです。中でも木骨造の家々の魅力は必見です。

邸宅
<16世紀に建てられた木骨造の邸宅 ©KanmuriYuki>

マドレーヌ=ソフィの生家も、この旧市街に建っています。フランスの町家によく見られるように隣家と壁を接する家屋が多い中、近所で起きた火事にショックを受けた母親が早産したのがマドレーヌ=ソフィでした。そのため、幼少時代は病弱だったと言います。

マドレーヌ=ソフィの生家、バラ・センター

マドレーヌ=ソフィの生家は、今もできる限り当時の如く保たれています。樽職人だった父親が作業をした場所、暖炉を囲み家族が団欒した部屋、マドレーヌ・ソフィの寝室、両親の寝室、マドレーヌ・ソフィが勉強をした部屋など、見学も可能です。

マドレーヌ=ソフィの生家
<マドレーヌ=ソフィの生家入り口 © Agnieszka Włodarczyk rscj>

生家の前の通りはヨンヌ川に向かって下がる坂道ですが、当時はその地下を水が川に向かって流れており、樽など大きなものはそこに落としてヨンヌ川まで運ぶシステムがあったそうです。

マドレーヌ=ソフィの生家
<中庭一部 ©KanmuriYuki>

この生家は、現在は聖心会が管理するソフィ・バラ・センターとして、黙想や瞑想など静かな時間を持ちたい人や聖書の言葉を学びたい人などを対象に、さまざまな講座を提供する場になっています。近隣の建物と合併されているため、緑豊かな中庭は意外なほど広く、心休まる環境となっています。

講座カタログと刺繍のカード
<講座カタログと刺繍のカード ©KanmuriYuki>

レセプションでは、手作りの刺繍やジョワニーの四季をとらえた写真カードも販売しています。宿泊付きで週末の黙想会なども企画されていますので、興味のある方は公式サイトをご覧ください。また、訪問希望の方は事前にメールなどで連絡を入れることをお勧めします。(英語可)

ソフィ・バラ・センター

洗礼を受けた聖チボー教会

聖チボー教会
<聖チボー教会入り口 ©KanmuriYuki>

ソフィ・バラ・センターのすぐ近くには、マドレーヌ=ソフィが通った聖チボー教会も建っています。今見られるのは、百年戦争の戦禍と16世紀の大火災ののちに再建されたフランボワイヤン・ゴシック様式の建築で、入り口上部にある馬に乗った聖チボーの像も、16世紀のものです。

聖フランシスコ=ザビエル教会
<聖チボー教会にある聖マドレーヌ=ソフィ像 © Agnieszka Włodarczyk rscj>

聖チボー教会には、後に聖人となったマドレーヌ・ソフィの像なども見ることができます。ステンドグラスはほとんどが18~19世紀に作られたものですが、バラ窓は16世紀のものが残っています。また、19世紀の作であるオルガンは、聖チボー教会とともにフランスの歴史的モニュメントに登録されています。

聖チボー教会
<聖チボー教会内部、奥にオルガンが見える ©KanmuriYuki>

ジョワニー旧市街には、そのほかにも13世紀の城壁や、城門、塔なども残っており、見ごたえのある街歩きができます。フランス文化省によって「芸術と歴史の街」のひとつに認定されているのも頷ける話です。

ジョワニーからパリ、そうしてアミアンへ

マドレーヌ=ソフィの兄ルイは、当時ジョワニーで教師をしており、マドレーヌ=ソフィはこの兄から歴史、文学、聖書、ラテン語、数学、ギリシア語、物理、ヘブライ語、イタリア語、スペイン語などを学びました。当時の女子としては非常に稀な高度教育を受けたマドレーヌ=ソフィは、知的な思考を深めるにつれて、信仰心も深めていきます。

勉強部屋
<マドレーヌ=ソフィ像とその勉強部屋 © Agnieszka Włodarczyk rscj>

折しも時代はフランス革命期。この時期、フランスではキリスト教弾圧が激化し、司祭や聖職者たちにとって受難の時代でした。上述の聖チボー教会も1790年に閉鎖され、助祭になっていたマドレーヌ=ソフィの兄ルイは、行政による教会への介入に反対したため、当局に追われる身となります。ルイはその後パリで投獄され、あとは処刑を待つだけの身となりますが、たまたま、ギロチンにかけられる者の名を記す書記をしていたのが、教師時代の教え子であったことから処刑を免れ、1795年に釈放されました。

この年、マドレーヌ=ソフィはジョワニーからパリへと単身移り住み、司祭となったルイのもとで、子供たちに教育を施す役目を担います。その生活の中でますます信仰心と使命感を強固にしたマドレーヌ=ソフィは、1800年パリで修道会(のちの「聖心会」)を創立するに至ります。わずか二十歳の時でした。続く翌年1801年には、アミアンに女子教育のための寄宿学校を開設します。これが最初の聖心女子学院です。

聖心とはフランス語で「サクレ・クール」

「聖心」という名称は、フランス語でいう「サクレ・クール(聖なる心臓)」を日本語に訳したものです。「サクレ・クール」はイエス・キリストの深い愛を象徴する言葉です。モンマルトル丘に建つサクレ・クール寺院の名もこの言葉に由来しますし、フランスには「サクレ・クール」を冠する教会が、他にも複数存在します。

サクレ・クール
<十代のマドレーヌ=ソフィが刺繍したサクレ・クール © Agnieszka Włodarczyk rscj>

マドレーヌ=ソフィが創立した修道会と教育機関は、その後国内外に広がりました。現在、修道会「聖心会」は世界40か国に根を下ろし、32か国に姉妹校を擁しています。フランス国内だけでも11の教育施設が存在します。

価値観が大きく変化する時代でもぶれない信念と使命感を貫く一生を送ったマドレーヌ=ソフィは、1865年パリの聖心会本部で亡くなりました。

聖心会本部が置かれた現ロダン美術館

当時、聖心会本部はパリのアンヴァリッド通りにあるビロン邸にありました。本部の南には、聖心の女学校もありました。実はこのビロン邸は、現在ロダン美術館が置かれている建物です。また女学校だった建物には、現在ヴィクトール・デュリュイ中・高等学校が入っています。

ロダン美術館
<庭園側から見たビロン邸(ロダン美術館)©KanmuriYuki>

ロダン美術館は、建築もさながら広い庭園が美しい美術館で、屋内外に展示されたロダン作品を心ゆくまで堪能できる贅沢な場所です。見学の際は、庭園散策も含めて長めに時間を見ておくのがおすすめです。

ビロン邸
<ビロン邸、右に見えるのはアンヴァリッド ©KanmuriYuki>

ロダン美術館

  • 開館時間:火曜~日曜の10:00~18:30(最終入館時間17:45)冬場は日が短いため庭園が早めに閉まります。
  • 休館日:1月1日、5月1日、12月25日
  • 見学料:13ユーロから(ネットにて事前予約可)
  • 公式サイト:ロダン美術館

聖フランシスコ・ザビエル教会

帰天後、マドレーヌ=ソフィはまずパリ北西方にあるコンフランで埋葬されます。けれども、19世紀終わりから20世紀初めにかけてフランスで起こった修道会排斥の影響で、1904年その遺体はベルギーへと運ばれ、結果として100年以上ベルギーに留め置かれます。

その間、マドレーヌ=ソフィは、1908年ローマ教皇ピウス10世によって列福され、1925年にはピウス11世によって聖人に列せられます。つまり、聖マドレーヌ=ソフィ・バラとなったわけです。

聖チボー教会
<聖フランシスコ=ザビエル教会内部 ©KanmuriYuki>

そうして2009年6月19日、カトリックの暦で聖心(サクレ・クール)の祝日にあたる日、聖マドレーヌ=ソフィ・バラの遺体はとうとうフランスに戻ってきました。場所は、上述ロダン美術館のすぐそばにある聖フランシスコ=ザビエル教会。19世紀後半に建てられたネオ・ルネサンス様式の建築で、2018年には国の歴史的建造物の指定を受けています。

教会内に設けられたサクレ・クールのチャペルには、聖マドレーヌ=ソフィ・バラの金箔ブロンズ製聖遺物箱が安置されています。そばには聖母マリア像も建ち、聖マドレーヌ=ソフィ・バラの生涯をまとめた説明も置かれています(フランス語と英語)。

聖フランシスコ=ザビエル教会
<聖マドレーヌ=ソフィ・バラの聖遺物箱 ©KanmuriYuki>

ネオゴシック様式の聖遺物箱は、ベルギー、ゲントで150年以上続いたアトリエ・ブルドンで1909年に作られたものです。

マドレーヌ=ソフィは没後100年以上を経て、ようやく半生を過ごしたビロン邸の近くに戻ってきたことになります。広く知られるように、聖フランシスコ=ザビエルは日本を含む遠いアジアまで布教に出て、最後は病に倒れた宣教師です。国境や文化を越えて種を蒔いた人という点で、聖マドレーヌ=ソフィ・バラと重なる部分があるようで、そういう意味でも、聖マドレーヌ=ソフィが眠るのにふさわしい教会でしょう。

聖フランシスコ=ザビエル(フランソワ=グザビエ)教会

  • 住所:12 place du Président Mithouard, 75007 Paris
  • 開館時間:月曜の15:45~18:45、火曜~金曜の9:30~12:30と15:45~18:45、土曜の9:30~12:30
  • 公式サイト:St Francis Xavier's Church

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冠ゆき

山田流箏曲名取。1994年より海外在住。多様な文化に囲まれることで培った視点を生かして、フランスと世界のあれこれを日本に紹介中。

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