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出たとこ勝負のコルフ島出張!アテネから車で行ってみました
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、ギリシャの島々はじつに個性豊かです。イタリア半島の南とギリシャの間にあるイオニア海の島々は、緑豊かでしっとりとした雰囲気が特徴。
ギリシャ語でエプタニサ(7つの島)とも呼ばれるイオニア諸島は、ギリシャ本土の西部に沿って並ぶ7つの主要な島々とその周りに点在する小島が含まれます。その最北であるコルフ島へ先月行く機会がありましたので、今回の記事ではハプニングエピソードも交えてご紹介します。
目次
- 風光明媚なイオニア海の島、コルフ(ケルキラ)島
- アテネからコルフ島まで長距離ドライブチャレンジ
- イグメニツァ⇔ケルキラで日本のフェリーに遭遇
- 旧要塞と、夜の旧市街
- コルフ島の郷土料理
- コルフ島にとって重要な日「プロトキリアコ」って?
- おわりに
風光明媚なイオニア海の島、コルフ(ケルキラ)島
<コルフ島オールドポートから見た風景。向こうに見える小島はヴィド島>
イオニア諸島の一番北に位置するコルフ島は、ギリシャ語のケルキラ島という名前でも知られます。鉤のような形をしていて、地図で見るとアルバニアの南端にひっかかるような感じ。早くて紀元前12世紀ごろにはギリシャ人が定住していたそうですが、古代から東地中海の要衝として栄え、またそのために歴史に翻弄されてきました。
コルフという名前は、400年もの間続いたヴェネチア共和国による統治時代から。ヴェネチアのあとはフランスやイギリスに統治されていたこともあり、ようやく正式にギリシャ領となったのは1864年のこと。その後の紛争や戦争による危機も乗り越え今に至ります。
このような背景から、コルフ島は現在でも町並みや文化にイタリアの影響が色濃く残っています。コスモポリタンで洗練された雰囲気を纏ったコルフタウンは訪れる人々を魅了し、特にイースターなど大きなイベントのある時やハイシーズンには国内外から多くの観光客が訪れます。
アテネからコルフ島まで長距離ドライブチャレンジ
ちなみに今回の旅は図書館のインスタレーションが主な仕事で、それに便乗して私の取材も時間の許す限りするという形。この話自体は結構前から出ていたものの、11月最初の週末に行くと突然決まったのでドタバタな出発でした。
アテネからコルフ島まで行くには、飛行機が一番早くて便利です。コルフ島の空港は市街地から約1kmと近いので、コルフタウンに滞在して観光するだけならバスやタクシーを利用せず徒歩移動も可能です。
今回は荷物はそんなになかったのですが、ちょっと車で行ってみようという夫の気まぐれで、アテネからペロポネソス半島を経由して北ギリシャへ向かい、北西の街イグメニツァからフェリーでコルフ島へ渡るという計画。ルートはこんな感じになります。
景色を楽しみながらのドライブはなかなかよかったですが、さすがにこれだけの距離を走ると料金所の数もかなりのもの。
さらにペロポネソス半島のリオから海を渡る橋の料金は片道13.7ユーロ(3時間以内の往復の場合は半額ぐらい)と、ガソリン代も合わせると結構痛い出費になってしまいました。途中であちこち立ち寄って観光できるならいいですが、コルフ島直行ならやはり飛行機がよさそうです。
イグメニツァ⇔ケルキラで日本のフェリーに遭遇
アテネを出発してから5時間ぐらいかかってイグメニツァに到着。実はこの時は警報が出るほどの悪天候が近づいていて、無事にフェリーが出るかというのも懸念材料のひとつでした。イグメニツァに着くと同時くらいに雨になりましたが、大きめのフェリーは運航しているとのこと。フェリーの便数が制限されているためか、船内は満員でした(本当の理由は後で知ることになります......)。
利用したフェリーはケルキラシーウェイズの「エルミス(HERMES)」。
乗り込んでみると、なんと日本の萌えキャラが。ギリシャには日本の中古船が結構あると聞いてはいたのですが、塗り潰されずそのまま残っていたのにびっくり。よく見るとゴミ箱やトイレなど、あちこちに日本の面影が残っていました(トイレのウォシュレット機能は切ってあったようですが)。
後で調べてみると、元は日本の南海フェリーが所有していた「フェリーつるぎ」でした。1997年就航から2019年12月15日まで22年間、和歌山港~徳島港間を運航していたそう。
航海はスムーズで、1時間半もせずにコルフ島が見えてきました。旧市街の美しい街並みが曇り空に映えて雰囲気抜群。コルフ島の旧市街は2007年にユネスコの世界遺産に登録されています。
旧要塞と、夜の旧市街
無事コルフ島に上陸し、まっすぐ向かったのは旧要塞(パレオ・フルリオ)。今回の仕事先はこの中にある施設でした。
ケルキラの街は旧要塞と新要塞があり、どちらもヴェネチア統治時代に建てられたもの。2つの要塞は島を強固に守り、オスマン帝国の侵攻を防ぎました。
旧要塞は岬を利用して築かれています。堀を作ることによって防御力を高めたそう。
暗くなってきていましたが、旧市街へ行く前に旧要塞を少し歩いてみました。
旧要塞の上まで登ると旧市街を見渡せる絶景ポイント。風が強くて吹き飛ばされそうだったので、登るのはそこそこにして旧市街へ行ってみることにしました。
<外から見た旧要塞。神殿風の建物は教会です>
<こちらは新要塞。日曜の朝に撮影>
街の様子。
土曜の夜なのでいつもならかなり賑わっているはずですが、悪天候のため通りを歩いている人はまばらで、時折鳴り響く教会の鐘の音が厳かな雰囲気でした。開いてる店も少なかったのでただ散歩を楽しんでいましたが、傘が半壊するほどの暴風雨になったので退散。
コルフ島の郷土料理
ようやく仕事が片付いた頃にはもう22時ぐらいになっていたし、雨風もまだ結構酷かったので旧要塞からあまり歩かず行ける範囲で見かけたレストランで夕食にしました。
私のお目当てだったブルデット。魚をちょっとピリ辛いソースで煮た料理です。コルフ島の魚料理は、魚とじゃがいもを白く仕上げたビアンコと、そしてこのブルデットがよく知られます。
牛肉のパスティツァーダ。これは鶏でもよく作られる料理で、ギリシャ各地で見られるコキニスト(レッドソース煮込み)のバリエーション。チューブ型のパスタ(この店ではペンネでしたが、ロングマカロニがよく使われます)を添えて食べられます。
今回は食べてませんが、肉料理ではソフリト(牛肉をニンニク、パセリ、ワインビネガーのソースで煮た料理)もおすすめです!
チガレリ。青菜をトマト味で煮た料理で、控えめに入れた唐辛子がアクセント。
コルフ島にとって重要な日「プロトキリアコ」って?
土曜の夜はかなり大荒れのお天気でしたが、日曜は嵐が去り気持ちのいい晴天。街へ出てみると車を停める場所が全然なくて一体何かと思えば、パレードがあるとのこと。みんながお祝いの言葉を交わしているので詳しく聞いてみると、コルフ島の守護聖人である聖スピリドンにまつわる重要な行事がある日でした。そりゃ船が満員だったりホテルがどこも一杯だったりするわけだと納得。
聖スピリドンは幾度もコルフ島を危機から救ったと言われ、年間を通して5回の連祷により讃えられています。11月最初の日曜日は「プロトキリアコ」と呼ばれていて、1673年に起きたペストの大流行を聖スピリドンが止めたことを記憶する日。いつからペストが広まったかの詳しい記録は残されていませんが、10月の終わりに聖スピリドン教会の鐘塔の上に眩い光が三夜連続で現れ、十字架を手に死神を追い払う聖スピリドンの姿を見たと証言する人も多数いたそうです。その後すぐにペストの流行はぴたりと止まり、ヴェネチア共和国政府は島民の要望を汲んで。毎年11月最初の日曜日をこの出来事の記念日と定めました。
今年はプロトキリアコも悪天候の予報でしたが、晴れたのはもしかしたら聖スピリドンのおかげかもしれませんね。
帰りのフェリーが昼前だったので、パレードはたまたま近くを通ったら少しだけ見られるかな~と思いながらカフェに居たら、楽団の演奏が聞こえてきたので慌てて見に行きました。
ケルキラフィルハーモニー交響楽団はギリシャでも有数の楽団だそうで、コルフ島のさまざまなイベントに華を添えます。演奏の素晴らしさに加え、旧市街の街並みにユニフォームが映えて格好いい!これは観る価値ありです。
楽団を率いる人が掲げているのは聖スピリドンのタペストリー。
プロトキリアコの日は朝早くに聖スピリドン教会で行われる典礼から始まり、市街地でのパレードが続きます。ハイライトとなるのは聖職者の行進で、普段は教会に安置されている聖スピリドンの遺物(不朽体)が担がれて街を練り歩きます。これは見逃してしまったので残念。
おわりに
かなり行き当たりばったりな旅になりましたが、それでもかなり楽しめてしまったのはコルフ島が魅力に溢れる島だからでしょう。一部ですが大きな行事を観ることができたのもよかったです。見逃したものやできなかったこと、行きそびれた場所も多数なので、また機会があればぜひ訪れてみたいです。
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アナグノストゥ直子
- アテネ在住。主婦業の傍ら、ライター、リサーチャー、コーディネーターとしても活動する。ブログ「ギリシャのごはん」にてギリシャ料理レシピやおいしい話題を発信中。