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花々に囲まれたヴォーリズ建築:高碕記念館

記事投稿日:2022/09/08最終更新日:2022/09/08

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高碕記念館

阪神間に残る実業家たちの住んだ家には、いまも見る価値のあるものが残っています。

これまで紹介してきた芦屋のヨドコウ迎賓館御影の甲南漬資料館夙川の旧山本家、豊中の旧羽室家住宅などもその一部です。今回は宝塚市雲雀丘(ひばりがおか)の高台に立つ高碕記念館を紹介しましょう。

目次

設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ

高碕記念館
<庭から見た高碕記念館 ©KanmuriYuki>

高碕記念館を設計したのは、日本の近代西洋建築を語るうえで外せないウィリアム・メレル・ヴォーリズです。ヴォーリズはアメリカに生まれ哲学を学んだ後、キリスト教伝道を志し、滋賀県の高校の英語教師として来日します。メンソレータムの近江兄弟社の創立者として有名で、多くの才能を持つ人でした。1941年、60代で日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。83年の生涯を日本で終えました。

関西学院大学時計台
<甲山を背に建つ関西学院大学時計台、提供:関西学院大学>

ヴォーリズが日本全国で手掛けた建築物は、教会や学校、病院、個人住宅など多岐にわたり、その数は「戦前だけでも1,500件」(高碕記念館パンフレットより)と言われています。戦災などで失われたものもありますが、今でも近江八幡市や軽井沢、京阪神などに彼の作品が多く残っています。例えば上の写真は、西宮市に残るヴォーリズ建築として有名な関西学院大学の時計台です。

雲雀丘の名の由来

高碕記念館
<通り越しに見える高碕記念館 ©KanmuriYuki>

高碕記念館への最寄り駅は、阪急電鉄宝塚線の雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)駅です。西改札口を出るとすぐわかるように、駅から北側は少々勾配の急な坂道となっています。昔は果樹園が広がっていたというこのあたり。なるほど、雲雀が飛び交う丘だったから雲雀丘かと、つい早合点したくなりますが、さにあらず。土地名の由来は、「西に流れる滝ノ谷川にある「雲雀の滝」の名にちなんで阿部(元太郎)が付けたもの」(「近代における宝塚市雲雀丘住宅地の開発経緯とその性格 ―阿部元太郎による開発を中心にー」)だといわれます。高碕記念館の方によれば、この雲雀の滝はいまも、個人所有地内に現存するそうです。

駅から高碕記念館までは、距離にすれば400m程度、時間にすればおよそ10分です。坂道ではありますが、駅からまっすぐ山手に延びる棕櫚の木の並木道は、どこか異国に続く道のようなわくわく感を与えてくれます。またそのあと続く坂道の両側には、それぞれに美しい邸宅が並び、目にも楽しい道のりです。

大邸宅向けの分譲地として開発

雲雀丘
<高碕記念館から雲雀丘花屋敷駅の方を見下ろす©KanmuriYuki>

それもそのはず、雲雀丘は高級住宅地として拓かれた地域なのです。雲雀丘を開発したのは、『神戸市御影をめぐる発見:その1』で触れた日本一の長者村、住吉の住宅開発にも携わった阿部元太郎。同氏は、大正4年ごろから雲雀丘の10万坪以上の土地を開発し、邸宅用地を分譲しました。その中には1,000坪規模の土地もあったと言います。

開発地域の最寄り駅として雲雀丘駅を作ったのも阿部元太郎です。その後、雲雀丘駅は、それ以前からあった大阪寄りの花屋敷駅と合併する形で雲雀丘花屋敷駅となり、今に至ります。

国登録文化財が集中する雲雀丘

高碕記念館
<高碕記念館玄関ポーチ©KanmuriYuki>

開発当時建てられた大邸宅のうち現存するものは数えるほどになりましたが、それでも雲雀丘には今でも別格の優美さが残っています。これは、同地開発当初から独自の景観ルールが設けられたことと無縁ではないでしょう。上述した棕櫚の木の並木道も開発時に整備されたものです。

ちなみに当時の雲雀丘は西谷村に属しており、宝塚市に編入されたのは昭和30年になってからのことでした。現在、宝塚市には国登録文化財が17件ありますが、そのうち個人住宅に関わる指定は15件。その15件のうち実に14件が雲雀丘地域に集中しています。ただし、通年で見学可能なのは高碕記念館のみです。

解説が素晴らしいガイドツアー

居間
<暖炉のある居間©KanmuriYuki>

高碕記念館は、もともとは1923年(大正12年)に医学博士 諏訪氏の住宅として建てられ、1929年に高碕達之助の住居となったものです。いくたびかの増改築に加え、平成2年には全面的な改修工事が行われました。そのため、建築当時そのままの姿ではありませんが、見学の際には、そのあたりの違いも詳しく解説してもらえますし、内部には元の姿を再現した模型も置かれています。

再現模型
<再現模型©KanmuriYuki>

延床面積は400平方m以上。元は、基本的に各階とも廊下が真ん中を通り、そこから放射線状に部屋が配置されている形となっていました。パンフレットには、「木造2階建て腰折れ屋根のコロニアル・スタイル」とありますが、屋根裏である三階も十分天井が高く、見晴らしの良い窓も備わっています。ヴォーリズが重きを置いたという台所も広く明るい部屋で、地下には広い貯蔵庫が備わっていました。暖炉のある部屋は四部屋と、洋室が主ではありますが、和室も取り入れ設計されています。

高碕達之助の魅力

展示一部
<展示一部©KanmuriYuki>

記念館内部には、昭和4年から30年までここを住居とした高碕達之助に関わる展示が並んでいます。1885年(明治18年)現在の高槻市に生まれた同氏は、幼少のころは神社の狛犬に乗って足を折るなど『坊ちゃん』を地で行く無鉄砲ぶりを発揮していましたが、中学ではめきめきと成績を上げ、卒業時は首席に。この中学時代に、恩師の「日本人の生きる道は日本の四面をおおっているこの広い海洋を開拓する」(『私の履歴書』p.428)ことだという言葉に心を動かされ、一途に水産業を志すことになります。

農商務省水産講習所(現東京海洋大学)で学んだ後は、東洋水産会社で働き始めますが、経営は難航。それならば海外視察だと、メキシコの水産技術者応募に手を上げ、米大陸で約5年を過ごします。このあたりは同氏のもつ視野のグローバルさのなせるところでしょう。帰国後、製缶業と缶詰業は分けるべしと考えた同氏は、1917年東洋製罐株式会社を設立します。

八面六臂の活躍

吹き抜け
<三階吹き抜け部から見下ろす二階©KanmuriYuki>

高碕達之助がこのメキシコ・アメリカ生活で学んだのは、経営管理法だけではなく、理念というか哲学のようなものでもあったようです。特にスパイの嫌疑をかけられた時、世話になった、後の米大統領ハーバード・フーヴァーからは、大きな影響を受けたと、本人も述懐しています。そうしてその理念ゆえに、製缶業に留まらぬ活躍を続ける人生を歩むことになります。

通信文
<高碕達之助が託した通信文(展示)>

1937年(昭和12年)の日華事変で鉄が足りなくなり製缶業が危機に瀕した時は、満州へ発ち、1年後には満州重工業開発株式会社総裁に就任。そのまま満州で終戦を迎え、残された日本人引き揚げのために、疲労困憊し昏倒するまで奔走します。同館の展示には、同氏が、そのころの状況を本国に訴えるために記し、密航者に託した通信文も並んでいます。

保存に一役買った荘川桜

荘川桜
<高碕記念館に咲く荘川桜(提供:公益財団法人 東洋食品研究所)>

終戦後、日本に引き揚げてからは日本の技術や土木の向上のために骨を折り、電源開発株式会社総裁時代は、複数のダム建設に携わります。ダムで沈む荘川村の樹齢400年を下らぬ老桜二本を、笹部新太郎氏の力を借りて移植させたのも高碕氏です。高碕記念館の庭には、この荘川桜の子孫も植わっています。

理念に裏打ちされた粘り強い交渉術と、必要があれば即断即決を躊躇しない高碕氏は、その後、政界に招き入れられ、対中、対露いずれにおいても重要な功績を残します。

ワニを飼育していた庭園

庭園
<庭園側の門に続く階段©KanmuriYuki>

そんな高碕氏は無類の動物好きでもありました。今はもうない庭の池でワニを飼っていたというのですから驚きです。駝鳥の卵の人工孵化に日本で初めて成功したのも同氏でした。また、戦後、中共軍に監禁されたときにも「シラミを紙の上においてその走る速さを調べたり」(日本経済新聞)して遊んだと言います。

現在同記念館の管理運営は、高碕達之助が設立した東洋罐詰専修学校研究部を母体にできた公益財団法人 東洋食品研究所がしています。入館は無料ですが、館内見学については事前の予約が必要ですのでご注意ください。ヴォーリズ建築や高碕記念館の歴史、高碕達之助氏の業績などについて、非常に造詣の深い係の方がわかりやすく解説してくださいます。

最後に、忘れてはいけないのが、庭園の見事さです。1,135平方メートル以上の敷地は緑にあふれ、勾配を利用して、まるで植物園かと見紛うスペースも設けられています。駅と比べて標高が30m高い庭からの眺望も素晴らしいものです。庭園だけなら予約なしで見学できます。

庭園
<隅々まで瑞々しく手入れされた庭©KanmuriYuki>

高碕記念館

  • 公式サイト:高碕記念館
  • 庭園公開:10:00~16:00 
  • 休館日:月曜日(祝日は開館、翌日休)
  • 入館料:無料
  • 館内見学:事前に、公式サイトまたは電話で予約が必要
     時間帯は10:30~12:00、13:00~14:30、14:30~16:00のいずれかを選ぶ
  • 問い合わせ先:072-740-6600(公益財団法人 東洋食品研究所 平日9:00~17:00

【参考文献と参考サイト】

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