東海道五十三次は、今ならどこからどこまで? 歩きでかかる日数とは

東海道五十三次

これまで経験したことのないような旅行、あまり人がしないような旅行がしてみたい...そう思ったら、東海道五十三次を歩いて制覇する旅はいかがですか? 乗り物や技術が発達した現代だからこそ、江戸時代の人々が歩いた道を、時間をかけて歩いてみるという趣向です。この記事では、東海道五十三次の道筋や日数について紹介しますので、ぜひ参考になさってください。

目次

<1. 東海道五十三次とは>

<2. 東海道五十三次は、今ならどこからどこまで?>

<3. 当時の雰囲気が残る三重県の「関宿」>

<4. 弥次さん喜多さんが泊まった「大旅籠柏屋」>

<5. 浮世絵が展示された部屋もある「丁字屋」>

<6. 東海道五十三次を歩くと、何日かかる?>

<7. 歌川広重の浮世絵は、当時の実際の風景でないものも?>

<8. 東海道五十三次を歩くツアーもあり>

1. 東海道五十三次とは

はじめに、東海道五十三次とは何であるかを確認しておきましょう。

浮世絵画家として名高い歌川広重の作品に「東海道五十三次」と名づけられたものがあります。五十三次とはいいますが、絵の枚数はトータル55枚です。その理由はこの後で説明しますが、1枚1枚に地名が記され、その土地を象徴する風景と、旅をする江戸時代の人々が描かれています。では具体的に歌川広重は何を描いたのか、「東海道」と「五十三次」に分けて考察してみることにしましょう。

「東海道」は、「東海道新幹線」に代表されるように今でも残る言葉ですが、もともとは江戸と京都をつなぐ街道を示す言葉でした。この街道は、江戸時代、徳川家康の命令により整備されたもので、本州の東海岸に沿った道だったことから、「東海道」という名がついたのだそうです。

では、「五十三次」とは何なのでしょうか。

五十三というのは、東海道に設置された宿場(しゅくば)の数です。江戸と東京間は490km強という距離だったため、どうしても食事処や休憩所、宿泊所が必要でした。そのため、要所要所に宿場が整備され、行き来する商人や旅人を受け入れたのです。

宿場ができたことで、人々は気兼ねなく遠出ができるようになり、江戸時代には旅行を楽しむ人も増えてきました。この宿場町の様子に、スタート地点とゴール地点の2枚を含め、トータル55枚の浮世絵で表したのが、歌川広重の「東海道五十三次」なのです。

東海道が旅行をする人々で賑わったことは、当時、大人気となった物語からも推し量ることができます。その物語とは、江戸時代に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書き上げた『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』です。主人公は弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)のふたり。その名前をつなげて「弥次喜多道中」などとも呼ばれて親しまれました。

東海道中膝栗毛
<出典元:写真AC

2. 東海道五十三次は、今ならどこからどこまで?

実際に東海道五十三次を歩く旅に出る場合、どこからスタートして、どこがゴールになるのでしょうか。確認しておきましょう。

スタートは東京の日本橋

日本橋
<出典元:写真AC

スタート地点は、日本橋です。現代では、銀座や東京駅に近い一帯を示す地名になっていますが、東海道五十三次でいう日本橋は、東京都中央区を流れる日本橋川にかかる「日本橋」と名づけられた橋のこと。

この橋は、1603年に徳川家康がかけたもので、東海道のほか、中山道(なかせんどう)、日光街道、甲州街道、奥州(おうしゅう)街道を総称した五街道のスタート地点でもありました。歌川広重の浮世絵では、「朝乃景」として、参勤交代の大名行列が江戸を出発する様子や、魚を仕入れた商人が天秤棒を担いで歩く様子が描かれています。

なお、当時の日本橋は木でできていました。その後、幾度もの改修を経て、現在は石造りです。橋の四隅に獅子像、橋の中央に麒麟像があしらわれるなど芸術作品としての価値も高く、国の重要文化財に指定されています。

麒麟像
<出典元:写真AC

53の宿場 1~9は東京都と神奈川県

スタートの日本橋からゴール地点までの間に、53の宿場があります。順を追ってみていくことにしましょう。なお、地名の後につく「宿」の文字は、「しゅく」あるいは「じゅく」と読みます。

東海道53次マップ
<東海道五十三次ルートマップ(関東発)/出典元:阪急交通社

最初の宿場は、品川宿(現在の東京都品川区。以下、カッコ内は現在の地名です)。歌川広重の作品では、この品川宿の絵が「1」になっています。以降、2から順に神奈川県内の宿場が9か所続きます。「箱根八里」という歌で「箱根の山は天下の剣」と歌われた箱根は、東海道でも難所中の難所といわれています。

  1. 品川宿(東京都品川区)
  2. 川崎宿(川崎市川崎区)
  3. 神奈川宿(横浜市神奈川区)
  4. 保土ヶ谷宿(横浜市保土ヶ谷区)
  5. 戸塚宿(横浜市戸塚区)
  6. 藤沢宿(藤沢市)
  7. 平塚宿(平塚市)
  8. 大磯宿(中郡大磯町)
  9. 小田原宿(小田原市)

10~32は静岡県

由比宿
<由比宿/出典元:写真AC

神奈川県を抜けると、静岡県です。海沿いの海岸線が長い静岡県には、全部で22の宿場が連なります。三島や沼津のように現代でも観光地として賑わう場所も多くあります。

  1. 箱根宿(足柄下郡箱根町)
  2. 三島宿(三島市)
  3. 沼津宿(沼津市本町)
  4. 原宿(沼津市原)
  5. 吉原宿(富士市)
  6. 蒲原(かんばら)宿(静岡市清水区蒲原)
  7. 由比(ゆい)宿(静岡市清水区由比)
  8. 興津(おきつ)宿(静岡市清水区興津本町)
  9. 江尻宿(静岡市清水区江尻町)
  10. 府中宿(静岡市葵区伝馬町)
  11. 丸子(まりこ)宿(静岡市駿河区丸子)
  12. 岡部宿(藤枝市岡部町)
  13. 藤枝宿(藤枝市)
  14. 島田宿(島田市本通)
  15. 金谷宿(島田市金谷本町)
  16. 日坂宿(掛川市日坂)
  17. 掛川宿(掛川市)
  18. 袋井宿(袋井市)
  19. 見付宿(磐田市)
  20. 浜松宿(浜松市中区)
  21. 舞阪宿(浜松市西区)
  22. 新居(あらい)宿(湖西市新居町)
  23. 白須賀宿(湖西市白須賀)

33~41は愛知県

二川宿
<二川宿/出典元:写真AC

静岡県から愛知県に入ると、9つの宿場があります。最後の「宮」は熱田神宮をさし、歌川広重の浮世絵にも大きな鳥居と神事を執り行う人々の姿が描かれています。

  1. 二川宿(豊橋市二川町)
  2. 吉田宿(豊橋市札木町)
  3. 御油(ごゆ)宿(豊川市御油町)
  4. 赤坂宿(豊川市赤坂町)
  5. 藤川宿(岡崎市中町)
  6. 岡崎宿(岡崎市伝馬通)
  7. 池鯉鮒(ちりゅう)宿(知立(ちりゅう)市)
  8. 鳴海宿(名古屋市緑区鳴海町)
  9. 宮宿(名古屋市熱田区)

42~48は三重県

ここまで来ると、東海道五十三次もゴールが間近。三重県に入り、城下町の桑名宿、関宿は、昔ながらの街並みが残されている場所です。

  1. 桑名宿(桑名市)
  2. 四日市宿(四日市市)
  3. 石薬師宿(鈴鹿市石薬師町)
  4. 庄野宿(鈴鹿市庄野町)
  5. 亀山宿(亀山市東町)
  6. 関宿(亀山市関町中町)
  7. 坂下宿(亀山市関町坂下)

49~53は滋賀県

三重県を過ぎると滋賀県で、5つの宿場があります。大津は、滋賀県の県庁所在地でもある大きな町に発展しています。

  1. 土山宿(甲賀市土山町)
  2. 水口宿(甲賀市水口町)
  3. 石部宿(湖南市石部)
  4. 草津宿(草津市)
  5. 大津宿(大津市)

ゴールは京都の三条大橋

三条大橋
<出典元:写真AC

東海道五十三次、ゴールとなるのは京都の三条大橋です。歌川広重の浮世絵には、雄大な山をバックに、三条大橋を行きかう人々の様子が描かれています。

3. 当時の雰囲気が残る三重県の「関宿」

関宿
<出典元:写真AC

宿場町の中には、当時の面影を残しているところもあるので紹介しましょう。まず、三重県亀山市の「関宿」です。

関宿は47番目の宿場町で、江戸時代後期から明治時代に建てられた町家がそのまま残っている地域です。それも1棟や2棟ではなく、200棟以上が連なっています。その貴重さゆえ、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。写真映えするスポットも多いので、ぜひ時間をとって歩いてみたい宿場町です。

4. 弥次さん喜多さんが泊まった「大旅籠柏屋」

大旅籠柏屋
<出典元:写真AC

岡部宿(静岡県藤枝市)には、東海道中膝栗毛の主人公、弥次さんと喜多さんが泊まった宿も残されています。それが大旅籠柏屋です。

宿泊はできませんが、建物全体が資料館として公開されています。当時の人々の暮らしぶりも展示されているので、ぜひ立ち寄りたいスポットです。

5. 浮世絵が展示された部屋もある「丁字屋」

静岡県静岡市の丸子宿にある食事処「丁子屋」も、おすすめのスポットです。

丁子屋は、名物のとろろ汁を提供しながら旅人の身心をいやすこと、なんと400年。複数ある部屋の造りにはさまざまな趣向がこらされています。

そのひとつ「広重さんの部屋」と名づけられた部屋には、復刻版の浮世絵・東海道五十三次がすべて展示されているのです。現代の地図と照らし合わせながら、当時の雰囲気も味わってみてはいかがでしょうか。

6. 東海道五十三次を歩くと、何日かかる?

さあここで、実際に東海道五十三次を歩いたら、何日くらいかかるのかを考えてみましょう。

スタートからゴールまでの距離は、約492kmです。人が早足で歩くときの時速は約5km。その数字を使って計算すると、492kmを歩ききるのに必要な時間は、約100時間という計算になります。1日に8時間歩くとして単純に計算すると、13日前後の日数です。

決して無理な距離や日数ではありませんし、長期休暇を利用すれば実現はできるはず。「東海道五十三次 歩いてみた」などのキーワードで検索をかけると、実行した人々の記録が多数ヒットするので、ぜひ参考にしてみましょう。

ちなみに、江戸時代の人々は、14~15日かけて歩いたと言い伝えられています。今のように道路が舗装整備されているわけではなく、険しい道も多かったことを考えると、なかなかの健脚を持っていたといえそうです。

7. 歌川広重の浮世絵は、当時の実際の風景でないものも?

歌川広重の代表作「東海道五十三次」ですが、実際に広重が旅をして描いたかというと、論議はさまざま。「歩いていないのでは?」という説があることも事実です。

その理由として挙げられているのが、当時の光景とは違うもの、存在しないものが描かれていること。例えば「箱根宿」の描かれているのは、今も昔も存在しなかった急傾斜の岩山です。箱根の山の険しさを表現すべく描いたのかもしれませんが、忠実に景色を描いていたものではないということになります。

とはいえ、そういったエピソードに触れながら歩くことも楽しさの一つといえます。広重の絵の検証も兼ねて、研究者気分で歩くのもオツではないでしょうか。

8. 東海道五十三次を歩くツアーもあり

ユニークな旅のスタイルとして、旅行会社が企画した東海道五十三次徒歩ツアーもあります。

そのひとつが、阪急交通社による「東海道五十三次を歩く」です。歴史街道ガイドや添乗員が同行してくれるので、ひとりでも安心して参加することができます。そのほか、マップサービス、トラベルイヤホンを利用しての解説、その土地のおいしい昼食が食べられるなど、盛りだくさんの内容です。

詳細については、「東海道五十三次特集」をチェックしてみてください。

旅の楽しみ方は、いろいろあります。交通網が発達した現代だからこそ、あえて江戸時代の旅行を体験してみるというのもいいかもしれません。ぜひ殿様や商人、もしくは弥次さん喜多さんの気分で東海道五十三次を歩いてみませんか?

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