たびこふれ

渡来人から戦国武将まで 歴史ロマンあふれる近江国日野を巡る

記事投稿日:2022/05/10最終更新日:2022/05/10

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中野(日野)城跡

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である蒲生氏郷(がもううじさと)をご存知でしょうか?

蒲生氏は、鹿児島神宮の大宮司である藤原教清を祖とする藤原氏の一族です。滋賀県にある、近江国蒲生郡日野にて、六角承禎の重臣・蒲生賢秀の三男として生まれた蒲生氏郷。キリシタン大名としても有名で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、文武に秀で、歴史ファンの間でも人気の高い蒲生氏郷は、どんな人だったのでしょうか?

今回は、映画やドラマのロケ地としても知られ、聖地巡礼としても多くの人が訪れる、戦国武将・蒲生氏ゆかりの日野を中心にご紹介したいと思います。

目次

蒲生氏郷とは

蒲生氏郷の歴史

中世の時代に、近江国蒲生郡日野の一帯に勢力を誇った一族である蒲生氏。

40歳の若さで生涯を閉じた蒲生氏郷は、数々の戦場で武功を立てただけでなく、領地の経営や家臣団の統制にも長けていたそうで、世に優れる利発人と称された「戦国武将」だったそうです。

近江商人(日野商人)を知る日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店)

日野まちかど感応館では、日野商人が発展を導いてきたヒントを見ることができます。

滋賀県の東部、湖東地方の各地から江戸時代より輩出した商人を近江商人といいますが、近江商人の中でも日野地方出身の商人は日野商人と呼ばれていました。他の近江商人と比べ、群を抜いて数が多かったそうです。
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行商の有力商品だったものは​​「合薬」でした。正野玄三という医師が、医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として漢方医薬である「感応丸」を作りました。この合薬を日野商人が全国に売り歩いたそうです。

観光案内所や休憩所として多くの人が訪問する日野まちかど感応館は正野玄三家の薬店だった建物です。今もなお「万病感応丸」の大きな看板が掲げられています。

軽食コーナー「にぎり飯・惣菜 みかく」や「ギャラリーTUTUMU」では、映画やドラマでロケ地として使われた場所の紹介を写真などで見ることができました!

日野まちかど感応館

3月のひな祭りの季節には、数多くの様々な時代で大切にされてきた『雛人形』を見ることができますよ。

日野まちかど感応館

蒲生氏の菩提寺である信楽院

信楽院

日野町の町並みの東端にある信楽院は蒲生氏の菩提寺です。浄土宗の寺院で奈良時代前期、聖武天皇の勅建と伝えられています。

滋賀県指定の文化財にもなっている本堂の天井には、日野出身の画家高田敬輔(たかだけいほ)作の巨大な竜が荒れ狂うさまを描いた「雲竜」や​​周囲に八大龍王、韋駄天、飛天図を描かれた見事な水墨画が見られます。

信楽院

そのほか、​​蒲生貞秀や定秀ゆかりの品や、蒲生氏郷が初陣の際着用したと伝えられる甲冑、氏郷の遺髪塔と伝えられる石塔等が伝えられています。

信楽院

週末などは、音楽イベントなどを行われており、地元の人にも愛されているようです。

イノシシがお迎えしてくれる馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、蒲生郡日野町の東にそびえる綿向山の山頂に祀られている大嵩神社の里宮です。出世開運の神と崇められ、中世には蒲生氏の、江戸時代には日野商人や町衆の厚い信仰を集めていたといわれています。

その創建にはイノシシが関わったという伝承が残されていることから、イノシシがあちこちで見られます。イノシシ年には多くの人が参拝に来るらしいですよ!

イノシシ

六角形で火袋(かたい)に散蓮華(さんれんげ)を刻む鎌倉時代の石灯籠、江戸時代に日野商人が寄進したという立派な石灯籠や石橋、「千両松」と書かれた石碑と共に1本の松が植えられていたりと、見所がいっぱい。

年代物の「楠木正成とその子正行桜井の別れ」像もあります。戦前まで日野小学校の校庭に置かれていたものを、戦後この境内に移されたそうです。

楠木正成とその子正行桜井の別れ

「日野祭」は、馬見岡綿向神社の春の例祭。850年以上の歴史を持つ日野で最も大きなお祭りです。その山車の倉庫の扉が開かれ、豪華絢爛な山車を公開されていました。

山車

  • 住所:滋賀県蒲生郡日野町村井705
  • TEL:0748-52-0131
  • 公式サイト:馬見岡綿向神社

映画のロケ地にもなった聖地 中野(日野)城跡

日野城

人気映画『るろうに剣心 伝説の最期編』の、緋村剣心(佐藤健)と四乃森蒼紫(伊勢谷友介)の対決場面として使われたこの場所は、「日野城」または「中野城」と呼ばれていた城の城跡です。鎌倉時代の初期から約400年間における蒲生家6万石の最後の本城でした。本能寺の変で織田信長が討たれたとき、安土城にいた信長の妻妾一族をこの城へ迎え入れて保護したとも言われています。

日野城

立派な石垣と、神社が残っており、京へ向かう交通の要衝として実際に戦いが行われていたのではないか、と思われるものです。

日野城

日野城跡の隣には日野川ダムがあります。土塁などは壊されてしまったそうですが、本丸と堀の一部が残され、そこには釣りを楽しむ人たちがいらっしゃいました。『るろうに剣心 伝説の最期編』では、決闘を制した剣心が歩き去るのがこのダム方向でした。

蒲生氏の名前が有名な割に、中野城(日野城)は、知る人が知る場所のようなところですが、実際に映画を見てから訪問すると、感動ひとしおです♪

撮影時を知る人が、「あんなに多くの人が一つの映画を作るのにここへ来るとは思わなかった!ほんまに多くの人と機材が静かな町に一気に運び込まれてびっくりしたわ」と言っていたのを思い出します。

渡来人の遺跡 鬼室神社

鬼室神社

鬼室神社は、鬼室集斯(きしつしゅうし)という渡来人の墓碑とされる石碑があることから名付けられました。

鬼室神社

墓石は、高さ1mの石造の祠の中に、高さ48cmの八角形の墓石があり、一面に「鬼室集斯之墓」と彫られています。鬼室集斯は、奈良時代の白村江(はくすきのえ)の敗戦後に渡来してきた百済人といわれています。大和朝廷に仕え、天智天皇の信任を得て、学識頭(ふみのつかさのかみ)として日本の官史養成に務めたそうです。

キリシタン大名となった蒲生氏郷とのつながりは分かりませんが、この周辺をドライブするだけで渡来人の空気を感じることができます。今日では、​​日野町は、百済の都があった韓国の恩山面と姉妹都市協定を結び、交流活動が行われているそうですよ。

映画やドラマのロケ地として日野町を知ったという人もいらっしゃるかもしれませんが、奥深い歴史を感じながら聖地巡礼してみることをおすすめします。

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RICA NAKAJIMA
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記事投稿日:2022/05/10最終更新日:2022/05/10

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