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【京の最強パワースポット】鞍馬天狗 (護法魔王尊) と牛若丸 in 鞍馬山

記事投稿日:2021/04/16最終更新日:2021/04/16

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牛若丸が幼少期に天狗様に出会い修行を受けたという不思議いっぱいの鞍馬山。世界中の人が強烈なパワーを授かりにここへ来ます。

私もこの原生林が残る鞍馬山が大好きで定期的に宇宙的エネルギーチャージをしにきています。

平安の世から古典と文学でもよく語られてきた鞍馬、その魅力を紹介します。

目次

鞍馬寺の創建と鬼、白馬らの関係

鞍馬山にある鞍馬寺のご本尊は宇宙の大霊、真理そのものである「尊天」です。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊です。60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年のみご開帳される秘仏です。

鞍馬寺は889~898年は東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺して真言宗寺院として、1110年ごろからは天台宗系の寺院として長く存続し、1949年以後は独立した鞍馬弘教総本山となりました。

日本唯一である寺運営のケーブルカー(片道200円)に乗り「普明殿(山門駅)」から「多宝塔駅(山上駅)」までの距離約200メートルを約2分。そこから10分ほど歩けば、尊天が祀られている本殿金堂に到着。

本殿金堂前の六芒星が描かれた場所は超人気パワースポットで、誰もがそこに立ち止まり両手を広げ宇宙の力を感じています。

京都 六芒星

元々、鞍馬山には山が濃く木々が生い茂り、周囲と比べて暗いことなどから暗山(くらまやま)と呼ばれていたそう。弘法大師・空海が広めた「山川草木悉皆成仏」という仏教と神道が融合した考えの教えがあり、まさに鞍馬の教えのようです。

毘沙門天・太陽のパワー

770年に鑑真の弟子・鑑禎が正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登山。すると鬼女に襲われそうになりました。枯木が倒れ鬼女は潰され、翌朝気がつくと毘沙門天像がそこにあったことから毘沙門天に助けられたとされ、毘沙門天を祀るために開創されました。

鑑禎は鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうち最年少の弟子と言われます。坂上田村麻呂が建立したと言われる『清水寺』の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建に係わったという共通点が見えるのが興味深いです。

また、平安京遷都以前に京都で建立され今でも現存するのは鞍馬寺、太秦の広隆寺、東山の清水寺くらいと言われています。

毘沙門天は多聞天とも言い、仏教における四天王の一人。東西南北の中でも鬼門である北を守護する最強の守護神です。また、古代インドの富と財産の象徴の神(ヒンドゥー教ではクベーラ)がモチーフになっているとも言われ、戦国武将の間でも人気のあった神様です。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺だと言われ、日本三大毘沙門天の一つに数えられます。

京都 鞍馬寺 狛虎
<本殿前の阿吽の虎(狛虎)>

毘沙門天が寅年の寅の月、寅の時刻に姿を現したことから、寅を使い鞍馬の山に降り立ったとの故事により、虎が据えられることになっています。鑑禎が、鬼に襲われ、毘沙門天に助けられたのが、「寅の月」「寅の日」「寅の刻」であったことからという説も。

千手観音菩薩・月のパワー

『今昔物語集』によると、796年藤原伊勢人が白馬に率いられ鞍馬山に登山すると、そこには既に毘沙門堂があったといいます。伊勢人は観音様を信仰していたので悩みますが、その晩の夢に一人の童子が現れ「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」というお告げがあり、毘沙門天と千手観音像を合わせ祀ったのが始まりと言われています。

また、別の説によると、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に、鞍馬寺から近い貴船神社の神(貴布禰明神)が現れ鞍馬寺を建立するよう託宣したとも言われています。

どちらにせよ桓武天皇が藤原伊勢人に伽藍を造営させました。

護法魔王尊・大地のパワー

護法魔王尊は650万年前に金星から地球にやってきた異星人とされ、歳を取ることはなく永遠に16歳だと言われています。お顔立ちなどから天狗さまと言われることが多い神様です。

有名な鞍馬天狗は、鞍馬山の僧正ガ谷に住むと伝えられる大天狗(鞍馬山僧正坊)と言われています。

京都 鞍馬寺 天狗

本殿金堂の左隣にある光明心殿の中に、護法魔王尊が祀られています。

護法魔王尊(天狗)とウエサク祭り

京都 鞍馬魔王尊 天狗

京都 ウエサク祭り

650万年前に、金星から地球に降り立ったといわれる護法魔王尊。鞍馬寺の魔王尊は奥の院(魔王殿)の本殿に降り立ったサナトクマラとも言われます。ヒンドゥー教では1850万年前に金星からきた創造神ブラフマーの息子でブラフマーの宇宙創造を手伝ったあとは宇宙をさまよい少年の姿のままで一生独身を貫いた神様がサナトクマラと言われます。

ウエサク祭の起源は、釈迦の降誕、悟りを開き、入滅の日が全てヴァイシャーカ (Visakha)月(インド暦第二月)の第一満月の夜であったという伝承から来ています。

蠍座の力と満月を迎え天界と地上の間の通路(シリウスゲート・豊かさのゲート)が開き、強いエネルギーが降り注ぐ日です。それはシャンバラという伝説の仏教王国・理想郷の道がひらける、という五月の満月の宵であり、ヒマラヤ山中や東南アジア、アメリカのシャスタ山にも同様の祭があるそう。満月に感謝をして、お水にその力を遷しその水をいただく儀式は秘儀でした。

そこでは国際的な僧侶たちと清浄な衣をまとった巫女らによって祝詞や経文や賛美歌が謳われます。「灯の蓮花」ロウソクは1つ1,000円で儀式前にゲット。夜更けの暗闇で、参加者が掲げ持つ「灯の蓮花」がいっせいに捧げ魔王尊(尊天)に、人類の目覚めを参加者全員で祈る姿は神秘的です。

聖詩『魔王尊に祈る』の一節に、『その不思議なるおん手には他界の太陽シリウスのくだしたまえるみちからの光の棒ぞもえさかる』(魔王尊はシリウスから下された光の棒で人間たちに天の力を与える)とありました。

「きよめ」ー護法魔王尊の地の力で自己と場を清め、
「はげみ」ー千手観音の月の力で心のともし灯とともに瞑想をして、
「めざめ」ー毘沙門天の太陽の力で自らの心身を高めてゆく

ウエサク祭の最後には本殿前の地上にある金剛床である六芒星の形にそって赤いロウソクを置いていきます。

天狗、いや、サナトクマラであり魔王尊さまが宇宙から降臨される爆発的なパワーやエネルギーを感じ、新たな自分と向き合うのにふさわしい儀式だと思いました。

由岐神社と火祭り

京都 由岐神社

京都 鞍馬火祭り 神輿

京都 鞍馬 火祭

鞍馬寺への参道の途中に建っている現在の由紀神社は鞍馬寺の鎮守社で、靫明神(ゆきみょうじん)と呼ばれます。 大己貴命(おおむなちのみこと=大国主命)と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、また八所大明神を相殿に祀っています。

清水寺と同じ中央に通路(石階段)をとって二室に分けた割拝殿形式で珍しい懸造りの桃山建築として国の重要文化財に指定されています。現在のは豊臣秀頼の再建です。

『鞍馬の火祭り』の起源は平安時代中頃940年に朱雀天皇の案によるもの。戦乱や天変地異が頻発していた当時、宮中から由岐神社を移すことになり、その際に鴨川に生えていた葦を篝火(かがりび)として道々に点灯したことが発端とも言われています。毎年、時代祭と同じ10月22日の夜に行われる京都三大奇祭の一つで、明治時代の神仏分離までは鞍馬寺主催で行われていました。

鞍馬街道沿いの家々では、七つ仲間で編成され拠点となる宿で、菊・桐・蝶・葵・鳳などの剣鉾が飾られ、松明は子供用のトックリ松明など大小様々なものが500本ほど用意されます。

若衆の衣装は向う鉢巻に黒い締込み(ふんどし)をしめ、足には脚絆(きゃはん)、武者草鞋(むしゃわらじ)、腰には魔よけになる南天の小枝を差します。

18時:「神事にまいらっしゃれ」という神事触れの合図により集落の各戸に積まれたエジと呼ばれる篝火や、松明に点火
「サイレイヤ、サイリョウ」のかけ声と共に集落内を練り歩きます
 ↓
21時過ぎ:石段奥の注連縄が切られて、八所大明神、由岐大明神の順序で神社から神輿の練り歩き
 ↓
21:30ごろ:石段の上にある境内の参道から、神輿を担いで、置いてきた大松明で燃え上がる山門まで降り「渡御(とぎょ)」へ。神輿を担ぐ参道はとても急なので「綱方」と呼ばれる女性達が綱を牽きます(安産祈願)
ふんどし姿の男性が棒神しんがりを掴んで逆立ちし、大股開きする(『チョッペン』元服の儀式)
 ↓
23:30ごろ:2基の神輿には、八所大明神、由岐大明神のご神体が宿り、神輿は集落内の御旅所にいきます。御旅所に神輿が安置されて深夜に儀式終了。

この日はとにかく電車が混みまくって大変!昼の早めの時間から行って町内を見て回るのをおすすめします。また、一箇所での座り込みや立ち止まっての場所取りが許されず一方通行でずっと周辺をブラブラする必要がありました。

終電を見逃さないように気にしながらも、秋空に煌々と光る火と人々の活気に飲み込まれなかなかその場を立ち去れない、その臨場感たるものは大迫力でクセになりそう。

牛若丸『源義経・遮那王』が天狗と修行

京都 天狗の卵

京都 牛若丸 息継ぎの水

京都 鞍馬 義経背比べ石

京都 鞍馬 大杉大権現

京都 鞍馬 奥の院 魔王殿

京都 鞍馬 木の根

鞍馬山は山岳修行の場所で山で修行する山伏の姿は天狗と似ています。八天狗にも数えられる最強クラスである「僧正ガ谷」の 「鞍馬山僧正坊」は、 能の「鞍馬天狗」にも謳われています。

その「鞍馬山僧正坊」の大上司が『護法魔王尊』で天狗社会の「神」とされ、魔王尊は鞍馬山の守護神・毘沙門天の夜の姿とも言われます。魔王殿は岩の上に建っており、いわゆる磐座です。魔王尊=鞍馬山と言えますね。

牛若丸が鞍馬寺に預けられたのは7才で、16歳で鞍馬を下山して奥州平泉に移ったと言います。その際、山科の蹴上を通り九条山といわれる山に9体の地蔵を作ったという話はまた今度にしますね。

奥の院への山道を登っていくと「義経公息次ぎの水」があります。そして「牛若丸の背比石」が出てきます。その向かいに有名な「木の根道」があり、牛若丸がそこで修行したといわれます。

実はこのあたりの岩盤が固いために、木が地中に根を張ることができず、地面に根が浮いているものです。

修験道の山伏さん曰く、夜になると龍となると言われているとか、鬼一法眼という陰陽師からも修行を受けたとか...

「木の根道」を過ぎると、大杉権現社が現れます。護法魔王尊影向(ようごう)の杉です。樹齢1,000年になるといわれる木ですが、つい先日行った時は2018年の台風の影響で社は潰れてました。

このあたり一帯は、 護法魔王尊のエネルギーが高い場所 なため大杉苑瞑想道場といわれ瞑想されてる方がチラホラ見えます。

源義経(牛若丸)は平氏打倒は達成しましたが、兄の頼朝から謀反人扱いされて、最後は平泉で非業の死をとげてしまいます。その御霊が遮那王尊として祀られている「義経堂」があります。

9月には稚児たちも参加する『義経祭り』という遮那王尊となった牛若丸(義経)を偲ぶ奉納が行われます。その際には武道奉納なども行われます。

先日、私も能楽師の幼馴染と一緒にこの辺りで『鞍馬天狗』の謡や舞の動画撮影をしていたところ、風の音もなく静かだった山がいきなりザワザワし始めて、風が強く吹き始め、鳥たちの鳴き声と共に木々の葉がバッサバッサ揺れ始めました。

曇っていた空も晴れてきて大杉の間を木漏れ日が差し、本当に神秘的で魔力的な経験をしました。魔王尊の存在だけでなく、天狗さま、遮那王尊(牛若丸)らが迎え入れてくれたようで気分が高揚し、改めて魔王尊に感謝を述べました。

おまけ

鞍馬 天狗・義経

鞍馬 天狗と牛若丸

鞍馬駅前 新天狗

枕草子が「近うて遠きもの」の例えとして挙げた、鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道。

紫式部は、源氏物語の若紫巻で光源氏は、若紫(最愛の女性・紫上の少女時代)とこの北山のなにがし寺で出会ったとあります。決して軽く登れる山道とは言えませんが、牛若丸が走り回り天狗さまに修行を受けたという話をすると、私の4歳甥と6歳姪が喜んで登り走り回ります。

鞍馬寺といえばレイキというヒーリングの創始者である、臼井甕男(うすいみかお)氏が鞍馬で断食修行をしている時、自然や宇宙からイニシエーションを受け、レイキヒーリングを生み出したとされているいわゆるレイキヒーリング発祥の地です。私がレイキを初めて知ったのは15年ほど前にロンドンでヒーリングやセラピーの勉強をしていた時です。ロンドンの大学で資格を取っていたとき、来日経験のない先生から私の地元京都にある鞍馬山のレイキの話しを英語で聞くのはなんとも不思議な縁を感じざるをえませんでした。

京阪電鉄叡山電車の鞍馬駅前の大天狗は2017年1月15日の大雪で、オリジナルのものは鼻が根元から折れてしまったのですが、新しい天狗さまが出迎えてくれます。(現在土砂崩れの影響により市原~鞍馬間で列車の運転を見合わせていますのでバスをご利用ください。)

毘沙門天そして千手観音も素晴らしいですが、私は常に鞍馬の天狗様そして魔王尊は私のそばで見守ってくださってる気がします。地域に密着した祭りがあったり、手付かずのままの大自然が持つ宇宙的パワーがみなぎる鞍馬山へはその山門に立つだけでも気分が一新します。(ちなみに...帰りにふらっとよれる鞍馬温泉の露天風呂もオススメ!)

(Photography by RicaN)

基本情報

名称 鞍馬寺
住所 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
TEL 075-741-2003
営業時間 ○本殿開扉 9:00~16:15
     ○霊宝殿開館 9:00~16:00
愛山費300円
ホームページ https://www.kuramadera.or.jp/

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RICA NAKAJIMA
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記事投稿日:2021/04/16最終更新日:2021/04/16

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