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うさぎの島・日本地図から消えた島、大久野島に行ってきた
こんにちは!かめいよしみです。今回は広島に行ってきました。
目次
スケジュール
広島市内--原爆ドーム--広島平和記念資料館##広島駅##忠海(ただのうみ)駅--忠海港~~大久野島(おおくのしま)~~忠海港--忠海駅##三原泊
(記号:~~船,##電車,==バス,--徒歩)
旅の目的
今回の旅の目的は『戦争を知る』です。
広島の平和記念資料館のリニューアルオープンがとても気になっていました。そしてある日、戦時中毒ガスを作るための島があり、その島はそれを理由に日本地図から消されたことを知りました。その島は今も広島にあると聞いて一度訪れてみたいと思いました。
昨年は戦後75年。原爆が落とされた後75年は草木も生えないといわれた広島、今は緑たくさんの街となりたくさんの人々が生活をしています。私は戦争を知らない世代です。そんな中で伝えるために語り継いでくれる人がいる。忘れないでと思う人がいる。そして私は、知りたいと思うし、見て何かを感じたいと思う。きっとそれがこれから先の平和につながるんだと信じています。
今回は楽しむ旅ではなく、知って感じる旅です。
広島の旅開始
前日は広島市内に泊まりました。夕食はもちろんお好み焼きです。
そこで初めて食べたのがコーネの鉄板焼きという食べ物。広島で食べられる牛肉の独特の部位で、わきの部分になるのだそうです。脂身の部分と肉の部分が分かれていてとてもおいしかったです。もちろんお好み焼きもおいしかったです。広島の夜を楽しんで翌日に備えました。
朝、目覚めたあとまずは歩いて原爆ドームへ向かいます。広島の街には路面電車が走っています。路面電車を見ながら旅行に来たんだなぁと実感します。そして原爆ドームに到着しました。今は保存工事中で、令和3年の3月末まで工事は行われるようです。
原爆ドームの近くに広島市平和記念公園レストハウスがあります。平和記念公園を結ぶ元安橋。そのたもとにある当施設は、1929(昭和4)年に建った大正屋呉服店のレトロモダンなビルが基にある被爆建物です。地下はその当時のまま残されています。建設当初は呉服店だったそうで、その時に近い形でリニューアルオープンしました。
1945年8月6日午前8時15分。爆心地の上空600mで炸裂した原子爆弾により、コンクリート屋根は大破、内部は炎上し、地下室にいた1人を除いて建物内の全員がその後お亡くなりになったそうです。地下にはその時奇跡的に生き残った方の証言やイラスト等がありました。爆心地から約170mの地下に一人、その状況を感じながらその場にたちつくしてしまいました。このレストハウスには、被爆ピアノと呼ばれるピアノも展示されています。被爆ピアノとは爆心地からおおむね3km以内にあったピアノのことだそうで現在11台が現存しています。そのうち1台のピアノはこのレストハウスにあります。爆風で飛んだガラス片による傷跡を見ることができます。
そして、平和公園を進み平和記念資料館へ。今はコロナ感染防止対策のため、混雑しないよう予約制になっています。事前にインターネット予約が必要です。2019年4月に4年半ぶりの工事を終え全面オープンしたというニュースを見て、いつか訪れたいと思っていました。荷物は入り口でコインロッカーに預けることができます。館内では、原子爆弾について知ることはもちろん、その当時の様子や遺品にまつわる人のエピソードなどもあり、大きくとらえがちな原爆投下を、身近にそして一つ一つ寄り添ってみていくことができました。
平和記念資料館
- 開館時間:【3月-7月】8:30-18:00【8月】8:30-19:00(8月5,6日は20:00閉館)【9月-11月】8:30-18:00【12月-2月】8:30-17:00
- 休館日:12月30日・31日
- 料金:大人200円、高校生100円、中学生以下無料
- HP:http://hpmmuseum.jp/
>>事前予約はこちらから
※新型コロナウイルスの影響で現在予約制になっています。
地図から消された毒ガスの島へ
広島駅までは路面電車。広島駅からはJRで忠海駅まで約3時間の旅です。昼食に【むさしのおむすび】を買いました。
今回は海の景色を見たかったので、呉の方を通っていくルートにしました。海は進行方向右側に見えますので右側の席がおすすめです。ゆっくり普通電車で向かいます。瀬戸内の海は、太陽の光を浴びてキラキラしています。呉の町も一度訪れたいなぁと思いながら車窓の景色を眺めました。
忠海駅から徒歩10分弱で忠海港に到着します。荷物は切符売り場で500円で預かってくれるのでお願いしましょう。
いざ大久野島へ!という事で、今から向かう島は【うさぎの島】としても有名なんです。なんと島内に野うさぎが約900羽ほどいるといわれています。島までは船で15分ほど。島内でうさぎの餌の購入はできないのでうさぎに餌をあげたい場合はこちらで購入が必要です。切符売り場で買うと200円ですが餌が入っていた袋を持ち帰って渡すと店内で200円ぐらいで売られているうさぎの絵葉書と交換してくれます。きっと島内にゴミを残さないための配慮なんでしょうね。お店の方素晴らしい!せっかくなので私も購入しました。
荷物を預けて餌を買っていざ出発です。
到着した島の桟橋はとても小さく目の前にバスが止まってます。このバス、実は島内に唯一ある宿泊施設・休暇村大久野島へ行くバスなんです。それも無料!そして誰が乗ってもOK!途中毒ガス資料館にも停まってくれます。
今回は島一周約4.3キロを歩こうと思っていたのですが、2時間ぐらいかかる距離なのでちょっとたいへんそうだなぁと思っていたところでバスを発見!渡りに船ということで、無料のシャトルバスに乗ってみました。途中、車窓から、うさぎに餌をやったり写真を撮ったりしている人たちを見ながらバスは進んでいきます。
そして、毒ガスの資料館に到着。館内は撮影禁止です。20人ぐらいの方がバスに乗っていましたが、ここで降りたのは私を含め3人だけでした。
館内ではその当時作られていた毒ガスの種類やそれによってもたらされる被害等が書かれていました。この島では昭和4年から昭和20年まで、太平洋戦争で使用するための毒性のガスが大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていたそうです。それまでここに住んでいた人は強制退去されたそうです。資料館の中には当時工員の方が着ていた作業服や行員手帳等が展示されていました。ここでも戦争の犠牲者がたくさんいることを知りました。戦後、後遺症に苦しむ人もたくさんいたようです。
資料館を出るとうさぎが寄ってきました。港で買った餌をカバンから出してうさぎにやります。その時の写真がこちら!1匹のうさぎに餌をやると、それを見た周りのうさぎがどこからともなく走ってやってきます。とても人に慣れているので、逃げるどころか餌をおねだりします。遠くから全力でダッシュしてやってくるうさぎは、正直ちょっと怖かったです(笑)。あまりじっとしているとうさぎに取り囲まれてしまいますので、気を付けてくださいね。次は休暇村の方へ進みます。
休暇村には島内の地図があり、レストランもありますのでご飯を食べることもできます。私は電車の中でむさしのおむすびを食べたので、今回は様子だけ見ました。さて、休暇村を通り過ぎると人も少なくなります。
ここからが戦争施設跡地の始まりです。巨大な毒ガス貯蔵庫跡を間近にみることができます。ガス約100t入るタンクが6基置かれていた長浦毒ガス貯蔵庫跡や、戦後毒性除去のために焼かれた火炎放射器の跡がしっかり残っていました。これらの写真は撮り損ねてしまったので、気になる方は直接見に行ってみたらいかがでしょう。
この平和と戦争が今私の目の前、今同じ場所にあることに少し違和感を覚えてしまいました。でも、そのおかげで平和の尊さがより一層違う形で心に残りました。
道を歩き進めます。少しだけ坂道になっていきます。この坂道の上には砲台跡があります。きれいな形で残された砲台跡を見ることができます。毒ガス製造時代には、部品置き場になった場所もあるようです。昔はマツタケも採れたようですが、昭和10年以降取れなくなってしまったようです。ここまで来るのに誰ともすれ違いませんでしたが、たくさんのうさぎとはすれ違いました。道はしっかりしていて歩くのに困難な場所はありません。ところどころにうさぎのための水らしきものが用意されていました。とてもきれいな水だったのでどなたかが管理されているんでしょうね。
砲台が設置されたのは明治時代。日露戦争の時なんだそうです。砲台跡で一人しんと静まり返った場所で歴史を感じてみました。ここにもうさぎがたくさんいて、突然出てくるのでびっくりしました。ここまで来る人は少ないようで、餌をあげると山の中からもものすごい勢いでうさぎが走ってやってきます。砲台跡を過ぎると下り坂になってきます。ずいぶん下ったところでやっと人に会いました。昔の建物と誰にも会わない状況が相まって、もしかしたらタイムスリップしてしまったかもという妄想が頭をよぎってしまいました(笑)。下りきったところに最後にして最大の発電所跡がありました。
中に入ることはできません。これだけ大きな建物が突然出てきたのでびっくりしました。ここにもうさぎがたくさんいます。こちらの発電所跡は島の桟橋から歩いて5分ぐらいのところなので、どうしても観光の時間がない場合は、こことうさぎと戯れて30分あれば最短で観光できます。発電所跡の中にもうさぎがちらほらいました。本当にうさぎが多いですね、、、!
毒ガスを製造していた頃、うさぎはこの島で実験の対象にされていたようです。戦後そのうさぎはすべて処分されましたが、近隣の小学校で飼われていた8羽のうさぎが広がって、今のたくさんのうさぎになりました。戦後GHQの外国人が調査等でこの島を訪れたのでしょうが、今はうさぎの島として世界中から観光客が訪れています。うさぎでつながる戦後と今。純真無垢に餌をねだるうさぎを見て、ふと平和になったんだなあと感じました。
大久野島(うさぎの島)
- 住所:広島県竹原市忠海町
- 竹原ナビHP:大久野島
- 忠海港HP:うさぎの島への玄関口(THE GATEWAY TO RABBIT ISLAND)※島へのアクセスや心得、過ごし方などはこちらのHPでご確認ください。
三原で宿泊
忠海駅からJRで三原駅まで戻ります。進行方向右手側に海が続きました。
三原駅に降り立つと大きな蛸の絵が目に入りました。三原って蛸で有名なんだなぁと思っていると駅構内に三原城跡こちらの案内が。せっかくなので行ってみることにしました。結構歩くのかなぁ、城跡だし入場料どのくらいかかるんだろう等と思いながら駅構内の矢印にしたがって歩いていきます。途中構内の階段を上って外に出るよう案内されていました。
外に出たところ・・・そこが三原城跡でした。なんと新幹線のホームからも見える場所、駅のすぐ裏に三原城跡はあったのです。もちろん入場料もかかりません。どんどん進んでいって下をみると確かにお濠らしきものがありました。ベンチなどもあり学生が仲良く二人で座っていました。蛸も城跡も何も知らなかったので、駅に着いただけでこれだけのことが分かるって素晴らしい観光PRだなぁと感心。駅を出てホテルへ向かいました。
途中の店先で【たこもみじ】なる文字をみつけてしまいました。見た目はもみじまんじゅうにそっくりで、どこが蛸なのだろうと思いお店の人に聞いてみました。
そしたら、びっくり!もみじ饅頭の中身はクリームチーズと本物の蛸なんだそうです。味の想像ができないけど話題作りのお土産にはいいかもと思い買っちゃいました。
本日はホテルですすめられた蛸料理のお店に行くことにしました。蛸のフルコースが2,500円ぐらいで食べられます。蛸のサラダ・刺身・小鉢(この日はおから和えでした)・天ぷら・椀物等ついてきますがすべて蛸料理です。こんなに蛸を食べたのは初めてだと思っていると、隣の人から話しかけられました。お話を聞くと3か月ほど出張で三原に滞在してるとのこと。せっかくなので三原の蛸以外の名物を聞いたところ【三原焼】なるものがあるそうです。気になるので、明日の夕食は三原焼!
ちなみに、三原焼とは鳥の新鮮なモツが入ったお好み焼きとのこと。これは期待できますね!
という事で本日の『戦争を知る』旅は終了です。今日一日いろんなことを考えて体験して想像してとても充実した1日でした。
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