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【イスラエル】ユダヤ人の集団自決はこうして起きた~悲劇の歴史を持つマサダ国立公園~

記事投稿日:2020/07/27最終更新日:2020/07/27

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みなさんこんにちは。歴旅ライターまえてぃーです。

今回ご紹介したい場所はイスラエル。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の世界3大宗教の聖地がある国としてもよく知られ。旅人を魅了してやまない国です。

そして、スポットをあてたいここ「マサダ国立公園」は、イスラエルを建国したユダヤ人が、なぜ世界に散り散りになってしまったのかを知る原点の場所です。そこには私たちの想像をはるかに超える悲しみがありました。ぜひ最後までご覧ください。

目次

イスラエルという国ができるまで

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イスラエルという国は、世界中でバラバラに生活していたユダヤ人が集まって、1948年に建設された国です。とても新しく感じますね。しかし、それよりもはるか昔、ユダヤ人は、このイスラエルがある「パレスチナ地方」と呼ばれる地域に住んでいました。それは。。。なんと紀元前66年です。今から約2000年ほど前です。しかし、当時一大勢力を誇っていたローマ帝国に攻められ、対抗むなしく敗北。

生き残った人々が土地を追われ、世界中に広がり、国土を持たない流浪の民となりました。

時はたち1917年。パレスチナ地方に住んでいたのはアラブ人(パレスチナ人)。そしてそこはイギリスの統治下にありました。そしてイギリスは現トルコのオスマン帝国と戦争中。その時、イギリスは、かつてこの地に暮らしていたユダヤ人に協力の依頼をします。協力の見返りとして、「オスマン帝国に勝利したら、このパレスチナにユダヤ人の国を建国していい」と言いました。これを"バルフォア宣言"と言います。

しかし一方、パレスチナに住んでいるアラブ人にも同じようなことを言います。「オスマン帝国に勝ったら独立していい」と(フサイン・マクマホン協定)。

さらに、フランスとロシアには「オスマン帝国に勝った後、どうこの三国でその領土を分けるか決めておこう」(サイクス・ピコ協定)と話し合っていたのです。

これがイギリスの有名な三枚舌外交です。

そしてイギリスは戦争に勝利しました。しかしもうお分かりの通り、協力をした民族や国は約束の実行を求めます。困ったイギリスは『国連』に調停役を頼み、そこで国連はパレスチナをユダヤ人とアラブ人で「分割統治」するという答えを出します。

これによりパレスチナ内にユダヤ人が大量に移動。第二次世界大戦時、ドイツナチスによるユダヤ人迫害も相まって、世論もユダヤ人に対し同情の心を持っていたため後押ししました。

しかし、長年ここに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)としては納得がいきません。

そして、戦争に発展します。戦争に勝利したのはユダヤ人でした。戦争に敗北したアラブ人は「パレスチナ難民」となりました。人種や宗教の違い、歴史に翻弄されているイスラエルとパレスチナのゴタゴタは現在も続いています。

マサダは古代天空遺跡

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それでは今回の主人公、ユダヤ人の終わりであり始まりの地、マサダ国立公園をご紹介します。「公園」とありますが、「遺跡」としてイメージするのがいいと思います。荒れた荒野にそびえる山に突然現れる古代遺跡。『マサダ』はユダヤ人の言語「ヘブライ語」で"要塞"。このマサダは天空の要塞とも言われます。今では『世界遺産』にも登録されており、ロープウェーで簡単に登ることも出来ます。

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自分の想像よりもはるかに大きな遺跡と生活の後。全長約600メートル。宮殿や浴場、シナゴーク(ユダヤ教徒が祈りを捧げる場)が整っており、城塞というよりは、そこに街が生活が存在していたことが分かります。

マサダがある場所は砂漠地帯のため水が貴重で、貯水槽が工夫に工夫を重ね建設され、なんと4トンもの水を貯えることができました。これらの工夫のおかげで、このような荒野&山頂でも人々は豊かに暮らすことができていました。紀元前66年、ローマ帝国によりエルサレムが陥落。追われたユダヤ人約1000人がマサダに立てこもりました。

ローマ帝国に攻められ籠城した結果ユダヤ人たちがくだした悲劇の選択

約3年という長い籠城生活。しかし、強靭なローマ帝国に力及ばず、敗北を感じたユダヤ人達はとある行動に出ます。それは、、、"集団自決"をとること、でした。「敵に負けて恥をさらすより自ら死を選ぶ」と、女性2名、子ども5名を除く全員が死を選びました。

そして、ユダヤの教えは日本の切腹のような自死がありません。彼らの教えは"どんなことがあっても最後まで生き抜く"だったから。では、どのように自死に至ったのかというと。。。

"くじ引き"でした。

まず、くじで当たった10名が他のユダヤ人の命を絶ちます。そして残った10人でまたくじを引きます。そして当たった1名が残りの9名の命を絶ちます。

最後に残ったこの1名だけが、自ら命を絶ち、絶滅したのです。

そして、マサダには誰もいなくなりました。誰かを守るために、愛する人たちを殺さなければならなかった状況。そして一人残され、自死したユダヤ人の思い。想像を絶します。

これをきっかけに、マサダ以外で生き残っていたユダヤ人たちは1948年の『イスラエル建国』まで、国土を持たない民として約2000年間、世界を放浪するようになったのです。放浪を始めたユダヤ人達。ある者はアメリカ大陸へ、ある者はアフリカ大陸へ。その中で知恵を絞り、現代まで継承され続けたユダヤの民。散っていった祖先を思い、迫害され続けながらも自分たちの文化と誇りを胸に生き続けたユダヤの民。そしてついに建国し、戻ることができたユダヤの民。しかし難しい国土の問題は続き、時に多くの血が流れます。

そんなイスラエルにはこんな言葉があります。"マサダは二度と陥落しない"マサダの歴史が放つ強い意志をもって、イスラエル軍の入隊式は毎年ここマサダで行われます。

いかがでしたか?悲劇であり結束の地、「マサダ」で歴史を感じてみませんか??

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