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【幕末維新の舞台・京都】幕末動乱期に活躍した志士ゆかりの名所をめぐる!
あなたは「幕末」とか「志士」とか好きですか? それらの舞台といえば・・・やはり京都ですよね。今回は幕末に関する京都の3つのスポットをたどってみました。
目次
幕末で活躍した志士といえば・・明治維新の立役者「坂本龍馬」
1つめのスポットは坂本龍馬が定宿としていた「寺田屋」です。討幕急進派が集結し決起を企てた1862年の寺田屋騒動、1866年の伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件が「寺田屋事件」として有名です。寺田屋は京阪中書島駅から徒歩5分の場所にあります。鳥羽伏見の戦で焼失し、現在の建物はその後再建されたものだそうです。中書島駅に着くと坂本龍馬のパネルがありました。
寺田屋です。かつては坂本龍馬が定宿としていた船宿でした。現在は資料館としてのみ運営しているそうです。
建物は2階建てです。上の階には龍馬が使用していた部屋があります。
寺田屋事件の刀傷や弾痕も再現されています。
1866年の襲撃事件の際、伏見奉行捕り方に気づいたお龍(後の龍馬の妻)が、風呂場から裸で階段を上り龍馬に知らせたエピソードが有名です。その風呂と階段もありました。
坂本龍馬の【隠れ家】&【海援隊京都本部】であった・・・「酢屋」
2つめのスポットは、坂本龍馬や海援隊隊士をかくまい、海援隊京都本部が置かれた材木屋の「酢屋」です。1721年創業以来、現在までなんと約300年間同じ場所で材木商を続けられているんです!居酒屋となった「池田屋」、小学校になった「土佐藩藩邸」など、歴史が移り変わる中、当時と同じ姿で居続けているのはすごいことですね・・。
龍馬はこの2階に泊まっていたそうです。現在1階は木工芸品の制作・販売を行うショップ、2階は龍馬の部屋が復元されたギャラリーとなっていました。龍馬が手紙を書いた机や、乙女姉さんに宛てた5メートルにも及ぶ手紙の複製が展示されていました。1928年には天井裏から「海援隊文書」という日記が発見され、海援隊隊士たちが残した龍馬暗殺時の情報等当時の様子が書かれているそうです。この日記は通常非公開ですが、毎年龍馬の誕生日であり命日の11月15日に酢屋で開かれている龍馬追悼展で、遺品等と共に期間限定で展示されます。
多くの志士たちが眠る霊山・・・「護国神社」
最後のスポットは、幕末の維新志士たちのお墓がある霊山護国神社です。
お墓のあるエリアは有料です。階段を何十段も上ります。まずは坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓まできました。
お墓の隣に銅像があります。近くの円山公園に同じ銅像(もっと大きい)が立っているのが有名です。
さらに上ると、維新三傑の1人、木戸孝允(桂小五郎)と妻幾松のお墓が並んでいました。
その他にも、近代日本の礎を築いた志士たちのお墓が沢山並んでいます。隣には幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」があり、定期的に新撰組や維新志士の紹介イベントや講演会が催されていて、歴史好きの間ではこちらも有名なスポットです(^^)/
さいごに
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fu.1989
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