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イスタンブールの地下に残る不思議な宮殿はローマ時代の貯水池
目次
地下宮殿
現存する東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の貯水池としては最大規模を誇るのが、地下宮殿です。トルコ語では地下宮殿を意味するイェレバタン・サラユ(Yerebatan Sarayı)や、地下貯水池を意味するイェレバタン・サルヌジュ(Yerebatan Sarnıcı)と呼ばれています。
この貯水池はユスティニアヌス帝によって建設されたもので、貯水池として利用されるまでは裁判や商業活動の場として市民に利用されていました。
実際に地下に入ってみると、「宮殿」といわれる理由に納得せざるを得ない構造に驚きを隠せないでしょう。規則正しく延々と並ぶコリント様式の柱に支えられているなだらかな弓状の天井が造りだす空間は、まさに宮殿を連想させます。薄暗い照明や、地下ならではのひんやりとした空気は、外とはまるで別世界です。
地下宮殿の最も注目すべき点は、天井を支える柱の土台部分に横たわるメデューサの頭です。建築資材が足らなくなったので、当時の時代遅れの資材を用いたという説もありますが、詳細は不明なままです。このメデューサの頭自体も、1984年の大改修工事までは泥に埋もれていて発見されていなかったというから驚きです。
テオドシウスの貯水池(新地下宮殿)
2018年春に一般公開が始まったばかりのテオドシウスの貯水池は、ガイドブックにはまだ掲載されていることが少なく、知らないかたも多いのではないでしょうか。
地下宮殿がユスティニアヌス帝によって建設されたのに対し、こちらの貯水池はテオドシウス帝によって建設されました。トルコ語ではシェレフィエ・サルヌジュ(Şerefiye Sarnıcı)といいます。地下宮殿よりも新しく公開されたということもあり、新地下宮殿ともいわれています。
この街をかつてローマ帝国が支配していた428年から443年にかけて造られたものです。街の北にあるベオグラードの森から水を引き、この貯水池に貯められました。貯められた水は、市の公共の風呂や皇帝が住まう宮殿に供給されていました。
1500年以上も前に造られたものとは思えないくらい立派な貯水池で、当時のローマ人たちの技術の高さがうかがえます。
ゲームの世界に出てきそうな現実離れした空間が、ひっそりと、しかし堂々と、地下に残っているのは、イスタンブールの街の歴史が長く複雑であったことを物語っています。
ヴァレンスの水道橋
この二つの貯水池には、イスタンブール近郊の森から引かれてきた新鮮な水が貯められましたが、その水の通り道が、なんといまでも旧市街に残っているのです。
それが、アタテュルク大通りに架かるヴァレンスの水道橋です。コンスタンティノープル(現イスタンブール)を建設したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代に建設が始められ、378年、のちのヴァレンス帝の時代に完成したものです。旧市街のファーティフの丘とエミノニュの丘をまたぐように建てられており、その規模の大きさには驚かされます。現在はこの橋のアーチの間を車が絶え間なく走っています。ぜひ地下宮殿と併せて見学してみてはいかがでしょうか。
おわりに
東洋と西洋が交わるイスタンブールならではの街の喧騒が嘘のように、地下の世界はひっそりとしています。地下宮殿を訪れたら、ローマ時代の人々の建築技術の高さはもちろん、イスタンブールの街の歴史の深さをも感じ取ることができるでしょう。
新地下宮殿は、2019年8月現在入場料は無料です。いずれ有料化されることが予想されますので、イスタンブールを訪れたらぜひ足を運んでみてください。
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