人気の歴史観光スポット!太田道灌が建てた江戸城の跡地を見学してきました

江戸城

皇居の広大な敷地の中に「江戸城の跡地」があるのをご存知ですか?歴史的な建造物が多く残された、海外の方からも人気が高い趣のある観光地です。そんな江戸城の魅力を、貴重な写真とともにご紹介します。

目次

<1. 江戸城へのアクセス>

<2. 江戸城の歴史>

<3. 江戸城の見どころ>

1. 江戸城へのアクセス

江戸城跡がある皇居東御苑へは、大手町駅のC13b出口から地下道を通り、大手門(皇居東御苑の門のひとつ)の前まで行くことができます。

江戸城へのアクセス

平川門(皇居東御苑の門のひとつ)までは、竹橋駅から徒歩5分ほどで着きます。

2. 江戸城の歴史

江戸城は1457年(長禄元年)に築城。元々は徳川家康の城ではなく、太田道灌(おおた・どうかん)という人物によって建てられたものでした。その後徳川家康によって段階的に改修され、江戸幕府の中心部となりました。

大きさは東西約5.5km、南北約3.5kmと、日本最大のものだったそうです。明治元年、天皇が京都から東京へ移り天皇のお屋敷となりました。現在では皇居として、また国の特別史跡として、多くの観光客が集まる場所となっています。「千代田城」と呼ばれることもあります。

1657年の大火災や関東大震災などで被害を受けたため、すべてが残っているわけではありませんが、復元されたものも多くあり、当時の面影は残されています。

皇居がそばにあることから、上皇陛下や上皇后さまはときおりお散歩をされ、「どんな園にしていけばより来訪者に楽しんでもらえるか」と、自ら様々なアイデアを出されてきたのだそうです。

3. 江戸城の見どころ

平成29年5月より、宮内庁参観音声ガイドアプリが配信されています。ダウンロードすると、園内の各スポットの音声ガイドが聞けるそうで、英語だけでなく、中国語やスペイン語など各言語に対応しています。

音声ガイドアプリ

3.1 東御苑

皇居東御苑は旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸に位置し、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設がありましたが、1963年に特別史跡に指定され、1968年から一般公開されています。

皇居東御苑

3.2 大手門(三の丸大手門)

大手町駅を出てすぐに目の前にあるのが大手門です。出入門である「大手門」「平川門」「北桔橋門」の中で、正門にあたる大手門。大名の登城ルートでもある正門からのルートをたどるにはここからがおすすめです。その先は、一般開放されている皇居東御苑となっています。

大手門

屋根に飾られていたしゃちほこが展示されています。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうですが、このしゃちほこだけは現存しています。

しゃちほこ

門の前では手荷物検査があり、中に入ることができます。入場門を潜ると入場券が渡されます。

入園票

3.3 三の丸尚蔵館

大手門近くにあるのは平成元年に建てられたミュージアムがあります。絵画・書・工芸品などの美術品をはじめ、代々皇室に受け継がれてきた寄贈品など、1万点近くが展示されている施設です。

三の丸尚蔵館

各展示物には英語訳も付いており、海外からの観光客の方々もたくさん訪れていました。無料で入場できるのもうれしいポイントです。
展示内容は企画展によって異なるため、内容が気になる方は事前にホームページでの確認をおすすめします。規模が少し小さいため、2022年度を完成目標に新館建設が予定されているとのこと。完成が待ち遠しいですね!

3.4 大手休憩所

売店も併設された休憩所で、各言語のパンフフレットなどもここでもらえます。毎週水曜日・土曜日に皇居東御苑の植物や歴史などを解説してくれる、ガイドツアーが開催されています。

大手休憩所

およそ90分かけて、園内をボランティアガイドの方の解説を聞きながら散策します。ガイドの方々は、「知る人ぞ知る皇居東御苑・江戸城跡の魅力をたくさんの人に伝えていきたい」との想いから、日々多くの人を案内されているのだとか。歴史に特化している方や植物を専門とされている方などもいらっしゃるそうです。

運が良ければ複数のガイドの方が参加されることもあり、一部の参加者は何度も繰り返しツアーに参加され、リピーターになる方も多いそうです。

3.5 同心番所

三の丸尚蔵館を越えると初めに見えるのが「同心番所」です。江戸時代には、警備のための番所が数多くありましたが、現在残っているのは「同心番所」「百人番所」「大番所」の3つのみです。

同心番所は、「同心」と呼ばれる江戸幕府の下級役人たちの詰所で、登城する大名のお供の人々を監視していたそうです。

同心番所

ちなみにこの同心番所の鬼瓦、徳川家の家紋である葵の紋が残っているそうなので、ぜひ探してみてください!

葵の紋

3.6 百人番所(検問所)

同心番所を越え、まっすぐ行くと「百人番所」があります。

百人番所

ここは二の丸と本丸へ通じる「大手三の門の前」という大事な場所であったため、江戸城最大の検問所でした。かごで来た大名たちは、大手三の門前で降りて徒歩で入城したため、「下乗門」とも呼ばれたのだとか。

百人番所は24時間、交代で警護されていた番所で、「鉄砲百人組」と呼ばれる「根来組」「伊賀組」「甲賀組」「二十五騎組」が当番制で目を光らせていました。伊賀組のなかには服部半蔵が、二十五騎組の中には、大河ドラマにもなった黒田官兵衛が選んだ精鋭がいたそうです。

3.7 中之門石垣

本丸に入る前に通るのが中之門です。現在は石垣が残っており、江戸城最大級の巨石で築かれています。石垣を通り過ぎた右側には身分の高い武士が詰めて、出入りを厳しく監視していた大番所があります。

中之門石垣

3.8 大番所

大番所は中之門の奥にあり、本丸への最後の検問所であったため他の番所より位の高い役人が警備にあたりました。その先の坂を上ると本丸の入り口・中雀門(ちゅうじゃくもん)がありました。

3.9 中雀門跡

書院門や玄関前門とも呼ばれ、大手門から本丸までの最後の門でした。ここまではかごに乗ってこられますが、徳川御三家でさえも中雀門の前でかごを降り、歩いて行ったということです。

3.10 本丸跡・本丸休憩所

天守台の前に広々とした本丸大芝生が広がるのが「本丸跡」です。

本丸跡

この広いスペースには、日向ぼっこなどゆったりできそうな芝生だけでなく、バラ園・竹林・桜の島などがあり、さまざまな植物が目を楽しませてくれます。また、本丸休憩所(売店)もあり、飲み物やアイスクリームを買って休憩しつつ、記念品などのお土産を買うにもよい場所です。

芝生

3.11 展望台

本丸跡の西側、本丸休憩所の裏から登った先に展望台があります。

丸ノ内のビル群

白鳥濠や園内を見下ろし、大手町や丸ノ内のビル群も眺められます。
かつて御台所前三重櫓があった場所で、焼失してからはそこが展望台とされているそうです。

3.12 富士見櫓

天守台に次ぐ高さで、富士山の雪を眺める櫓だったとされているのが富士見櫓です。大火事で焼失してしまいましたが、1659年に再建されました(現在は残念ながら立入禁止)。

富士見櫓の上からは、その名の通り富士山が見られ、他にも秩父連山や筑波山、江戸湾(現在の東京港)、さらに将軍は両国の花火などを観覧したのだそうです。当時の人たちはここから富士山を眺めていたのかと想像すると、当時の空気を感じられるような気がします。

富士見櫓

3.13 桃華楽堂(とうかがくどう)

音楽がお好きだった、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)の還暦を記念して建てられた音楽堂。色鮮やかな壁と八面体という珍しいフォルムで、屋根はクレマチスの花びらを模した形をしています。外壁のモザイクタイルの図柄は、大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたもの。「日月星」「衣食住」「風水火」「春夏秋冬」「鶴亀」「雪月花」「楽の音」「松竹梅」を形作っています。

桃華楽堂

3.14 松の大廊下跡

中雀門から向かって左側の蓮池濠の近くに松の「大廊下跡」があります。廊下の襖戸に「松」と「千鳥」の絵が描かれていたことからこの名がついたのだそう。「忠臣蔵」の舞台となった事件が起こったところでもあります。今は廊下も建物もありませんが、江戸城では2番目に長く、畳敷きの立派な廊下だったそうです。

松の大廊下跡

3.15 富士見多聞(たもん)

本丸跡の側の急な坂を登っていくと、この建物があります。

富士見多聞

「多聞」とは石垣上にある長屋倉庫のことで、普通の城壁よりも防御力のあるものなのだそう。

現在内部が公開されており、靴を脱いで中へ入ることができます。地震などで建物が破損しても修復工事を続けて形を保ち続け、当時から使われたとされている木材なども展示されています。

長屋倉庫

ここから富士山を眺めていたのだそう。

富士山を眺望

3.16 石室

石室がどのように使われていたのかは諸説あります。大奥跡の近くにあるため、大切なものを非常時に避難させたのではないかと考えられています。

石室

3.17 江戸城天守台

江戸城天守台

メインはもちろんこの天守台。江戸城にはかつて素晴らしい天守がありましたが、現在は江戸城天守台のみ残っています。北の丸公園の田安門や清水門の近くにあります。
天守台だけで高さが13.8mもあり、とても大きなお城があったことが想像できます。『江戸図屏風』などによれば屋根には金のしゃちほこがあり、5層6階の天守閣だったことが描かれているのだそうです。当時の設計図によると、現在の20階建てのビルに相当するというのですから驚きです。

天守台

現在は、江戸城天守閣の再建を目指す団体もあるそうなので、いつかまた見られる日が来るかもしれません。

3.18 梅林坂

平林門に向かう道にたくさんの梅の木が植えられており、坂を下りながら梅を眺められます。かつて、太田道灌が菅原道真を祀った際に、梅の木をここに植えたのが梅林坂の始まりとされています。早咲きの品種は冬至のころから咲き始め、例年2月中旬に見頃を迎えます。

3.19 皇居正門石橋

皇居前広場からは、大きな橋とその向こうにやぐらが見えます。二重橋とも呼ばれています。

3.20 伏見櫓

伏見櫓は皇居で最も美しいと言われるやぐらで、正門石橋とともに皇居の代表的な観光スポット。今あるものは、関東大震災で損壊したのちに解体・復元されたものです。

3.21 巽櫓(たつみやぐら)

「桜田二重櫓」とも呼ばれる巽櫓は、本丸から見ると辰巳(東南)方向にあることからこの名がつけられたそう。現存する唯一の隅櫓ですが、関東大震災で損壊したため解体して復元されています。

3.22 二ノ丸庭園

二の丸にある、築山を背後にした池がある庭園です。徳川家重の時代に書かれた庭絵図面をもとに復元され、全国から集められた各都道府県の木が植えられているのだそう。

二ノ丸庭園

こじんまりしていますがが、穏やかな時間の流れる場所で、見どころの一つとされています。ガイドさん曰く、池にいる鯉は、日本産のものとインド産のものをかけ合わされた種類だそうで、金魚のように尾ヒレがひらひらしています。

奥にある細道を流れている小川の水源の方まで少し登ると、高いところから庭園のきれいな景色も眺められます。

3.23 諏訪の茶屋

二の丸の近くには風雅な茶室として使われていたとされる諏訪の茶屋もあります。 もともと明治時代に吹上御苑というところで休み処として使われていた茶屋を移築したのだとか。

諏訪の茶屋

3.24 都道府県の木

全国から寄せられて、各都道府県を象徴する植物が植えられているエリアがあります。植物を見ながら全国ちょっとずつ旅をしているような、楽しい体験ができます。

3.25 平川門

皇居東御苑への入り口の一つ。跳ね上げ式の枡形門がほぼ完全な姿で残っている、唯一の門と言われています。大奥に近く、大奥女中の通用口として利用されたことから「お局御門」とも呼ばれています。
ここで注意点が。この門は江戸城で重罪を犯した人や亡くなった人を搬出した門でもあるため、縁起をかつぐ人はここからの退出は避けたほうがいいでしょう。

3.26 北詰橋門

北拮橋門は、竹下駅から出てすぐの門です。天守部分から外部に直接通じる門なので、天守台の裏へ直接入りたいときはここからがおすすめです。

北詰橋門

防御力を高めるためにほかの門よりも堀が深く、石垣は最も堅固なつくり。現在は土橋になっており、入場門の一つとなっています。

3.27 桜田門・田安門・清水門

これら三つの門は、国の重要文化財に指定されています。
「田安門」は日本武道館の北側あたりにあります。現存する門の中では最も古く、1607年にはすでに存在していたとも言われています。
「桜田門」は歴史の授業で習ったことを覚えている方も多いかもしれませんが、「桜田門外の変」という、歴史的な出来事のあった場所です。現存する門の中で最も規模の大きい門であり、警視庁の近くでもあるため、「警視庁」の代名詞として使われることもあるのだとか。

「清水門」は徳川御三卿の「清水徳川家」が利用した北の丸の出入口として利用されたことから、この名がついたと言われています。田安門も同様に「田安徳川家」が由来とのこと。他にも江戸城には多数の門があり、門の名前は今でも駅名などに使われています。

3.28 江戸城外堀跡

江戸城の外濠の中でも、牛込見附から赤坂見附までと虎ノ門地区が国の史跡に指定されています。虎ノ門には地下展示室があり、パネルによる説明や展示などがあります。

3.29 江戸城三十六見附

江戸城門に置かれた見附という見張り番所のうち、以下の36か所を取り上げて「江戸城三十六見附」と呼んだと言われています。

浅草見附、筋違見附、小石川見附、牛込見附、市谷見附、四谷見附、喰違見附、赤坂見附、虎ノ門、幸橋門、山下橋門、数寄屋橋門、鍛冶橋門、呉服橋門、常盤橋門、神田橋門、一ツ橋門、雉子橋門、竹橋門、清水門、田安門、半蔵門、外桜田門(桜田門)、日比谷門、馬場先門、和田倉門、大手門、平川門、北桔橋門、西の丸大手門、西の丸玄関門(二重橋)、坂下門、内桜田門(桔梗門)、下乗門、中之門、中雀門の36か所です。

現在でも地名として残っているものも多くあります。
三十六見附ではないですが、日本橋川を常盤橋門から上流へ進むと、江戸城建設時に木材石材を荷揚げした鎌倉河岸に由来する「鎌倉橋」や、神田橋と一ツ橋の間の「錦橋」なども見ることができます。

3.30 和田蔵門跡

現在の丸の内近くにあるのが、江戸城の和田蔵門跡です。 江戸城が建てられた当初はこの辺りが日比谷入江と呼ばれる海であったとされています。

3.31 北町奉行所跡

「遠山の金さん」でおなじみの遠山左衛門尉景元がいたのが北町奉行所。元々は常盤橋門内にありましたが、何回か移転して最終的には呉服橋門内にあったそうです。
奉行所跡の案内板は、東京駅八重洲口北側の丸の内トラストタワーN館の東側の細い通路に置かれています。

3.32 蕃書調所跡

九段下の昭和館の前に「蕃書調所跡」の石碑と案内板が建てられています。
蕃書とは洋書のことで、蕃書調所は江戸幕府が運営する洋学研究教育機関のことだそう。

3.33 日比谷見附跡

地下鉄日比谷駅から徒歩2分、日比谷公園の北東側にあるのが日比谷見附跡です。江戸城を囲む「江戸城三十六見附」のひとつで、日比谷門があった場所です。36ある見附の中で、日比谷御門だけが橋のない門であり、大名小路への出入り口でした。明治初期に撤去され、今では石垣と塚跡が残っています。

3.34 竹橋御門跡

竹橋門は、地下鉄の竹橋駅から出てすぐのところにありました。枡形門の跡地には石碑が建てられています。

3.35 太田道灌の追慕碑

平川門平川橋の近くに、江戸城を築城した太田道灌をしのんだ記念碑が建てられています。この石碑には、江戸城に使っていた石が使われているそうですよ。

3.36 紅葉山

紅葉山は、江戸城の西の丸の北東にある丘のことです。昔は「鷲の森」とも呼ばれたそうです。太田道灌が江戸城を築城する前から存在していたと言われています。

3.37 北の丸公園

北の丸公園は、皇居に隣接する国民公園のことであり、また公園の所在地である千代田区の町名でもあります。江戸城の北の丸だった場所で、現在は環境省の管理する国民公園の一つになっています。多くの文化施設があり、旧江戸城の遺構も多いです。都心部の中にあっても緑豊かな場所です。

3.38 吹上御苑

皇居の吹上地区にある御苑のこと。敷地の多くは森林で、その中に御所などの建物が点在しています。主な建物としては、昭和天皇・香淳皇后の御所であった「吹上大宮御所」、今上天皇・皇后の住居である「御所」、「宮中三殿」などがあります。

明治維新の際一時荒廃しましたが、江戸城に天皇が居住するようになって庭園が再建され、今では原生林のような植生を形成しています。

3.39 乾門

乾門は江戸時代にはなかった門で、もともと坂下門の内側の「西の丸裏門」でした。1888年(明治21年)の明治宮殿造営の際に現在の場所に移設され、皇居から見て乾(いぬい)の方角にあるため乾門と名づけられました。

現在は警備が厳しいため、通常は門に近づくことができませんが、新年一般参賀などの皇居公開時には出口として使用され、間近で見ることができます。

3.40 皇居外苑

周りの濠にはたくさんの野鳥や季節ごとの植物が楽しめます。
また、多くのランナーが朝から夜まで走っているランニングコースにもなっています。

観光スポットとしてあまり目立つ存在ではありませんが、広大な敷地で四季折々の楽しみ方があります。入園が無料と言うこともあり、多くの人が訪れる江戸城。ぜひ散策がてら訪れてみてください!

江戸城の基本情報

  • 住所:〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1
  • 営業時間:8:00〜22:00(最終入場21:00)
  • 料金:無料
  • 駐車場:なし
  • 定休日:10:00〜17:00
  • 電車のアクセス:JR東京駅および千代田線大手町駅から徒歩約5分
  • HP:http://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/history.html

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