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【韓国】緊張!?でも今が旬。南北軍事境界線を見に行こう!!
こんにちは!旅での歴史は出会い、歴旅ライターまえてぃーです。
2018年4月、世界が注目する出来事が起こりました。そう、『南北首脳会談』です!北朝鮮のトップと韓国のトップが二つの国の境界線上で握手を交わしたのです。テレビで目にした方も多いのではないでしょうか。
この境界線のある場所を板門店(はんもんてん)と言います。その後アメリカのトランプ大統領も訪れた話題の場所に、なんと私たち一般人も行くことができることをご存知ですか??今回は、今現在大きく歴史が動いているこの板門店に行く方法と、その魅力をご紹介します。
目次
朝鮮半島はどうして二つに分かれたの??
まずは簡単に歴史のご紹介。
第二次世界大戦終了後、敗戦により日本が撤退した朝鮮半島で事は起こりました。1950年、朝鮮戦争勃発です。アメリカを軸とする韓国側と、ロシア・中国を軸とする北朝鮮側が朝鮮半島の指導権を巡って争いました。別名「代理戦争」とも呼ばれます。
そして、泥沼化する戦争に休戦協定を結び、境界線を引いてお互い干渉しないようにと約束をすることになりました。これに基づき、朝鮮半島を「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と「大韓民国(韓国)」に分けてそれぞれが統治することになりました。
<朝鮮戦争が始まった日>
この二か国間にひかれた線のことを軍事境界線、英語でJoint Security Area (JSA)と呼び、映画にもなりました。この線はあくまでも「国境」じゃなくて、「境界線」。終戦じゃなくて休戦。この状態が50年以上も続いています。だから韓国では徴兵制があるわけです。
どうして人気絶頂のアーティストや、トップリーグで活躍するスポーツ選手が徴兵にいくのか、まえてぃーは不思議でたまりませんでした。いつ開戦になるか分からないからだったんですね。
板門店ツアーに参加しよう!
この板門店には個人で行くことはできませんが、韓国からツアー参加者としてなら簡単に行くことができます。申し込みはインターネットでも韓国の旅行会社でも受け付けているので参加してみました。
>>まえてぃーが参加した「ベルトラ:南北境界線(DMZ)ツアー」の詳細はこちら
板門店のみの見学や、加えて戦争博物館や、北側が南側を攻めるために用意したトンネルを見学するコースもあります。時間や興味に合わせて参加してみてください。
パスポートや出身国のチェックなどで時間がかかり、申し込みから最短3日でツアーに参加できます。ただし、直前参加はできないのでご注意ください!!
尚、このツアーに参加するには、色んな約束事や注意点があります。例えば・・・
- 服装は派手なものやサンダル、短パン、ダメージジーンズは不可
- 決められた場所でしか撮影をしてはいけない
- 北朝鮮側の人間に手を振るなどの行為もNG(韓国側から入った場合)
- 何か起こったら中止になる可能性があるし、責任はとれないetc...
ざっとこんな感じですが、これだけで緊張感ありますよね...。
<受付の様子>
集合場所に着くと、パスポートを見せる受付があります。出身国によってはツアーに参加できません。なんと韓国国籍の人は参加ができないんです。
受付を済ませ、バスに乗り出発です。英語・中国語・日本語のガイドさんが同行するので言葉の心配もありません。この日は全部で30名ほどが参加していました。
軍事境界線へのアクセス
ガイドさんは朝鮮戦争のことを『韓国戦争』と言っていました。
バスに乗ること2時間。都市から離れ、警備が厳重になってきた場所があります。ここからは事前に許可を得た人しか入れない民間人統制区域と呼ばれる地域です。全くの"写真NG"なので、まえてぃー渾身の画力を合わせて伝えていきたいと思います!
軍事境界線の手前約2キロは非武装地帯(DMZ)と呼ばれ、バスは一旦止まります。すると韓国兵がパスポートと服装をチェックをしてきます。そして、再びバスが動くとまたストップ。次はアメリカ兵らしき人がパスポートチェック。そしてバスを降りろとの指示。どうやらバスを乗り換える様子。
ちなみに、ここにいるのは韓国軍とアメリカ軍らしいですが、全部まとめて「国連軍」という扱いです。なんで国連軍かと言うと、朝鮮戦争の時、北に押されぎみだった南側の韓国軍に加勢した国が国連軍だったわけです。でもほとんどがアメリカ軍なんですけどね。
なので、まえてぃーたち観光客は国連軍のゲストという扱いになります。
これがゲストのタグ。絶対、左側の見える位置につけないとダメです!!
バスを乗り換え走ること数分。なんと横に『村』があります!ガイドさん曰く非武装地帯には韓国に1つ、北朝鮮にも1つ『村』があって、ちゃんと人も住んでて学校まであるらしいのです。村では野菜とか豆とか作っているそうですが、聞いて驚きました!!なんと農作業をする時は、決められた時間に国連軍の保護を受けながら作業をするそうです。外出はしても良いけど夜の12時には家にいなきゃいけなくて、これも点呼があるみたいです。スパイ防止のようです。
なんと窮屈な生活だと思いきや、意外にもこの村に住みたい人はとても多いそう。なぜかと言うと、国からいろんな恩恵を受けることができるんです!例えば税金が免除になったり、学校教育も英語が盛んで、みんなペラペラになれたりなどなど...。"制約よりも恩恵を重視!"って感じなんですね。
その村を通り越し、再び道路を進むとまた戦争を感じる景色が現れます。道路の真ん中にジグザグに障害物が置いてあるのです。バスは、それを避けながら走るからゆっくり進みます。これはなぜかというと、いざ開戦になって相手が攻めてきた時、戦車などが猛スピードで攻めてこられないようにしてるそうです。
さらに進むと、短い橋みたいなものがいくつか道路の上に通っています。開戦になった時、スイッチでこの橋をぶっ壊して瓦礫にし、通ってこられないようにするそうです。だから、橋の中にはダイナマイトがたくさんつまっています。まさにここは1番早く戦場になる場所でした...。
そしてついに、『軍事境界線(JSA)』へ到着です!!
<もらったパンフレットに載っていた地図>
意外に建物が多いです。まず(1)のところで降りて、建物に入ります。ここからはまたルールが増えます。
- 持ち物は財布とカメラのみ
- バッグは置いてく
- 筆記用具のペンさえも武器とみなされ持ち込み禁止!!
- 必ず2列で歩いて、はみ出ない
(その周りを国連軍が守りますって...。何か起こった時に守りやすいのと、監視のためですって。兵隊に守られて歩くのは初めてでした...。)
その後、建物の中ではレクチャーを受けます。「なぜ分断したのか」、「この場所はどう守られているのか」など、アメリカ兵から説明を受けました。大学の講義室みたいな感じで、映画などで軍隊が作戦ミーティングするイメージです。パワーポイントも使いながらの説明で、とても分かりやすかったです。ジョークなのか何か分かりませんが、「昔、列を乱したフランス人が撃たれたので注意したまえ」って言われて、笑うしかありませんでした。
そして、噂に聞いてたアレを書きました。そう、「生死が脅かされることがあっても文句言いません用紙」。これが実際のモノです。
書く時も「最近は情勢も良くないからね〜」なんて言ってきます。確かに今思えば、まえてぃーが参加した日は北朝鮮が日本海側にミサイルを撃ち込んでくるちょうど前日でした。けっこう本気で無事を祈りながら書きました。
それから、ここにいる兵士達は北側の人間のことを明確に『敵』と呼んでいました。異国のことを"脅威"などとは日本でも耳にすることがありますが、ここまではっきり『敵の行動』という言葉や『敵の挑発』なんて言葉は聞いたことがありませんでした。これも"戦争中の証"だと思うと一気にテレビの中の世界がリアルになりました。そして、銃を持った兵士たちに囲まれながら、(5)番の建物を通り抜けます。
すると...。噂の場所です!!
ここが境界線であり、JSAであり、38度線であり、歴史が今に繋がっている場所!!きっと「テレビで見た世界って本当にあるんだ」という気持ちが溢れてきますよ!!
向こうに見える白い建物。あれが北朝鮮側の施設です。黄色の線の向こうに青い建物があるでしょ??あの部屋の真ん中に会議机が横向きに置いてあって、その真ん中に線が引かれています。それが南北の境目なんです。
<青い建物の中の様子>
この韓国兵の後ろには行けません。じーっと見つめましたが微動だにしません!
実際の机がこちら。
つまり、1つの部屋の中で北と南に行ったり来たりできるわけです!そりゃあ、クルクル回りますよね(笑)
ちなみに、ここでの見学に許された時間はわずか5分。全力で目に焼き付けました。
たまに北側にも観光客がいて、お互いが見えるそうです。でもその時、北側の人に手を振ったり何かしらのジェスチャーをしてはいけません!その行為がスパイと見られるらしいのです。見学を無事に終え、肩の力が抜けました。
すると、もっと力が抜けることが...。お土産屋さんがあるではないか!!ガイドさん曰く、ここは商業の自由が認められていてボールペンや帽子、Tシャツなど色々売っていました。まえてぃーもやっぱりテンション上がって買いました!!お土産といえばコレ!チョコレートですよね。
先ほどチラッと書きましたが、この辺りでは農業があり、この辺りで栽培された豆を使ってるそうです。箱にはご丁寧に【日本語】表記まであり、日本人観光客が多いことも分かります。"平和と統一の希望"、いや、やっぱりチョコレートは人類を救う食材なんかもしれませんね...。
それを買ってバスに乗り、帰ります。帰りにチラッと「橋」が見えました。それは「帰らざる橋」と言って、休戦後、捕虜交換が行われた場所です。解放された捕虜は北に行くか南に行くかを決めなければならず、一度決めたら変えることはできなかったそう。
家族は、兄弟は、友達はどちらにいるのか分からない...。今みたいにネットもスマホも無いから、一度離れたら、みんなが元気なのか、生きてるのか死んでるのかも分からない...。そんな現実。川の水は止まることなく流れていきます。水は自由に流れてくのに、人の流れ(自由)はそこにはなかった...。
ツアーを終えて
朝9時に出発して、ソウルに戻ったのが17時ですから丸一日かけての大見学会でした。
ガイドさんが帰りのバスの中で、「同じ民族なのに、本当何しているんでしょうね...」と語った言葉が重かった。そして、「韓国は弱い国だからアメリカが決めたことが全てになる」とも言っていました。冒頭にも書きましたが朝鮮戦争は別名、代理戦争とも言われ、社会主義の国を守りたいロシアが北側の支援をし、朝鮮半島に拠点を持ちたい資本主義のアメリカが南側を支援していました。
当時は冷戦中で、アメリカとロシアは軍事力や化学力で大きく競っていました。北朝鮮と韓国は、それに翻弄された国でもあります。
さらに、1950年の朝鮮戦争が起こった年は日本では敗戦から5年後でした。「朝鮮特需」という現象が起こりました。これは簡単に言うと、アメリカが基地のある日本に物資などを発注し、日本に大きな経済効果がもたらされたことになります。そのことがあり、日本は戦前の経済水準を大きく上回ることになりました。戦後の不況、脱出です。
初めてこれを知った時、戦争の矛盾を感じずにはいられませんでした。戦争を支援することで、日本は復興を加速させることができました。
"戦争は儲かる"。
昔、中学校の先生が言っていた言葉の意味が分かった気がしました。戦争の悲惨さは色あせてないその時代。きっと日本には断る権利も無かっただろうし、何よりも自分たちの生活や子どもたちの未来もかかっていた。戦争なんて誰も好きでやってるわけじゃない。戦争の支援だってきっとそう。でも、隣の国の悲しい歴史に、自分たちも関係していたということは忘れないでいたい。そして、日本と同じように韓国もアメリカ軍基地問題を抱えていたという事実も。
今だから参加する意味がある
韓国は日本から近く、安価に行くことができます。そしてご飯も美味しく、買い物やエステなどの美容体験も非常に人気がありますよね。半面、日本とは領土問題や慰安婦問題などの政治的に抱える問題は少なくありません。
でも、そんな今だからこそ、韓国の持つ歴史と、その上に成り立つ現在。韓国の人々が抱える悲しみや、未来に対する希望。それらを感じる体験を、ぜひツアーを通して知ってみてはいかがでしょうか??日本人だからこそ感じられること、共感できることが、きっとありますよ。
ちなみに、あそこにいる韓国兵は「兵役義務」で来ているため、お給料はなし。手当のみ。国連関連の偉い人や観光客もいるから、背の高いイケメンを揃えているそう笑。本当か嘘かは自分の目で見て、確かめてくださいね。
ツアー後はカフェでまったり。
射撃体験でアクティブな夜も過ごせます。
平和が訪れますように。
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まえてぃー
- 元ノリノリ世界史教師。教科書に載ってたり載ってなかったりする世界の歴史ポイントをご紹介。旅のついでにそのロマン溢れた世界をご堪能ください。