魯迅の軌跡を辿る博物館「北京魯迅博物館(北京新文化運動紀念館)」へようこそ!

日本でも有名な"魯迅"。祖国の発展と安定のために奮闘した魯迅の軌跡が凝縮されている博物館が、この北京にあります。

今回は、「北京魯迅博物館(北京新文化運動紀念館)」のご紹介です!

満州族の清朝の末期、軍閥割拠時代、中華民国時期などの、近代中国が好きな方には、文献以外の資料も豊富に扱ってくれているので、時代を感じることができるためおすすめのスポットです。

地下鉄2号線の「阜成門」駅 B出口から560メートルほど歩くと見えてきます。

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門をくぐると門番がID提示を求めてきますので、パスポート、学生証などを見せて中に入ります。開放時間は、月曜日以外の9時から16時まで。15時半まで入場でき料金は無料です。

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魯迅先生の像の奥にある建物が、展示博物館です。

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一番最初に飛び込んでくるのは、魯迅の一言。

「何が道なのか。道がない場所から、踏みつけてできたものだ。荊しかないような場所から切り拓いてできたものだ。」

と書いてあります。中学校の国語の教科書に載っている「故郷」の最後と同じ余韻を感じ、懐かしく思いました。

魯迅の生きた証が、時系列に陳列されています。紹興、仙台、東京、北京、アモイ、上海、など転々と場所を変えて激動の時代を駆けた魯迅。

1902年から1909年までの日本での留学期間の様子もかなり詳細に整理されています。

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文学という壇上での魯迅は、元気だった頃は、中国人の国民性を真っ向から否定していましたが、 最初から文学を志していたわけではありませんでした。仙台で医学を志していた頃の魯迅少年の時間割と成績表がありました。

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魯迅の本名は"周樹人"なので39番目に書いてありますね。魯迅の小説にも「藤野先生」という短編がありますが、当時、藤野先生という方が魯迅を通して中国の発展と日中の友好を願っていました。魯迅が日本に在りし時代は、日清戦争、日露戦争の勝利に湧いていました。そのような時代に日本で留学されていたというだけで、感服の一言です。

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混沌とした暗黒時代を過ごし、政治的挫折でのパワーを注ぎ込み、研究成果として書いた「中国小説の歴史的変遷」の自書です。

人類の歴史の「進化」というキーワードに、繰り返し暗中模索していた魯迅を、手に取るような内容でした。直線に一次元的に進むことはない、中国独自の発展方式を、私は螺旋的と呼んでいますが、魯迅も自国の見えぬ行く末を最後まで心配していたようです。

思想や理論は、蔑視や抑圧されて統制されることもしばしばですが、芸術色彩の濃い小説からは生命力を感じ、中国国民の真情を反映していると確信していた魯迅らしい傑作です。

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昔の名刺は、名前だけ。一般人には無縁の存在でした。

1936年に、56歳という短い生涯を終えた魯迅。逝去一日前の絶筆となった作品が、内山完造さん宛ての日本語での手紙でした。

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ここでは紹介しきれませんが、まだまだ貴重な資料がありますので、ぜひ足を運んでみてください。

日本軍の足音が聞こえていた、近代中国の啓蒙思想家たちの叫びと葛藤が胸にささります。また、西洋で生まれた民主や科学といった概念は、中国には浸透していないという価値基準を振り翳し、現代化が遅いと一概には言えないと思います。

このような激動な時代に戻らないようにと祈ります。

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一番難しいLet it beをモットーに、 なんとかするなんとかなるを繰り返し、 北京留学生活、すでに6年目突入です!

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