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ウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」は伝説と歴史の宝庫
ウィーンのガイドブックには必ず登場する、ウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」は、ウィーン人に愛される伝説の舞台であり、モーツァルトやベートーベンも訪れた歴史あるレストランです。
ウィーン最古のレストランの歴史と由来
ウィーン旧市街をふらりと散策していると、まずは赤レンガ造りの教会に目が行き、その隣にある妙な木彫りのレリーフが目に止まります。このレリーフの足元にあるのが、「グリーヒェンバイスル」です。
グリーヒェンバイスルは中央のつたの絡まった建物。左が赤レンガの教会。
この辺りの地域は、レストランが創設された1447年頃、オリエント地方との貿易に携わった商人が多く住んでいました。隣の教会もギリシャ正教の教会です。そのようなギリシャ関連の深い土地柄から、このレストラン「グリーヒェンバイスル」(直訳は「ギリシャの料理屋」)と言う名前が付いたと言われています。
グリーヒェンバイスルの入り口は、巨大な木彫りの人物像の足元。
このレストラン、ウィーン最古と言うだけあって、様々な伝説や謂れがあります。ぜひ食事の合間に、このレストランを探検してみてください。
ウィーン人に愛される「アウグスティン伝説」
まずは、入り口の通路足元にある格子から下を覗いてみてください。
この格子から下を覗くと・・
下におじさんの人形が入っていて、コインが沢山投げ入れられているを見ることができます。このおじさんは、ウィーン人に愛される「愛しのアウグスティン」で、レストランの看板にもなっている巨大な木彫りの人物もこの人です。
格子の下の人形が見えますか?
「アウグスティン伝説」はウィーンの人なら必ず知っている有名な昔話です。酒飲みで流しの街楽師だったアウグスティンは、ある日酔っ払って道端の溝に落ちてしまい、一晩を過ごします。溝とは言っても、ペスト大流行の時代。朝になってペストによる死者とともに墓地に運ばれたアウグスティンは、そこで目を覚まし、奇跡の生還を遂げたと言われています。
この伝説、一見飲んだくれのラッキー話のようでもありますが、実は、ウィーン人の死生観を象徴しています。ウィーン人は「死」を恐れの対象と言うよりも「仲良くなって手なずけたら見逃してくれる」と考えていて、死を恐れずに酒と歌の力で手なずけてしまったアウグスティンの伝説は、ウィーンの人にとって一種の不死身伝説となっています。後世になって作られた彼の人生を歌った歌は、現代でも語り継がれています。
16世紀の大砲の玉
さらにこのアウグスティンから更に通路の奥へ進むと、レストランの入り口の左側に、二つの丸い球が埋め込まれた壁があります。これは、第1次トルコ包囲(1529年)の時にトルコ軍がウィーン市街へ打ち込んだ二つの大砲の玉と言われています。昔の大砲の玉の大きさやいびつさ、そして、市壁を包囲されたウィーン人たちの必死の抵抗の様子が思い浮かびます。
トルコ包囲の際の砲弾
通路の奥にある、レストラン入り口
著名人のサインが並ぶ「サインの間」
更に、レストランの中に入って二度左に曲がったところにある部屋は、マーク・トウェイン・ルーム(別名「サインの間」)と呼ばれ、様々なウィーンゆかりの著名人のサインが壁に書かれていることで有名です。見所は奥の壁で、モーツァルト、ベートーベン、リヒャルト・ワーグナーなどの音楽家の他、マーク・トウェインなどのウィーンを訪れた著名人のサインを見つけることができます。
マーク・トウェインの間
また、それ以外の壁の部分は現在でもサインが続けられていて、ウィーンに来た日本人俳優の名前なども沢山ありますので、ぜひ探してみてくださいね。
伝統的ウィーン料理を楽しむ
グリーヒェンバイスルは「ギリシャの料理屋」と言う名前ではありますが、伝統的なウィーン料理を出します。観光客価格ではありますが、歴史的な雰囲気を味わいながらのランチやディナーもなかなかのものです。夜は予約が必須ですが、昼は気軽に入ることができますし、テラス席も気持ちがいいですよ。
ぜひ、ウィーン観光の合間に立ち寄って、歴史を肌で感じてみてくださいね。
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ひょろ
- オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。